見もの・読みもの日記

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和解と忘却/Pluto005(浦沢直樹)

2007-12-02 23:50:06 | 読んだもの(書籍)
○浦沢直樹、手塚治虫『Pluto(プルートゥ)』第5巻 小学館 2007.12

 奥付は12/5発行だが、どうやら11/30(金)に発売になったようだ。たまたま本屋で見つけて、びっくりして買った。2004年の第1巻発売のときは、書店のみならず、電車の中吊りや、確か新宿駅構内でも、派手な宣伝が繰り広げられ、発売日を今か今かと待ったものだ。それから比べると、実にひっそりした第5巻の発売である。

 まあ、それはそれでよい。物語は呆れるほどゆっくりと、しかし着実に核心に向かって進んでいる。否、長編の創作ペースって、こんなものだったかなあ。私は、最近、小説にしろ、マンガにしろ、著者の創作に伴走しながら読む(=連載ものを読む)ということをしなくなってしまったので、すっかり忘れてしまった。

 第4巻の感想に書き留めておいた「憎悪」という隠しタームが、第5巻では明確に浮かび上がってきたように思う。「忘却」と「和解」という重要な課題を伴って。かつて、任務としてではなく、憎しみのゆえに人間を殺したロボット刑事のゲジヒトは、彼を狙う復讐者を救うことに生命を賭し、「あなたに聞きたい/人間の憎悪は消えますか?」と問いかける。

 天馬博士はアトムの復活に、技術と体力の全てを投入する。けれど、彼は記憶の中でアトムを憎み続ける。死んだ息子トビオの身代わりになり切れなかったアトムを。もしくは、アトムを憎み続けた自分自身を憎み続けているのか?

 巻末の村上知彦氏の解説が読ませる。かつて手塚治虫は、自身の生んだアトムを「最大の駄作」と切り捨てた。「この『Pluto』で浦沢はあえて、生みの親である手塚自身によって批判された『怪物化したアトム』を、その運命から救い出そうとしているようにみえる」「どこからともなく聞こえてくる、不在の手塚による”批判”に拮抗し、自らの中のありうべきアトムの姿を描き出す作業は、すいぶんとしんどいことだろうと想像する」云々。

 確かに、本作は浦沢にとって、手塚治虫という「父」と和解し、乗り越えていくための「自分自身のための物語」という一面を持つのであろう。しかし、手塚治虫を父として育ったのは、ひとり浦沢だけではない。たぶん私同様、多くの「手塚治虫の子ども」たちが、息を詰めるような思いで、浦沢の試みを見守っているはずだ。文学とはそういうもの――ひとりのための物語であって、同時に万人のための物語であるもの、だと思う。

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