見もの・読みもの日記

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20世紀の戦争/空爆の歴史(荒井信一)

2008-09-22 23:43:38 | 読んだもの(書籍)
○荒井信一『空爆の歴史:終わらない大量虐殺』(岩波新書) 岩波書店 2008.8

 戦争といえば空爆、というのは、当たり前のように思ってきた。しかし、人類は有史以来、戦争を繰り返してきたが、航空機が戦争に投入されるようになったのは20世紀のはじまり以降である。そして、「空爆」という戦術は、20世紀独特の戦争の悲惨を形づくることに大きく”寄与”してきた。このことは、既に多くの論者が触れているが、私の記憶に新しいのは、生井英考『空の帝国、アメリカの20世紀』(講談社、2006)である。

 1899年(ライト兄弟の初飛行=1903年より前!)、ハーグの列国平和会議は、飛行船や気球からの爆弾投下を念頭において空爆禁止宣言を出した。「一般住民を殺傷する可能性が大きいからであった」という箇所を読んで、まず驚く。宣言のすぐれた先見性と、しかしながら、これ以降の歴史が、宣言を全く裏切っていることに関して。

 当時の国際法は、文明国どうしが、住民の犠牲を最低限にとどめるために定められた。したがって、文明国対植民地の戦争では、この規定は通用しなかったのだ。西谷修氏も同じようなことを語っていたのを思い出した。文明国>>植民地の非対称性は、空爆する者>>される者の非対称性と重なり合うように思う。

 1921年、イタリアの将軍ジュリオ・ドゥーエは、これからの戦争は兵士と民間人の区別のつかない総力戦であること、それゆえ、戦時国家の基盤である民間人に決定的な打撃を加え、戦意をくじけば、戦争を早期に終結することができ、長期的に見れば流血を少なくするので、人道的だと述べた。著者が公平にも付け加えているように、ドゥーエ理論は、第一次世界大戦が塹壕戦によって長期化し、おびただしい人命が失われたことの反省から唱えられた一面もあった。しかし、結果としては、その後、長期にわたって、世界のあらゆる地域で、市民を標的とした無差別爆撃の正当化に使われ続けることになる(そして今日も)。

 本書を読んで、あらためて知ったのは、第二次世界大戦において、ヨーロッパ諸都市が体験した空爆のすさまじさ。ベルリン、ドレスデン、ケルン、ハンブルグ。ロンドン、カンタベリー、バース、ヨークもやられている。けれども、これほどの無差別攻撃の応酬をし合った国々が、EUをつくれるのは何故なのか。人々は空爆の記憶を「忘却」しているのか? なぜ同じことが、東アジアではできないのかを知りたい。

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1 コメント

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EUとアメリカ (きの)
2008-09-24 10:09:11
ヨーロッパは空爆を体験したからこそEUというまとまりを作れたのではないですかね。もうあんな悲惨なんはこりごりやと。またよく指摘されていることですが、アメリカは南北戦争以来(真珠湾を除いては)本土が戦場になったことがないから無神経に外国での空爆を繰り返してるのではないでしょうか。どちらも自分たち以外の地域(アジアや東欧)については気にしてないという点では共通しているかも。
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