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神の確定申告 マタイ17:27

2014年04月06日 | Good News
桜真っ盛りのこのシーズン。今年は蕾から開花が非常に早かったようだ。生まれた時から桜を目にしている日本人には、毎年お馴染みのありふれた光景かもしれないが、「サクラ」を初めて見る外国人の方々などには、こんな感動的なシーンはないだろう。なんてことのない街路樹の木に、突然美しいピンク色の花が咲き誇り、国中が桜色に染まるのだから。

 「桜は春咲くものだから」と決めつけている方!あなたの感性に問いかけている創造主のセグメントに心を向けよう。何の変哲もなかった木が、春の訪れと同時に美しい花を咲かせ、人々を楽しませるのは、そのようにデザインされ、創られているからだ。科学で「なぜ桜は春に咲くのか?」を解明できるだろうか。これが科学の限界なのだ。目に見えない自然の移り変わりの不思議さにこそ、私たち人間をも創ってくださった神様の愛があり、この愛を知って近づいて行くとき、すべてのことが明らかにされる。

世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。(ローマ1:20)

 さて、春は桜のシーズンであると同時に、確定申告の時期でもある。聖書には、奇跡の話がたくさん記されているが、何と税金についても言及している。今日の聖書箇所、マタイの福音書の記述者マタイさんは、税金の取り立てを生業としていた。今日はそのマタイ福音書から、「税金と奇跡のコラボレーション」のお話し。聖書の中でもとてもユニークな箇所だ。

マタイ福音書17章
24節:一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。
25節:ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」
26節:ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
27節:しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい」

では、この『イエス、税金を払うの巻』を観察(Observation)してみよう。場所はガリラヤ湖畔にあるカファルナウムという漁師町で、時期は秋口。当時も税金納期は春先だったので、「半年間も滞納!」と取り立て屋がペテロの家に押しかけて来たところから話しは始まる。この神殿税というのは、出エジプト記30章に「あなたたちの命を贖うために主への献納物」として神様が定られた税金のこと。詰め寄る取り立て屋に、威勢よく「やらいでか!」(江戸っ子気質?)と答えたペテロに、イエス様が税金について言い出される。

 当時、イスラエルはローマ帝国の支配下にあり、税金はローマが徴収していた。帝国に属するローマ市民は支払わない。また、ユダヤの祭司や支配階級も、神殿に仕える者の特権を盾に支払っていなかった。イエス様を神様と知らない故とは言え、神様を礼拝するための“献納物”を、リーダーと自称する彼らが用意することなく、何と献げる相手である神の子・イエス様に求めたのだ。レストランで働く下っ端ウェイターが、何も言わずにお店に来て食事をオーダーしたオーナーに、ろくにサービスもしないまま、たっぷりチップを加算した代金を堂々と請求したようなもの。そう考えて読むと何とも滑稽なお話し。

しかし神様は寛容なお方。天下の印籠を広げることもなく、相手のトンチンカンさなどは百も承知で、神にしかできないユーモラスな方法を用いて税金を支払われた。因みに27節にある「つまずかせない」の原語は「スキャンダル」の語源となる言葉。現代メディアの「もっともっとスキャンダル!」的風潮とは逆に、ひねりの利いたウイットとんだ方法で、切り返される。

 イエス様を人間と考えている人たちにとっては、特に何てことはない話しかも知れないが、私たちクリスチャンが考えるべきテーマは、「なぜ神様であるイエス様はこのように言われて、税金を支払ったのか?」ということ。ここで私たちが現代に適応すべき以下の3つの点を確認しよう。

イエス・キリストに属する者は何物にも束縛されない自由人であり、自由人として社会秩序を自主的に守る
 クリスチャンであっても、それぞれの社会で生きて働いて、生活の糧を得ている。が、真に所属しているのは神の国である。社会には従属しているのではない。イエス様も税金を支払われたように、自由人として払う自由を行使して、周囲をつまずかせることなく、社会人としての模範となる。

神の国の働きは、私たち一人一人のクリスチャンの手を通して行われる
 イエス様はその場で銀貨を取り出すことをせず、わざわざペテロの生業であった漁師の仕事を通して奇跡を示された。イエス様は、奇跡の前には必ず本人の意志を確認される。すべて神頼みでOKではなく、私たちが神様の力に信頼して進み出す時にこそ、奇跡が成る。

神の働きにおいて外してはならない重要なことは大胆に宣言し、それ以外のことには寛容に
 滞納した税金の取り立てにうろたえていたペテロに、イエス様から話かけてくださる。それは問題そのものではなく、イエス様を見ることが大切であるから。私たちも日常生活において、多くの問題、悩みがある。しかし問題の本質ではなく、枝葉部分にだけエネルギーを使うのは、時間の無駄だ。守るべきは、福音の核、魂の救い、神様の御計画の基本的要素。教会は、そしてクリスチャンは一人でも多くの人の救いのために働くことが最終目的だ。これがイエス様の体である全教会の使命のはずだ。それ以外のどちらでもよい些末に、捕らわれすぎないようにしよう。外してはいけないポイントと、どちらでもよいポイントとのバウンダリーを大切にすることは、信仰生活の大きな助けとなる。

 細かい日常のひとつひとつの局面に、神様は語ってくださっている。だから私たちは、絶えずその導きを求め、従って歩み続けよう。そして周囲に「奇跡」を現していこう  {写真はカファルナウムにあるペテロ像(足下の魚に注目!)}

実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。(ルカ17:21)


今週の教会ご飯/煮込みハンバーグ


ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。美味しい食事を囲みながら、えんじぇる田中牧師の聖書メッセージから、生きる知恵と希望を語り合いましょう 「教会って敷居が高い。。。」と悩んだこがのある方、ぜひ一度おいでください。教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。いつでもご連絡ください213-324-6942 / MUTSUMI


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