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見もの・読みもの日記

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忘却と再発見/日本人の朝鮮観はいかにして形成されたか(池内敏)

2017-12-04 23:58:27 | 読んだもの(書籍)
〇池内敏『日本人の朝鮮観はいかにして形成されたか』(叢書・東アジアの近現代史 第3巻) 講談社 2017.10

 江戸時代の日朝関係史を中心に16世紀末から20世紀初頭にかけての時期を対象として、日本人の朝鮮観がどのように現れ、推移してきたかを叙述する。おおむね時代順ではあるけれど、漂流民、朝鮮通信使、竹島問題、韓国皇太子の鳥取訪問など、多様なテーマがオムニバス式に積み上げられている。通して読むと「日本人の朝鮮観」がぼんやり浮かび上がってくるのだが、それは、結論を先に言ってしまうと、善か悪かの二分法で処理できるものではなく、固定的なものでもなく、むしろ忘却と再発見の繰り返しであることが感得できる。

 はじめに徳川将軍家の外交姿勢について。将軍は返書に「日本国源某」を用いたが、「日本国王」と記されていないことが朝鮮側で問題になり、国使たちが流罪の憂き目を見た。こうした摩擦を避けるため、日本側では「大君」号を創出した。「朝鮮より上位に立つ意識を表明するため」ではない、と著者がわざわざ断っているところを見ると、そういう解釈をする人もいるのだな。

 また近世日本人が(武士以外も)「武」「武威」を日本の民族的特徴と自認していたという指摘も面白い。蒙古襲来において培われた「日本は神国」という意識は、五山僧を媒介に織豊期の武家政権に流れ込み、「武威」の重視と合体する。勃興する近世都市民衆には、「神功皇后伝承」が広範に浸透した。祇園祭の船鉾の例が引いてあって、なるほどと思った。それから安価な代用品の鼈甲や珊瑚珠に「朝鮮」を冠すると、珍しがって売れたという話。屈託がないといえばそうも言えるが、「朝鮮」=まがいもの意識の発端は、意外とこんなところにあるのではないか。

 「竹島(鬱陵島)」について、本書には二篇の文章が収録されており、同じ著者の『竹島』をおさらいする気持ちで読んだ。著者の整理によれば、やっぱり私は「竹島は昔から日本領」と主張するのは難しいと思う。しかし、日本領でないというのは、朝鮮領であるという意味ではない。歴史が教えるように、資源の共同利用と共存を目指すことはできないものだろうか。あと、著者が厳しく学問的責任を問うている、外務省職員・川上健三の『竹島の歴史地理学的研究』は、逆に批判的に読んでみたくなった。

 「漂流と送還」をめぐる日本人と朝鮮人の直接的な交流は、本書で最も面白く感じたところである。日本に漂着した済州島人は、出身地を詐称する傾向があった。この理由は、済州島の周囲は航海の難所で海難事故が多発した。→他国人は「済州島人に殺された」と誤解しやすかった。→そのため、済州島人は他国人に殺されることを恐れ、出身地を偽った、と説明されており、そんなこともあるだろうと、妙に納得できた。ただし、1880年代には詐称例が消えていく。同時期に、もともと壬申倭乱の記憶に冷淡だった済州島人(戦地にならなかった)が、乱の記憶を自らの歴史に重ね合わせていく傾向が見られ、朝鮮人としての自我意識の獲得が見られるという。

 朝鮮半島に漂着した薩摩藩士・安田義方の話も面白かった。朝鮮側の役人たちとの交流が、彼の日記をもとに紹介されている。特に県監の尹永圭とは、絵画や古典の教養を共有し、うちとけた会話(筆談)を交わす仲となっている。一方、物騒な事件もあった。宝暦10年の朝鮮通信使一行が、帰路、大坂に宿泊していたとき、中級官人の崔天宗なる者が、日本人・鈴木伝蔵に殺害される事件が起きている。これは知らなかった。「朝鮮通信使」といえば、友好の一面が強調されるが、こんな血なまぐさい事件もあったのだな。

 そして、この事件を題材とした「唐人殺(難波夢)」という小説が刊行されている。近世文学・演劇空間における異人の表象については、もっと詳しく知りたい。「国姓爺合戦」は知っていたけど、「天竺徳兵衛」も「朝鮮人の子」であり、そのことが「反逆者としての正当性」と担保していたという(ちょっと興味をもって調べたら、天竺(インド)へ渡り、ガンジス川の源流にまで至った実在の商人だと分かってびっくりした)。

 近代以降については、「鮮人」ということばの由来を探索する。著者は、このことばが蔑称として機能したことを否定するものではないが、全ての用例を機械的に蔑称として扱うことには懸念を表明する。同じ態度は、朝鮮総督府の御用言論人と称される細井肇の評価にも共通する。差別は軽視すべきではない。しかし、差別を批判することに性急になりすぎるのもいかがなものか。そのような教訓として、私は読み取った。そして、忘却と再発見の繰り返しの中で、歴史家は虚偽を排し、真実を保持すべきだが、市井の人々には「忘れる」ことも大事かもしれない、と思った。
コメント (1)
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