見もの・読みもの日記

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歴史の学び方/検証ナチスは「良いこと」もしたのか?(小野寺拓也、田野大輔)

2023-08-19 23:57:46 | 読んだもの(書籍)

〇小野寺拓也、田野大輔『検証ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット No. 1080) 岩波書店 2023.7

 話題の1冊をようやく入手して読んでみた。なぜ人々は「ナチスは良いこともした」と語りたくなるのか。1つには「物事にはつねに良い面と悪い面があるのだから、探せばよい面もあったのではないか」という、比較的真っ当な疑問がある。もう1つ、実は少なくない人々が「ナチスは良いこともした」と主張することによって、現代社会における「政治的正しさ(ポリコレ)」をひっくり返したいという欲望に突き動かされているという。

 これは分かる。実は私も高校生の頃、「ナチスは良いこともした」に近いことを主張してみたくて、『第三帝国の興亡』全5巻にチャレンジしたのだが、ぜんぜん歯が立たなくて、第1巻も読み終えられずに挫折したことがある。以後、よく知らないことには、みだりに口を挟まないようにしようと判断できたのは幸いだった。

 本書は「ナチスは良いこともした」の根拠となる典型的な論点を、ひとつずつ検証していく。たとえば「ヒトラーは民主的に選ばれた(から正統な権力である)」という主張。確かに当時のドイツの人々は議会政治に幻滅を感じており、反体制的なナチ党を第一党に躍進させた。しかし過半の有権者が望んでいなかったナチ党一党独裁を達成したのは、暴力や謀略によって政敵や制度を弱体化させた結果である。「ドイツ人がナチ体制を支持した」のは、その体制に「乗っかる」ことで「政治目標とは縁遠い個人的な利益が得られたという面が大きい」という。これは、いまの日本の政治状況にも、同じ光景が浮かび上がるのではないか。

 「経済回復はナチスのおかげ」とか「アウトバーン建設による雇用創出」神話については、数字に基づく反証が示されている。アウトバーン建設が生み出した雇用は下請け産業を含めても50万人程度で、当時の失業者600万人に比べれば、効果は限定的だった。景気回復をもたらした決定的要因は、むしろ軍需経済(再軍備)だったと考えられている。しかし急速な軍備拡張は、国家の財政支出の爆発的な増大を生み、根本的な解決には、戦争による資源獲得・負債の帳消ししかなくなっていく。同時に、占領地からの収奪・ユダヤ人からの収奪・外国人労働者の強制労働も行われた。これを、それでも「ドイツ国民」にとっては「良いこと」だったと考えるのは、現代人の立場からは、ほとんど無意味な主張だと思う。

 同様に「手厚い家族支援」「労働者保護」も、その第一の目的は戦争を戦い抜くための兵士や労働力を確保することであり、ナチスが想定する「国民」から外れる人々、政治的敵対者やユダヤ人、障害者などは、これらの恩恵を受けなかった。ナチスが労働者に与えた消費社会の夢はほとんど果たされずに終わったし、「もっと子どもを産もう」というインセンティブは、カップルにはほとんど働かなかった。この現実は、きちんと認識しておくべきだろう。

 そのほか「先進的な環境保護政策」「健康政策」についても然りで、本書を読むと、ナチスのやったことは失敗ばかりで、評価できる点など一つもない。著者がナチ体制を「ならず者国家」と呼ぶことも納得できた。けれども、そんな「ならず者国家」を呼び込んでしまうのが民主主義の怖さであり、巧妙なプロパガンダ戦略(感情のジェンダー化)なのだろう。

 いま高等学校では「歴史総合」というカリキュラムが始まり、歴史事象について自分の「意見」を持つよう求められているという。しかし本来「意見」を言うには、「事実」「解釈」「意見」という三層構造を意識すること、歴史の「全体像」や文脈を見ること、過去の研究の積み重ねから謙虚に学んでそれを乗り越えていくことが必要である、という著者の苦言は、歴史を学ぶ若者、若者に教える立場の人々に届いてほしいと思った。

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