見もの・読みもの日記

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戦時下の真実/物語 岩波書店百年史2(佐藤卓己)

2014-01-29 23:26:39 | 読んだもの(書籍)
○佐藤卓己『物語 岩波書店百年史2:「教育」の時代』 岩波書店 2013.10

 2013年に創業百年を迎えた岩波書店の社史全3冊。第1巻『「教養」の誕生』(紅野謙介)、第2巻『「教育」の時代』(佐藤卓己)、第3巻『「戦後」から離れて』(苅部直)という全貌を知って、わーどれから読んでも面白そう!と思ったが、いちばん美味そうな巻から手をつけることにした。第2巻は、1930-1960年代。戦前と戦後をまたぎ、創業者・岩波茂雄(1881-1946)の死をまたぐ30年間である。

 こういう労作を読むと、自分が、まだまだこの時代(戦争とその前後)の実像を知らないこと、自分だけではなく、日本社会がいろいろな記憶を忘却していることに気づかされる。まず、1929年の世界恐慌の影響で下降をたどっていた岩波書店の業績は、1931年の満州事変以後、上昇に転じ、1942年まで好況が続く。岩波書店の社員・編集者だった小林勇は「検閲と統制が強化された。ほとんどの出版社がこぞって戦争に協力した。景気がよくなった。そして戦争が進むにつれてこの勢は強くなった」と戦後に証言しているのだが、かえりみる人は少ないのだろう。

 軍部は岩波書店を嫌っていた(らしい)が、大陸の戦線にいっている若者たちは、恤兵品(軍人に対する献金や寄付)として岩波文庫を要求する声が強かった。そのため、陸軍恤兵部は陸軍将兵向け慰問品として、岩波書店に岩波文庫20点×各5000部の注文を出している。このセレクションが掲載されているのだが「意外にも文化的に味わいのある選定」で面白い。うわー荷風まで。

 関連して、ある心理学者が、戦線の兵士は活字に飢えており、どんなものでも読もうとすること、就中、死に直面して人生に深い省察を求め、中卒以下の兵士にも古典熱が広まったことを語っている。これも目からウロコの落ちるような証言。

 戦没学生の遺稿集『きけ、わだつみの声』の出版をめぐっては、いろいろ悶着があったことは知っているが、日高六郎の証言が興味深い。この遺稿集は、平和主義の観点から「戦争にたいしてやや批判的だった学生の手記」を中心に集められた。著者はこれを「青年はつねに進歩的である(べきだ)」という信念に寄りかかって編集されていた、と分析する。「しかし、日高によれば、戦時期の教訓とは青年がむしろ老人よりも保守的あるいは反動的になりえるということだった」とも。この前後は、2014年のいまの状況を考え合わせて、納得できるところが多い。日高の、学生たちは「たいへん巧妙に、流行おくれになるまいと新しい衣装に手を出しているうちに、いつのまにか時の流れに流されてしまったのでした」という言葉を、いまの10代、20代の若者に読んでほしい…。

 引き続き、戦後についても印象的な記述を抜き出していくと、清水幾太郎の「私たちは謙虚な態度でアジアへ帰ろう」とう言葉。「地元に帰ろう」みたいですけど。「日本のインテリが、何とかして、ヨーロッパやアメリカに留学しようと努力していた時、日本の大衆は、無理遣り、兵隊としてアジアの各地へ送られていたのである」という箇所を読んで、いまの大学が、グローバル人材などとおだてながら、酷い就業条件でアジアの各地へ送られていく若者を量産している状況を思い合わせた。

 また、網野善彦は、江戸時代の庶民の識字・計算能力について、「その知的水準の高い日本の民衆が300年にわたって江戸幕府の専制体制を支えつづけたということも事実です」という刺激的な発言をしている。「知的能力が専制支配に対する物わかりのよさにもなるわけですね」「知的能力の高さのみをよしとするものの考え方こそ批判しなくてはならないと思うんですね」と刺激的。これは1987年の発言。ううむ、今思えば、ずいぶん風通しのよい時代だったなあ。

 岩波茂雄と岩波書店の1930-1960年代は、網野のような考え方が立ち現れる「以前」にある。「知的能力の高さ」を良しとすることに疑問を抱かない思想。エリートであれ、小僧さんであれ、兵隊さんであれ、鍛えられ、教育されて、あるべき人間になるという思想。「岩波文化」に対立するのは、「人をきたえない」「人を教育しない」文化類型ではないのか、という記述は示唆的である。こういう「教育」主義的な出版って、東アジアの伝統に即している感じがするが、欧米ではどうなのだろうか。

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1 コメント

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未読ですが (h.inagaki)
2014-01-31 20:11:52
岩波書店が昭和十年代、為政者から目の敵にされて人文科学系の既刊書が次々発禁にされる一方、自然科学系のラインナップに軍部から大量に注文がきて、空前の売り上げになる話はニヤリです。
文庫の五千部注文の時は軍が紙まで手配したとか。

総合力というか豊富な持ち駒はまさに文化を担う存在だったのでしょうが、併せて、岩波茂雄という人物のしたたかさ、底の深さを感じております。

終戦の一日を描いた映画「日本の一番長い日」に、首相官邸、私邸を襲う招集兵のお尻のポケットに岩波文庫が入っている一場面がありました。
今はどうでしょう、あの場面ほとんどスルーされるのだろうと思います。
文庫が星一つ五十円の世代なのでかろうじてわかる演出でした。

もう特別な本屋じゃないですが、茂雄亡き後長い時間をかけて衰退しているとも言えるのかもしれません。
そういう興味から、このシリーズは第三巻から読んでみるかと思ってます。

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