見もの・読みもの日記

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海を越えてきた優品/唐物(金沢文庫)

2017-12-12 23:12:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
神奈川県立金沢文庫 特別展『唐物 KARA-MONO-中世鎌倉文化を彩る海の恩恵-』(2017年年11月3日~2018年1月8日)

 鎌倉文化の基層にある大陸への憧憬を国宝、重要文化財など約100点から探る。称名寺、金沢文庫の所蔵品のほか、円覚寺、建長寺、清浄光寺(遊行寺)、神奈川県立歴史博物館、さらには京都の泉涌寺からの出陳もあって華やかだった。

 まず大きなケースには、横浜・龍華寺の『釈迦十八天像』(鎌倉時代)1幅を中央に、称名寺に伝わる青磁の花瓶・香炉、そして六角形+猫脚の花台を組み合わせた、唐物による荘厳の再現。朱漆を塗った花台と青磁の緑の対比が鮮やか。『釈迦十八天像』は、今年11月に横浜市の指定有形文化財に指定されており、ご住職が「今まで重要視されてこなかったことを残念に感じていた。指定されてうれしい」と話している記事(タウンニュース金沢区・磯子区版)を見つけた。私は2015年に一度見ているが、愛らしく美しい仏画である。

 全体に植物のような太いストライプが刻まれた、丈の低い青磁壺(元時代)は「骨壺として称名寺に伝わった」とボランティアの方が解説していたが、この形状を「酒海壺」と呼ぶという説明も付いていた。酒器を骨壺に転用したのなら、それも面白い。南宋~元時代の青磁には、香炉、花生、鉢など各種あり。清浄光寺には、めずらしい青磁人物燭台が伝わっている。両手で肩の上に燭台をかつぎ、顔は釉薬を施さない。時代が下るが、明代の堆朱や堆黒は大好き。幡裂として称名寺に伝わる布片(南宋~元時代)は、緻密な染めのものとおおらかな染めのものがあって面白かった。

 称名寺の『十王図』(元時代)は5幅を展示。「都市大王」の画面に描かれた虎と豹(雌虎)がちょっとかわいい。十王の背後衝立の山水図が見どころのひとつ。神奈川歴博の所蔵する『飯島・和賀江島絵図』は江戸時代のもの(展示は複製)だが、江戸時代にも和賀江島が港として使われていたことが分かる。海岸には民家の屋根らしいものが密集している。

 仏像は多くなかったが、横須賀・清雲寺の観音菩薩坐像(滝見観音、南宋時代)が来ていらした。大きく足を開いた「遊戯坐(ゆげざ)」のポーズ。仏様には失礼だが、ちょっとヤクザで色っぽい。特に横顔がいい。頬はふくよかなのに鼻筋がとおり、目元が涼しく切れ長で、口角があがって不敵に微笑んで見える。私の考える、東洋系の美男の相である。頭部が平坦で、小さな髷が飛び出ているだけなのは少しアンバランスだが、はじめから大きな宝冠がつくことを想定していたのだろう。この観音像は、泉涌寺の俊芿(しゅんじょう)が携えてきたという伝説があるそうだ。確かに泉涌寺の楊貴妃観音のおもかげに少し通じるところがある(同じ宋風ということだが)。そこで泉涌寺から、月蓋長者像や韋駄天像、かつて楊貴妃観音が奉安されていた観音閣の扁額の残欠(近年発見)などが出陳されていた。

 建長寺の仏画『白衣観音像』(元時代)も遊戯坐の一例。ただし、こちらは細身で腕も細く、それに比べて手先や足先が大きいので、アニメ体形に思える。高麗仏画の水月観音と共通するポーズだが、これは全く高麗らしくなく、すごく中国っぽい(個人の感想)。円覚寺の『五百羅漢図』からは、元時代の原品と、室町時代の補作が並んで出ていた。また、個人蔵の元時代絵画『白衣観音像』『観音菩薩像』(劣化が激しい)が出ていたのには、びっくりした。誰が持っているんだ、こんなもの。

 また、最後に明代の色鮮やかな大判の仏画『普陀山観音像』と『菩薩聖衆図』があった。どちらも明・万暦年間の作で、称名寺と金沢文庫の復興に尽力した実業家・大橋新太郎が寄進したものだという。観音の聖地・普陀山(舟山群島)は、明代の初め、倭寇や海賊の横行によって入島が禁じられ、衰退した。その後、万暦帝が諸寺の伽藍を復興し、再び人々が参詣するようになったという。私は普陀山に行ったことがあるのだが、この話、初めて聞くような気がして興味深かった。ありがとう、万暦帝。

 絵画や工芸が面白くて、文書にあまり目がいかなかったが、三井記念文庫の『白氏文集』2種(金沢文庫旧蔵本)や円覚寺の『仏日庵公物目録』も出ている。あと、称名寺聖教の中に、寧波の広利寺や灯心寺で用いられた舎利の礼賛文が書き留められて伝わっているというのが興味深かった。
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