見もの・読みもの日記

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実質GDPはまだ伸ばせる?/人口と日本経済(吉川洋)

2016-10-15 22:27:05 | 読んだもの(書籍)
○吉川洋『人口と日本経済:長寿、イノベーション、経済成長』(中公新書) 中央公論新社 2016.8

 平川克美さんの『喪失の戦後史』をなんとなく読み始めたら、人口動態を指標に戦後史を眺める、という指標が示されていて、おやと思った。そのときは、すでに書店で見つけた本書が気になってキープしていたのである。しかし、平川克美さんが「人口が減少する社会では縮小均衡を上手に生きるしかない」という結論だったのに対し、本書は全く逆の立場を取る。

 はじめに、経済学は人口をいかに考えてきたか、というおさらいがあり、この問題に無知な私にはとても面白かった。18世紀から19世紀前半、ヨーロッパの人口は爆発的に増加した。『人口論』を著わしたマルサスは「人口は制御されない限り等比級列的に増えるが、食料は等差数列的に増えるにすぎない」ことから「人口の増加は必然的に食料により制約される」「食料は増えれば人口は必ず増加する」と説く。そこまではよい。マルサスは、もし食料が人口と同じペースで増加し、貧困が存在しなかったとしたら、人類は怠惰をむさぼり、未開の状態を抜け出せなかっただろう、と考える。不平等は人間社会が進歩するための「必要悪」なのだ。だから、「平等社会」を目指したフランス革命に対するマルサスの評価は、きわめて冷ややかである。

 1920~30年代から、イギリスは人口減少の時代に入った。ケインズは、この長期的な大転換について、放っておく限り、投資は盛り上がりを欠き、経済は不況に陥ること、投資に代わって消費が有効需要を支えなければならず、そのためには、貯蓄をしてしまう富裕層よりも、消費をする一般大衆へ所得の再分配を行わなければならないことを説いた。これはすごく納得できる。

 あと、スウェーデンの人口論として、ヴィクセル(最大の福祉がゆきわたる最適人口を考える)とミュルダール(人口減少をくい止めるための子育て支援策の提案)が紹介されている。

 さて、日本については少し歴史をさかのぼって「日本の都市人口の推移」が面白かった。1878(明治11)年、1920(大正9)年、1985(昭和60)年の日本の都市人口の上位30都市が示されているのだが、東京・大阪・京都・名古屋のように上位に大きな変動はないものの、明治11年に5位の金沢は31位に下落、16位の松江、19位の弘前が、それぞれ140位、115位に下がっている。明治11年だと函館は23位に入っているが、小樽や札幌は入っていないんだな、とか、本書の趣旨とは全く違ったところで、興味深かった。

 日本一国で見ると、明治初期から100年あまりの日本の人口と実質GDPの推移を比較した場合、経済成長と人口はほとんど関係がないという(74頁)。人口も実質GDPも1913年=100とした場合、という折れ線グラフが示されていて、人口はこの100年、目に見える変化がほとんどない(目盛が大きいから)のに対し、実質GDPは350倍になっている、という図なんだけど、これは根拠として妥当なのか? なんとなく感覚的に受け入れがたい。

 経済成長率と人口の伸び率の差は「労働生産性」の成長である。これはいい。100年前に比べて、私達の生活は数百倍の労働生産性を獲得したのだろう。労働生産性の伸びは、おおむね「1人当たりの所得」の成長に相当する。うーん、そうかもしれない。100年前の日本人は、たぶん今の私達ほど、多くのものを消費できる所得を持たなかっただろう。しかし、それで100年前より人々が豊かになったと断言されると、なんとなく納得がいかない。

 著者は、不完全ではあるが1人当たりGDPは「豊かさ」(あるいは厚生水準)の指標になると考える。そうかもしれない。しかし、「プロダクト・イノベーション」(新しいモノやサービスの誕生)によって、本当にまだGDPは上がるんだろうか。古いモノやサービスから新しいモノやサービスに、重要が置き換えられていくだけではないのだろうか。

 戦前の日本人の平均寿命の短さ、郷愁をもって語られがちな江戸時代の実情(栄養状態や衛生状態の悪さ)を例に挙げて「われわれは経済成長の恩恵をもっと素直に評価してよいのではないだろうか」という著者の意見には首肯できる。しかし、もうこのへんで、ミルの唱えた経済的「定常状態」に入ってもいいのではないか、と私は思う。これ以上平均寿命を延ばした「超高齢化社会」なんて見たくもないわ。
コメント (2)
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