塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

被災地としての茨城:鹿行地方

2012年04月13日 | 旅行
  
 茨城県の南東端、霞ケ浦の東側に位置する鹿島郡と行方(なめがた)郡の一帯を、合わせて鹿行(ろっこう)地方といいます。とくに鹿島は、鹿島神宮や鹿島アントラーズ、鹿島港などでそれなりに栄えており、南北とのアクセスも悪くないのですが、2007年に石岡~鉾田間を結ぶ鹿島鉄道が廃線となったため、県西地域との連絡は車のみとなっています。前回お話した土浦・石岡周辺めぐりの後、この鹿行地方や利根川を渡った千葉県香取地方を訪ねました。

 
旧鹿島鉄道玉造駅跡の風景


 はじめは、前月に熊野大社へ参詣したので鹿島神宮や香取神宮にもお参りしておこうという程度のノリだったのですが、思わぬ被災地旅行となりました。

 茨城県から千葉県にかけての太平洋岸も、東日本大震災による津波の甚大な被害を受けました。また、今年に入って、茨城県の南東端に位置する神栖市では余震にともなう度重なる液状化現象が問題となっています。それは知っていたので、海岸近くまでは行かないようにしたのですが、それでも内陸の被害も予想以上でした。瓦が落ちてブルーシートをかぶったままの家々が目立ち、マンホールの7割くらいが浮き上がり、橋の両詰はほぼ100%ズレて段差となっています。

 東日本大震災では、複数の断層がドミノ式にずれて広大な震源域を形成し、東京にも大きな揺れをもたらした最後のものは茨城県沖で発生したとされています。そのため、茨城県でも東北三県に匹敵するくらいの揺れと被害となったのかと思われます。また、鹿行地方や香取地方は利根川の河口に近く、霞ケ浦や北浦に面していることもあり、比較的地盤が緩く揺れやすいのではないかとも感じました。

 たとえば、千葉県香取市にある蔵と水郷の観光地佐原。重い瓦を乗せた旧家は多くが被災し、現在も修復工事中のところも少なくありません。道路の復旧工事も併せて行っているため、通行止めになっているところもしばしばあります。佐原のすぐ近くにある香取神宮を訪ねると、本殿がやはり工事中で地震によるものかと思ったら、こちらは屋根の葺き替え工事中だそうです。

 
佐原の風景。画面左手は復旧工事中です。


 佐原から利根川を挟んで北側にある潮来(いたこ)は、あやめ園などで知られるやはり水郷の町ですが、こちらも園内にかかる太鼓橋が復旧工事中で通行不可となっています。開花の時期に間に合えば良いのでしょうが、こちらの方はすでに工事は終わっているが、工期の関係などで確認を先延ばしにしているというグレーな噂も耳にしました。

 
潮来あやめ園と橋。


 さて、鹿行地方でもっとも繁華なところといえば、鹿島神宮でしょう。こちらは、たまたま大きな被害がなかったのか復旧が終わっているのか、表向き何事もないようなにぎわいを見せています。調べてみると、鳥居が倒れたものの、建物には損害はなかったようです。

 
鹿島神宮の御手洗池


 鹿島市のお隣には行方市があり、その中の旧玉造町地区には新撰組初代局長芹沢鴨の生家があります。自分はとくには新撰組ファンという訳ではないのですが、車での通り掛けだったこともあり寄ってみました。近くに商店が1軒あるだけで、数年前に大河ドラマになった割には寂しい感じはしました。この商店で簡単なグッズやパンフが手に入るのですが、そこに写っている生家の写真と私が見た実物がどうも少々違うような気が…。よく見ると写真に写っている蔵が現在はありません。うかがってみると、さきの地震で倒壊してしまったのだそうです。予期せぬ地震の爪痕に驚くほかありませんでした。

 
芹沢鴨生家。右手にあった蔵が倒壊しました。


 被災地としての茨城県南地方ということで被害の話ばかりしましたが、これからGW以降の観光シーズンを睨んだ復旧が進むものと思います。とはいえ、観光客の復帰がなければ完全な復旧とはいえません。被災地というと東北ばかりがクローズアップされますが、依然お話した紀伊半島熊野地方や今回の利根川下流域なども、これを機会に今年のご旅行の候補地としてピックアップしていただければと思った次第です。