塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

京都四条縄手の自動車暴走事故に関する雑感

2012年04月17日 | 社会考
  
 京都で痛ましい事故が起きました。四条縄手の交差点ということですが、近くにある南座へはにしんそばを食べに何度か訪れているので、あの交差点を暴走車が突っ走る様というのはどうにも想像ができません。死亡した運転手は癲癇(てんかん)の持病があったものの、事件当時意識はあったとみられているそうですね。ただ、だからといって故意とまで一気に疑いを反転させるのはどうかと思っています。

 故意ということは、動機ないし目的が存在します。公開されたタクシーからの映像をみると、細い通りの車や歩行者を猛スピードながら縫うように走り抜け、最終的に不意に電柱に激突しています。たとえば、もし発作的に自殺しようとしたのなら、わざわざ障害物を縫って暴走する必要がありません。あらかじめこれと決めた対象物に一直線に激突するのが普通ではないでしょうか。それを、交差点の歩行者を撥ね飛ばし、他の車や人を避けながらいつまでも走り続け、明らかに予定にはない電柱にぶつかってENDというのは、自殺という点からは考えにくいように思います。

 他方、4年前の秋葉原歩行者天国での通り魔事件や7年前の仙台大町商店街での暴走事件などのような無差別殺人を図ったとするなら、そもそも歩行者を避けることが不自然です。この場合、目的は1人でも多くの人間を殺す、あるいは道連れにすることですから、他の車はともかく歩行者を避けるという行為は理に適っていません。

 したがって、動機・目的がはっきりしない以上、意識があったからといって「故意」とするのは尚早なのではないかと私は考えています。癲癇という病気がどのようなものか詳しくは知りませんが、脳の神経伝達の異常ということであれば、意識を失うことだけが症状ではないのではないでしょうか。なかには、自分が何をしているのか訳が分からなくなってしまうという症状を惹き起こす場合もあるのではないかな?と今回の件をみて思ったりします。

 たとえば、インフルエンザ治療薬タミフルによる副作用では、発作的にベランダから飛び降りて亡くなってしまうという事件が複数起きています。癲癇患者の薬でどの程度の副作用が報告されているのか知りませんが、あるいは同様の異常行動が現れてしまう例もあるのかもしれません。死亡した運転手の血液中から抗癲癇薬の成分が検出されたということですが、上述のような可能性も視野に入れて捜査すべきなのではないでしょうか。

 とくに私は運転手に肩入れしようという訳ではありませんし、「病気の発作が出たのでしかたないですね」と言われたのでは、7人もの犠牲者の遺族がやりきれないという心情も十分理解できます。ですが、その反作用とでもいうように俄かに故意だったのではないかと急進的になるのも、事実を明らかにするうえで適切な姿勢ではないのではないかと強く感じています。

 犠牲者および運転手のご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、できるだけ早く原因が明らかとなり、今後に役立てられるよう願っています。