○佐野眞一『阿片王:満州の夜と霧』新潮社 2005.7
ノンフィクション作家・佐野眞一の作品を読んだのは、出版界の実態を多角的に描いた『だれが「本」を殺すのか』(プレジデント社, 2001.2)が最初だった。そのあと、さかのぼって『東電OL殺人事件』(新潮社, 2000.5)と『東電OL症候群』(新潮社, 2001.12)も読んだ。
だから、非常に先端的な社会問題を題材にする作家だと思っていたら、あるとき、著者が、いちばん好きな(影響を受けた)ノンフィクション作品として、山室信一の『キメラ―満洲国の肖像』(中公新書, 1993)を挙げているのを見て、へえ、と意外に感じた。私も『キメラ―満洲国の肖像』は、重厚かつスリリングな名著だと信じているが、佐野眞一という作家のイメージとは結びつかなかったのだ。そんなわけで、本書を見たとき、ああ、とうとう、佐野さんは、この題材に筆を染められたんだな、と感慨深く思った。
主人公は里見甫(はじめ)。東亜同文書院の出身。第二次世界大戦中、中国大陸で「阿片王」として名を馳せた男である。彼の収益は関東軍の軍事機密費として使われ、満州国のインフラを支えた。戦後は、A級戦犯容疑者として極東軍事裁判の法廷に立ったが、保釈され、一民間人として生涯をまっとうした。
不思議な人物だ。全く一筋縄ではいかない。里見は、巨万の富を動かしながら、物欲というものがなく、ほとんど個人財産を築かなかった。他人を押しのけ、自分を大きく見せたいという権勢欲とも無縁だった。
また、大日本帝国の威光にすり寄るナショナリストの面影もない。シナの、チャンコロの、と中国を蔑視し、中国人の生命を軽んじて、こうした犯罪を企てたわけでもない。むしろ、流暢な中国語を操り、いつも中国服に身を包み、「オレは支那が好きでたまらない。オレは支那で死ぬ」というのが、彼の口グセだった。終戦時に日本に戻りはしたものの、「二ヶ月もすれば、また中国に帰るつもりで」いたと言う。
映画監督マキノ雅広の回想によれば、里見は、阿片売買の利益の半分を蒋介石に収め、四分の一を、蒋介石と対立する親日政権の汪兆銘に収め、残り四分の一の八分を日本軍部に上納して、ごくわずかを自分のものとしていたという。数字までは俄かに信じがたいが、あながち荒唐無稽ではないのだろう。
私は、おぼろげに理解する。この苛烈なアナーキズムとニヒリズムこそは、中国思想史の底流によどみ、ときどき表面に浮かび上がってきては、中国の歴史と文化に複雑な陰影を与えている思想である。「中国人以上に中国を愛し、ほとんど中国人になりきった里見」を捉えていたのは、「アヘンがあれば国家はいらない。快楽があれば軍隊はいらない」という不逞な思いだったのではないか、と著者は言う。
本書には、先日読んだ『上海時代』の松本重治も、ちらりと登場する。2人は非常に仲がよかったが、里見は松本重治について「あいつは利口すぎるから困る」「いつも理路整然としているやつはおかしいんだ」と批判していたという。
うーむ。アメリカ帰りの知性派”リベラリスト”松本重治と、関東軍の黒幕”阿片王”里見甫。中国あるいは「支那」という国を、より多く愛していたのは、どちらだったんだろう。もしくは、中国という文明により多く愛されたのは、本当のところ、どっちというべきなんだろう。
ノンフィクション作家・佐野眞一の作品を読んだのは、出版界の実態を多角的に描いた『だれが「本」を殺すのか』(プレジデント社, 2001.2)が最初だった。そのあと、さかのぼって『東電OL殺人事件』(新潮社, 2000.5)と『東電OL症候群』(新潮社, 2001.12)も読んだ。
だから、非常に先端的な社会問題を題材にする作家だと思っていたら、あるとき、著者が、いちばん好きな(影響を受けた)ノンフィクション作品として、山室信一の『キメラ―満洲国の肖像』(中公新書, 1993)を挙げているのを見て、へえ、と意外に感じた。私も『キメラ―満洲国の肖像』は、重厚かつスリリングな名著だと信じているが、佐野眞一という作家のイメージとは結びつかなかったのだ。そんなわけで、本書を見たとき、ああ、とうとう、佐野さんは、この題材に筆を染められたんだな、と感慨深く思った。
主人公は里見甫(はじめ)。東亜同文書院の出身。第二次世界大戦中、中国大陸で「阿片王」として名を馳せた男である。彼の収益は関東軍の軍事機密費として使われ、満州国のインフラを支えた。戦後は、A級戦犯容疑者として極東軍事裁判の法廷に立ったが、保釈され、一民間人として生涯をまっとうした。
不思議な人物だ。全く一筋縄ではいかない。里見は、巨万の富を動かしながら、物欲というものがなく、ほとんど個人財産を築かなかった。他人を押しのけ、自分を大きく見せたいという権勢欲とも無縁だった。
また、大日本帝国の威光にすり寄るナショナリストの面影もない。シナの、チャンコロの、と中国を蔑視し、中国人の生命を軽んじて、こうした犯罪を企てたわけでもない。むしろ、流暢な中国語を操り、いつも中国服に身を包み、「オレは支那が好きでたまらない。オレは支那で死ぬ」というのが、彼の口グセだった。終戦時に日本に戻りはしたものの、「二ヶ月もすれば、また中国に帰るつもりで」いたと言う。
映画監督マキノ雅広の回想によれば、里見は、阿片売買の利益の半分を蒋介石に収め、四分の一を、蒋介石と対立する親日政権の汪兆銘に収め、残り四分の一の八分を日本軍部に上納して、ごくわずかを自分のものとしていたという。数字までは俄かに信じがたいが、あながち荒唐無稽ではないのだろう。
私は、おぼろげに理解する。この苛烈なアナーキズムとニヒリズムこそは、中国思想史の底流によどみ、ときどき表面に浮かび上がってきては、中国の歴史と文化に複雑な陰影を与えている思想である。「中国人以上に中国を愛し、ほとんど中国人になりきった里見」を捉えていたのは、「アヘンがあれば国家はいらない。快楽があれば軍隊はいらない」という不逞な思いだったのではないか、と著者は言う。
本書には、先日読んだ『上海時代』の松本重治も、ちらりと登場する。2人は非常に仲がよかったが、里見は松本重治について「あいつは利口すぎるから困る」「いつも理路整然としているやつはおかしいんだ」と批判していたという。
うーむ。アメリカ帰りの知性派”リベラリスト”松本重治と、関東軍の黒幕”阿片王”里見甫。中国あるいは「支那」という国を、より多く愛していたのは、どちらだったんだろう。もしくは、中国という文明により多く愛されたのは、本当のところ、どっちというべきなんだろう。