塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

竹原市長をめぐる阿久根市の混乱についての雑感

2010年08月22日 | 社会考

 古くなった抹茶をどうしようかと思い、ふとカクテルにしてみたら意外と美味しくできました。
 ラム1/2、コアントロー1/4、牛乳1/4、抹茶茶杓1~2杯程度をシェイク。要はXYZのレモンジュースを抹茶ミルクに替えただけです。

 さて、長らく話題になり続けた鹿児島県は阿久根市の市長問題が、いよいよ佳境に入りつつあるようです。今回はこのお騒がせ市長を取り上げますが、完全に雑感でとくに根拠のない私見ですので、暑い夏の座興程度に読み流してください。

 これまで一貫して強気の姿勢だった竹原信一市長ですが、突如鹿児島県の伊藤知事に面会を申し出て議会の臨時招集を図るなど、ここにきて急に柔軟姿勢を見せはじめました。背後に、市民によるリコール活動が本格始動したことがあるのは間違いないでしょう。市長派は署名活動に対する阻止運動を展開しているということですが、おそらく旗色が悪いのでこのような行動に出たのだろうと推測されます。

 それにしても奇抜専横な言動の目立つ市長です。人口3万足らずの地方都市だからやっていけているようなものの、これが政令指定都市などの大都市だったとしたら話はもっと深刻に捉えられていたでしょう。ブラウン管を通してしか知り得ない地方も地方の一市長をみて、ほとんどの人は「一体何なんだ、この人は」というのが正直な感想だと思います。

 僕が竹原市長の言動を見ていて感じるのは、「オタクに権力を持たせると、こうなるんだろう」ということです。「オタク」という表現は恣意的なものです。一般的にも、オタクには「1つの趣味に極度にのめり込んでいる人」とか「ゲームやアニメ、マンガなどがすごく好きな人」、あるいは単に「キモい人」を指すこともあり、非常にレンジの広い言葉です。本来はまず「オタク」の定義をしなければならないのですが、勝手に省略させてもらい、ここでは「自分中心の世界から帰って来られなくなった人」とでもしておきましょう。

 「趣味に没入する人」という広い意味でのオタク(これには僕も入っています)の人々にとって、その対象とする世界(たとえば鉄道にせよ野鳥観察にせよアニメにせよ)は、自分が主役の自分だけの世界です。言い換えれば、自分がやりたいようにやり、自分が正しいと思うことが正しい世界です。他方で、自分が現実に生きている社会は、多数の他人がいる世界です。そこでは、多様な価値観が混在しているため、自分の思った通りにはなかなか事は運びません。普通は、この自分だけのオタクの世界と現実の社会とは分けて生活をしているわけですが、たまにこの境目が曖昧になってしまったり、オタクの世界を現実に持ちこんでしまっている人がいます。

 ネットでよく匿名で、自分の意見を攻撃的な言葉遣いで書き立てた書き込みを見かけます。こうした書き込みからは、自分の意見が唯一マトモで、自分を認めない意見は全否定するという態度が容易に見てとれます。このような姿勢には、普段の社会生活でなら当然考慮に入れられているべき「他者」が全く顧みられていません。自分だけが正しいオタクの世界を、他者のいる現実に持ち込んでしまっているのです。

 こうした人たちは、自分とは異なる意見をもった「他者」が現れた際に、ある共通した行動をとります。それは「否定」と「逃げ」です。否定はすでに挙げたとおりです。自分を認めない意見には中傷的な言葉を浴びせかけ、拒絶反応を示します。それでも議論が続くとなると、よく見られるのが捨て台詞のように書き込んで去っていく、意見の貼り逃げです。初めから匿名で、言いたいことだけ言って反論の余地を与えない、というパターンもあります(このブログでもありました)。彼らには、議論をしようという気などありません。自分の意見に同調するならよし、しないなら捨て台詞を残してさっさと逃げる。そうやって自分の正当性を保持しようというのです。そういう人というのは、自分だけが正しい世界に浸かったまま、他者がいて多様性があり得るという現実社会を認めることができなくなってしまったのだと解釈できます。

 話を阿久根市に戻しましょう。ここで竹原市長の一連の言動をみてみると、自分の意見を認めない議会は捨て台詞を残したまま開かず、自分の意見に従わない職員は何の権限があってかクビ。そんな市長の行動に同調しないマスコミにも、毎回小馬鹿にしたような捨て台詞を残して、市長はそそくさと退散。自分のやり方を認めない県や国の是正勧告も無視。見れば見るほど、自分だけが正しく他者を認めないオタクの行動そのものという気がしてなりません。

 近年、地方自治体の首長などではとくに、議会出身者などの政治家よりも、弁護士とか作家とかタレントとかのぽっと出の一匹狼みたいな人が期待されて選出される傾向があるように思います。竹原市長がどんな経歴の持ち主なのかは知りません。ただ今回の一件は、他者を考慮できない一匹狼のような人物がはたして歓迎すべきものなのかどうか、少し考えさせる事例なのではないでしょうか。


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