見もの・読みもの日記

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新しい変化像/観音像とは何か(君島彩子)

2021-12-29 21:14:00 | 読んだもの(書籍)

〇君島彩子『観音像とは何か:平和モニュメントの近・現代』 青弓社 2021.10

 本書は、新しい信仰対象である「平和を象徴する観音像」の誕生とその展開を明らかにするものである。我が国では、特にアジア太平洋戦争(第二次世界大戦)後に、戦没者の慰霊と平和祈念のために多くの観音像が発願された。ただし本書はさらに歴史を遡り、長い歴史を持つ観音信仰と観音像が、近代の始まりとともに、どのような変化を迎えたかから語り始める。

 明治期には、近世までの庶民的な仏教信仰は薄まり、「哲学」としての仏教と、「美術」として仏像を見る意識が強固になった。日本で美術概念が形成される過渡期の明治20(1887)年前後、美術の主題として観音像が流行した。代表的な絵画作品に狩野芳崖の『慈母観音』(1888年)と原田直次郎の『騎龍観音』(1890年)がある。

 1889年には東京美術学校の彫刻科が開校して美術史教育が始まり、明治中期以降には、飛鳥・白鳳・天平期の仏像が西洋の古典彫刻に対応する「規範」となった。飛鳥・白鳳・天平期が称揚されたのは、近代的な天皇制国家が成立する中で、聖徳太子をはじめ、天皇や皇族が強く仏教に関わった時代に価値が見出されたためで、裏を返せば、江戸時代に流行していた中国趣味(黄檗宗の影響→范道生とか?)が排斥されていく過程であるという。うーん、そうなのか? ちょっとキレイに整理し過ぎの感もあるが…。

 なお、飛鳥・白鳳・天平期の古仏とは異なるもうひとつの流れとして、中世以降に禅宗とともに広まった白衣観音が、明治中期以降、まず絵画で流行し、1900年代に入ると彫刻でも制作されるようになった。ここに聖母マリアや西洋の女神のイメージが付加され、大正期には、創作性の強い、寓意的な観音像もつくられた。

 昭和期に入り、1937年(日中戦争開戦)以後の戦時下では、現世利益(弾除け、護国、興亜)と結びついた、公共的なモニュメントとしての仏像が求められた。1936年の高崎大観音を嚆矢として、大観音像の建立がブームになる。興亜観音は陸軍大将の松井岩根が発願したことで有名だが、怨親平等の思想と結びついた観音信仰は、日中友好のプロパガンダとして中国大陸での宣撫工作にも用いられた。「観音世界運動」なるものも推進されたらしい。このあたり、ひとことで善悪を言えないのが厄介なところだと思う。

 戦時下で日本の軍事政策に追随していた日本仏教界は、敗戦とともに思想を転換する。観音信仰も同様で、戦勝観音や護国観音であった多くの観音像が「平和観音」に名前を変更する。従軍経験のある僧侶・吉井芳純は平和観音会を組織し、法隆寺の夢違観音を写した平和観音を数百体(!)制作し、各地の寺院や個人に譲った。最も有名なのは世田谷観音寺の像だという。ああ、ドラマ『悪夢ちゃん』のロケ地になったところだ。現在、吉井が発願した平和観音(世田谷にあるものは、特に特攻隊の死者を祀るもので特攻平和観音という)とは別に、やはり夢違観音を模したブロンズ像が境内の池の中に建立されている。私は2013年の初詣で参拝した。

 戦後は、平和を祈念する多様な観音像(または観音のような女性像モニュメント)が、各地に多数つくられてきた。何度か訪ねており、印象深いのは長崎・福済寺の万国霊廟長崎観音。もと神奈川県民として親しみ深い大船観音は、はじめ護国観音として計画されたが、寄付金不足や敗戦で放置されてしまい、発願の趣旨を「世界平和」や「戦死者慰霊」に変更し、1960年に落慶したという。苦難の歴史であるが、結果的に大船観音や高崎観音は、地域の観光資源の役割も果たしている。バブル期(1980年代)以降になると、慰霊や平和祈念の意義が薄れ、観光施設としての大観音像が建立が相次いだ。しかし、慰霊や祈願などの参拝客を見込めないと、観光だけで維持は難しく、荒廃が避けられないようである。

 一方で観音像(マリア観音)は、硫黄島やサイパン、レイテ島などにも建立され、キリスト教徒や現地の人々にも受容され、仏教の一菩薩を超越した「平和の象徴」になっているという。もともと「変化応身」は観音の属性で、一切衆生を救うため、状況に応じてさまざまな姿に変じて出現する尊格なのだから、この程度の変容、何ら問題ないのかもしれない。南無観世音菩薩。


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