塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

軽井沢スキーツアーバス事故所感

2016年01月17日 | 社会考
  
14人もの死者を出す大惨事となった軽井沢スキーバス転落事故から2日。百家争鳴状態だった報道もやや落ち着きを取り戻し、問題点の抽出と分析へと話題の中心が移ってきているように感じられます。ただ、大方のメディアは何故バスが転落に至ったのかという事故の直接的な原因や、バス会社およびツアー会社の管理体制に関心が集中しているように思われます。この点、私は今回の事故におけるもっとも重要な論点の1つとして、走行ルートの問題があると考えています。

実は私も、企画会社や最終目的地は異なるものの、同様のルートで夜行のスキーバスを利用したことが何度かあります。なので、北信方面のスキーバスの路程や走行ルートについてはすっかり頭に入ってしまっています。この手の夜行バスでの鉄則は、すでに散々報道されているとおり、「なるべく高速道路は使わない」ということです。翌朝にスキー場に着いていれば良いというなかでずっと高速を走り続けてしまうと、当然早く到着しすぎてしまいます。したがって、能う限り下道を走れば、高速代も浮かせて時間も調整でき、一石二鳥というわけです。

では「能う限り」とはどの程度なのかというのが、非常に重要になってきます。今回のような北信ルートの場合、高速に乗らざるを得ない箇所が3つあります。2回のトイレ休憩と、碓氷峠越えです。たいてい、関越道に入って最初のサービスエリアである高坂SAで最初の休憩をとり、そのすぐ先の東松山ICで降りて下道を行きます。次に、最大の難所である碓氷峠越えと2回目の休憩先となる横川SAを利用するため、群馬県の松井田妙義ICで信越道に乗り、佐久ICで降りるのがセオリーとなっています。

ところが今回の事故は、周知のとおり碓氷峠(正確には入山峠)の一般道で起こりました。なぜこのバスが、トイレ休憩と難所の負担軽減の2つを捨ててまで、険しい峠越えの下道を選んだのか。これが私にとってとにかく謎でなりません。最新の報道では、バスは高坂SAではなく、その先の上里SAで最初の休憩をとったとされており、余分に高速を走ってしまった分を取り戻そうとしたとする見方もできるでしょう。ですが、碓氷峠は軽井沢側が圧倒的に標高が高く、群馬県側からはひたすら険しい登りが続きます。逆向きならともかく、群馬側から越えようとすればかなりガソリンを喰うことになり、余分な燃料費とこの区間の高速代と比べてどれだけ浮かせることができるのか疑問です。そこまで切り詰めないと利益が出ないというような金額で請け負っていたとすれば、企画会社やバス会社、そして運転手との間の契約関係に問題があったのではないかと疑われるところです。

ここまでの話は、メディアの報道でも触れられるようになってきているので次第に明らかになるのでしょう。ただ、私にはもう1つ、そもそもの全体のルート計画に大きな問題があるように思われます。詳細なルートまでは分からないのですが、今回のツアーの予定コースを大まかに記載した地図をテレビか新聞で目にしました。それによると、(予定では)佐久ICで高速を降りたバスは北上して群馬県嬬恋村に入り、長野県上田市の菅平高原を抜け、善光寺平を挟んで最終目的地の斑尾高原に至るというものだったと記憶しています。

もしこの予定ルートが本当だとすると、欲張り過ぎ感が否めません。夜行のスキーバスツアーの売りは、車中泊で目が覚めるとスキー場に着いており、朝イチから滑り始められるという点にあります。ですので、遅くとも朝9時くらいまでには現地に到着していないと、滑れる時間が短くなってしまい、不満やクレームにつながってしまいます。かといって、日も昇らぬ暗いうちに極寒のスキー場に放り出されても困りますので、到着は早くて7時ころということになります。ですから、だいたい7時から9時の間に、予定されたスキー場を回りきって客を降ろさなければなりません。

浅間山の麓から長野と新潟の県境にある斑尾高原まで、碓氷峠越えに匹敵するような山間のうねり道や長野市郊外の市街地を抜けながら、この2時間の間に予定されたスキー場をすべて回るというのは、ちょっと不可能なんじゃないかと直感的に感じました。バス会社もツアー会社も、どちらも新規参入の部類に入るということで経験不足だったのかもしれませんが、計画に無理があることはちょっと考えれば分かりそうなものです。

この、そもそも全体ルートに無理があるという点についてはまだ各種メディアでの追及がなされていないようですが、今後新たな指摘ポイントとして浮上してくるのではないでしょうか。

高速バスの事故についてはこれまでも幾度かあり、高速道路での惨事ということから、被害が比較的大きくなる傾向はありました。ですが、今回は現場が高速道ではないということと、犠牲者のほとんどが若者であったという点で、社会に与えた衝撃は一層強いものとなりました。死者の一覧に20歳前後の数字が並んでいるというのは、見るだけで心が締め付けられます。バス業界の労働環境の問題については、これまで事故が起こる度に話題にはなっていました。しかし、事ここに至るまで、抜本的な改正がなされていなかったということになるのでしょう。問題を放置し続けた代償としては、あまりにも大きいといえます。

  



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