見もの・読みもの日記

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アジアの架け橋/琉球(東京国立博物館)

2022-06-14 21:13:01 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 沖縄復帰50年記念・特別展『琉球』(2022年5月3日~6月26日)

 本展は、アジアにおける琉球王国の成立、および独自の文化の形成と継承の意義について、琉球・沖縄ゆかりの文化財と復興の歩みから総合的に紐解くもので、展示替えを含めて全363件という大規模展覧会である。私は本展の「琉球」が、歴史上の琉球王国(15~19世紀)を指すのか、地域としての琉球列島のことなのか、あまり予習せずに来てしまったので、会場の入口で、あ、これは「琉球王国」の展覧会なのだと理解した。

 第1章は「万国津梁 アジアの架け橋」と題して、琉球王国とアジア各地との交易の様子を紹介する。旧首里城正殿の鐘である『万国津梁の鐘』は、本物を見たのは初めてかもしれない。東シナ海を往来する船(船体に目玉を描いた独特の外観)や、那覇港の賑わいを描いた絵画資料がたくさん並んでいた。「唐船」が唐へ行く船(進貢船)の意味だということを初めて知る。

 文書資料では、島津家伝来の『朝鮮国書』(弘治13/1500年、朝鮮海域で遭難した琉球人を送還する旨)や『弘治帝勅諭』(成化23/1487年、即位に際して琉球国中山王尚真に宛てた勅諭)が興味深かった。古い記録で、宮内庁書陵部所蔵の『漂到琉球国記』(寛元2/1244年、琉球国から宋へ渡り帰国した肥前国松浦の一行の聞き取り資料)も会場の冒頭近くに出ていた。また出土資料では、中国銭や高麗瓦には驚かないが、勝連城跡から、ローマ帝国やオスマン帝国の貨幣が見つかっていることに驚いた。

 第2章「王権の誇り 外交と文化」では、はじめにアジア各地との交易・交流から生まれた書画・工芸品を紹介。このセクションに、旧円覚寺関係の木彫資料が出ていた。『釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩坐像』と呼ばれているが、中尊の釈迦如来には頭部がなく、流麗な衣の襞が痛々しさを増幅させている。ひとまわり小さい脇侍の文殊・普賢も並んでいたと思うが、獅子・白象の印象が強すぎて、肝腎の二菩薩はあまり記憶に残っていない。獅子も白象も頭部がほぼ失われており、白象は『山海経』に出てくる渾沌(帝江)に見えた。獅子は頭部の上顎が吹っ飛び、下顎だけ残っているので、一つ目の怪物が舌を出しているようだ。悲惨な姿なのにちょっとかわいい。これらは江戸時代(寛文10/1670年)の銘があるが、数件の小さな羅漢立像は、清時代と記されていた。セクションの後半は、琉球国王「尚家」に伝わった品々。王冠を楽しみにしていたのだが、残念ながら、展示替えで見ることはできなかった。でもきれいな衣装をたくさん見ることができたので、よいことにする。

 第3章は「琉球列島の先史文化」で、いきなり時代が遡るので、ちょっと戸惑う。先週見てきた国学院大学博物館の展示が、ちゅうどよい予習になった。縄文時代だが縄文のない土器や、ヤコウガイの貝匙(本物)も来ていた。戦国時代の燕国で通用した明刀銭(前3世紀)が出土しているのも興味深い。

 第4章「しまの人びとと祈り」は、再び琉球王国時代に戻るようだったが、ここな歴史を超越した「民俗」のセクションということになるのだろう。一番インパクトがあったのは、大きく引き伸ばされたノロ(女性祭司)の写真だった。Wikipediaに掲載されているのと同じ写真かもしれない。ノロは琉球王府から任命される役職だったので、辞令書が残っている。別のセクションに、ノロの最高位である聞得大君の辞令書も展示されていた(伊江御殿家関係資料)。琉球王国の公文書が仮名書きであることは知っていたが、琉球国王尚家の分家の王族で歴代首里王府の要職を歴任した伊江御殿家(いえうどぅんけ)の資料は漢字が目立った。でも漢文ではないようだった。

 最終章「未来へ」には、工芸品や仏像(旧円覚寺仁王像)の模造復元に加えて、首里城正殿の3D復元モデルが展示されていた。「OUR Shurijo: みんなの首里城デジタル復元プロジェクト」では、国内外の人々が提供した8万枚以上の写真データから、焼失した建物の3Dモデルを復元したという。記憶に残る、正殿2階の3枚の扁額(康煕・雍正・乾隆帝の書)もデジタル復元されていて嬉しかった。屋内外とも自由に写真撮影ができる建物であったことが幸いしたとも言える。

 沖縄、また観光に行ってみたい。それと、私が沖縄の歴史に興味を持った最大要因である、2011年のNHK-BS時代劇『テンペスト』を、この機会に再放送してくれないかなあ。

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