見もの・読みもの日記

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固い体制と長い衰退/陸海の交錯(檀上寛)

2020-06-03 23:17:18 | 読んだもの(書籍)

〇檀上寛『陸海の交錯:明朝の興亡』(シリーズ中国の歴史 4)(岩波新書) 岩波書店 2020.5

 中国四千年の歴史を5巻にまとめた本シリーズの中で、わずか三百年の明代(1368-1644)に1巻を費やすのは、普通ならおかしい。しかし1-3巻で「中華と夷狄」「華北と江南」「草原を含む大陸中国と沿海部の海洋中国」のせめぎ合いを見てきた読者なら、ここでいったん「小括」が必要なことは理解できるだろう。

 加えて、グローバルな視野でいえば、地球規模の気候の寒冷化に伴う世界的な経済の停滞と収縮、災害、飢饉、社会動乱や戦争が続けざまに起こったのが14世紀と17世紀であるという(最近読んだ『ペスト大流行』によれば、14世紀と17世紀に世界規模のペスト大流行が起きたことも想起される)。明とは、14世紀と17世紀という二つの危機の間に存在した王朝なのだ。

 まず、14世紀、明の太祖洪武帝・朱元璋は、きわめて窮屈な固い体制(明初体制)をつくり出すことによって、元末の混乱と危機を乗り切った。官僚機構については、大獄・粛清・弾圧を繰り返してこれを弱体化させ、皇帝への権力集中を徹底した。民間に対しては、在地の地主が農民を管理する里甲制を全国に施行した。また、科挙の受験資格を官立学校の学生に限ることで、これまで社会(郷党)に軸足を置いていた「士」身分が国家の側に取り込まれることになった。身分の固定化による秩序維持は、一面では元末の混乱に疲弊していた社会の側から要請されたものでもあった。

 明朝初期の最大の課題は、江南地主の影響の大きい南人政権から脱却し、南北同等支配を実現することだった。そのため朱元璋は、南北両京制度、文教面での南北格差改善、北人の官吏優先採用などさまざまな施策を用いている。税の現物納入義務付け、大明宝紙鈔(不換紙幣)の発行も、江南における銀の流通抑止を目的とした経済政策だった。

 なお、元明革命を民族革命とみなすこともあるが、朱元璋は一度として漢民族国家の復興を主張したことはなく、彼が唱えたのは「中華の回復」であるというのは重要な指摘だと思う。また朱元璋は、中華の天子として華夷統合、国際秩序の確立にも意欲を示したが、民間の海外貿易を厳しく禁じつつ国家間では熱心に朝貢を求めるという「海禁=朝貢システム」はうまく作動せず、次第に内向きになる。朱元璋の事業を継続したのは永楽帝で、国内的には北京遷都を成し遂げ、国際的にはモンゴル・オイラートを臣従させ、ベトナムを内地化し、「華夷一家」の真天子としての面目を確立した。

 しかし明初体制はたちまち弛緩・動揺して、短い明中期が過ぎる。印象的なのは「これほど無軌道で支離滅裂な皇帝はいない」と言われる正徳帝と、その合わせ鏡のような思想家・王陽明。

 そして長い「明末」が始まる。一般に嘉靖帝(1522-66)以降を明末と呼ぶそうだが、滅亡まで、まだ皇帝6人、1世紀を超える期間が待っているのだ。その間には、一時的にせよ真面目に政務に取り組んだ皇帝もいたし、首輔大学士・張居正(秦の始皇帝と太祖・朱元璋の信奉者だったといわれる)による改革・財政再建の試みもあった。しかし全体としては、長い長い下り坂を滑り落ちてゆく感じ。どこまで行っても決定的な破綻が来ないのがつらい。中国史の中で、いまの日本の状況にいちばん似ている時代ではないかと思う。

 明の衰退を決定づけたのは、無軌道な贅沢を続けた神宗・万暦帝で「明の亡ぶは実は神宗に亡ぶ」という評語が『明史』にあるそうだ。末代皇帝の崇禎帝は比較的ましなイメージがあったが、筆者によれば、疑い深く短気で忍耐心に乏しいことが致命的な欠点だったという。成果が上がらない官僚を取っかえひっかえするので、さらに現場が混乱するって、身近に思い当たりすぎる話だ。なお、凡庸と考えられていた嘉靖帝の治績が、最近少し再評価されているというのは面白かった。

 こんな未来のない王朝でも「日常が続く」ことに価値はあるもので、本当に明が滅亡したときの社会の動揺、特に官僚・知識人が受けた衝撃は大きかった。このあとに来る清朝は、基本的に明の専制体制を受け継ぎつつ、国内的にも国際的にも、明の「固い体制」を排して「柔らかい体制」へと軌道修正を図ったとされる(岸本美緒氏の表現)。その結果、さらに約三百年の専制体制が続くわけだが、清の統治政策がもっと拙劣だったら、中国はもう少し早く近代にジャンプしていたかもしれないと想像した。


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