見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ロマンとアイドル/近代日本の歴史画(講談社野間記念館)

2013-03-10 02:45:37 | 行ったもの(美術館・見仏)
講談社野間記念館 『近代日本の歴史画』展(2013年3月9日~5月19日)

 明治中期、急速な欧化の反動として、日本の伝統や歴史を見直す機運が高まった時期に、日本の神話や歴史を題材にした「歴史画ブーム」があった。本展の開催趣旨によれば、「講談社が刊行する各雑誌の口絵などの部分でも、歴史画は、広く親しまれる画題となって」いったという。なるほど。会場には、あっと驚くような大作はなく、親しみやすい小品が多かった。

 1室目は縦長の軸物が多かった。敢えて作品名を見ず、誰を描いたものかが分かるかどうか、試してみる。弓の上端にトビを据えた『神武天皇』や、燈籠大臣『平重盛』は小道具(?)で分かる。『歌僧西行』が分かるのは、深く「西行」のイメージが刷り込まれているからなんだろうな。よく見ると端座する足元が旅姿(脚絆)である。逆に『人麿』は、中世以降の歌詠みイメージと異なり、武人っぽくて、分からなかった。枝折戸の外にしゃがんだ『博雅三位』も分からなかったなあ。私は、マンガ『陰陽師』で覚えた人名なのだが、そんな有名人だったのか。何の場面を描いたものか、その場では分からなかったが、逢坂の蝉丸の庵に通い続けた逸話かもしれないな。

 小林古径の『売茶翁』には、きちんと髷を結い、前垂れのようなものを付けた、商人ふう売茶翁が描かれている。若冲描く、蓬髪の禅坊主・売茶翁より、こっちのお茶のほうが飲みやすそうではある。

 2室目には色紙が多かった。実は、この展覧会の始まりを間違えて、先週までの『四季礼讃~梅花馥郁、桜花爛漫、春うらら』(2013年1月12日~3月3日)にも来てしまい、その会場で初めて知ったのだが、講談社野間記念館には、大量の色紙コレクションが現存しているという。昭和初期、9つの月刊誌を刊行していた講談社は、その口絵を飾るため、各月の風趣を描いた絵画を蓄積する必要があった。そこで、当時の画壇で活躍していたさまざまな画家に、色紙の揮毫を依頼した。ところが、集まった作品が、美術品としてあまりに完成度が高かったので、誌面を飾ることもなく、講談社に「静かに保存」されてきたのだという。ええ~ウソのような本当の話。ちなみに絹本色紙である。

 色紙コレクションの大多数は月並図(前回の展覧会では、春2~4月の風物を描いた色紙が紹介されていた)だが、中には、そうでないテーマを選んだ画家もいる。今回、展示されているものでは、たとえば荒井寛方の12枚は、中国の歴史上の人物シリーズ(蘇東坡、李白、孔子、老子など)。堅山南風は源氏武者シリーズなのかな。為朝、義家、那須与市、頼政の4点が展示されていた。明るく晴れやかな色彩が目を楽しませる。

 3室目以降には、西洋の歴史に取材した歴史画や、明治以降の「同時代史」を扱った作品も登場。雑誌『キング』の「世界史上の華絵巻」や「国の華絵巻」に掲載された原画だという。「国民の歴史イメージ」って、こうやって形成・継承されていくんだな。

 最後は「キング」昭和6年新年号付録「明治大正昭和大絵巻」の原画を展示。以前にも一度見たことがある。天覧歌舞伎で明治天皇を睨む団十郎を小村雪岱が描いていたり、河野通勢描く、絵本みたいな帝国議会の図がかわいい。

 あとは荻生天泉描く『和気清麻呂』の道鏡が、いかにも小憎らしかったこと。松岡映丘の小品『五節舞』の舞姫の美しさ。一昨年の松岡映丘展で見た『池田の宿』(日野俊基を描く)も出ていて、懐かしかった。吉川霊華の『鎌倉武士』は、特定の誰かを描いたわけではないのだろうか。直垂姿で馬の手綱を取る武士が、片手に平たい馬櫛を持っているのが面白かった。結城素明の『伊勢物語』は、武蔵野の図だが、男に背負われた姫君の十二単が重たそう。追手たちの表情に浮かぶ無邪気な酷薄さもいい。童話に登場する悪い小人や精霊を見るようだ。

 それにしても、戦国武将がほとんどなくて(信玄・謙信の図が1点あり)、古代・源平・太平記くらいまでの題材が圧倒的に多いというのは、当時(昭和初期)の嗜好と、いまの我々の日本史イメージの違いを物語っているようで、ちょっと興味深かった。
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男性的で几帳面/遠州・不昧の美意識(根津美術館)

2013-03-08 23:51:38 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 コレクション展『遠州・不昧の美意識 名物の茶道具』(2013年2月23日~4月7日)

 同館コレクションの中から、小堀遠州(1579-1647)と松平不昧(1751-1818)ゆかりの茶道具約50件を展示する。

 冒頭のパネルを見ながら、遠州と不昧って活躍時期がほぼ100年違うんだな、と確認する。その二人が、なぜ並んで取り上げられているかといえば、不昧は遠州の美意識を高く評価し、遠州の選んだ茶入を「中興名物」と定めたという。

 まず「遠州」のセクションでは、小堀遠州が賞玩した茶入、茶碗、花生、香炉などを展示。セクションのサブタイトルが「小堀遠州が生み出した作品」となっているのが面白い。日常雑器として焼かれた井戸茶碗や、竹を断ち割っただけの花生に「美」を見出し、「銘」をつけて賞玩することは、「作品」を生み出す行為に他ならないというのだろう。私は古銅の花生「銘:三千年」が好き。
 
 続いて「遠州から不昧へ」では、遠州愛蔵品であって不昧所蔵となったもの、最後に「不昧」旧蔵品を展示。私は、根津美術館がこんなに大量の松平不昧旧蔵品を持っているとは知らなかったので、びっくりした。解説によれば、根津美術館の不昧旧蔵品は「中興名物」「名物並み」が主で(最上級の「大名物」は少ないということか)、日常の茶会で使用していたものだという。

 個人的に好きなのは、伊賀の耳付花生「銘:寿老人」。乱暴に折れ曲がった感じが、特撮スーツの半魚人みたいである。信楽碗「銘:水の子」、備前の細水指など、男性的な作品が好き。青磁花生「銘:夕端山」は、拡声器を上向けに立てたような、変わった形だった。

 不昧は愛蔵品に関し、新しい桐箱をこしらえ、自ら箱書きを記し(書風は得意の定家様)、さらに箱書きを汚さないよう、雲州和紙で蓋(覆い紙)を作って、そこにも箱書きを記した。今回、茶道具とともに、こうした桐箱や紙蓋が多数展示されていた。なんという几帳面さ。ちょっと森鴎外の書籍に対する態度に似ている。そういえば、途中に不昧の著書『古今名物類聚』(全18巻という)も展示されていて、抹茶を思わせる黄緑色の表紙がきれいだったが、あれは後補の装丁なのかな…。気になった。

 2室は「大雅と良寛の書」というタイトルを掲げているが、白隠やら頼山陽やら、さまざまな江戸人の書を集めている。良寛は草書の「天地」が気持ちよいのと同時に、小学生の書き取りのような小字楷書の詩稿もあって、面白かった。

 3階、5室はお雛さま。6室は「花見月の茶」である。まだ底冷えのする薄暗がりの中で、動き始める春の気配を感じさせて、とても楽しかった。この展示室のおかげで、私は、少しずつ、茶の湯の心を学ばせてもらっているように思う。
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4階新展示室+武蔵と武士のダンディズム(永青文庫)

2013-03-06 22:53:05 | 行ったもの(美術館・見仏)
永青文庫 平成24年度冬季展示『武蔵と武士のダンディズム』(2013年1月5日~3月10日)

 少しご無沙汰していた永青文庫。2011年夏季展『細川家の本棚から』のあと、8ヶ月間の工事休館があって、2012年4月にリニューアル開館したのだが、春・夏・秋の展示は、何かと紛れて見逃してしまった。久しぶりに訪ねた同館は、工事休館があったことなど、まるで脳裡に浮かばないほど、時間の流れとかけ離れた佇まいを見せていた。

 館内に入って「4階の展示室からご覧ください」という表示を見たとき、記憶にへんな混乱があった。4階なんてあったかしら? 2階が小さな展示室とサロンで、3階が主展示室だったはず。ファンタジー・ノベルなら、ここで時空の裂け目に入り込んでいくところだが(実際、そんな裂け目があってもおかしくないお屋敷)、3階に上がってみると、ちゃんと4階への階段が伸びていた。ようやく、長い工事休館期間があったことを思い出す。

 上がっていくと、窓のある見晴らしのよい休憩スペースになっており、突き当たりにソファが置かれている(たぶん座ってよいもの)。左奥が、2012年7月にオープンした「新展示室」である。2階・3階の展示室に比べると格段に広くて、天井が高い。いま、大きな屏風が3点(『宇治川・一ノ谷合戦図屏風』の宇治川隻、『老松牡丹図屏風』六曲一双)が展示されているが、見栄えがする。

 正面には、後陽成天皇の宸翰『龍虎』。昨年、京博の『宸翰 天皇の書』で見たものだとすぐに分かった。両側には細川家伝来の鎧兜。『黒皺革包黒糸威二枚胴具足』の兜は、怒髪天を突くごとくピンと立った羽根飾り(?)の左右に円弧を描いて張り出した頭立も付いている。「細川斉茲(ほそかわなりしげ)所用」とあったが、あ、あの『領内名勝図巻』を作らせた殿様か(※『細川家の至宝』展

 圧倒されて、ぽかんと眺めているうち、この室の展示ケースは、展示台の位置が、普通の美術館より高いことに気づいた。それもそのはず、展示ケースの下半分の薄暗がりに、時代劇に登場するような、巨大な長持が収納されているのである。おおお、これはGJというか、グッドアイディア。いずれも大きく家紋(細川家の九曜紋以外もあり)が描かれており、「衣第四号」「火消装束」など、内容物を示す張り紙がそのまま残っているものもある。何も説明がないのかなと思ったら、出口の横に「ここに展示している長持は最近まで実際に使われていたものです」云々という説明パネルがさりげなく掲げられていた。

 室内には、専用(?)ガラスケースに収まった『乾隆玉座』も展示されていたが、以前は「むき出し」に置かれていたものだ、と思うと可笑しかった。その様子は、ホームページ「当館概要」でまだ見ることができる。

 3階展示室は今季の特集展示。刀の拵(こしらえ)と刀掛、鍔、三所物など。どれも品があって、美しい。宮本武蔵の描く水墨画はよく分からないなあ。特別感心もしない。武蔵作と伝わる彫像・不動明王立像は、思ったよりも小さい。剣を体の横に構えて足を踏み出したところが、打席に立つ野球選手のようにも見える。2階は工芸、陶磁器のほか、白隠の書画が出ていて嬉しかった。達磨図もあった。

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風邪から回復中

2013-03-03 21:30:15 | 日常生活
先週、いよいよ仕事が追い詰められて、絶対倒れてはいけないところに来て、風邪(?)を引いてしまった。やばいと思ったので、定時で職場を離脱し、布団にもぐりこんで、ひたすら寝た。お腹を下して、二日間、林檎とスポーツ飲料しか受け付けなかった。



こういう状態は三年ぶりだなーと思って、当時のブログを探したら「職場に出勤はしているものの、帰ると布団にくるまって震えていた」って、全く同じ行動をとっている。私の場合、たいていの不調は寝れば直るのだ。

そして、断続的ではあるけど、まだまだ平気で12時間くらい眠れることを再認識。夜更かしの癖を改めて、ふだんから、もっと寝ないといけないな。

この週末で、体調はほぼ回復。減った体重は回復させたくないが、もう食欲が戻ってきている…。

先週サボった付けは、月曜に潔く払わなければならないけど、仕方ない。頑張ろう。
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文楽・弱きものの健気さ/人間・人形 映写展(表参道ギャラリー5610)

2013-03-03 01:32:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
表参道ギャラリー5610 渡邉肇×堀部公嗣『人間・人形 映写展』(2013年2月25日~2013年3月9日)

 大阪市の文楽協会問題が発端で、演劇評論家の犬丸治さんのツィッターをフォローするようになり、この展覧会(入場無料)の開催を知った。フォトグラファー渡邉肇と映像ディレクター堀部公嗣が、最新のビジュアルテクニックで、人形浄瑠璃文楽の世界を再現する試みだという。

 小さなギャラリーは、暗幕で三つのスペースに仕切られていた。最初の部屋では、3つのスクリーンに、「娘」のさまざまな表情が、ゆっくりしたビデオで流れている。着ているものから「曽根崎心中」のお初かな?と思ったが、全てそうなのか、よく分からなかった。どの表情も素晴らしく美しい。これはもう、私の独断でしかないが、私の理想とする女性美は文楽の「娘」の中にあると、むかしから思っている(もちろん男性美の理想は文七です)。この時点で、すでに涙腺がゆるみ始める。

 聞こえていた音楽が途切れたのを潮時に、奥(暗幕の裏側)の部屋に入ると、20人くらいが座れる座席と大きなスクリーンがあって、「第一部:人形」というタイトルが映し出されたところだった。画面が替わって、女性的な顔立ちの十一面観音が映る。南山城の大御堂(観音寺)の観音様かな、と思う(違っていたら失礼)。灯明、花吹雪、夜の山道。語り過ぎないほどのプロローグのあとに主役の男女二人が登場する。ああ、お初と徳兵衛だ、とそのときはもう合点が入った。実はスクリーンの両側に(人形遣いの手を離れた)「人形」としての彼らの姿が掲げてあったと思うのだが、映像に熱中し過ぎていて、よく見ていない。

 気持ちよく染み入る音楽はオリジナル(プロデューサー:緑川徹)。聴き慣れた三味線とはずいぶん違うが、映像も音楽も奇をてらわず、主役である文楽人形に最大の敬意を払っている感じが好ましかった。人魂が飛び、手を取り合って決意を確かめ合い、帯を裂き、二人の身体に巻きつけ…これまで何度も見たこともある所作なので、次に何をするかも、ほぼ分かっている。だが、カメラは舞台では絶対に観客が体験できない視点から、二人の(二体の、というべきかもしれないが言えない)表情を捉えている。これが圧巻。蓑助さんが、この映像に関して、いまわの際の徳兵衛の目にしか映らないお初の表情を初めて見せてくれた、というようなことを書いていたが、まさにそんな衝撃があった。本当に二人とも、ぎりぎりまで演技をしている――というか、むしろ生き抜いているのだ。

 スクリーンが暗転したあと「第二部:人間」の文字が浮き出る。厳しい表情で黒装束を身につけているのは、お初役の吉田蓑助と、徳兵衛役の桐竹勘十郎。第一部のカメラは、人形遣いの存在をできる限り排除して、人形の撮影だけに集中していた。今度は、その映像の一部に「エアー人形」、つまり人形遣いたちが、人形なしで遣う動作を見せる映像をかぶせて見せる。切なく愛くるしい表情で徳兵衛を見上げるお初、その胸に刃を突き立てる徳兵衛の苦衷、それを指先で、あるいは全身で、最終的にはチームプレーで演じる人形遣いの真剣な表情。よくぞ撮影してくれたものだ。かなり長い年月、文楽ファンをやっているので、そんなに驚く映像はないだろうと思っていた自分には、不意打ちみたいな衝撃で、すっかり魂を抜かれて席を立てず、もう一回繰り返して見てしまった。

 第二部の最後に、大御堂の十一面観音が再び出てくる。人形に命を与えるのが人間なら、われわれ人間も神か仏に命を与えられた人形のようなものか。いや人間が人形に命を与えているというのが錯覚で、真実はその逆なのかも知れない、など、いろいろな解釈の幅を残して終わるのが面白い。

 第三室にも別のスクリーンがあって、3Dメガネを掛けて体験する3D文楽映像。これは、本物の舞台を知っているので何をいまさら、と思ったが、クローズアップを3Dで見られるのは、かなり迫力があってよい。以前は人形の細かい表情が見るために、最前列とか2、3列目の席を取っていたのだが、最近はどう頑張ってもいい席が取れないので、人形よりも語りと三味線に関心を移していた。また人形の魅力を見直すよい機会になったように思う。

 最後に第一室に戻って、隅にあった吉田蓑助さんのパネルを読んだ。先輩の遣っているお初を見て、いい役だなあ、と思ったこと。わずか19歳の少女が、友人に裏切られ、面目も何もかも失った恋人を守って、一緒に死んでゆく、その強さと健気さに惹かれた、みたいなことが書いてあったと思う(不確かな記憶)。受付で貰ったパンフレットに載っているかなと思ったら、載っていなかった。もう一度読みたいのだけど、どこかに再録されないかなあ。そして、この展覧会、東京だけでなく、ぜひ他の地域にも巡回してほしい。

 人形浄瑠璃文楽には、私が理想と考えるものがいろいろあって、ひとつは、お初のように小さく弱いものが、愛しいものを守り抜くために見せる捨て身の強さ、健気さである。同じ主題は、文楽以外にも日本文化のところどころに見ることができて、私がこの国を愛する原点でもある。蛇足かもしれないが、最近「日本大好き」を公言する、ある種の人々の行動を見ていると、私とは全く違う国を愛しているとしか思えなくて、途方に暮れてしまう。

 もうひとつ、人形を主役とし、その脇もしくは裏方に徹して、じっと気配を消す人形遣いのポジション。これも私の理想である。向田邦子は、文楽の人形遣いについて「目立ってはいけない黒子の抑制の中にほんの一滴二滴、遣う者の驕りがないまぜになって、押えても押えても人形と同じ、いやそれ以上の喜びや哀しみや色気が滲んでしまう」と書いているそうだ。あらん限りの精進をしなければ、とてもそこまでの境地にはいけないだろうけど。

YOMIURI ONLINE:先端技術が撮る文楽…「人間・人形 映写展」表情スローや3Dで(2013/1/14)
蓑助さんインタビューあり。

SHOOTING MAGAZINE:NEWS and REPORTS
写真あり。
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繰り返し見る古典/文楽・摂州合邦辻、他

2013-03-02 22:04:45 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場 2月文楽公演 第1部『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』、第2部『小鍛冶(こかじ)』『曲輪文章(くるわぶんしょう)』『関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)』(2013年2月24日)

 今回は第1部と第2部を見に行った。第1部『摂州合邦辻』は、何度聴いても好きな作品。2012年に大阪文楽劇場で見たとき、「合邦庵室の段」だけでもちゃんとストーリーが分かるのがすごいと書いたが、やはりその前に「万代池の段」があるほうが分かりやすい。合邦庵室の前に置かれた閻魔像の勧進車とか、舞台に現れるや否や、藪に隠れて成り行きを見守る入平のポジションとか、実はよく分かっていなかった点に納得がいった。

 それから、病を得た俊徳丸が筵(むしろ)小屋に仮住まいしている万代池の背景に見えるのは四天王寺の塔なのだろう。「上宮太子の救世の恩」という語りがあるし、「如月時正の日」というのが、今も四天王寺で営まれる春季彼岸会のことであるとか、俊徳丸が、後を追ってきた浅香姫に対し、尋ねる人は西国三十三所巡礼の旅に出たと言い紛らすとか、この物語に強くまとわりついている宗教的な要素も、より強く見えてくる。

 玉手御前が、百万遍念仏の数珠の輪の中で、ゆっくり息を引き取るラストシーンも、むかしは「冗長」で、前近代的な演出だと思ったけれど、いまは、やっぱりこうでなければならない、と思って見る。あの念仏回向がなかったら、哀れな玉手に心を寄せた観客の気持ちは片付かないのだ。近世以前の観客が演劇と宗教に求めたものは、とても近接していると思う。

 年齢を重ねて繰り返し見ていくと、受け取り方が少しずつ違ってくるのも古典の楽しみである。「合邦庵室の段」は、中:豊竹咲甫大夫-野澤喜一朗、前:竹本津駒大夫-鶴澤寛治、切:豊竹咲大夫-鶴澤燕三。切の咲大夫さんは、丁寧な熱演で圧巻だった。ひとりの語りで、あんなに長時間、あんなに多数の観客を釘付けにできる芸って、なかなか他にないのではないか。聴衆にとっても実に贅沢な時間だと思う。

 第2部は、どれも初めて見る作品だった。『小鍛冶』は謡曲を移した景事なので、舞台も能舞台ふう、人形の所作も能役者のように抽象的である。『曲輪文章』は病身の夕霧大夫と、放蕩三昧で勘当された恋人の伊佐衛門が、すねたり口説いたりしたあげく、伊佐衛門の勘当が解けたという知らせが入り、一同大喜びで幕。えええ?という内容だが、典型的な上方の初春狂言だそうだ。終わりめでたければ、全てよし。

 『関取千両幟』には猪名川、鉄が嶽という二人の相撲取が登場。「相撲場の段」後半では、どちらも廻し姿になって、取組みを見せる。途中に「櫓太鼓」の曲弾きがあり、鶴澤藤蔵さんと鶴澤清志郎さんが妙技を披露。文楽って、まだまだ私の知らない側面があるのだな、と思った。

義太夫森羅万象(ぎだゆう なんでもあり)「櫓太鼓」(2006/3/25) 
知っている人はむかしから知っている。

新teru0702の日記by今井照容(2012/9/6)
同年9月5日、国立演芸場の「落語と義太夫節の夕べ」でも、この曲弾きを披露していたらしい。

 物語は単純で、金のために八百長に応じようとした猪名川が、身を売って金を用立てた女房に救われる。てか、そこで終わっていいのか?という幕切れに苦笑してしまった。
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