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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

鍋島に涼をもとめて/戸栗美術館

2005-08-10 23:04:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
○戸栗美術館 『館蔵 鍋島焼名品展』

http://www.toguri-museum.or.jp/

 というわけで(前日を参照)、根津美術館を予定より早く切り上げることになってしまったので、この展覧会に寄ることにした。

 「鍋島焼」は、肥前(佐賀県)鍋島藩の焼き物である。鍋島藩は、有田皿山を拠点に、海外貿易や日本国内の需要に即した磁器(有田焼=伊万里焼)を製造する一方、将軍家への献上品や諸大名・公家への贈答品を特別に製造する藩窯を別に開いた。この、採算を度外視し、美の極致をきわめた(と言われる)特別あつらえの磁器を「鍋島焼」と呼ぶ。

 とにかく「鍋島」は美しい。それも、侘びだの寂びだの、気難しい爺さんがこねまわすような理屈はなくて、誰の目にも、まっすぐ飛び込んでくる美しさである。見ているだけで幸せな気持ちになる。

 しかも、長い年月の間に、さまざまな改良や工夫が加えられていて、なかなかに奥が深い。今回の展示でも、藩主から「最近は焼きの質も悪いし、文様もマンネリである。何とか工夫せよ」という改善命令が下された記録が残っていて、興味深かった。

 そんな叱咤に応えて生み出されたデザインのひとつが、清新な更紗文様である。鍋島といえば、青海波とか雪輪繋ぎとか、大人の”和”のイメージが強かったが、こんな可愛らしい文様もあると知って意外だった。でも、赤や黄色を惜しみなく使っているにもかかわらず、品のよさを失わないところは、さすが鍋島。

 鍋島藩は、磁器産業のほかに、更紗(染織)や緞通(どんつう=敷物に使う厚手の織物)も保護したと言われている。実は、その鍋島更紗の文様を、磁器に転用したものらしい。いやあ、鍋島藩って、おもしろいなあ。こういう手工業の真剣な育成にかけた小藩って、なんか、じわじわといいなあと思った。
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明代の絵画、再訪/根津美術館

2005-08-09 12:14:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
○根津美術館 特別展『明代絵画と雪舟』

http://www.nezu-muse.or.jp/

 猛暑の週末、根津美術館に行ってきた。先月(第1期)に続く、再訪である。板倉聖哲氏の講演「雪舟が見た明代中期画壇」を聴こうと思った。講演は2時からだというので、整理券を配り始める1時半をメドに出かけた。

 ところが、私と同行者、および、たまたま入口で出会った知人2人組の直前で「申し訳ありませんが、ここまでです」と言って、列を切られてしまった。定員80名に達してしまったのだという。うっそ~。板倉先生のことは、存じ上げないわけではないが、こんなに人気者だとは知らなかった。東洋絵画なんて、地味なジャンルだと思っていたのだが。それとも雪舟のネームバリューは別格?

 仕方ないので、第3期の展示を眺めて帰ってきた。「慧可断臂図」は、やっぱりいい。隣で大学生くらいの女の子が、お母さんらしい中年婦人に「ほとんど色を使ってないのに、お坊さんの唇と、腕の切り口にだけ、細~く赤を塗っているのが効果的なんだって」と説明していた。おお、どこで聞いたのか、見どころを分かってるなあ。

 第1期が、ほとんど山水画だったのに比べると、人物画が多い。面白かったのは「売貨郎図」という作品。(伝)蘇漢臣のものと、呂文英の対幅と、計3点を見ることができる(いずれも根津美術館蔵)。要するに「物売り」を描いたものだ。1点は小鳥屋、あとの2点は雑貨屋か、おもちゃ屋か、天秤棒タイプの物売り架には、正体不明の品物(布靴? 喇叭? お面?)が山盛りに詰め込まれていて、細部に目を凝らせば凝らすほど、楽しい。風俗図のようでもあり、吉祥図のようでもある。

 私は、日本の職人尽くし絵も大好きで、三谷一馬氏の『江戸商売図絵』(中公文庫 1995.1)を愛蔵している(図版が小さいのが難)が、中国にもこんな作品があるのを初めて知って、面白かった。
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韓国のデジタル・デモクラシー(玄武岩)

2005-08-08 00:43:44 | 読んだもの(書籍)
○玄武岩(ヒョン・ムアン)『韓国のデジタル・デモクラシー』(集英社新書)集英社 2005.7

 韓国社会のIT化が急速に進行している、と聞いたのは、5年ほど前のことだ。2000年7月に「本とコンピュータ」という雑誌が「コリアン・ドリーム!~韓国電子メディア探訪」という別冊を出した。私はこの本に刺激されて、初めて韓国を訪ね、ソウルにある4つの大学と1つの出版社を見学させてもらった。

 私の韓国に対する関心が動き出したのは、このときからで、以来、本を読み、旅行にも行き、韓国に関するニュースにも注意を払ってきたつもりだったが、本書を読んで、その自信は完全に揺らいでしまった。

 本書の「序章 韓国政治でいま何が起きているのか」の扉には、2004年3月20日、盧武鉉大統領に対する弾劾に反対して、ソウルの光化門付近に集まった20万人の「ろうそく集会(キャンドル・デモ)」の写真が掲載されている。大通りを埋め尽くした小さな灯りがどこまでも整然と続く光景は、問答無用のインパクトを持っている。

 しかし、私はこの光景を日本のメディアで見た記憶がない。ええ~2004年3月って、私は何をしてたんだ? まあ、私は新聞も取っていないし、テレビのニュースも恣意的にしか見ていないが、それにしても、この衝撃的な光景を一度も見る機会がなかったって、どういうこと?

 その答えは本書の中にある。韓国の代表的な新聞「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」は、全斗煥政権以来、保守勢力と密接に結びついた翼賛メディアである。1980年代の民主化闘争以来、公正な報道の必要性を切実に感じた市民とジャーナリストは、国民株主を基盤とするハンギョレ新聞を設立し、MBC、KBSなど放送局の民主化を進め、さらにインターネットという新しい言論ツールを通じて、保守系メディアと対決している。しかし、日本の大手新聞は、今なお、保守新聞の論調をそのまま垂れ流しているだけなのだ。

 また、日本はいつも、韓国の北朝鮮政策や韓米関係の帰趨、すなわち自国の安全保障に影響すると思われる観点からのみ、韓国の政治動向に注目している(だから、それ以外のことが見えない)という著者の指摘も、心に留めておきたい。

 本書は、盧武鉉政権の誕生から今日まで、韓国の民主化運動が、デジタル・メディア、インターネット・コミュニケーションの力を借りて進んできたことを詳述しているが、そればかりではない。「電子民主主義前史」と題して、1960~90年代における言論メディアの統制と抵抗運動を記述した部分もおもしろいし、デジタル・デモクラシーと言っても、決してパソコンの前で完結するものではなく、「オンライン」の連帯とともに、さまざまな「オフライン」の活動が展開されていることも興味深い。

 最新の動向として、保守勢力もインターネットの有用性に気づき始め、デジタル・メディアはもはや民主勢力の専売特許ではなくなっていること、徹底した反共を主張する保守勢力は、日本の右翼とグローバルに連帯(!)する様相を見せていること、政治パロディ(武侠片を素材にした「大選刺客」という作品が紹介されていて、これがオカシイ!!)に対する規制の強化、「インターネット実名制」の法案可決など、さまざまな問題が取り上げられている。

 かえりみて、なぜ日本では、インターネットが「公器」とならず、「ネティズン」という言葉が「(笑)」という揶揄とともにしか定着しないのか。結局、早々に「政治の季節」が終わってしまった日本と、「民主化」のために流された血の記憶がまだ消えず、祖国分断の戦後を終わらせていない韓国の差なのだろうか。そんなことも考えた。
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風流・鎌倉ぼんぼりまつり

2005-08-07 12:33:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
 今年も、鎌倉・鶴岡八幡宮の「ぼんぼり祭り」に行ってきた。東京は、コンクリートの照り返しに殺されそうな猛暑の1日。それでも、夕方6時頃、北鎌倉の駅に降り立つと、生き返った気持ちがした。電灯のともったホームには、もはや観光客の姿もまばらで、ヒグラシの声が涼を誘う。あ~やっぱり、東京って人間の住むところじゃあないなあ、と思う。

 鶴岡八幡宮の境内は、土曜日ということもあり、この数年では、いちばんの賑わいだった。今年の「ぼんぼりうちわ」は、星野椿氏(俳人、鎌倉虚子立子記念館の館長)揮毫である。1,000円。



 私がこのお祭りに通うようになってからは、ずっと絵画のうちわが続いていたので、今年のデザインは新鮮だった。かな文字が涼しげである。

 そこで、今年は文字のぼんぼりを2つご紹介。左はめずらしい西夏文字。歴史学者か、それとも書家の先生かしら。右はどこかのご住職(94歳)だったと思うが、収まりも何も、無頓着なところが好き。

 

 日本画の田渕俊夫、小泉淳作、小説家の柳美里、タレントのみのもんた、政治家の扇千景、石原慎太郎など、常連さんは、だいたい見つけたが、片岡球子さんのぼんぼりを見つけられなかった。今年は奉納されていないのかしら。体調のせいだったりしないかと、気になった。

 ぼんぼり祭りは9日(火)まで。最終日は花火大会と重なるので、込むんだろうなあ。

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本願寺派が熱い!?

2005-08-05 22:58:24 | 見たもの(Webサイト・TV)
○本願寺ホームページ

http://www.hongwanji.or.jp/

 今日の話をどうまとめようか、考えた末、まず、上記の「浄土真宗本願寺派(西本願寺)」公式ホームページを紹介することにした。数年前に発見したときも盛りだくさんなサイトだと思っていたが、またメニューが増えている。

 LiveカメラにWebTV、アンケートフォーム、宿泊・研修施設の空室情報も掲載。興味本位で「寺院僧侶向情報」をのぞいてみると、「住職任命申請書」「度牒再交付申請書」「帰俗願」などの各種様式がダウンロードできる。固有名詞を代入すれば、あなたの寺の「寺則」がすぐに作れる文例集もある。いや~利用者のニーズを考えてるなあ。これに比べたら、お役所とか国立大学のホームページなんて、ぜんぜんお話にならないわ~。

 さて、これに関連して紹介しておきたいのは、ちょっと前に本屋の店頭で立ち読みした下記の写真集。

■荒木経惟『飛雲閣ものがたり』本願寺出版社 2005.6
http://www.hongwanji.or.jp/2005/info2005/20050521_book.htm

 京都・西本願寺の境内にある国宝建築・飛雲閣と庭園を、荒木経惟が1年かけて撮影したもの。普通に紹介されると、こんな感じなのだが、これをアラーキーが撮ると、楼閣が生きて呼吸しているかのように、むちゃくちゃ妖艶になる。不思議だ!!

 しかし、思い切った企画だなあ、と思っていたら、東京の築地本願寺が、また思い切った企画をやるようである。

■本願寺LIVE2005~他力本願で行こう!
http://www.higan.net/live2005/index.htm

 出演はみうらじゅん、安斎肇ほか。明日の夕方、開催である。実は、今日、友人からこのイベントを教えてもらったのだ。でも残念だが、明日は別の予定が入っていて行けない。誰か、ぜひ参加して、詳細を教えてくれないかしら。
 
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模写・模造の心意気/東京国立博物館

2005-08-02 22:38:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別展『模写・模造と日本美術-うつす・まなぶ・つたえる-』

http://www.tnm.go.jp/

 このポスターを見たときはにやりとしてしまった。赤い背景の中央に、白い小さな字で「模写だけで展覧会になるとは思わなかった。横山大観」。その下に、もっと小さな字で「(だったら言う)」と付け加えてある。おいおい! 京博の曽我蕭白展の「丸山応挙がなんぼのもんぢゃ!」に匹敵する名コピーだが、東博のサイトには、このポスター、非常に小さい画像しか載っていないのが残念だ。

 実際、展示もおもしろかった。浄瑠璃寺の吉祥天女に迎えられて、最初の展示室に入ると、そこには、仏像好きにとって、夢のような光景が広がっていた。手前に薬師寺の聖観音がおわします。細身のプロフィルは法隆寺の百済観音。東大寺の執金剛神もいる。背を向けているのは、二月堂の日光か月光か。少し離れたところには興福寺の無著・世親。という感じで、シルエットクイズでもすぐ分かるような有名どころの仏像が、文字通り、一堂に会しているのだ!

 これら仏像の模作の多くは、明治初期、岡倉天心の理論的指導のもとに行われた事業である。よく見れば確かに「摸造」なのだが、見事なものだ。内面から真に迫ろうとする気迫が、新たな美を生み出している。執金剛神などは、厨子に入った本物では扉の影になってしまう、天衣の鋭い翻り具合に、初めて気づくことができた。

 興味深かったのは、正倉院宝物のひとつ、讃岐国から献上された白絹の「復元」である。きわめて細い絹糸で織られているので、通常の繭から取れる絹糸では復元できないのだ。そこで、皇居内で皇后さまが昔ながらの方法で飼育している蚕の繭から取った糸を用いたという。どんなに高度な職人芸、最新鋭の工業技術があっても、材料が確保できなければダメというのが印象的だった。

 なお、展示品中にたぶん1つだけ(?)「本物」が混じっている。岡倉天心の直筆書簡なのだが、みんな、周りの模写・模造を眺めるのと同じ視線で眺めて通っていくんだよなあ。
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日本とドイツ、二つの戦後思想(仲正昌樹)

2005-08-01 00:12:35 | 読んだもの(書籍)
○仲正昌樹『日本とドイツ、二つの戦後思想』(光文社新書)光文社 2005.7

 本のオビに「なぜ謝るのか?/なぜ謝らないのか?/根本から解き明かす」とあるのを見て、即座に、ああ、この夏流行りの”戦後60年記念”出版の1つだな、と思った。確かに本書は、日本とドイツという2つの敗戦国が、戦後責任問題にどう対処してきたかという比較から始まる。

 ドイツでは、戦後まもなく(1946年)、哲学者ヤスパースが「罪責問題について」という講演を行って、法や政治の場において公式に清算することが可能な罪と、各人が自らの良心の内で自問自答し続けるしかない罪を弁別した。これは、戦後ドイツにおいて、戦争責任を考える基本的な枠組みとして、つねに参照されることになった。

 日本では、誰(加害者)が誰(被害者)に対してどこまで責任を負うのか、という細かい検討は行われず、曖昧な「一億総懺悔」論に終始してきた。これは、ヨーロッパの真っ只中で生きていかざるを得ないドイツと、つい最近まで東アジア諸国に背を向けて、内向きでいられた日本という、両国の地理的環境の差異を反映するものでもある。

 本書は、狭義の戦争責任論に続けて、最近、日本の政治家・知識人が好んで口にしたがる「国のかたち」を、戦後のドイツがどう考えてきたかを紹介している。こういう観点の比較は、たぶん、これまであまりなかったもので、非常に興味深く読んだ。

 戦後、ドイツでは、ナチズムの台頭を許した自分たちの文化自体に対する不信感が広がり、さらに国家が分断状態に置かれたため、敗戦直後から、ドイツ国民のアイデンテティについて、真剣な論争が行われ続けた。こうした中で、ハーバマスの「憲法愛国主義」のように、国民アイデンテティの基礎を、伝統的(文化的)要因から切り離し、憲法=国家体制の選択のうちに置く考え方も生まれた。

 この点に関しても、日本では、天皇制が継続し、「日本を国民国家たらしめてきた”中心”が生きているのか死んでいるのか分からない中途半端な状態」が続いたため、実りのある議論が成立しなかった。

 実はここまでが本書の前半である。後半は、戦争責任の問題から少し離れ、両国の戦後思想史を一気に概観する。これが意外なくらい面白い。私は、正直なところ、現代思想には全く疎いので、名前ばかりで実体をあまり知らなかったハーバマス、アドルノ、ベンヤミンなどの思想が、分かりやすくまとめられていて、感激した。廣松渉、吉本隆明、浅田彰など、日本の著名な思想家も、ドイツと比較されることで、なるほど~(世界史的には)こういう位置にいるのか~ということが再確認できる。

 巻末の年表も、ドイツと日本の戦後思想にかかわる主な出来事と著作がまとめられていて、労作。本書は、戦後60年の戦争責任を考える参考書としても有意義だが、むしろ、そうした特殊問題から切り離して、高校生にも読める現代思想史の入門書としておすすめであると思う。
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