〇東京長浜観音堂 『十一面観音菩薩立像(余呉町国安・国安自治会蔵)』(2023年8月1日~8月31日)
お盆休みに観音さまに会いに出かけた。令和5年度第2回の展示は余呉町国安の十一面観音だという。私は余呉町(琵琶湖の北側)へは行ったことがないので、見たことがないかもしれないと思いながら見に行った。ちょっと下ぶくれのお顔だが、鼻筋が通って端正な観音さまだった。左手に錫杖をお持ちになっていた。室町時代の作と推定されている。
8月19日(土)14:00から、高月観音の里歴史民俗資料館学芸員の佐々木悦也さんによるギャラリートークがあると知ったので、今週も出かけた。「先着20名様はご着席いただけます」というご案内だったので、30分前には着くように行ったが、すでに展示室内に何人かのお客さんが待っていた。会場は別室で、少し椅子を増やしていただいたので、なんとか全員座ることができたようだった。
佐々木さんのお話は長浜の観音文化の概要から始まり、長浜の指定文化財は平成の大合併で倍に増えたこと、観音像がたいへん多いが、北部(旧・伊香郡)は十一面観音が多く、南部は聖観音が多いこと、伊香郡の観音文化の中心は己高山(こだかみやま)で、行基が中央文化を持ち込み、泰澄が白山信仰(≒十一面観音信仰)を伝え、最澄が天台宗の影響をもたらしたことなどに及んだ。
この観音さまは、もとは草岡神社の神宮寺・安養寺に伝えられていたが、明治の神仏分離で集落内の円通寺に移され、同寺が廃寺になったため、光勝庵(曹洞宗)に移され、六斎と呼ばれる6人の世話方に護持されているという。
これまで、2016年の芸大『観音の里の祈りとくらし展II』と2020年1~2月の「びわ湖長浜KANNON HOUSE」に出陳されたことがあるという。私は前者は見ているが、後者は見逃してしまった。ギャラリートークでは、この「KANNON HOUSE」への出陳のため、深く積もった雪の中、観音さまを運び出した様子が写真で紹介された。日本有数の豪雪地帯から1月に借用しようという計画が間違いだった、という述懐に笑ってしまった。なお、ふだんは立派な台座に載っていらっしゃるのだが、「KANNON HOUSE」および東京長浜観音堂の展示ケースには収まらないため、わざわざこのための台座を制作したそうだ。東京での出開帳を、地元の皆さんはとても喜んでくださったと聞くと、こちらも嬉しくなる。
この観音さまは左手に錫杖を持っているが、本来は水瓶をお持ちだったのではないか、とのこと。長谷寺の十一面観音は左手に水瓶、右手に錫杖を持つ。この形式は伊香郡にもいくつか例があり、真言宗豊山派の影響が強かったようだ。渡岸寺の十一面観音も、かつて右手に錫杖を持たされていた(持てないので、手に括りつけられていた)そうで、貴重な古写真を見せてもらった。
少し湖北らしからぬ造型で、これだけの技量を持った仏師なら、ほかにも作品を残していてよさそうだが見つからないそうだ。昨秋ここで展示された洞戸の地蔵菩薩立像(鞘仏)が似ているのではないか、という解説には、思い出して、たしかに!と膝を打った。
この地域の人口動態の話で、昭和39年(1964)に円空仏とともに集団移住した太平寺村の話も興味深かった。日本国内でも、私の知らないことは多いなあ。