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「エステル」30分de一巻 Vol-17

2017年02月12日 | Good News
エステル記は、66巻ある聖書の中でも例外的な書簡の一つです。一人のユダヤ人女性が、当時の世界帝国である“アケメネス朝ペルシャ王国”の第一王妃となり、ユダヤ民族を滅ぼそうとした悪者ハマンをやっつけた、超劇的なストーリーとして日曜学校では話されますが、実は本書は、そんな簡単な話ではないのです。

まず、本書は聖書の中では、最も適応しにくく、その内容もとてつもなく非聖書的です。と言うのは、聖書であれば、必ず出てくる言葉ってありますよね?「神」「律法」「愛」「信仰」「祈り」などなど・・・。このエステル書には、これらの言葉が一切登場しません。更に、新約聖書に引用されている場所が一カ所もありません。なので、エステル書は極めて優れた文学作品であると言っている聖書学者もいるのです。

そして、このエステル書のメインともいえるのが、ユダヤの最大のイベントである「プリム祭」です。これは、アダルの月(ユダヤ暦の最後の月で最も幸せな月と言われている)に行われる祭りで、大人は酔いつぶれるお酒を飲む事が許され、皆仮装をして、「ハマンの耳」なるクッキーを食べて、飲んで食べて謳う、賑やかなお祭り。普段はとてもストイックなユダヤ教徒が、一年で唯一、羽目を外してもよい日それが「プリム祭」です。

ユダヤ教の祭りと言えば、基本的にモーセの律法に「行いなさい」と書かれてあるのですが、このプリム祭に関しては、モーセの律法に一切記載がないのです。ですので、一般的には、エステル書はプリム祭の起源を説明するために入れられた書簡だと言われていて、“エステル書=プリム祭”ですから、当然エステル書を理解するためには、このプリム祭を理解する必要があると思うのですが、私達日本人にそれが分かる筈もなく・・・。

『ところが、驚くべきことに、日本で行なわれているお祭りで二つ、このプリム祭に似ていると言う祭りがあるそうです。一つは、聖徳太子(今はウマヤドの王子)のスポンサーであり、家庭教師だった秦河勝によって、京都で一番最初に建てられ広隆寺で、京都三大奇祭として知られている「牛祭」。現在は牛の調達が難しいために、不定期開催となっているらしいのですが、仮面をつけた「摩多羅神」が牛に乗り、その後ろを赤鬼と青鬼が松明を持って練り歩き、薬師堂前で祭文を独特の口調で読んで、参拝者はこれに悪口雑言を浴びせると言う、非常に不思議なお祭りです。そして、もう一つが岐阜県八百津町で行われている、杉原千畝のプリムカーニバル。八百津町は杉原千畝さんの生誕地なのですが、このお祭りで、千畝さんは、日本のモルデカイと言われているそうです』

とにかく、モーセの律法書に一行もかかれていないお祭りを、ユダヤの人達が毎年、喜んで祝っていると言うのがとてつもなく不思議な事なのです。さて、ここからは普段とは違う視点から、エステル書を見てみましょう。

前回と前々回のメッセージでも語られた通り、エズラ書・ネヘミヤ書・エステル書の三つの書簡と、ハガイ書・ゼカリヤ書・マラキ書の三つの預言書はワンセットです。そして、このエステル記の出来事が起きたのは、エズラ書の6章と7章の間。つまり、捕囚の解放後の出来事なのです。ここで一つ、今までの適応で見えてくる事が有ります。

それは、エステルやモルデカイは、捕囚から解放された後も、異国の地に留まり続けたユダヤ人であり、信仰深かったかと言うと、そうでもないと言う事です。続いて、エステル記の登場人物を新たな視点から見てみます。

まずは、クセルクセス王。この人は、アケメネス朝ペルシャの王様です。しかし、彼は全く主体性がなく、帝国の王妃を美人コンテストで選んでみたり、臣下に唆されて民を滅ぼそうとしたり、妻の気を引くために国の半分を勝手にあげようと言ってみたりと、ともかく、政治家としては勿論、人間としてもかなり問題のある人物です。実際に彼は、家庭にも政治にも失敗して、暗殺されてしまいます。

続いては、本書の悪玉・ハマンです。彼は、アガグ人でクセルクセスの大臣の中で、最も位の高い大臣ですが、たった一人のユダヤ人に逆らわれたために、ユダヤ人全部を虐殺する事を王に進言します。ついでに、自分大好きです。エステルが主催した酒宴に王と二人だけで呼ばれた時は、それが罠であるとも知らずに、家族や友人達に自慢し、家族の口車に乗って、結果自分の死に場所を建ててしまった、なんとも滑稽な大臣。王様が王様なら、大臣も大臣であったという訳です・・。

それから、モルデカイ。ベニヤミン族でエステルの父の甥っ子、つまりエステルの従兄に当たりますが、エステルに両親が居なかったため、養父として彼女を引き取りました。本書においてモルデカイはヒーロー的な存在と思われていますが、全ての事の発端は彼です。ハマンに敬礼せよという王様の命令に背き、ハマンの怒りを買った為に、ユダヤ人虐殺という、とんでも事態に発展してしまったわけです。

更に、エステルを説得して上記の問題の後始末をさせているのですが(4章14節)、普通であれば、「自分のせいで、お前に面倒を掛ける事になってしまって申し訳ない」くらいのことを言っても良さそうなものですが、彼の口からは、この問題をエステルに一方的に押し付けることに対する後ろめたさといったことは、一切感じられません。その彼は、最終的にペルシャ王国のナンバー2となります。

そして、本書の主役・エステル(本名はハダサ)は、姿も顔だちも美しい娘で、クセルクセスに見初められ、王妃となります。そしてモルデカイの提言によって、ハマンによるユダヤ人の虐殺を阻止するための酒宴を催します。そこで彼女は自分の美貌を武器にして、ハマンとその一族を皆殺しにする許可をクセルクセスから得ます。スサの街でハマンの息子10人を殺し、その遺体を木に吊るしてさらし者にしました。更に、二日間で無抵抗の女子供を含む800人+7万5千人を殺戮..。これはメキシコのマフィアもビックリなやり方です・・

そして、エステルによってユダヤ人に敵対する民族の虐殺が許可された日付と言うのが、アダルの月の13日で、これがプリム祭の起源と言われています。つまり、プリム祭は、ユダヤ人による復讐の祭りだったのです。こららのことを考えると、確かに、聖書におけるエステル書の存在意義が本当に分からなくなりますよね。

だけど、神様はこれだけでは終わらせない方なのです!!エステルの夫であるクセルクセス王の息子であるアルタクセルクセスは、クセルクセスの後をついで、ペルシャの王座に就きました。そして、このアルタクセルクセス王に仕えていた献酌官こそ、かの賢いネヘミヤなのです!つまり、ネヘミヤがエルサレムの城壁再建にすんなり行かせて貰えたのも、ペルシャがこの城壁再建の後ろ盾になってくれたのも、その影にエステルとモルデカイの存在があったからこそ!

エジプトには、ヨセフが、バビロンには、ダニエルが、そして、ペルシャにはエステルとモルデカイが居たのです。この三つの強大な軍事帝国の中から、イスラエルと言う小さな国が守られたのは、彼らを遣わした神様の守りが有ったからなのです!

これらの事を考えるますと、何故ユダヤの人達が律法では定められていないプリム祭を、毎年盛大に喜び祝っているのかと言う、謎が解けて来ます。それは、「その日・主の日・キリスト再臨の日」に、彼らユダヤ人達の間に起こる出来事の啓示なのだという事。彼らは、そういった未来が実現する事は知らないのですが、それを預言的に悟っていて喜び、祝っている。そのキーワードが、9章の1節の、「自体は逆転し」の「逆転」と、9章22節の 「悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった」の「変わった」。今迄の状況が一変すると言うという言葉です。

ハマンの策略によって絶滅されそうになったユダヤ人が、神様の逆転によって守られた様に、今までイエス様を拒否し続けていたユダヤ人が、イエス様が再臨された日に、イエス様がメシアであることを知って、最後の最後に救われる!これこそが、聖書が繰り返し伝えている神様の逆転の力 エステル記=プリム祭りは、やがて来たり来るキリスト再臨の時に、ユダヤ人の間で起こる出来事の予表、として捉えることができるのです。

イエス様をずっと拒み続けて来たユダヤ人が、地上最後の日、主の日、イエス再臨の日に、彼らはイエスをメシアと礼拝する者に変えられる!このエズラ、ネヘミヤ、エステルに継続して記載されている、神殿と城壁再建、そしてエルサレム国の復興の記録は、既に終わった過去の出来事ではなく、現在進行形でその日、(主の日・再臨の日)」への準備として今でも継続しています

当然、これは私達の生活にも適応されます。神様から離れたり近づいたりしている弱い私達ですが、たとえどんな時でも、必ず神様は助けを与えてくださる、とんでも素晴らしいお方です!そんな、神様のもう一度来てくださる日を心待ちにしつつ、神様から離れないようにすべきですね。ハレルヤ (Report by Yuka )



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