塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

地名探訪:仙台市と区部

2011年06月19日 | 地名探訪
   
 今日で高速道路休日1000円が終了するそうで、今週末は普段にまして渋滞が酷かったようですね。復興支援の財源確保のためということですが、よく考えるとなぜ復興財源を高速の通行料から徴収しなければならないのか、まったく謎ですし説明もされてないように思います。その前にバラマキの子供手当てを止めれば…と思うのですが、もはや延命のことしか頭にない菅総理に何を言っても無駄なのでしょうね。「顔を見たくないのなら法案を通しれくれと、しばらくはこの策でいきます」とニヤケ顔で語る菅総理からは、もはや醜悪さしか感じ取れません。被災者の前で同じ顔をして、同じことが言えるんですかね。そんな総理の隣で同じようにニヤけて総理をヨイショしていたソフトバンクの孫正義氏の顔も忘れません。100億円の善意(95%くらいはそれ以上の見返りがあるとの打算なのでしょうが)も綺麗に帳消しにできるくらいに被災地をコケにした言動だと思います。

 さて、本日の愚痴はこのくらいにして、今回は仙台とその区部について取り上げたいと思います。先の震災では仙台市のうち、若林区と宮城野区が甚大な津波被害を受けました。といっても、よほど仙台に行き慣れていなければ、若林区や宮城野区がどこにあるのか知っている人は少ないのではないでしょうか。仙台市は非常に広大な市で、東は海岸から西は奥羽山脈の県境まで、つまり宮城県の東端から西端まで市域に含まれます。奥羽山脈を境に西隣は山形市で、県庁所在地が隣り合っているのは、ひと昔前までは仙台-山形と京都-大津だけだったそうです(平成の大合併により福岡-佐賀も隣り合わせになりました)。

 仙台の地名の由来については、わりと知られているのではないかと思います。伊達政宗が仙台に居城を築いた際、すでにあった「千代城(せんだいじょう)」という古城をベースにしました。政宗は、自分が築き直した城と町に新しく「仙台」の字を充てました。これは、「仙臺初見五城楼」で始まる中国唐代の漢詩に由来するといわれています。この詩にいう「仙臺(台の旧字)」とは、仙人たちの集うところ(山あるいは宮殿)という意味だそうです。多くの大名が(会津)黒川を(会津)若松としたり、深志を松本としたりと吉祥の字を使った似たり寄ったりの地名を付けるなか、元の名と読みは同じで字のみを雅称にかえるというあたりに政宗公の高度なセンスと遊び心がうかがえます。

 さて、仙台市が政令指定都市となったとき、区名に東西南北といった安直な方角などを用いないという方針があったそうです。その結果、現在仙台市には青葉区、太白区、若林区、宮城野区、泉区という5つの区ができました。位置関係としては、だいたい仙台駅を中心として北西に青葉区、南西に太白区、北東に宮城野区、南東に若林区、そして一番北に泉区といった感じでしょうか。ですので、市東部の海岸に面した宮城野区と若林区が津波の被害を受けることになりました。以下、それぞれの区について簡単に紹介します。

○青葉区
 県庁・市役所や一番町・大町商店街、仙台城址など仙台市の主要機関が集まっている中心的な区です。区名の由来は、いわずもがなと思いますが青葉城や青葉山から。区自体は東西に非常に細長く、西端は山形県との県境になっています。広瀬川の中上流域を包摂しており、上流に遡るにつれてのどかな田園風景やニッカウヰスキーの工場もある清らかな渓谷、日本最初の露天風呂が作られたとされる作並温泉などがあります。

 
仙台城址から見る仙台市街


○太白区
 青葉区の南にあり、仙台の副都心計画が進む長町駅があります。長町は奥州街道の仙台の手前の宿場ですが、副都心計画によって古くからの町の面影は消滅しつつあります。この計画は、JR長町駅東側にあった広大な操車場跡地の再開発を基盤とするもので、東京汐留の地方版といったところでしょうか。
 区名の由来は、区内にある太白山という山です。標高はさほど高くないのですが、綺麗な円錐形の山です。とにかく高さより形で目立つ山で、新幹線で南から仙台に向かう際、駅手前のアナウンスが流れるあたりで左手にアポロチョコのように尖ってみえる山がそれです。上り列車の場合は仙台駅出発から間もなく右手に見えます。東北自動車道を南から北上したときにも、正面に見えます。

○若林区
 仙台市の南東に位置し、仙台市の区で唯一鉄道の地上駅がありません(地下鉄駅は2つあります)。区の東部および南部には広大で平坦な田園風景が広がり、仙台市の穀倉地帯となっています。裏を返せば、それがために津波を止めるものがなく、壊滅的な被害を受けてしまったともいえます。また、区北部には中央卸売市場があり、卸業や物流の中心地でもあります。
 区名の由来は、政宗が築いた若林城から。若林城は、晩年の政宗が青葉山の崖上の仙台城から移り住んだいわゆる隠居城です。現在城跡は宮城刑務所として利用されています。
 
 
若林城址。塀の向こうは宮城刑務所。


○宮城野区
 若林区の北、青葉区の東に位置しています。楽天イーグルスの本拠地クリネックススタジアム宮城や、仙台の受験の神様榴ヶ岡(つつじがおか)天満宮などがあります。また、宮城野区内にあたる仙台駅東口は、近年再開発により訪れるたびに風景が変わっていきます。区東部はやはり穀倉地帯で、甚大な津波被害を受けました。
 区名の由来は、仙台平野の原野部を指す「宮城野」から。宮城野というのは宮城野区域のみを指すものではありませんが、一般的には区内の榴ヶ岡周辺を「宮城野」あるいは「宮城野原」と呼びならわしているようです。実際、宮城野は地名という以上に古来歌枕として知られているもので、東北になど来たこともないような都人によって数多くの歌に詠み込まれています。
 
○泉区
 もともとは泉市でしたが、編入によりそのまま泉区となりました。仙台市街とは北山という低い丘陵地帯を隔てた北側に位置し、七北田川(ななきたがわ)流域の谷筋に発展したところです。ちなみに、この北山越えの道路は仙台随一の渋滞の名所として知られ、現在急ピッチで新たな地下型幹線道路が建設されています。ベガルタ仙台の本拠地ユアテックススタジアム仙台があるほかは、完全な仙台のベッドタウンです。このベッドタウン化は高度成長期に黒松団地が造られたのを皮切りに、今日まで続く筋金入りのものです。
 区名の由来は、区北西端にそびえる泉ヶ岳から。泉ヶ岳は泉区内や青葉区西部から広く望める雄大な山で、冬から春にかけては頂部が雪化粧をして非常に美しい山です。逆に、泉ヶ岳からは太平洋や仙台市街の絶景が望めます。市街から車ですぐに行けますし、スキー場もあるため、ドライブやレジャーによく利用されています。


初秋の泉ヶ岳


 さて、以上仙台市の5つの区について手短に紹介してみました。ところが近年、仙台市に第6の区の計画が取りざたされています。青葉区の西部、広瀬川の上流域では、「愛子」と書いて「あやし」と呼ぶ地域を中心にやはりベッドタウン化が進み、人口が急上昇しています。そこで、一帯を新しい区として分離するという話が持ち上がっているそうです。新区名については、皇室をはばかりでもしたのか「愛子区」ではなく「広瀬区」が第一候補となっているそうです。とはいっても、具体化には至っておらず、あくまで「そういう話も盛り上がってきている」という段階のようですが。


ベッドタウン化の進む愛子地区


 いかがでしょうか。復興にかかわるとかかわらずと、皆様ぜひ仙台にお越しいただければと思います。ただ、仙台城址へ行って、広瀬川を眺めて、一番町を歩いて、牛タンでも食べて、夜は国分町で遊んでというお決まりの観光コースだけだと青葉区だけで完結してしまいます(笑)。他の区にもそれなりに魅力がありますので、仙台のちょっとマイナーなところも行ってみたいという方は、ご連絡いただければさまざまな見どころをご紹介させていただきます^^

  



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2 コメント

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Unknown (儀一)
2011-10-24 23:17:07
先日リンクさせていただいた儀一でございます。
ここのブログは少々コメントしづらい記事が多かったのでこんな前の記事になってしまいました。

歴史を研究している身分なので地名も当然ながら調べたりします。
この仙台市の方針はいたく感心しました、安易に東西南北や桜やら緑やらその土地にゆかりの無い地名ばかり付ける某S市にも見習って欲しい所であります。
例え田舎臭いって言われても地名にはそれなりの歴史があります、他所からそこに引っ越してきた人たちがそういう事を言う事はどうもおかしくないかと思ったりするのです。
(そんなに田舎臭いって言うのであれば引っ越して来なくてもいいのではと思ったりも)

徐々に番地制が広がり、昔からの字や小名がどんどん消えております。
行政も便利性を見つめる事は結構なのですが、代わりに過去の歴史を残すことにもして戴きたい所ですね。
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Unknown (うじょう)
2011-10-25 03:41:16
儀一さま、

わざわざブログまでお越しいただいてありがとうございます!

こちらは城や歴史とは関係なく徒然なるままに書いていますので、「古城址探訪」から入られますと、少々面食らうかもしれませんね^^;

私も、仙台市のこの点に関しては素晴らしいと思っています。とはいえ、政令市になるために県境まで市域を拡げたり、山を無理に削ってニュータウン化したりするのはどうかと思っていますが^^;

また、某S市についてもまったく同感です(笑)。そもそも件名が漢字なのに市名がひらがなにひらいてあるのがどうも納得いきません。また、M沼は実はM沼区にないなど、かゆいところがさらにかゆくなる感じですね。

私の住んでいるところは開発が始まって6、7年ほどの新興住宅地なのですが、元の集落の住民で字名や屋号をまとめた冊子を作っていました。とても貴重な反面、もう少し早く作っていればとも思います。地名にしても何にしても、身近なものはなくなると知って初めて、そのありがたみを理解するものですね。
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