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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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進む再評価と疑問/陳独秀(長堀祐造)

2021-08-30 19:48:56 | 読んだもの(書籍)

〇長堀祐造『陳独秀:反骨の志士、近代中国の先導者』(世界史リブレット 人) 山川出版社 2015.10

 中国ドラマ『覚醒年代』の復習として読んでみたら、思った以上にいろいろなことが分かって興味深かった。中国共産党の設立にかかわった陳独秀が、のちにトロツキズムに傾倒したことはwikiで読んでいたが、中共は、トロツキー派が日本軍から金を貰っていたというデマに固執し、戦後も「新文化運動の主将の座を魯迅に、共産党創立者の栄誉を李大釗に担わせることで、陳独秀を歴史からパージしてきた」という。しかし改革・開放以後、徐々に見直しが行われ、「本来あるべき歴史上の地位が陳独秀にも回復しつつある」というのが、本書の刊行された2015年の認識だったようだ。それから6年。著者の長堀祐造先生がドラマをご覧になっていたら、感想を聞いてみたい。

 陳独秀は、清末に安徽省安慶府懐寧県(現・安慶市)の読書人の家に生まれ、科挙の予備試験に合格して17歳で秀才となる。青年時代は、変法派の人々と交わり、日本に留学したり、テロ組織に加入したり、地方政府の要職に就いたり。やがて上海で雑誌「新青年」を創刊し、北京大学に移って新文化運動をリードしていく。ここから五四運動、共産党創設までは、ほぼドラマで描かれたとおりだった。「新青年」創刊号に掲載された六か条の提言とか、演劇の教育的機能を強調したこととか、五四運動の学生たちの座右の銘となった「研究室と監獄」とか。五四運動で逮捕のきっかけとなったビラ撒きの現場が、娯楽場「新世界」の「最も高いところ」だったこと(清水安三が伝聞の記録を残している!)もドラマと一致していた。

 一方、ドラマでは、やや軽い扱いだった「文学革命」が、独秀にとって政治革命と同じくらい重要だったのではないかというのは、本書を読んで感じたところだ。白話文だけではなく、句読符号も「新青年」が提唱・導入したのだな。そして胡適が主に「形式」面改良の提案をしたのに呼応して、独秀は「内容」面での「文学革命論」を発表する。『詩経』『楚辞』の平易直情、元明の戯曲、明清の小説を称賛し、文章は道徳を伝えるものだという「載道説」を退けた。これは独秀が親しんだ近代ヨーロッパ的な文学観からすれば当然のことだが、毛沢東の「文芸講話」やそののちの中共の文芸政策よりずっと進歩的なものと言える。

 独秀は晩年に至るまで音韻学、文字学への関心を失わず、独自の研究を続けた。1929年3月には「中国拼音文字草案」も書き上げていたという(公刊されず)。そのことを知ると、共産党による陳独秀の名誉回復を単純に喜んでいいのか、疑問が残る。彼の多面的な遺産を「建党の英雄」だけに回収するのは、ちょっと料簡が狭いのではないか。

 1921年、共産党の結党ともに陳独秀はその指導者となる。コミンテルンは、中共党員が国民党に加入するというかたちでの国共合作を指示。この変則的な合作はやがて崩壊するが、中共トップの座にあった陳独秀に批判が集中し、1927年、コミンテルンから職務停止の命令が下る。

 その後、独秀は、トロツキーが中国革命について正しい見通しをもっていたことを知り、支持を表明するとともに、中共内部の民主主義の欠如を批判する。しかしスターリン派が実権を握る中共には受け入れられず、中国のトロツキー派自体も分裂し、1932年には国民党に逮捕される。このとき、胡適や蔡元培が救出に動き、章士釗が弁護に立って「陳独秀は国民党の功臣」などと論じたが、独秀は机を叩いて立ち上がり、自らの弁護人に反論したという。笑った~ドラマのキャストで絵が浮かんでしまった。この後半生こそドラマで見たいと思ったが、あと100年くらい経たないと無理だろうか。

 陳独秀の晩年の思想は、私家版的な出版物『陳独秀的最後見解』で知ることができる。民主的価値の歴史的普遍性を説き、プロレタリア独裁がスターリン主義を胚胎したことを批判しているそうだ。胡適は、この書籍から、トロツキー宛書信などマルクス主義堅持を記した数点を削除したものを公刊し、長文の序を寄せて、陳独秀の自由主義者としての側面を再評価しようとした。しかし、著者の見るところでは、独秀は最後までマルクス主義を捨てていない。文学革命の同志である胡適も「自分にとって望ましい陳独秀」だけを見てしまっているように感じた。

 ドラマと本書を通じて、陳独秀という複雑で魅力的な人物を知ることができてよかったが、現代に近い人物ほど、歴史的な評価は難しいということをしみじみ思った。

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価値を生む競争関係へ/日韓関係史(木宮正史)

2021-08-24 22:17:16 | 読んだもの(書籍)

〇木宮正史『日韓関係史』(岩波新書) 岩波書店 2021.7

 韓国関連の本、春木育美『韓国社会の現在』を読んだ流れで、もう1冊。本書は「近代化」から今日に至る日韓関係を分析し、特に1945年以後の「非対称から対称へ」という構造変容に注目する。

 19世紀後半、欧米列強の圧力によって開国した日韓両国は、国家体制の改革と近代化という目標を共有していた。しかし日本は自国の安全保障のため、朝鮮に対する排他的な影響力の確保を目指すことになる。朝鮮にとって日本は、自立的な近代化の可能性を摘み取った張本人と認識されている。

 1945年、朝鮮は日本の植民地支配から解放されたが、韓国と北朝鮮に分断される。1950年代の日韓国交正常化交渉は、なかなか進展しなかった。60年代、朴正煕政権は、経済発展の加速によって北朝鮮に対する劣勢を挽回することを企図し、そのために日本の経済協力を必要とした。日本の池田政権も日本製品の市場として韓国を確保することに利益を見出し、米国も経済発展こそが共産主義の抑制に効果的であるという認識からこれを支援した。そして1965年に日韓国交正常化が達成されたが、「領土問題」と「謝罪」は棚上げにされた。

 70年代には、米中・日中の和解によって、東アジアの国際情勢が複雑さを増す。韓国は、自国の対北政策に先んじて、日朝関係が進展することを容認できなかった(これがよく分からない)。北朝鮮をめぐる日韓の緊張が金大中拉致事件を引き起こし、日韓関係は極度に悪化する。米国は、東アジアの緊張緩和から、在韓米軍の撤退を検討したが、朴正煕政権は、核開発に取り組むことを誇示し、米国が韓国の核開発を認めるか、韓国防衛への関与を続けるかという選択を迫った(そんな外交もありなのか…)。こうした「米韓の隙間風」は、日韓の接近を促すことになる。70年代には日韓の議員外交が活発に展開されたが、市民社会どうしの交流はほぼ皆無で、「先進国」「民主主義体制」の日本と「開発途上国」「権威主義体制」の韓国は非対称だった。

 80年代、全斗煥政権は、対米、対日関係に神経を使ったので、日韓関係における米国の比重が再び高まった。韓国は持続的な経済発展によって北朝鮮に対する優位を確保し、1987年には民主主義体制へ大きく舵を切った。日韓は対称的な関係に移行したが、それは「非対称であったから協力が容易であった」状態から、摩擦や競争を意識する局面に入ったことを意味する。

 90年代から現在までの日韓関係の特徴として、著者は「国力の均衡化」「体制価値観の均質化」「多層化・多様化」「双方向化」の4点を挙げる。もはや日韓は(非対称に慣れた人々には受け入れ難いかもしれないが)対称的で対等な競争関係にある。問題は、競争がお互いの社会にプラスの価値を生み出すよう、コントロールすることである。

 ここで思い出したいのは、1997年、金大中政権と小渕政権の下で締結された「日韓パートナーシップ宣言」である。実はすっかり忘れていたが、本書の引用を読んで、あらためて価値ある遺産だと思った。「国際公共財としての日韓関係」という発想はとてもよい。著者は90年代には、日韓関係にかなり楽観的な見通しを持っていたという。思えば私もそうだった。現実には、その後、歴史問題の拡大再生産によって、政治上の日韓関係はひどく悪化してしまった。しかし、若者を中心に文化コンテンツの共有はますます拡大しており、私は楽観的な見通しを持ち続けたいと思う。

 競争が壊滅的な対立を生まないようにするには、お互いの価値観の違いを理解することも重要だと思う。本書には、日韓の価値観の違いが説明されていて、とても興味深かった。

 たとえば「正義」について。日本では「約束や合意を守る」という「手続き的正義」が相対的に重視されるのに対して、韓国では「弱者、被害者も含めた関係当事者が納得し、その同意を得た」というような「実質的正義」が重視される。また、韓国は政治的変動が激しかったこともあり、国内政治においては旧体制における「不正義」を新体制下で裁くことで「正義」を実現する「移行的正義」が一般的である。日韓関係に関しても、以前の「不正義」を新しい日韓関係で正したいという志向が強い。一方、日本では、第二次世界大戦の前後も含めて、そもそも旧体制と新体制との断絶に伴う「移行期」という発想が希薄であり、まして異なる国家間の関係には適用され難いと考える。

 こうした違いを認め合った上で、どのように競争をプラスの方向に転化していけるかが、両国の政治家と市民の課題になるのだろう。

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禁止と形骸化の歴史/人身売買(牧英正)

2021-08-19 20:49:39 | 読んだもの(書籍)

〇牧英正『人身売買』(岩波新書) 岩波書店 1071.10

 以前から気になっていた名著が「岩波新書クラシックス限定復刊」の帯つきで書店に並んでいたので読んでみた。日本における人身売買の歴史を資料に基づき記述したもの。ただし各時代の記述の厚みは一様ではない。十分な資料が残っている時代と、そうでない時代があるためである。

 古代については意外と詳しい。書紀・続日本紀、それから正倉院文書にも人身売買関連の記録がある。日本の律令制度がモデルとした唐の制度では、人民は「良」と「賤」に分けられ、「賤」のうちは売買してよいが、それ以外の売買は禁止された。しかし日本では、良賤の区別が定着せず、親が子を売ることへの罪悪感は唐制よりも弱かった(刑罰の規定が軽い)。この違い、良し悪しを別にして興味深い。律令法の後、人身売買に関する規制が確認できるのは平安時代末の太政官符になる。平安末から室町にかけて人商人が横行した実態は、説話集・お伽草紙・謡曲などから知ることができる。

 16世紀後半に始まる、南蛮人(ポルトガル人)の日本人奴隷貿易については、初めて知る資料が多く、興味深かった。当初、日本に渡来した西欧人たちは、広く人身売買が行われている社会の実態を見て、日本には法律上の奴隷が存在するものと考えた。だからイエズス会も、ポルトガル商人たちの日本人売買に許可を与える方針をとった。のちに秀吉から「ポルトガル人が多数の日本人を買い、これを奴隷として其国に連行くのは何故であるか」という詰問を受けたコエリョは「日本人がこれを売るから」と答えている。制度と実態の乖離から起こる、こういうディスコミュニケーションは今でもよくある。

 秀吉は全国的な人身売買の禁止令を発出し、江戸幕府もこれを引き継いだ。貨幣経済の浸透も影響し、譜代の下人という奴隷的な身分は徐々に消滅し、年季を限った「奉公」という労働形態が一般化する。なお年季の最長限が10年と定められたのは、御成敗式目で10年を超えると譜代と見なされたことに基づくそうで、現代の有期雇用の無期転換ルールのようで面白かった。

 実態としての奴隷身分が、例外的に残ったのが娼婦(売女)である。本書は、信州追分宿に残された女奉公人の文書の実例を、多数引用しながら解説する。たとえば、父親が一定額の金銭を借り、娘を10年間の質草として奉公に差し出す。債権主は娘をどのように扱ってもよい。債務者である父親は、10年後に借金に利息をつけて返済することで(え~強欲!)、ようやく娘を請け出すことができる。なお、食売女(めしうり女=売女)として奉公すれば、居潰(いつぶし)と言って、年季明けには借金が帳消しになった。だから貧窮に迫られた農民が、金策のため、妻女を一般の下女ではなく、売女として奉公に出すことは選択の余地のない手段であった。女性が自殺した場合は元金の返済が必要で、5割増や倍額とするという定めもある。自殺という逃げ道もあらかじめ封じられているのだ。

 親や家族の危難を救うために身を売る娘の行為が美談とされたことは、歌舞伎や浄瑠璃の演目でおなじみである。売女は固定的な奴隷身分ではなく、無事に年(ねん)が明ければ、結婚もできた。しかし『世事見聞録』(文化年間)の記事等に基づき、本書に紹介されている売女の生活は悲惨である。客の機嫌を損ねれば打擲されたり食を断たれたり、時には責め殺されることもあった。死骸の手足を一緒にくくって犬猫のように埋めるのは、人間に祟ることができないようにするためだという。形式的には契約に基づく奉公でも、実態は奴隷身分であり、人身売買であると思う。

 近代に至り、マリア・ルス号事件(清国人奴隷貿易船事件)をきっかけに、人身売買の禁止と芸娼妓解放令(本書では遊女解放令)が布告されたこと、しかし政府に売色を禁じ遊郭を廃止する意思はなく、娼妓が自由意思による営業者であるという体裁ができればよかったことは、横山百合子氏の『江戸東京の明治維新』等でも読んだ。

 明治5年(1872)の太政官布告は「従来年期奉公等、種々ノ名目ヲ以テ奉公住致サセ、其実売買同様ノ所業」を禁じている。形式でなく実態が「人身売買」に当たる行為を禁じたもので、なかなかいい条文だと思う。しかし、その後、司法省が、売買とはその明証のあるもののみをいう、と後退した指示を出しているのにはガッカリだ。

 戦後、日本国憲法が施行された後になっても、地方的慣行としての「いわゆる人身売買」が問題になっている。「法がいかに詳密になっても、その保護対策がともなわなければ、その響きはむなしい」と著者が述べているとおり、今日の日本でも完全に解決されたとは言えない問題だと思う。

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最も身近な参照例/韓国社会の現在(春木育美)

2021-08-16 19:18:52 | 読んだもの(書籍)

〇春木育美『韓国社会の現在:超少子化、貧困・孤立化、デジタル化』(中公新書) 中央公論新社 2020.8

 韓国へは、2000年前後に3回行ったことがある。その後、しばらく関心が薄れていたので、本書を読んで、変化の速さと激しさにびっくりしてしまった。

 本書は「少子高齢化」「貧困・孤立化」「デジタル化」「教育」「ジェンダー」の5つの視点で、韓国の社会問題、政策とその影響を分析する。最初に著者が述べているとおり、韓国と日本は、共通の問題を多く抱えている。また、韓国法の基礎は日本の植民地時代に整備されたため、法体系がきわめて似ているそうだ。しかし、近年、日本とは異なる政策が次々にトップダウンで実行されている。

 「少子高齢化」では、韓国はとっくに日本を追い越してしまった。2019年の出生率は0.92だという(日本は1.36)。盧武鉉(在任:2003-2008)政権以降、各種の対策がとられてきたが、うまくいっていない。特に著者は、朴槿恵政権の「無償保育」を「典型的なポピュリズム政策」と批判する。韓国は国公立保育園の割合が低く、民間保育に依存していたが、無償化による利用者の増加が、保護者に選ばれるインセンティブの低下と保育ビジネスの乱立を招き、「安心して預けられる保育施設がない」という国民の悩みは解決しなかった。結局、得をしたのは高所得世帯(保育無償化で浮いた分を学習費にまわせる)だけだともいう。

 「デジタル化」の現状には本当に驚いた。ICT化推進の立役者となったのは金大中(在任:1998-2003)である。紙の書類をデジタル化するための行政情報データベース構築作業に延べ10万人を超える若手失業者を短期雇用したとか、国会図書館収録の国会議事録、統計資料や論文なども一斉に電子化されたとか、羨ましすぎて涙が出る。学校教育では、全国どの学校の教員にも1人1台のPCなどの機器整備だけでなく、韓国教育学術情報院が、質の高い教育用デジタルコンテンツを無償で大量に提供し、機器操作やデジタル教材の利活用について、不慣れな現場の教員をサポートする常勤のアシスタントが各学校に配置された。「こうした手厚い支援策にも予算を惜しまないのが、韓国の強みだ」という著者の評価に(我が国と比較して)言葉もない。

 韓国では住民登録番号を通じて、行政、医療、教育、銀行、クレジットカード利用歴まで個人のあらゆる記録が一元管理されており、いまだ紙社会に生きている日本人には夢のような行政サービスが実現している。もちろん弊害もあり、情報漏洩事故も何度か起きているが、そのたびに法改正や対策がとられている点は、日本でも参考にしてほしい。個人的には「eプライバシー・クリーンサービス」(住民登録番号や携帯電話などを入力すると、自分がこれまでに加入したサイトの一覧が表示され、脱退手続きができる)が日本にも欲しいと思った。

 「教育」(特に高等教育)については、日本と類似の経験が多いと感じた。李明博政権は英語の「読む、聞く、話す、書く」の4技能を測る新テスト(記述式を含む)を開発し、大学入試に導入しようとして失敗した。日本で同じことが起きる6年前のことだ。失敗の原因は、時間をかけて取り組まなければならない難事業だったにもかかわらず、李明博が自分の在任期間中に結果を出すよう急いだことにあると著者は分析する。本書を読むと、社会問題には、スピード重視でインセンティブを煽り「走りながら考える」韓国式の対応が適している局面と、そうでない局面があることが分かる。

 また2000年以降、政府は留学生誘致のため、英語講義比率を大学の評価基準に盛り込み、各大学は競って英語講義の拡大に乗り出した。しかし学生も教える側も英語講義の満足度は低い。これも日本の大学の話を聞いているかのように感じた。あと、海外留学に行く学生が多く、留学に来る学生が少ないと、外貨流出で国が貧しくなるという経済的デメリットは、考えたことがなかった。だから日本でも韓国でも、政府は(来る)留学生の獲得に熱心なのか。

 最も悩ましく感じたのは「ジェンダー」について。女性の社会進出、政治参画、賃金格差の是正等は、少しずつではあるが(日本よりは)成果を挙げている。2010年代後半からは、若い女性を中心とする「フェミニズム・リブースト」運動も起きている。一方で若い男性にはフェミニズムに対する拒否反応が強い。ジェンダー平等を掲げる現・文在寅政権の支持率は、20代では著しい男女差が見られるという。日本でも同様の分断の兆候は感じるが、好ましいものではない。日本と韓国が、それぞれの社会の分断や格差を乗り越えるために、互いの経験を参照し、うまく活用できたらよいのに、と思う。

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新聞報道と流言/関東大震災「虐殺否定」の真相(渡辺延志)

2021-08-11 14:38:57 | 読んだもの(書籍)

〇渡辺延志『関東大震災「虐殺否定」の真相:ハーバード大学教授の論拠を検証する』(ちくま新書) 筑摩書房 2021.8

 著者は主に歴史分野を対象とするジャーナリスト。知人の学者から、ある論文のレビュー(書評)を書いてほしいとの依頼を受ける。論文の著者は、ハーバード大学ロースクールに籍を置くラムザイヤー教授だった。昨年「慰安婦は合意契約した売春婦である」という趣旨の論文を発表し、論議を呼んだ人物である。ただし本書で取り上げるのは慰安婦論文ではなく、関東大震災における朝鮮人虐殺に関するものだ。

 その論文は「Privatizing Police: Japanese Police, the Korean Massacre, and Private Security Firms(警察の民営化:日本の警察、朝鮮人虐殺、そして民間警備会社)」(The Harvard John M. Olin Discussion Paper Series:1008, 2019/06)というもので、本書は、かなり丁寧に内容を紹介している。私の理解では、「公共の治安は公共財であるから、国家は基本的な治安サービスを公費で住民に提供する」「機能不全に陥った社会では、政権が治安装置(警察)を利用して自分たちの利益を引き出そうとすることもある」「機能不全に陥った社会では、人々は、公共の警察が提供する治安を補完するために(あるいは公共の警察から自分を守るために)追加的な治安を購入する」という論旨らしく、この見解に異論はない。

 論文は、はじめに治安装置としての警察の機能を解説し、明治維新以降の日本の歩みを簡単に紹介する。それから関東大震災における自警団の治安維持活動、その結果として発生した朝鮮人虐殺について論じ、最後に戦後日本の警備産業について述べる。正直、この紹介を読んでも、関東大震災に関する記述(分量的には論文の過半を占める)が、冒頭の論旨とどうつながるのか分からなくて、ぽかんとしてしまった。

 本書の著者も同じように感じたらしい。さらに大きな問題は、ラムザイヤー論文が「朝鮮人が放火をした」「井戸に毒を投げ入れた」等の流言を「嘘ではなかった」ものとして扱っており、虐殺を「正当な自衛行為」とみなす余地を与えていることである。これについて著者は、2008年に内閣府・中央防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」(※資料)がまとめた報告書をラムザイヤー論文が参照していないことに強い疑義を呈している。この報告書の存在を私は初めて知ったのだが、「本事業の目的は歴史事実の究明でなく、防災上の教訓の継承である」ことを基本姿勢とした意義深いものである。内閣府もいい仕事をしているのだな(福田内閣時代の仕事らしい)。

 続いて著者は、ラムザイヤー論文が引用した当時の新聞記事を検証していく。「長野」「高崎電話」などの短いクレジットから、記事の情報源と伝達ルートを推測し、信頼性を評価する試みには、著者の記者経験が活かされており、興味深かった。震災直後、鉄道の線路に沿って全国を結ぶ通信網(東海道線と中央線は不通だったため、信越線の回線が頼り)が大きな役割を果たしたことを初めて知った。

 当時の新聞報道については「関東大震災下の『朝鮮人』報道と論調」(三上俊治、大畑裕嗣、1986-87、東京大学新聞研究所紀要 35-36)という研究がある。1088件の新聞記事を東大の大型コンピュータで集計、分析したものだ。その結論は、新聞が、流言を事実であるかのように報道して読者に誤った状況認識を植え付けただけでなく、事実無根の流言と判明した後も、これを積極的に打ち消し、読者に正しい認識を与えようとする努力を示さなかった等々、きわめて厳しい。なお、仙台に本社を置く河北新報は「朝鮮人による暴行」流言記事の割合が全国平均を大きく上回っており、東京からの避難民の談話に取材したことと関係づけられているのも興味深い。

 著者は、自らの不明を恥じつつ、三上・大畑論文を「これまでに読んだことはなかった」ことを率直に告白している。その背景には、虐殺事件に対する日本社会の関心の乏しさ、理解しがたい残虐さから目をそむけたいという欲望があるのだろう。この点を、戦友会=兵士の戦場体験を封じ込める仕組みからの類推で論じた箇所にも考えさせられた。

 あと個人的な感想としては、いま大学の紀要類はオープンアクセスで入手できるのが標準と思っていたので、新聞研究所紀要のバックナンバーがネット上に公開されていないことが地味にショックだった。人文社会科学分野では、過去の研究成果にも価値あるものが多いと思う。もっと公開を進められないものだろうか。

 なおラムザイヤー論文は、その後、大幅に改訂されたものが別の媒体に掲載され、本書に紹介された版はネット上では入手不可(コピーリクエストは受付)になっていることを付け加えておく。

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絆(ほだし)の物語/高木和子『源氏物語を読む』

2021-08-10 14:29:26 | 読んだもの(書籍)

〇高木和子『源氏物語を読む』(岩波新書) 岩波書店 2021.6

 著者は源氏物語についての著書が多数ある専門家だが、本書は何か独自の見解を強く主張するものではない。原典のストーリーを分かりやすく丁寧にたどることに徹し(この態度が素晴らしい)、最後に研究者として、控えめにその魅力を解説するにとどめている。

 重要な場面では、数行程度の原文や和歌が引用されている(ただし表記は濁点あり・適宜漢字を用いた読みやすいかたちで)が、面倒であれば、古文を読み飛ばしても、全体像の理解には差支えない。好きな人は、自分なりに原文の味わいを確かめることもできる。また、新しい研究成果や研究者間で意見が分かれている点も説明されており、巻末の参考文献一覧で、原典の研究論文にあたることもできるので、すでに源氏物語を何度も熟読している愛好者にも役立つと思う。また個人的には、『源氏物語絵巻』でよく知られる場面の解説が嬉しかった。

 私は大学時代に国文学を専攻し、むかし高校で古文の教師をしていた必要もあって、源氏物語の簡訳本は何度か読んでいる。全訳は、玉上琢弥氏訳注の全10巻本(角川ソフィア文庫)を、光源氏が退場する第7巻まで読んだが、そこで止めてしまった。それもかなり以前のこと(2004年)なので、かなり忘れている。最近は、源氏物語を題材にした美術作品を見ても、これは何の場面?というのが、なかなか解読できなくて、歯がゆい思いをしていた。やっぱり源氏物語は、平安文学だけでなく、それ以降の日本のあらゆる芸術分野の基礎教養だと思う。

 久しぶりに源氏物語の世界に浸って、新鮮に感じたことがいくつかある。むかしの私は、「一人の男主人公と多数の女性たち」という世界が、実はよく分からなかった。江戸の大奥を舞台にしたドラマとか、あったのかもしれないが、あまり若い女性の嗜好に入ってくるものではなかったと思う。今回、本書を読みながら、中国の宮廷ドラマ『瓔珞』や『如懿伝』、ちょうど最近まで見ていた『明蘭(知否知否応是緑肥紅痩)』などを思い出すことが多かった。最愛の紫の上がいるのに、ほかの女性に心動かされる源氏の「悪い癖」は、宮廷ドラマの乾隆帝みたいである。また、本書は女房など「端役たちの活躍」にしばしば言及しているが、これも中国ドラマに登場する宮女や嬤嬤(年長の宮女)を思い出した。あと主君の男女と相前後して、それぞれの従者の男女が恋仲になるのも、ドラマでよく見た光景である。

 光源氏については、東宮に入内予定だった、右大臣家の六の君・朧月夜と一夜を過ごしたことが、右大臣家の計画を狂わせ、結果的に政局をゆるがせたという指摘が、あらためて興味深かった。恋の物語は、政治の物語としても読めるのだ。源氏が明石での不遇の時代を終えて帰京した後、誠実に待ち続けた末摘花や花散里が幸せを得るのに対し、右大臣家におもねって離反した人々は苦い報復を受けており(空蝉もその一人)、善因善果、悪因悪果の説話仕立てであるということも気づいていなかった。

 また、この物語世界には、すでに故人である「先帝」が設定されており、桐壺帝が藤壺中宮を、朱雀帝が藤壺女御(女三の宮の母)を入内させ、光源氏が藤壺、紫上、女三の宮と先帝系の血脈に執心することに、「滅びゆく王統の者への憧憬と鎮魂と救済の物語としての骨格」が見出せるというのも興味深い。

 当時の人々にとって「救済」を分かりやすく目に見えるかたちで表すのが、出家であったろうと思われる。しかし、多くの登場人物の出家が語られる中、光源氏は出家に心ひかれながら、思いとどまる。紫の上への執着(源氏は紫の上の出家を許さない)と、薫の行く末を案ずる気持ちが理由として示される。本書は、これを「絆(ほだし)」という言葉で説明する。「絆(ほだし)」の委譲と積み重ねで進んできた物語の最後に、人々の「絆(ほだし)=束縛」をすべて代わりに担うところに晩年の光源氏の主人公性があるという。主人公性、すなわち王者の役割と言い換えてもよいと思う。能動的に全てを切り拓いていくのが主人公だという近代の文芸観に染まり過ぎていると、こういう古い物語の構造が見えにくいことを思った。

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カリスマと信徒たち/毛沢東論(中兼和津次)

2021-08-08 21:36:45 | 読んだもの(書籍)

〇中兼和津次『毛沢東論:真理は天から降ってくる』 名古屋大学出版会 2021.4

 毛沢東とは何者か。彼の行動と思想の根幹は何か、現代中国に何を残したのかを、論理的・客観的に説明することを本書は目指す。ただし毛沢東の評伝ではないので、彼の生まれ・育ちを細かく追うことはしない。

 はじめに「毛沢東哲学」の代表的な著作「矛盾論」と「実践論」を分析し、その論理的な落とし穴を指摘する。最も重大なのは「真理の基準を実践のみに求めること」で、これが軍事戦術なら、成功した作戦は正しかったと言えるだろう。しかし経済・政治などの社会現象は、そのように単純ではない。にもかかわらず、革命に勝利したことをもって、毛の哲学は「正しい」こととされ、共産党の幹部から庶民まで、誰も反対することができなくなってしまった。

 興味深い一挿話として、著者は、もしも魯迅が新中国設立後まで長生きしていたら?という大胆な仮説を提示する。実は、1957年に毛沢東にこの質問をぶつけた文学者がおり、毛は(魯迅は)囚人になるか、沈黙するか、どちらかだったろうと答えている。そして本書は、実際に毛沢東を批判したことにより、反革命分子とみなされ打倒された二人の知識人、梁漱溟と胡風の例を挙げる。おそらく魯迅なら、もっと激しく毛沢東と衝突しただろう。そして毛は、ちゃんとそのことを分かっていたというのが味わい深い。

 次に著者は、毛沢東の実際の政策「反右派闘争」「大躍進」「文化大革命」の経緯を追いながら、毛がどのような哲学(または政治経済学)に基づいて行動していたか、周囲の人々、劉少奇や彭徳懐、鄧小平、周恩来らが、なぜ毛の暴走を泊められなかったかを考える。特に悲劇的だったのは、大躍進政策と、それに煽られた人民公社制度であるという。

 毛が、革命根拠地での平等主義の成功体験が忘れられなかったらしいというのは分かる。マルクス主義というより「大同思想」(分配における平等主義で、権利と義務の平等ではない)に憧れていたことも分かる。一方で毛は「半分の人間を死なせ、残りの半分が十分食べられた方がいい」と公言していたともいう。これは近代民主主義の価値観では絶対に許されないが、それだけに恐ろしく引力のある発言だ。こういうところ、毛はマルクスではなく、中国の歴代の皇帝から学んでいるのだと思う。あるいは生まれもってのカリスマ性かもしれない。

 終章で著者は、マックス・ウェーバーの論を引いて、カリスマ的支配とは「非日常的な能力」であるという説明をしている。経済に関する知識、実務能力、人間性などでは、毛沢東より優れた指導者はいた。毛沢東哲学の「怪しさ」に違和感を持っていた人々もいたはずである。しかし彼らは教祖を信じ続けた。キリスト教徒が神を信じるように。

 大躍進から文革へと続く大混乱で中国が崩壊しなかった理由は、もちろん毛のカリスマ性だけではない。より具体的な理由として、著者は第一に、庶民が制度の裏をかくような行動で生存水準を保全したこと、それから、毛が軍隊だけはしっかり掌握していたことを挙げている。

 著者は毛沢東評価の総括を「私には彼が『偉大な』人物だとはどうしても思えない」と結んでいる。近代的な評価軸から見ればそうだろう。しかし私は、ずっと毛沢東という人物に魅力を感じている。本書には、毛沢東がとっかえひっかえ、若い女性との情事に耽っていたことについて、道教の教えに基づく、健康・長寿のための性的実践だったのではないかという説を紹介している。こういう反近代性・反倫理性も含めて、毛沢東はおもしろいのだ。

 また、鄧小平や周恩来の評価も面白かった。鄧小平の経済学は「大きな道理やスローガンはなく、詩のような言葉もなく、花のような理論もない」と評されているそうだ。「もともと勉強家ではなく(中略)マルクスやエンゲルスがどのように言っていたのか、大して関心がなかったようである」には笑ってしまったが、理念や思想に無頓着だったからこそ、中国経済の高速発展を実現できたとも言える。鄧小平のこういう気質には親近感を感じる。また、周恩来が「全力を尽くして毛にかしづいた」という表現にぞくっとなった。儒教における君臣関係というのは、どんなに融和的に見えてもそういうものなのだろう。

 さて、最後に現在の習近平体制について、著者の言うとおり「今日の中国指導部は毛の遺産をしっかり受け継いでいる」のは間違いない。しかし習近平に毛沢東のカリスマ性はないと思うのだ。中国、どうなるかなあ。

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善意の可能性/チャリティの帝国(金澤周作)

2021-07-16 15:58:24 | 読んだもの(書籍)

〇金澤周作『チャリティの帝国:もうひとつのイギリス近現代史』(岩波新書) 岩波書店 2021.5

 イギリスでは、弱者を救済する活動がきわめて活発で、自然なものとして社会に深く根付いている。それは、たまにイギリス王室関連のニュースに接しているだけの私でも、うすうす感じていたことだ。

 「困っている人に対して何かしたい」「困っている時に何かをしてもらえたら嬉しい」「自分のことではなくとも困っている人が助けられている光景には心が和む」。この3つの気持ちは、チャリティという活動を生み出す普遍的な原動力と言える。だが、チャリティの実態を歴史に沿って見ていくと、この後に続く「ただし」「しかし」という留保の内容が、時代によって少しずつ変化していく。

 古代ギリシア・ローマでは、市民の善行の対象は同じ市民に限られ、善行によって称賛を得ることが美徳と考えられた。中世には、死後の救済を得たいという気持ちを核に、善行の対象は万人(ただし異教徒を除く)に拡大し、キリスト教的チャリティが完成した。近世に入ると、公的な権力の責任による救貧が制度化されるとともに、所属する社会の秩序維持のため、私人主導の多様なチャリティが実践されるようになった。

 近現代のイギリスでは「自助」が称揚され、多くの人が他人に依存しない独立した生を目指した。しかし不況や老齢で自助が破綻した場合は、友愛組合や協同組合による互助・共助がセーフティネットとして機能した。それでもリスクを乗り切れなかった場合、次のセーフティネットがチャリティだった。慈善信託、篤志協会などに加え、長期間にわたり地域共同体で実践されてきた慣習的なチャリティ(落穂拾い、トマシング=聖トマスの日の物乞い)が紹介されているのが興味深い。また、イギリスでは、早い時期から全国規模で公的救貧の制度が整えられたが、人々が公的救貧を忌避し、なんとかチャリティまでのセーフティネットに留まろうとしたというのも特徴的に思える。

 19世紀のチャリティは、驚くほど多様な展開を見せる。貧しい既婚女性の分娩を助ける産科チャリティ(未婚女性は対象外)、ガヴァネス(女性家庭教師)慈恵協会、船乗りの救助や支援を行うライフボート協会、北アフリカのイスラム諸政体で虜囚となったイングランド人の買戻し支援団体。これらは「ヴィクトリア時代的道徳」の反映であり(特に女性に関して)、全般的に「自由主義資本社会にとって有用な人々を救う」ことを目的としていた。

 他方、救済に値しない不良貧民は徹底して排除された。物乞い撲滅協会という団体は無心の手紙(ベギング・レター)の真贋を見抜く活動に力を入れた。有用な弱者には手厚くし、無用な弱者は切り捨てたいという選別への熱意は、いまの日本社会に限ったことではないのだなと思った。

 それから投票チャリティ(寄付者が投票で受給者を選ぶ)など、エンターテイメントとして工夫を凝らした活動が行われていたことも興味深い。チャリティ団体は「悲惨」と「救済」をパッケージ化し、寄付者市場に提供する。広告、プロモーション、マーケティングは大切で、競争に敗れれば退場しなければならない。需要の高い分野には類似の団体が参入してくる。そのダイナミクスは、一般の購買者市場と変わるところがない。現在のクラウドファンディングの源流が分かった気がした。

 この時代、チャリティの活況は国外にも拡大した。確かにイギリスは奴隷貿易の廃止を推進し、キリスト教の宣教とともに医療や教育を植民地等に提供したが、現代の目で見れば、文化帝国主義の批判を免れない。しかし当時の人々は「博愛の帝国」という祖国像をナイーブに信じていた。また著者は、イギリスのチャリティの資金源の問題について、奴隷商人のコルストンと武器製造業者のアームストロングを取り上げる。彼らは同時に際立った慈善家でもあった。

 20世紀に入り、第一次大戦の休戦直後に誕生した「セーブ・ザ・チルドレン」は本格的な国際人道支援の起源に位置づけられる。階級、人種、政治、信仰に関わらず、したがって旧敵国の子どもをも救済しようという運動が、当初猛烈な反対にあったというのは、ここまでのチャリティの歴史を読んでくるとよく分かる。一方で、この運動が、巧みなPR戦略と「帝国としての国際的責任」を強調して成功したことも納得できる。

 20世紀後半、イギリスが「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家を標榜する間、チャリティは存在感を失っていた。しかし80年代以降、もはや福祉国家が立ち行かなくなる中で、再びチャリティに対する期待が高まっているという。過去の歴史は、よいことばかりではないけれど、こうした連帯の伝統を持ち、それを時代に合わせて柔軟にアップデートしていけるのはうらやましいと思う。

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若者の下町/特集・深川、清澄白河他(雑誌・散歩の達人)

2021-07-09 20:21:22 | 読んだもの(書籍)

〇『散歩の達人』2021年7月号「深川・清澄白河・門前仲町・森下・木場」 交通新聞社 2021.7

 第一特集が私の住む深川周辺なので買ってみた。都心の大規模書店で見つけて、お!と思ったのだけど、これは地元で買おうと思って、門前仲町の小さな書店で購入した。「"自由"があふれる粋な下町」あるいは「いつも先進的下町へ」「新旧入り交じるユニークタウン」などのキャッチコピーが使われているが、どちらかといえば「旧」よりも「新」に重点を置いた誌面づくりかなと思う。

 東京育ちの私にとって、深川や門前仲町といえば、古きよき下町情緒や江戸情緒と結びついた地名だった。ところが数年前に引っ越してきたら、確かにそうした要素もあるものの、おしゃれなカフェや若者好みのセレクトショップが街のあちこちにあって、古い先入観を壊された。特に清澄白河エリアの発展ぶりは、陣内秀信さんの『水都東京』でも紹介されていたところ。本誌も、登場する人々(主にお店のオーナー)が全般的に若い上に女性が多くて、感慨深い。

 もちろん、写真家・大西みつぐさんの「私の1960s 深川記憶地図」や、深川生まれの俳優・寺島進さんのインタビューなど、昭和の深川への目配りも忘れられてはいない。私は母の実家が森下にあり、物心ついた頃から遊びに来ていたので、こうした記事には古い記憶を揺り覚まされるところがある。

 門前仲町に住んで5年目になるが、掲載されているお店は圧倒的に知らないところが多かった。日々の生活圏から、わずか道一本先に、こんなスポットがあるのかと驚いた情報もあった。この4月から時間に余裕ができたので、遠くも近くも積極的に歩き回ってみたい。

 第二特集は「東京台湾散歩」で、これも本号を購入する決め手になった。2016年からほぼ毎年行っていた台湾旅行は、2020年の正月を最後に途絶し、いまだ再開の目途も立っていない。その一方、現地感あふれる台湾スポットが東京に増えているのは嬉しいことだ。本誌では、魯肉飯や豆花など台湾グルメのお店に加え、新大久保にある台湾媽祖廟(知らなかった)や日本橋の誠品書店も紹介されている。

 あと「東京⇔台北鉄道駅フンイキ比較」は、かなり無理矢理な記事だけど、相当な台湾マニアが書いているのが分かって楽しかった。ああ~日比谷駅=台大医院駅ね(二二八公園と日比谷公園、総統府と国会議事堂のなぞらえが巧い)。水天宮前駅=行天宮駅も好きだ。

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破壊の物語化/廃仏毀釈(畑中章弘)

2021-07-05 20:58:59 | 読んだもの(書籍)

〇畑中章宏『廃仏毀釈:寺院・仏像破壊の真実』(ちくま新書) 筑摩書房 2021.6

 「廃仏毀釈」というキーワードは、中学校か、もしかしたら小学校の社会科でも習ったかもしれないが、具体的な関心を持つようになったのは、趣味で仏像を見るようになって以来、特に安丸良夫氏の『神々の明治維新』を読んで以来である。

 はじめに本書は、一般に「神仏習合」と言われる、神と仏の共存状態について解説する。神が仏に従うにあたっては三つの考え方がある。(1)神は仏の救済を必要としている。(2)神は仏を守護する存在である。(3)神は仏が衆生救済のため姿を変えて現れたものである。(1)(2)は奈良時代に生まれ、(3)はやや遅れて平安時代に生まれた。神宮寺の初見は藤原武智麻呂が霊亀元年(715)に建てた気比神宮寺であり、天平勝宝元年(749)には宇佐八幡神が東大寺の大仏建立を守護する託宣を下したなどの記事を読むと、「神仏習合」思想が、古くから日本人の宗教観の根本であったことを感じる。中世には「習合」の理論化や体系化が進んだ。近世には、民衆が寺院の檀家制度に組み込まれる一方、修験道が生活に浸透し、人々はこだわりなく神や仏を信仰して各地の霊場を巡拝した。

 本格的な「廃仏毀釈」は、慶応4年(1868)の神仏分離令(神仏判然令)から始まる。本書は、滋賀県の日吉社、薩摩藩、隠岐諸島、長野県の松本藩と笛木藩、奈良、京都、鎌倉、伊勢、諏訪、大阪の住吉大社、四国、吉野、出羽、戸隠、立山、白山、富士山、箱根、伊豆、神奈川県の大山、香川県の金毘羅大権現(金刀比羅宮)、京都山崎の天王山、東京の八王子、京都祇園社(八坂神社)など、各地の事例を具体的に紹介する。安丸氏の『神々の明治維新』や鵜飼秀徳氏の『仏教抹殺』と重なる話もあり、初めて知る話もあった。

 ただし著者は、仏像を土足で蹴ったり弓矢で射たりなどの「暴挙」に関しては「伝聞・伝承に基づく誇張や脚色が少なくないように思われる」という慎重な留保をつけている。実際には、場所を移して守られた仏像・寺宝も多い。廃仏を率先した民衆がいる一方で、偶像を守り続けた人々もいた。廃仏毀釈をめぐる伝承の物語化も「したたかな抵抗」だったかもしれないという疑問を本書は投げかける。

 いまちょうど東博に来ている奈良・聖林寺の十一面観音は、三輪明神の神宮寺「大御輪寺」の本尊だったもので、「路傍にころがしてあった」(和辻哲郎・古寺巡礼)とか「神宮寺の縁の下に捨ててあった」(白洲正子・十一面観音巡礼)と言われているが、「こうした証言は、現在では廃仏毀釈の惨状を伝えるために、脚色されたものだと考えられている」そうだ。聖林寺の当時の住職・大心が三輪流神道の正式な流れを汲んでいた(このことは聖林寺のホームページも記載あり)というのも興味深い。また、大御輪寺で十一面観音の左脇侍だった地蔵菩薩像は法隆寺に移されており、東博で同時開催の『聖徳太子と法隆寺』に来る(前期)地蔵菩薩像がこれではないかと思われる(※補記あり)。なお、興福寺の五重塔が売却されかかった(値段は諸説あり)とか焼き払われる寸前だったというのも「伝承」であるとのこと。面白い話ほど、疑ってかからなければいけないのである。

※本書には、いろいろ興味深い仏像・神像が紹介されている。特に気になったものをメモ。

・福井県越前町の八坂神社の十一面女神坐像…神仏習合を視覚化。

・安倍文殊院の釈迦三尊像…妙楽寺(現・談山神社)の本尊・阿弥陀三尊だったもの。

・談山神社の如意輪観音坐像…同神社に残る唯一の仏像。秘仏で毎年6~7月に公開。

・諏訪市の仏法紹隆寺の普賢菩薩騎象像…諏訪大明神御本地として信仰されていた諏訪大社上社神宮寺の本尊(写真あり、大作!)

・戸隠神社…2003年から式年大祭の期間中に、長野市や千曲市の寺院に分散した仏像を宝光社に集めて「離山仏里帰り拝観」を実施。善光寺の木造勝軍地蔵騎馬像もその一例。

・愛知県設楽町の長江神社の牛頭天王像…2019年発見。「牛頭天王」と「権現」は神仏分離令で槍玉に挙げられ、最も大きな影響を被った。

・愛知県碧南市の海徳寺の阿弥陀如来坐像…伊勢神宮の神宮寺の本尊。海を渡って守られた。

※7/12補記:法隆寺・大宝蔵の地蔵菩薩像(大御輪寺旧蔵)は『国宝 聖林寺十一面観音』展に出陳されており、法隆寺・聖霊院の地蔵菩薩像が『聖徳太子と法隆寺』展に出陳されることを確認。

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