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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ロンディーノのスパゲティ・ツナトマト

2006-07-17 23:09:16 | なごみ写真帖
3連休だった。

直前まで旅行プランを練っていたのだが、結局、切符の手配やら何やらが間に合わなくなって、お手上げ。思い切りよく方向転換して、この3日間は仕事に専念していた。美術館も行かず、PCも立ち上げず。

こうして、ひとの遊んでいるときに仕事をしておくと、ひとの働いているときに、心置きなく遊べるのだ。
さて、明日から、また気持ちを切り替えて。次かその次の週末は、また京都だな。



写真は、先月、鎌倉に行ったときのもの。
西口のお気に入りカフェ「ロンディーノ」。珈琲も食事も美味しい。
都内はチェーン店のカフェばかり増えて...
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永遠のハピネス-プライス・コレクション/東京国立博物館

2006-07-12 23:20:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 プライスコレクション『若冲と江戸絵画』展

http://www.tnm.jp/

 いよいよ、この展覧会が始まるということは、なんとなく認識していた。しかし、「好きなものは最後に食べる」性格の私は、こんなにすぐに見に行こうとは計画していなかった。ところが、たまたま金曜日の飲み会の席で、初対面の人物から「きのう、若冲を見てきたんですよ!」という話題を振られてしまったのである。あっ、もうダメ...

 まあ、早く行ったほうが空いているかもしれない。というわけで、ガマンできなくなって、日曜に出かけた。朝の早い時間だったので、会場は思ったほど混んでいない。ふむ。若冲ブームといわれるけれど、やっぱり、北斎や雪舟ほどではないんだな。

 会場に入るとすぐ、蘆雪のトラが出迎えてくれる。うーむ。この位置に、若冲ではなく、蘆雪を持ってきたか。嬉しいような、外されたような。ぐるりとあたりを見回すと、第1室は「正統派絵画」と題して、狩野派らしい花鳥図や祭礼図の屏風が並んでいる。十分、見応えのある作品揃いである。

 しかし、プライス・コレクションといえば、やっぱり若冲。とりわけ、見ものは”タイルのぞうさん”(鳥獣花木図屏風)である。どうしよう。第1室から順に見ていくべきか、若冲のセクションに走るべきか、しばし迷ったが、結局、後者を選択することにした。第3室「エキセントリック」と題された部屋に入ると、いた! 青い空(海?)をバックに、白いぞうさんが。

 この絵の存在を知ったのは、早い。90年代、たぶん「新潮日本美術文庫」の「若冲」で見たのが最初だったと思う。はじめ『動植綵絵』などの超リアリズムから若冲に入門した私は、デザイン感覚に優れた水墨画にもびっくりしたし、この絵には、さらにびっくりしてしまった。これは江戸絵画なのか? そもそも日本美術なのか!? まあ、何でもいい。隣に並んだ小学生の兄弟が「あっムササビ!」「オウム、オウム」と飽きずに歓声をあげていた。小学生をこれだけ大喜びさせる日本美術があることが、うれしい。

 2003年、六本木・森美術館の『ハピネス』展に行きそびれてしまった私は、10年越しの念願が叶っての対面だった。白いぞうさんは、風船のような体躯を正面に向けて、見る者の視線を、やさしい目で見返している。そのまわりを取り囲む、ヒョウ、ラクダ、イノシシ、ヤマアラシ、キリン(中国風の)などの動物たち。ある者は子供のような好奇心にあふれ、ある者はトボけたおじいちゃんのような、愛らしい表情をしている。たわわな赤い果実をみのらせた木の枝で遊ぶ、サルやムササビ。白く波立つ紺青の海では、ウマが泳いでいる。

 なるほど、ここはハピネスの国かもしれない。ここでは時間が止まっている。この絵の中に入っていけたら、二百年前の若冲とでも、普通に会話できそうな気がする。いや、中央の白象は、二千年前の釈迦を背中に乗せたことがあるかも知れない。時代も歴史もなく――人生における「時間」、成熟とか老いとかも超越しているように思える。急いで付け加えれば、それは老いや成熟の拒絶ではなく(これは痛々しいものだ)、老年期に再び取り戻された、本当に輝かしい童心である。

 そんな想いをめぐらしながら『鳥獣花木図屏風』の前を離れ、若冲のセクションをひととおり見て、先頭の第1室に戻った。そんなわけで、この展覧会のレポート、別項に続く。
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著作権法の現在/情報の私有・共有・公有(名和小太郎)

2006-07-09 23:53:08 | 読んだもの(書籍)
○名和小太郎『情報の私有・共有・公有:ユーザーからみた著作権』(叢書コムニス) NTT出版 2006.6

 1980年代の末に図書館で働き始めた私は、文化庁の主催する「図書館等職員著作権実務講習」を受けに行った。しかし、その後、「著作権法が(また)変わった」という話を、幾度、聞かされてきたことか。

 著者によれば、日本の現行法は1970年に公布されたものだが、1970年代の前半に2回、後半に2回、80年代の前半に3回、後半に5回、そして90年代に至っては前半に6回、後半に7回、改訂が重ねられているという。ええ~こんなの、同一法令と言っていいのだろうか。要するに「規制あるところに事業機会を見つけるユーザーとのイタチゴッコ」であり、「その場しのぎに部分最適化」を重ねてきた結果、現在の著作権制度は「冷えたスパゲッティのようにもつれてしまった」と著者はいう。

 著作権をめぐる状況が、どうしてこんなにもつれた事態になってしまったかと言えば、デジタル技術(劣化しない複製が、誰でも容易に作れる)とネットワーク技術(複製を、誰でも容易に頒布・共有できる)が急激に進歩したから、と答えるのがお約束である。しかし、もっと本質的な問題として、現在の著作権制度は「19世紀ロマン主義」の論理で組み立てられている、と指摘されて、なるほどそうか、と思った。つまり、著作物を生み出すことができるのは一握りの天才であり、万人はこれを享受する消費者に過ぎない。現行の著作権法の原型となったベルヌ条約は、小説家ユーゴーの強い支援を受け、天才(=原著作者)の権利を保護するために作られたのである。

 現行著作権法の論理を噛み締めてみると、その時代がかった古めかしさは、一種微笑ましいほどである。我々は、学問の本質が、先人の業績を批判的に継承することにあることを知っている。多くの芸術作品でさえ、伝統の共有・継承抜きには成り立たない。そして、つねに先行する著作者が上位で、継承者が下位にあるとは、必ずしも言えない。技術とのイタチゴッコ以前に、まずこの「19世紀的論理」から脱却したほうがいいのじゃないか。本気でそう思った。

 さて、そしてどこへ向かうかであるが、著者は今後の著作権制度を「伝統指向型の集団」「市場指向型の集団」「ユーザー主導型の集団」のせめぎあいになるだろうと予想し、最終的には「ほどよいコモンズ」の実現を提案している。すなわち、著作権を有償登録制とし、期間を短縮することで、守らなければならない著作物の範囲を狭め、できるだけ多くの著作物をコモンズ(共有地)に置こう、という考えかたである。

 現にファイル交換ソフトのような「粗っぽい」手法でコモンズの拡大を図るインターネットユーザーを見ていると、著者の提案は、楽観的に過ぎるように聞こえるかもしれない。でも、やっぱり、進むべき方向はこっちだと私も思う。
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立憲政治の70年間/近代日本政治史(坂野潤治)

2006-07-08 10:01:59 | 読んだもの(書籍)
○坂野潤治『近代日本政治史』(岩波テキストブックス) 岩波書店 2006.1

 坂野先生の本、4冊目。王政復古(1868)から若干の歳月を前史とし、明治8年(1875)年1月、大久保利通、木戸孝允、板垣退助、伊藤博文らが大阪に集まり、新しい日本を立憲政体(憲法に従い、議会制度によって国民が政治に参加するしくみ)とすることを約した「大阪会議」から、昭和12年(1937)7月、日中戦争の勃発までの70年間を通史的に論じたテキストである。

 本書は、もともと1997年に放送大学の教材として書かれたものに、増補訂正を加えたものである。したがって、内容は堅実だが、やや面白みには欠ける。素人が坂野史学の醍醐味を味わいたいなら、『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書 2004)と『明治デモクラシー』(岩波新書 2005)のほうがおすすめである。

 しかし、私は前掲の2冊の新書を、1年の時間差をおいて読んだとき、へえ、坂野先生って、明治から昭和まで、いろんな時代を研究対象にしていらっしゃるんだな、と思って、その間をつなぐ糸が見えなかった。本書を読んで初めて、2冊の新書が、近代日本の「立憲政治/議会民主制」の始まりと終わりに対応していることを理解した。

 本書は「とびきり面白い」本ではないが、近代日本の「立憲政治/議会民主制」の確立にかかわった人々の模索と苦闘が、しみじみ伝わってくる。著者は、前掲の新書で、戦後デモクラシーが、占領国のアメリカから与えられたもののようにいうのは誤りである、戦前の日本にも、デモクラシーの浸透と蓄積があったからこそ、戦後、アメリカ主導のデモクラシーが一気に花開いたのだ、ということを述べていたと記憶する。その箇所を読んだときは、いまひとつ理解できなかったが、本書の通史的記述を読んで、だいぶ分かるようになった。それは「贈りもの」でも「押しつけ」でもなくて、我々が選びなおしたものなのだ(と思いたい)。

 さて、「あとがき」で著者も述べているように、「近代日本政治史」が王政復古に始まるのは分かりやすいが、「それが1945年でなく、1937年で終わる」ことには、不審を感じる読者もいるだろう。しかし、本書を読み進んでくると、著者の意図はよく分かる。日中戦争の勃発=総動員体制の開始は、民主主義の終息を意味した。王政復古以来、多くの人々が苦難の上に築き上げてきた「明治デモクラシー」の実績は、根こそぎに突き崩されてしまったのである。著者の視点からすれば、あとは終戦まで、惰性で坂を転げ落ちていったようなもので、「政治史」として語るに値しないのだろう。

 この数年、「あの戦争」については、近隣アジア諸国との関係において、責任を負うべきか否かという議論が盛んである。それはそれとして、同時に我々は、「あの戦争」を選択した人々が、日本の国内政治に与えた影響についても、きちんと責任を問い直してみるべきではないかと思った。それは、近代日本の初発において、立憲政体実現のため、人生を賭した多くの先人たちに対して、戦後デモクラシーの中で生きる我々が負っている義務だと思う。

 折りしも本書を読み終わったのは7月6日であった。昨日7月7日は日中戦争の発端となった盧溝橋事件の日であるが、そのことを認識している日本人はどのくらいいるのだろう。私はこの日を、対外関係において記憶すべき日と思ってきたが、これからはむしろ、近代日本のデモクラシーの「命日」として思い出したいと思った。
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京都レポート(4):拾遺編~拓本、古裂、祇園祭の懸装品

2006-07-07 23:56:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
○大谷大学博物館 夏季企画展『仏教の歴史とアジアの文化V-石窟の仏』 

http://www.otani.ac.jp/kyo_kikan/museum/

 インドのアジャンタ石窟、中国の敦煌・雲岡・龍門・天龍山石窟の仏教美術を紹介するもの。多くは拓本だが、敦煌の莫高窟から出土した『護諸童子女神像(護符)』の模写本は、獣や鳥の頭で大きな乳房を持つ異形の女神を描いたもので、漢字の隣に、ぐちゃぐちゃした和田(ホータン)文字が書かれていた。参考として、これらの拓本や模写が大谷大学に入った当時の「大谷大学新聞」(大正13年、昭和3年)が広げてあるのも興味深いと思った。

○細見美術館 特別展『藤井永観文庫の優品-生涯を古美術蒐集に捧げた精華-』展

http://www.emuseum.or.jp/

 藤井孝昭氏(1913-1983)は、立命館大学文学部出身。高校教師のかたわら、美術に親しみ、美術工芸品の蒐集につとめた。コレクションはおよそ420点、古筆・絵画・歴史資料・染織などの分野にわたり、重要文化財5点、重要美術品2点を含む。

 気に入ったのは、まず、上柿芳龍(うえがきほうりゅう)の『羽根つき図』。羽子板を握り、力いっぱい反り返った遊女の姿態が斬新である。『石曳図』も珍しい。同氏は「染織」に興味があったらしく、書画の表具に古裂を用いたり、古裂そのものを表具して、鑑賞の対象としているのも面白く眺めた。

○京都文化博物館 『祇園祭懸装品展-風流の美』

http://www.bunpaku.or.jp/

 京都文化博物館のある三条通かいわいには久しぶりに行った。古い町並みを生かした再開発が進み、若者向けのショッピングモールもできて、いつの間にか、オシャレなスポットになっていた。京都文化博物館の別館、日本銀行京都支店の建物(辰野金吾とその弟子・長野宇平治の設計)を見学し、本館に移動する。

 祇園祭には、7、8年前に1度だけ来たことがある。とにかくすごいお祭りで、興奮して、全ての山鉾を見てまわった。そのときはよく分からなかったが、いま、あらためて、いくつかの懸装品を見てみると、浄妙山の胴懸が長谷川等伯の『柳橋図』をもとにしているとか、黒主山の前懸は、町内に保存されていた中国官服の図柄をもとにしている、という説明に、いちいちうなずけるものがある。そのほか、インド更紗あり、トルキスタンの絨毯あり、ギリシャ神話のモチーフあり、どことなく朝鮮ふうの虎図あり。とにかく謎が深くて、面白いと思う。
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京都レポート(3):手にふれて楽しむ楽茶碗

2006-07-05 22:28:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
○楽美術館 『手にふれる楽茶碗観賞会』

http://www.raku-yaki.or.jp/index-j.html

 「楽焼き」と言えば、最近まで「素人の趣味のための手軽な焼き物」のことだと思っていた。これとは別に、「聚楽第の土を使って焼いたことに始まる京都の焼きもの」の意味があるというのは、2005年秋、出光美術館の『京の雅び・都のひとびと-琳派と京焼-』を見に行って、初めて知った。

 このとき、京都に楽美術館という施設があることも知って、一度訪ねてみたいと思っていた。実は今年4月、『大絵巻展』を見たあと、この美術館を目指したのだが(バス路線が混んでいて)入館時間を過ぎてしまい、中に入れなかったのだ。

 今回は、ほかに特別展がたくさんあったので、楽美術館へは行けたら行こう、くらいに思っていた。ところが、泉屋博古館で見つけたチラシによれば、毎月第1土曜・日曜は、楽茶碗を手に取れる特別鑑賞会が開かれているという。これは行ってみるしかない、と思って、午後イチで楽美術館に向かった。

 着いてみると、幸い、13:00からの鑑賞会に、まだ席の余裕があるというので、入れていただくことにした。鑑賞会は別棟のお茶室で行われる。私以外は、女性が2名と男性が3名。中年の女性2名は、お茶室慣れした雰囲気があって、ちょっと気後れする。

 やがて、女性の学芸員さんが現れ、お茶席らしく、掛軸や釜・水指・茶杓などの説明から始まる。それから、茶碗2点と香合2点をまわしてくれた。今月はいずれも七代目・長入(1714-1770)の作品だという。はじめの黒茶碗を手に持ったときは、見ための重厚さに引きかえ、意外な軽さにびっくりした。でも、考えてみれば、茶碗としては適当な重さである。これ以上重かったら、実際の役に立たないだろう。それから、器の肌がぬる暖かい。なるほど、これが磁器と陶器の違うところか、と思った。展示ケースの照明の下で見るのと、薄暗い茶室で見るのとでは、色の印象もずいぶん違う。

 1時間ほどの鑑賞会が終わってロビーに戻ると、次の14:00の回を待っている人たちがいた。こちらは10人を超えるくらいで、若者が多かった。満席で断わられることもあるというから、私は運がよかったのかも知れない。

 最後にロビーで、楽家を紹介するビデオを見た。楽家では、90年ほど前に採集した土をじっと寝かせてあるのだという。これを十分に練って器にする。楽焼は、土を練るところから、成型、釉薬の塗りつけまで、全てひとりで行う。轆轤(ろくろ)を使わず、厚さを耳(叩いたときの音)で確認するというのも面白い。黒茶碗は1つずつ小さな窯で焼き、赤茶碗は数個を一緒に焼く。手伝うのは出入りの職人さんたちで、昔ながらの方法で火を炊く。

 楽家は、初代・長次郎から十五代・現当主まで一子相伝で伝えられてきたが、具体的に「どんな茶碗をつくるか」は、それぞれの個性と創意に任されているという。静かな住宅街は、450年におよぶ「創意」と「束縛」を伝えているのだ。京都の町の底知れなさを、しみじみ感じてしまった。
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京都レポート(2):近世の花鳥画

2006-07-04 21:40:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
○泉屋博古館 平成18年度春季企画展『近世の花鳥画』

http://www.sen-oku.or.jp/

 たまたま、この企画展のTOPページを見て「ん?この絵は若冲ではないか?」と思った。桜とも桃ともつかない、白い花の咲く木の枝に、愛らしい目白が並んでいる。鮮やかな色彩、画面に横溢する生命感が『動植綵絵』によく似ている。「主な展示品」のページに入っていったら、やっぱりそうで、若冲筆『海棠目白図』という紹介があった。しかし、私は、この絵を知らなかった。ええ~大概の若冲作品は知っている自信があったのに。試みに2000年に京博で開かれた若冲展の図録をめくってみたが、載っていない。2003年に泉屋博古館で展示された記録があるようだが、他館へは出品していないのかな。

 結局、この作品のホンモノ見たさに京都旅行を決断してしまった。解説によれば、若冲40代前半、『動植綵絵』に着手する前後の作品だろうという。画面は、上部に海棠、下部に木蓮を描く。どちらも白い花だが、花顎と葉の色調に変化がある。

 ゆったりと湾曲した海棠の枝に「目白押し」状態のメジロが9羽。うち1羽がほぼ真横を向いて、左下に体を傾げている。そのくちばしの先を目で追うと、なぜか仲間に背を向けて、尾を垂れ「瞑目するか」のごときメジロが1羽。一段高い枝では、ジョウビタキがオレンジ色の腹を見せて、画面右寄りのメジロの群れをくちばしで示している。この三者の作る三角形の構図が、そこはかとない緊張感を作り出していて、面白い。群れを外れたメジロは若冲の自画像ではないか、というのは、誰もが想像するところだけど、では、あのジョウビタキは何者なんだろうなあ。

 さて、それ以外の作品も、なかなか見応えがあって面白かった。狩野探幽の『桃鳩図(ももはとず、とルビが振ってあった)』は徽宗筆の写し。原画を尊重しつつ「現実の鳩の姿に近づける配慮」をしている、とあったが、そのためか、なんとなく鳩の姿が中途半端である。

 気に入ったのは椿椿山の三幅対。中央の『玉堂富貴』は、天空に吊り下げられた花籠を描く。牡丹、藤、木蓮など、豪奢な切り花が籠からあふれんばかりに盛られている。左右は幅の狭い画幅で、右は水草の間で群れ遊ぶ小魚を描いた『藻魚図』。左は草むらの上を舞う『遊蝶』。淡白な構図と色彩が、中央の画面と対比的である。空気に透明感があって、幻想的で美しい。同じ画家の『野雉臨水図』も色調がおもしろくて、どこかイギリスのステンシルアートふうだなあと思っていたら、私は、以前にも似たようなことを書いていた。この名前、記憶があると思ったら!

 田野村直入の『花卉図巻』は、これまでにない鮮やかな発色の絵具が使われていて「幕末という時代を感じさせる」と解説にあったが、むしろ背中合わせのケースに展示されていた、呉春の『蔬菜図巻』に、私は興奮してしまった。上手いなー。墨の濃淡に、一色か二色を足しているだけ。でも、それだけで何でも描けるという自信にあふれている。茄子のつるりとした光沢、筍の皮のごわごわ感も描けているし、空豆や牛蒡は、味や香りまで伝わってくるようだ。面白かった。
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京都レポート(1):京大文学部百周年

2006-07-03 00:16:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
○京都大学総合博物館 『文学部創立百周年記念展示-百年が集めた千年』
 
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/indexj.html

 週末の京都旅行で見てきた展覧会のレポートを、順次、上げていく。今回は少し下調べをして出かけたので、唯一9時半に開くこの博物館に、最初に行こうと決めていた。

 開館と同時に飛び込むつもりで、5分ほど前に到着すると、私服姿の若い女の子が、200人近くも集まっている。しかも「おはよう~」と挨拶を交わしながら、どんどん増えていく気配。開館時間になると、係員の誘導で、博物館の中に入り始めた。短大か何かの見学実習らしい。

 迷惑だな~と思ったが、いたしかたない。係員の方に「今日は一般の見学も入れるんですか?」と聞いてみると「どうぞ、こちらから」と別のゲートに案内してくれた。女の子たちが1階のホールに滞留している間に、とりいそぎ、2階の企画展示室に上がってしまう。

 この企画展示は、京大文学部の創立百周年を記念するものだ。数は25点と少ないが、地域は西から東まで、時代は11世紀から20世紀まで、書籍のほか、絵巻、奈良絵本、地図、書簡、経典、考古遺物まで、バラエティに富んだ内容である。

 京大文学部は、明治39年(1906)文科大学の設置を始まりとするが、それ以前も、附属図書館初代館長・島文次郎の努力によって、貴重な資料の収集に努めてきた。その後、震災にも戦災にも遭わず、現在は93万冊の蔵書を抱えているという。この「震災にも戦災にも遭わず」という奇跡的な幸運が、東京人である私には、しみじみとうらやましい。東京(および東大)が日本の政治的中枢であることを、どんなに誇ったとしても、京都(および京大)が伝えている文化の厚みには、到底かなわないという感じがする。

 今回の展示に限っても、中国西南部に住む少数民族、彝(イ)族が使用するロロ語で書かれた『祭祖大経』あり、契丹文字を刻んだ黄金の『チンギス・カン聖旨牌』あり、西夏文字の『華厳経』あり、チベット大蔵経あり、朝鮮古活字本の『朱子語類』(内賜本)あり。西洋に目を向ければ、インキュナブラ(15世紀印刷本)の『アウグスティヌス・アンセルムス著作集』あり。稀覯本とされる、カントの『純粋理性批判』初版本や、グリム兄弟『ドイツ語辞典』第1巻初版本も、同じ室内に並んでいる。余計な説明は抜きにして、このすごさ!

 印象的だったのは、1910年製作の『混一疆理歴代国都之図』。1402年に李氏朝鮮で作られ、大谷光瑞が所持していた(現在は龍谷大が所蔵)が、京大文学部地理学教室初代教授の小川琢治(小川環樹兄弟の父)が写本を作ったものだという。傷みの多い龍谷図より文字が鮮明で、今日の研究に役立っているそうだ。

 1901年製作のファクシミリ版『イリアス』もあった。原本は、1781年に発見された『イリアス』の最古の写本で、イタリアのサン・マルコ図書館が所蔵する。また、『キタイの武人像』(壁画)は、残念ながら原本の展示期間が終わっていて、複製展示になっていたのだが、暗い室内では、複製と気づかないほどよくできている。高精彩の写真画像を木枠にはめただけなんだけど。

 原本の保存はもちろん大事だけど、資料を利用できなければ、大学の研究活動は成り立たない。精巧な複製を作り、提供し、共有することの意義を考えた展示でもあった。
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平成17年度新収品/東京国立博物館

2006-07-02 14:07:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特集陳列『平成17年度新収品』

http://www.tnm.jp/

 これは先週末に見てきたもの。最近は古筆にハマっているので、公任筆『石山切』や藤原伊房筆『十五番歌合断簡』にすぐに目がいく。『吉備由利願経』は天平の写経だそうだ。墨つきのたっぷりした文字は、見ている者を大様な気持ちにしてくれる。

 南宋~元時代の団扇画が3点。『雪中花鳥図』は墨一色に加えて白絵具(胡粉)で雪を描き加えている。『榴花小禽図』は斑入りの白椿に雀を配した明るい画面で、可憐な印象。『秋塘郭索図』は蟹に蓮という、ちょっとグロテスクな画材である。「たらしこみ」を使っているように思った。

 今回、いちばん見たかったのは、上記のサイトに写真が上がっている絵画『ダマヤンティー姫の婿選びへ行く神々』。19世紀インドの作品だそうだ。写真では大きさの想像がつかなかったが、B4くらいの小品だった。透明感のある色彩は、水彩なのかしら。雲に乗ったり、船や馬車に乗った神々が、天空の王宮から、思い思いに出立するところ。絵本のようで楽しい。

 第2室、江戸時代の服飾にも興奮した。『夜着・紺綸子地鳳凰唐草模様』は、背中を巨大な鳳凰が覆っている。すごい。中国の皇帝の龍袍も顔負け。明るいブルーの地に、燃えるようなオレンジの鶏冠が映える。神々しいまでの圧倒的な存在感は、若冲のニワトリみたいだ。

 さて、”これを見にきてよかった!”と思ったのは『長恨歌図屏風』に尽きる。中央に築山(山水)を置き、これを取り囲むように長恨歌の物語が展開する。発色のいい、厚塗りの金地がゴージャス。金の上に「長生殿」「温泉宮」などの地名・個人名が型押しされている。江戸初期、17世紀の作品で、筆者は不詳だというが、山水も建物も上手い。四色の瓦が交互に並んだ屋根、雲龍文で埋め尽くされた壁・柱など、派手でマニエリスティックで、見てきたように「中国」っぽい。

 しどけない恰好で寄り添う玄宗皇帝と楊貴妃は、あだっぽいし、馬嵬坡(ばかいは)で殺されると定まった楊貴妃の悲嘆の表情もいい。兵馬の図は、どこか『平治物語絵詞』などの絵巻物に似ている。それから、官人の冠のしっぽがむやみに跳ね上がっているのを見ると『吉備大臣入唐絵巻』を思い出す。イメージをひとつひとつ検討していくと面白いのではないかと思った。

 私は、日本の絵画に「長恨歌図」というジャンルがあることを知らなかったが、折りしも、東大出版会の雑誌『UP』6月号に板倉聖哲氏が「狩野山雪が描いた『長恨歌図』――異端から古典へ」と題したエッセイを書いている。この作品のことかと思ったら、全く別種の「長恨歌図」の話だった。そんなに数があるのか。これから、ちょっと気をつけてみよう。
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京都・とらやのくるま

2006-07-01 23:01:12 | なごみ写真帖


何かと仕事が詰まっていて、気の重い今日この頃。
だからこそ、パッと気分を切り替えたい。そこで、1日限定で京都に行ってきた。

金曜日、仕事帰りにそのまま新幹線に乗って、夜遅く京都着。
1泊して、今日は朝から展覧会めぐり。

・京都大学総合博物館『文学部創立百周年-百年が集めた千年-』
・泉屋博古館『近世の花鳥画』
・樂美術館『手にふれる樂茶碗観賞会』
・大谷大学博物館『石窟の仏』
・細見美術館『藤井永観文庫の優品』
・京都文化博物館『祇園祭懸装品展』

予定を全てこなして、さきほど東京に戻ってきた。

金曜の夜行バスを使うとか、日曜の朝イチの新幹線で帰ってくるとか、いろんなことをやってみたが、今回の移動方法がいちばん楽かもしれない。しかし、オトナになるにつれて、旅行のしかたがセコくなるようで悲しい。

まあ、気分はリフレッシュしたので、明日は仕事。
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