見もの・読みもの日記

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桓武王朝の試行錯誤/謎の平安前期(榎村寛之)

2024-02-03 23:27:19 | 読んだもの(書籍)

〇榎村寛之『謎の平安前期:桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(中公新書) 中央公論新社 2023.12

 今年の大河ドラマ『光る君へ』が紫式部を取り上げていることもあって、平安時代に関する書籍がけっこう注目を集めているように思う。平安時代は平安京遷都の794年から12世紀末期まで約400年間、我々がイメージする、なよやかで上品な貴族たちの時代は、だいたい後半の200年間であるが、本書はそこに至るまで、奈良時代に導入された律令制がこの国の実体に合わなくなり、いろいろ試行錯誤を繰り返して、ひとまずの安定したシステムを作りあげるまでの200年間を論じている。

 制度的な要点は、序章に挙げられた「徴兵制による軍団の廃止」「私有地開発の公認」「地方官の自由裁量権の拡大」になるだろう。大きな政府(律令国家)から小さな政府へ。中央政権の権限や徴税機能は弱まったのに、国家経営の合理化と民間活力の利用によって、国全体は豊かになっていった。

 本書は、具体的に何人かの人物に即して記述を展開する。最初はもちろん桓武天皇。桓武は「聖武系王権」から徹底して離脱するため、平城京を離れ、渡来系氏族を重用し、著者の表現によれば「天皇を『皇帝』に近づけ」ようとした。桓武、交野郡で郊天上帝祭祀(郊祀)をおこなっているのか(交野天神社というのがあるらしい)! 女系天皇の可能性を封じたというのも興味深いところ。また伊勢神宮も桓武新王権において、その権威を公認されるとともに、王権の監視下におかれるようになり、伊勢斎宮にも新たな意味付けがなされた。

 平安前期においては、寒門の出身でも学識を認められれば政治の中枢に参画することができ、門閥貴族と文人はライバル関係にあった。中国の宮廷みたいである。平安前期は、基本的に、中国起源の律令制から遠ざかる過程だと思うが、「この時代らしさ」には、かえって奈良時代より、中国の伝統文化に接近したところが見られる。ここで名前が挙がっていたのは、郡司の孫が貴族(参議)にまで昇った春澄善縄。おや?聞いたことのある名前だと思ったのは、春澄善縄朝臣女(むすめ)が勅撰歌人であるためのようだ(私は国文学専攻だったので)。

 歴代の天皇ではもうひとり、9世紀の文徳天皇を論じた段もおもしろかった。文徳も、桓武以来久々に郊祀をおこなっているのだな。また、郊祀の直前には、春澄善縄に勅して『晋書』を講義させたという。晋が「最初の、禅譲により成立した統一国家である」点に興味を示したのではないかと著者はいうが、本当にそうなのかな。「桓武天皇を司馬氏に擬して」というのを読んで、ドラマ『軍師聯盟(軍師連盟)』のすさまじい権力抗争と簒奪の歴史を思い浮かべてしまったのだが。『文徳実録』には怪異の記録が多いというのも記憶に留めておきたい。

 また本書は、女性についての記述も豊富である。奈良時代の宮廷女官は男官に伍して活躍しており、名前を歴史に残した女官も多く、職場結婚の例もあり、天皇のお手付きとなって後宮に入ることもあった。ところが、次第に女官の採用年齢が高齢化し、天皇の性生活はキサキ(女御・更衣を含む)を出す氏族に限定されるようになり、女官にかわってキサキに仕える若い女房たちが「天皇を引き付ける甘い蜜」として用意されるようになる。10世紀後半の紫式部や清少納言の時代は、女流文学が隆盛をきわめたと言われるが、彼女たちが実名を残せなかったことを見ても、前時代に比べて、女性の地位が低下した状況だったのではないか。これは私も(奈良時代びいきのせいもあって)むかしからそう思っている。

 再び天皇制について。「律令体制下で天皇が名実ともに最高権力者であった時期は意外に長くない」というのは、ちょっと目からウロコの指摘だった。奈良時代から平安前期にかけて、天皇と上皇が同時に存在した時期は意外に長いのだ。そして嵯峨院以降は、藤原良房をはじめとして、藤原摂関家氏が天皇の「護送船団」をつとめていく。平安末期の「院政」が特異な政治体制ではなく、奈良時代からつながっているのだなと感じた(そういえば、橋本治『双調平家物語』も奈良時代から始まるのである)。


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