塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

東日本大震災:新幹線復旧につき、帰仙

2011年05月02日 | 東日本大震災

 先月末に新幹線が復旧したので、仙台に帰ってきました。仙台駅のプラットホームは、天井が剥げて鉄骨がむき出しのままでした。これは市内もまだまだ酷い有様かとも思ったのですが、市街地はとりあえず普段の落ち着きを取り戻しているようでした。

 
新幹線仙台駅プラットホーム天井


 
仙台駅外観


 ただ、大きなビルでもところどころ外壁が剥がれたりひびが入ったりしていて、至るところでシートや網がかけられていました。とくにタイル張りのビルは崩れ方がひどく、営業ができないでいるものもありました。一般の住宅では、瓦葺の家は軒並み瓦が崩れたままになっているようで、ブルーシートのかけられた家が目立ちました。

 
タイルが剥がれ落ちて網がかけられたビル。
まだかなりいい方です。


 やはり、津波に襲われた沿岸部の被害に比べれば市街地の被害はずいぶんと小さいといえるのでしょう。高速道路もつながっているので、物流もほとんど問題ないようです。道はあちこちで波打っていますが、市街地に限れば通れない道もないようです。商店街も、工場が津波被害で運転不能になっていた蒲鉾店が徐々に復旧していることで、昔日の活気を取り戻しつつあります。それでもやはり、安全確認がまだ取れていないために店舗が営業できないでいるビルも、ところどころ見受けられます。

 
安全確認がとれず、閉まったままの店舗


 そんな中、営業できないわけではなさそうなのにシャッターが下りたままの店もありました。パチンコ店です。これまでは、老舗が店を閉めた後にぽぽぽぽんとできていくパチンコ店を憎らしく思ってきましたが、全体が復興に一歩踏み出すなかで閉まったままの店が1つでも多くあると、一抹の不安がそれだけ心に影を落とします。こんな時に遊興の店が開いているなんて不謹慎だということなのでしょうが、石原都知事の風評被害もあるような気もします。

 
建物は大丈夫そうですが、閉まったままのパチンコ店


 本当はもっと写真も撮りたかったのですが、街中で被災の痕跡をパシャパシャやるのは不謹慎に思われたので今回はこれだけです。もっと余裕があれば、海岸の方へボランティアにも行きたいのですが、仙台の家には90歳の祖父がいるので自由には動けません。久々に会った祖父は、ストレスや家にいるだけの日々のせいか足がむくんでパンパンに腫れていました。海岸の方では、お年寄りはもっとひどい状況に置かれているのかと思うと、心配でなりません。