塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

地名探訪:「松阪」

2010年12月03日 | 地名探訪
  
 昨日の昼に、大衆食堂でカツ牛なるものを食べました。牛丼の上にカツが乗ってるのかと思いきや、カツカレーのカレーの代わりに牛丼のタネがかかっている感じでした。

 さて、無理やり牛つながりということで、今回は少し西に飛んで松阪牛の産地「松阪」を取り上げたいと思います。一応ことわりとして、松阪牛が有名になったのは、当然ですが20世紀に入って牛食が進んでからのことですので、今回の文脈では牛の話は出てきません。

 松阪の名付け親は、安土桃山時代の大名で茶人武将としても名高い蒲生氏郷です。氏郷は、天正十六年(1588)に四五百森(よいほのもり)と呼ばれていた丘に新たに城を築き、旧領の近江(今の滋賀県)から多くの近江商人を移住させました。このとき、城と町に「松坂」と命名しました。

 当時、新しい城や城下町に縁起のよい「松」の字を使うのがひとつのトレンドでした。例を挙げれば結構きりがなく、たとえば現在の県庁所在地のうち、「松」がつくのは高松市、松山市、松江市の3つですが、3市とも秀吉・家康の時代に命名されたものです。松坂城が築かれる前には、同じ松阪市の海岸沿いにあった松ヶ島城がこの地域の中心でしたが、これも織田信長の次男信雄によって命名されたものです。

 これらの地名は、「松」はともかく、もう一方の字についてはたいてい特段の理由が伝わっていません。しかし、「松坂」については、氏郷が秀吉から「大坂」の「坂」を拝領し、それに吉祥の「松」をつけたものといわれています。「そんな地名の一字まで殿様からもらうんかいな」と感じないでもありません。たとえば滋賀県長浜市の「長浜」も、一説には秀吉が信長から名前の「長」の字を拝領し、それまでの「今浜」から改めたといわれています。「松坂」が「大坂」と同じように、明治時代に「坂」の字を「阪」に改めたのも、「おおさか」と同様に「まつさか」と濁らないのも(「まつざか」と読むと地元の人からは怒られるそうです)、松坂が大坂にちなんでいるからなのかもしれません。

 ちなみに、氏郷は松坂城を築いてわずか2年後に奥州会津へ再び移ることになり、そこに築いた城と町に今度は「若松」と名付けました。また、このとき松坂城下の商人も再び若松へ連れて行こうとしましたが、従ったものもいれば、断って松坂にとどまった商家もありました。そのうちの1つが、後に四大財閥となる三井家です。

 



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