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見もの・読みもの日記

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五輪のあとさき/東京復興ならず(吉見俊哉)

2021-07-01 20:11:58 | 読んだもの(書籍)

〇吉見俊哉『東京復興ならず:文化首都構想の挫折と戦後日本』(中公新書) 中央公論新社 2021.6

 東京という都市の成り立ちについて、特に戦後の都市計画の中で実現したものとしなかったものを考える。本書は、まず戦争末期、米軍による空襲で焼け野原となった東京に私たちを連れていく。路上にはおびただしい数の焼死体。こんな生々しい「空襲被害写真」が残っていることを私は知らなかった。けれども終戦を境に、あっけらかんと明るい日本の戦後が始まり、「聖戦」に代わる呪文「復興」に人々は熱狂する。そもそも「復興」とは「一度衰えたものが、再び盛んになること」(ルネサンス=文芸復興)であり、「以前よりよくなること」を含意しない。しかし近代日本では、この言葉は「成長し膨張する都市」という都市観に絡めとられ、「もっと良くなる」ための成長・再開発を意味してきた。戦後東京は、成熟としての「復興」をいまだ獲得していないと著者は考える。

 敗戦直後の日本には、現在と異なる「復興」の可能性があった。たとえば「文化国家」ブーム。だが、戦後の知識人たちは、文化を国家から切り離すことに熱心だった(その気持ちは分かる)。国家の側も「経済・技術復興」路線が固まるにつれて「文化」をかえりみなくなり、多くの日本人がこれに追随した。「文化国家」ブームを語る逸話として興味深いのは、憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」が、GHQ草案にはなく、日本側の働きかけで入った文言であること(この件、複雑な背景があり、単純に評価できないことは本書を参照)。

 「文化国家」構想と連動し、東京の復興を「文化首都」の建設事業として推し進めようとしたのは、東京都の都市計画課長・石川栄耀である。石川は「帝大と上野」「早稲田と目白台」「三田と芝」「神田」「大岡山」に、ケンブリッジやオックスフォードのような、大学を中心とした文教地区をつくることを構想し、各地区の大学が具体化に取り組んだ。東大では、南原繁総長の下、建築学科の助教授たち(その一人が丹下健三)が中心となり、計画を策定したが、あまりにも大胆かつ理想的すぎて実現に至らなかった。せめてその「何十分の一か」でも実現させようというしぶとさが足りなかったことを著者は惜しんでいる。

 1950年代半ば、東京の都市計画の先導役は、石川栄耀から山田正男に交代する。山田は、石川の文化都市構想を引き継がず、道路中心の「オリンピック都市・東京」の構想に切り替えていった。高度成長に向かう東京にとって現実的な選択と言える。その結果、首都高速道路と新宿副都心の建設と引き換えに、東京は多くの中小河川と水辺の風景、そして都電を失った。もちろん、当時、東京の過密交通の解決は喫緊の課題だったし、石川の文化都市構想を握り潰した上司・安井誠一郎都知事の「今は一人の都民も(食糧不足で)死なさぬことだ」という決意はもっともで、単に懐古的なセンチメンタリズムで批判してよい問題でないことは分かる。

 その後、1970年代末から80年代初めのわずかな間、日本人が再び「文化」や「心の豊かさ」とは何かを考えようとした時期があった。その一例が、1979年の大平正芳首相の施政方針演説である。そのころ、私は高校生から大学生で、大平演説は覚えていないが、世間の風向きが微妙に変わった雰囲気は覚えている。しかし、続く中曽根政権は「たくましい文化」という怪しいキャッチフレーズを掲げ、再び「経済」重視、さらに「文化」の産業化を推進する。なるほど、ここから80年代、企業が「文化(むしろ横文字のカルチャー)」を先導する時代が始まるわけか。

 以後、バブル期もバブル崩壊以後も、日本政府と東京都は「世界都市・東京」を目指して都心や臨海部の開発を強力に進めてきた。彼らが信奉するのは、ビッグイベントの招致によって社会資本の整備が進み、経済成長を生み出すという「お祭りドクトリン」で、その果てに2020年五輪がある。今年(2021年)東京五輪が開催されてもされなくても、東京の「復興」はないだろう。経済的な面でも、まして文化的成熟という意味でも。東京の「文化的焼け野原」状態は今も続いている。著者が提唱する「未来のために過去とのつながりを再生させていく都市」としての東京、局地的に実験的な試みは、いくつか立ち上がっていると思うのだが、もう少し大きな方向転換を、私が生きているうちに見ることができるだろうか。

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王政復古の混乱を経て/氏名の誕生(尾崎秀和)

2021-06-24 21:32:00 | 読んだもの(書籍)

〇尾崎秀和『氏名の誕生:江戸時代の名前はなぜ消えたのか』(ちくま新書) 筑摩書房 2021.6

 SNSで評判を見て読んでみた。評判どおり面白い上に分かりやすくて、いろいろなことが腑に落ちた。われわれ現代日本人は、人名とは「氏」と「名」で構成されるものだと思っている。実はこの「常識」は、約150年前、明治新政府によって創られた。本書は、江戸時代(18世紀後半以降)から明治初期にかけての人名(男性名)の変化を詳述する。

 江戸時代の下の「名前」は、(1)正式な官名 (2)擬似官名 (3)一般通称に分類できる。(3)一般通称は何種類かのお決まりの”お尻”を持つ。〇衛門、〇兵衛、〇蔵などだ。社会的な慣習として、幼名には幼名らしい、隠居には隠居らしい名前が用いられた。(1)正式な官名(武家官位)は、武家では大名と一部の旗本にのみ許されていた。これは本人が選択して申請し、将軍の許可を得て名乗った(幕府は定期的にまとめて朝廷に位階と官を申請していた。なんという空疎な慣習!)。なお、武家にとって「〇〇守」等の官名を得ることは「改名」と認識されていた点に注意が必要である。

 (1)と(3)の間にあって、上級武士など、一般通称よりは偉そうだが、正式な官名を名乗るほどではない場合に用いられたのが(2)擬似官名で、京百官・東百官と呼ばれる種類がある。国名も、〇〇守の「守」等を省いたという意味でこの一群に入る。そうか、弾正とか修理は京百官で、左膳とか求馬は東百官なのか。歌舞伎や文楽、時代劇に登場する人名をいろいろ思い出して納得した。

 武家には(通常)漢字二字の「名乗」も設定されていたが、これは「名乗書判」というサインにのみ用いるものだった(町人も名乗を設定しておくことは自由)。名乗は本姓(源平藤橘など)と接続する。一方、いわゆる通称(下の名前)と接続するのが苗字だった。町人や百姓の場合、普段は通称だけを用いたが、証文の宛名などに苗字を使うこともあり、苗字でなく屋号を通称の上に接続することもある。

 朝廷社会にも「苗字」らしきもの(称号:近衛、九条など)があり、官名を名前に用いる場合もあった。しかし彼らは、武家や町人の常識と真逆で「姓名」こそが人名だと考えていた。朝廷方式の人名表記には、さらに細かい規定があり、位階によっては官または位に名前をつける(参議篁)、もっと偉いと遠慮して姓名を記さない(河原左大臣)など、小倉百人一首を見ると分かるという。公家は実名を呼び合っていたというのもおもしろい。

 さて、王政復古が実現すると、ただの名前と化した「官名」の始末が問題になった。江戸時代にも伊勢貞丈など、実を伴わない官名を名前とすることの誤謬を指摘した学者はいたが、彼らは敢えて現状を変えようとはしなかった。しかし明治新政府は、真面目に「名」と「実」を一致させようとして大混乱を招く。

 まずは新たな職名-官等による秩序を設定したが、(旧官制では)無位無官の高官の下に、大納言とか将監とか仰々しい官名の部下が並ぶことになって格好がつかない。次に徴士(無位の人材)に位階を与えて通称に用いさせようとするが、辞退者が続出してうまくゆかない。明治2年7月には、旧来の官制・官名を全廃し、官員名簿は「位・姓・尸(カバネ=朝臣など)・名」で書くことになった。政府は官員の「姓名」を把握する必要が生じたが、人々は名乗るべき自分の名前が分からずに大混乱。結局、「苗字+実名」という人名の新たな表記方法が創出され、通称と実名の同質化が進んだ。ついに明治5年(1872)「一人一名」が布告され、現在の「氏名」という形が成立したのである。

 いや~学校制度や暦もそうだが、とにかく明治初年はあれもこれも大混乱だったことが分かる。本書は『武鑑』『雲上名鑑』『館員録』など、名簿の実例が写真図版で多数掲載されていて分かりやすい。ずっと通称で登場する後藤象二郎とか、清々しいなあと思った。

 なお、平民については、明治3年に「苗字自由令」が発せられたが、苗字を設定する者は多くなく、明治8年にあらためて「苗字強制令」が布告された。端的には徴兵令に基づく兵籍調査を徹底するためだった。百姓たちは先祖代々の苗字を用いたが、都市部の裏長屋の住人など、新たに自己設定した者も多かったという。そして、効率的な国民管理の都合から、改名や複数本名も原則禁止となり、現在の「常識」が形成されていく。

 な~んだ、そうだったのか、というスッキリした読後感。でもこの、現在の常識を相対化する視点はとても大事だと思う。細かい、もっと面白い話題がたくさんあるので、ぜひ全文を読んでほしい。

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大宇宙と小宇宙/三体III:死神永生(劉慈欣)

2021-06-19 11:09:41 | 読んだもの(書籍)

〇劉慈欣;大森望、光吉さくら、ワン・チャイ、泊功訳『三体III:死神永生』上下 早川書房 2021.6

 第1部第2部が、基本的に古典的な物語の構成に則っており、【ネタバレ】の急所が分かりやすかったのに比べると、第3部はそうでない。起承転結の「転」が何度もあり、残り20ページくらいになっても、結末が読めない展開だった。

 本格的な物語は危機紀元4年から始まる(第2部の開始とほぼ同時期)。莫大な資産を手に入れたが、不治の病に苦しむ雲天明は、恒星DX3906を購入し、大学時代、淡い思いを寄せていた程心に匿名でプレゼントする。程心は三体世界に人類を送り込む「階梯計画」に従事していた。計画では探査機を極限まで軽量化するため、人間の脳だけを送ることになり、雲天明はこのオファーに応ずる。

 程心が冬眠から目覚めたのは、暗黒森林抑止システムが成立した抑止紀元。三体世界は地球世界に融和的になり、人類の科学技術は飛躍的に発展し、多様な文化芸術が花開いていた。重力波宇宙送信システムの最終制御権を有する執剣者(ソードホルダー)羅輯はすでに百歳を超えており、次の執剣者として程心が選ばれる。

 羅輯から程心へ重力波送信スイッチが引き渡された15分後、3機の水滴(三体世界の小型機)が地球に突入する。程心はスイッチを押すことができず、地球上の重力波送信装置は全て破壊された。暗黒森林抑止の終了。三体世界が地球に送り込んでいた女性型ロボットの智子は、全人類にオーストラリアへの移住を命じ、三体艦隊が地球に向かっていることを告げる。

 その頃、宇宙空間では、かつて地球連合艦隊の崩壊の際に脱出した宇宙船「藍色空間」を「万有引力」が追っていた。「万有引力」に同行していた水滴が、突如「藍色空間」「万有引力」双方に攻撃を仕掛けたが、間一髪で難を逃れる。「藍色空間」は「万有引力を奪取し、両艦の乗員たちは「万有引力」搭載の重力波送信装置によって、三体星系の座標を宇宙に公開した(太陽系の座標も公開されたことになる)。状況を察知した三体艦隊は逃げ出し、地球には平和が戻る。

 重力波送信から3年10ヵ月後、三体星系の破壊が観測された。迫り来る危機を実感する人類。三体人の生き残りに制御されている智子は「雲天明が会いたがっている」と程心に告げる。雲天明と程心の会談は宇宙空間で行われた。三体人の監視の下、人類が知るべきでない情報が話題にのぼったときは程心の宇宙艇は即座に爆破される約束だった。雲天明は三つのおとぎ話を語って去った。

 人類は雲天明のメッセージの解読に取り組み、「掩体計画」「暗黒領域計画」「光速宇宙船プロジェクト」を同時進行で開始する。程心は、「光速船をつくる」と息巻くかつての上司ウェイドに資産全てを託し「人類を危険にさらす可能性が出てきたら私を蘇生させること」という条件をつけて冬眠に入る。60数年後、約束どおり蘇生させられた程心は、光速船開発のため武力蜂起しようとしているウェイドに連邦政府への投降を命じる。

 そして三たび程心が冬眠から目覚めたとき、人類は三体文明とは別の宇宙文明に接触していた。それは宇宙空間に浮かぶ一枚の紙きれ状の物体、二次元平面だった。超絶高度な文明が仕掛けた次元攻撃である。三次元世界はみるみる二次元平面に落ち込んでいく。程心は古い友人の艾AAともに、羅輯に見送られて光速船で太陽系を脱出し、太陽系の破滅を目撃する。

 程心と艾AAは恒星DX3906へ向かい、青色惑星(ブルー・プラネット)に着陸した。そこにいたのは「万有引力」の乗員だった関一帆。あれから「万有引力」「藍色空間」の乗員たちは居住可能な惑星を見つけて開拓し、文明を進化させてきた。1世紀前には光速宇宙船の建造も可能になっていた。

 青色惑星の静止軌道上に残してきた宇宙船から警告メッセージを受けた関一帆は、程心とともに偵察に向かう。そこへ地上の艾AAから「雲天明が来ている」という連絡。しかし二人の乗った宇宙船は光速船の航跡(デス・ライン)に囚われ、一千万年以上未来の青色惑星に帰還することになる。すでに艾AAと雲天明は跡形もなく、雲天明のプレゼントである「小宇宙」の入口だけが残されていた。中には畑と白い家があり、小宇宙#647の管理者だという智子が待っていた。二人は小宇宙でしばし穏やかな日々を過ごす。

 あるとき大宇宙からすべての小宇宙に向けて、緊急メッセージが発信される(数十万種類に及ぶ言語の中には三体言語と地球言語もあった)。小宇宙の質量を直ちに大宇宙に返還してほしい。そうでないと、大宇宙は永遠の膨張の中で死んでしまうというのだ。程心と関一帆は小宇宙での安逸を放棄し、智子とともに宇宙船に乗り込み、大宇宙へ帰還の旅に出立する。

 長い物語の終幕、何度も決断に失敗してきた程心が最後の「責任」を果たそうとすること、三体文明の生き残りである智子の「わたしが生きているかぎり、お二人の身に危険がおよぶことはありません」という力強い言葉は、感慨深かった。程心は、生態球(エコスフィア=水と人工太陽、小魚や青藻を閉じ込めたもの)を小宇宙に残していくが、関一帆も「万有引力」で航行時に未知の知的生命体に出会って交信した際、求められるまま、小さなエコスフィアをプレゼントしている。宇宙の片隅でしか生きられないひ弱な人類と、外へ向かう強い意思の交錯するこの物語において、生態球はシンボリックな存在である。むかし澁澤龍彦のエッセイで読んだ、石の中に住む魚の話を思い出した(※宋・杜綰の『雲林石譜』にあるらしい)。

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64年大会を問い直す/五輪と戦後(吉見俊哉)

2021-06-02 17:32:43 | 読んだもの(書籍)

〇吉見俊哉『五輪と戦後:上演としてのオリンピック』 河出書房新社 2020.4

 あとがきの日付は2020年2月24日、まだ著者は2020年の東京オリンピック開催を疑っていない。そのあとに追加された短い「補記」は3月24日、「もはや誰も今年七月に東京五輪が開かれ得るとは思っていない。TOKYO2020は来ない――この驚くべきどんでん返しを、わずか一ヵ月前に誰が予想していただろうか」とある。それから1年後、ますます深まる混迷の中、東京五輪という問題を長期的な展望で根本から考えなおすのに本書はとてもよい参考書である。

 序章は、2020年東京五輪構想が石原慎太郎都知事の思いつきに始まり、東日本大震災からの復興を口実にIOCの委員たちに取り入ることによって招致に成功したこと、新国立競技場やエンブレムをめぐる問題の数々を振り返る。その上で著者は、2020年五輪の問題の根本は、1964年五輪の呪縛にあることを指摘する。果たして64年の東京大会は成功に満ち溢れたものだったのか、あらためて批判的考察がなされなければならない。さらに、いま東京で起きていることは、日本の失敗だけでなく、近代オリンピック自体の「終わりの始まり」という側面も持っているという。

 第1章は「舞台」としての東京五輪に焦点を当てる。64年五輪の競技施設の多くは軍用施設の転換だった。興味深いのは、1940年の五輪構想のときから、軍用地をスポーツ施設に転換していく計画があったことだ。また、64年においては、米軍施設用地の返還問題が絡んでいた。当初、日本側は朝霞にオリンピック選手村を建設する予定だったが、米国は代々木のワシントンハイツの返還を申し出る。米国には、東京都心から米軍施設を撤去することで、日本社会の反基地感情・反米感情を抑えたいという狙いがあったようだ。

 第2章は「演出」の側面から聖火リレーに注目する。64年五輪の聖火リレーを沖縄からスタートさせ、本土復帰ムードを盛り上げることは、米国務省の意向に添っていた。米国は、沖縄統治の主導権を米軍から国務省に転換させ、日本全土を安定的に米国の覇権体制に組み込みたかった。五輪はつねに政治権力の思惑とともにあることを思う。64年当時は、聖火の「分火」が許されていたこと(逆に今は許されていないこと)は初めて知った。あと、聖火が著しく「日本化」され、日本民族の起源や天皇信仰と容易に融和してしまうという観察は現在にも通じる。

 第3章は「演技」と題し、マラソンランナー円谷幸吉と「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールチームを論ずる。女子バレーについては、戦後の日本経済の復興を担った繊維産業の女子労働者管理術から考える視点がおもしろかった。64年五輪は、今日と異なり、まだ農村出身の貧しい若者たちが世界から喝采される舞台たり得ていた。

 第4章は東京モデルの「再演」すなわちソウル、北京、札幌、長野の五輪大会を論ずる。88年のソウル、2008年の北京は、政治的安定と経済成長との結びつき、大規模なインフラ建設と都市の高速化など、64年の東京を反復する点が多い。これは、欧米列強で発明された近代オリンピックが、オリンピック・エリート国家を超えて、東アジアで開催される場合の通例になっている(たぶん、欧米諸国にとってのオリンピックは全く違うものなのだろうなあ)。他方、重要なのは開発主義から環境主義への転換である。著者は、札幌五輪で支笏洞爺湖国立公園の恵庭岳に残された滑降スキーコースの無残な爪痕と、長野五輪の白馬・黒菱山滑降コースをめぐる自然保護団体の強い抵抗を対比させて、この変化を語る。

 終章。いま二度目の東京五輪を開催する意味があるとしたら、「速く、高く、強く」という成長主義を脱却し、ポスト成長社会にふさわしい「緩やかに、低く、しなやかに」というドラマトゥルギーを提示することではないか、と著者は提言する。その萌芽は、実は64年五輪にもあった。第2章に登場する高山英華の駒沢オリンピック公園のデザインは、初めから「オリンピック以後の使い方」を重視したもので、その結果、今日でも市民に活用されているという。第3章で語られる市川崑監督の映画『東京オリンピック』は、日本人の活躍場面が少ないことから、政治家や関連組織から修正圧力をかけられ、配給会社が文部省推薦の申請を取り消すなどのドタバタを引き起こすが、国際的には高い評価を得た。つまり、64年五輪にも、多様な語り、多様なドラマトゥルギー(劇作法)が存在した。当時は、その中で成長主義的な語りが支配的であったのは明らかだが、今や大きな位相転換が起きている。

 この変化は、そもそものオリンピックの自己否定になるのではないか。「ひどく19世紀的な西洋中心主義から出発し」(そして84年のロサンゼルス五輪以降、商業主義と結託し、底なしの拝金主義にまみれた)「オリンピックが、ポストコロニアルでグローバルな21世紀の地球社会で長く権威を持ち続けるのは容易ではない」という著者の予測は、いくぶん期待で水増しされている感じもする。しかし、もう21世紀なのだ。成長主義の呪縛は、本当に、もう棄て去るほうがいいと思う。

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人生は続く/八九六四 完全版(安田峰俊)

2021-05-27 09:40:31 | 読んだもの(書籍)

〇安田峰俊『八九六四 完全版:「天安門事件」から香港デモへ』(角川新書) 角川書店 2021.5

 2018年5月に刊行された単行本『八九六四』は必ず読もうと思いながら、果たせていなかった。そのおかげで図らずも、2019年の香港デモを取材した新章を含む本書『完全版』を読むことができた。本書は、1989年6月4日未明に起きた天安門事件にかかわった、あるいは何らかの影響を受けた人々に2011年から2018年の間に取材したルポルタージュである。章見出しになっているのは22名。日本人(当時、在中留学生)1名を含む。番外編の章に登場する香港の活動家たちを除くと、多くは当時20代、したがって取材当時は40~50代である。国際的に著名な活動家もいるし、無名の庶民も、成功したビジネスマンもいる。ちなみに本書に登場する石平さんは、他で見るのと全く違って興味深い。

 本書の感想をひとことで言うのは難しい。天安門事件は、多くの人々にさまざまな影響をもたらした。そのどれか、たとえば中国共産党のタブーに挑戦し民主化を唱え続けるのが「正解(正義)」であるとか、社会の安定と経済成長のために過去を忘れるのが「正解」であるとか、軽々しくは言えない、と感じた。

 社会の安定と経済成長が保証される限り、政府批判を口にしないというのが、今の中国人の多数派だろう。本書には、この多数派に属さない、印象的な人々も登場する。姜野飛は成都の農村生まれ。ろくな初等教育も受けていない彼は、1989年当時、成都で学生デモに遭遇し、よく分からないのに全財産をはたいて学生たちを応援した。時は流れて2000年代(中国のネット言論が比較的自由だった時期)、インターネットで知った「真実」に触発され、党批判の書き込みを繰り返した結果、公安に連行され暴行を受ける。タイに亡命したものの、難民申請は門前払いされ、生活は困窮を極める。著者は同情と共感を込めて姜野飛を「持てる者たちが嘯(うそぶ)く道徳を本気で信じて行動した、持たざる者」と呼ぶ。そして、現代の中国で、一般人が「目覚めた者」になることは本当にいいことなのか?と悩ましげに問いかける。

 天安門の学生リーダーだった王丹とウアルカイシへのインタビューも興味深かった。王丹は、事件後、逮捕と仮釈放を経てアメリカへ亡命、取材当時は台湾の大学で教鞭をとっていた。どんな質問にも「模範回答」を繰り返す王丹に著者は少しいら立つが、天安門事件という「過去の牢獄」に留まり、同じ説明を繰り返し続けることが自分の「責任」だという王丹の覚悟に気づく。取材当時、やはり台湾にいたウアルカイシ(ウイグル人)は言う。自分は(天安門の元リーダーという)責任を負い続けなくてならないと考えているが、それは他の人間が当事者に要求するものではない。誰もが責任や罪悪感を担い続けられるほど強くはない。担えなくなった人を責めるべきではない。この言葉は胸に響いた。

 なお、台湾のヒマワリ学連(2014年)の成功は、王丹が過去におこなった天安門の総括(失敗要因の分析)と奇妙なほど符合しているという。ウアルカイシは学生たちが占拠中の立法院に入り、学生たちの肩を叩いて激励した。もう少し理論的な分析としては、八九六四の武力弾圧が大きな国際的非難を招いたことで、その後の各国の独裁政権は、大衆運動を銃で解決する選択肢を取りづらくなったのではないか、と著者は考える。天安門の失敗が、台湾の学生運動の成功に寄与したとすれば、皮肉のようでもあり、一筋の救いのような気もする。

 天安門事件のディティールや中国人の感覚についても、本書で初めて知ったことは多い。中国の伝統的価値観では、政治的な行動を起こすのは、知識人=大学生の義務と考えられていたこと。社会主義経済体制下では仕事が休みになっても収入は変わらず、各家庭が普段から食料を備蓄していた時代なので、学生デモに文句を言う人は多くなかったこと。また、地方都市の庶民は、北京で何が起きているか全く知らなかったこと。戒厳令が布告された5月20日前後から学生運動が内部崩壊を始めていたこと、などだ。

 著者は2015年に香港において、天安門事件に対して異なる態度をとる各派の活動家にも取材している。中国の民主化は香港にも重要という立場から天安門追悼集会を開催してきた従来の民主派。しかし若者世代では「天安門離れ」が進んでいる。まあ、彼らが生まれる前の事件だものなあ。そこへ発生した2019~2020年の香港動乱。逃亡犯条例改正の棚上げという成果を獲得しながら、撤退の時期を誤り、ニヒリズムと過激な暴力闘争を招来してしまった。デモの参加者たちは、30年前の天安門事件と同じく、各人なりの「その後の人生」を選択していくことになるのだろう。

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美人画と戦争画/雑誌・芸術新潮「キャバレー王は戦後最高のコレクター『福富太郎』伝説」

2021-05-26 09:07:57 | 読んだもの(書籍)

〇雑誌『芸術新潮』2021年5月号「特集・キャバレー王は戦後最高のコレクター『福富太郎』伝説」 新潮社 2021.5

 東京都の緊急事態宣言は5月31日で解除になるのか、それとも延長か。私が気になっているのは、美術館・博物館の対応、とりわけ東京ステーションギャラリーの『コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画』(当初予定:2021年4月24日~6月27日)の再開可否である。

 もともと気になっていた展覧会だが、この特集を読んで、絶対見逃せないという強い気持ちが固まった。量や質がすごいというより、コレクターの個性と結びついた奥深いコレクションである。本誌では、まず福富太郎さん(1931-2018)の一代記(イラスト・伊野孝行)が楽しい。昭和6年、東京都荏原郡に生まれ、家にあった絵を見た記憶は3歳にさかのぼり、小学校入学前後には新橋駅のホームから東京のキャバレーの元祖というべきカフェー「新橋處女林」の建物を目撃したとか、太平洋戦争開戦を迎えて夢は少年飛行兵だったとか、よくできた小説の主人公のようにエピソード豊富。戦後、府立園芸学校を中退し、ボーイという名の雑用係として奮闘、26歳で独立、29歳で「新橋ハリウッド」を開業し、どんどん事業を拡張して「キャバレー王」への道を歩む。

 1970年代には身の上相談などテレビ番組でも活躍。私は中学生だったが、福富太郎という名前の福々しい丸顔のおじさんがテレビに出ていたのは覚えている。あと、キャバレー「ハリウッド」のオリジナルキャラ、ミニスカートで体育座りみたいなポーズが色っぽい「踊り子ちゃん」も懐かしい。どうして懐かしいのか謎だったが、本誌「ハリウッドへようこそ!」の記事を読んで思い出した。私の生まれ育った江戸川区小岩には「小岩ハリウッド」があったのだ。実地に見聞したことはないけれど、ここに語られている日本独特のキャバレー文化って実に面白いなあ。

 さて絵画の話だが、福富コレクションには美人画が多い。それもちょっと影のある妖しく哀しい女性が主役。ということで山下裕二先生チョイスの日本画5点、鏑木清方『妖魚』、同『薄雪』(冥途の飛脚)、渡辺省亭『塩治高貞妻浴後図』、小村雪岱『河庄』(心中天網島)、北野恒富『道行』(心中天網島)は、どれも傑作。『妖魚』は、別の作品と「取替えっこ」の結果、手に入ったものだとか、『薄雪』は自分が死んだら一緒に焼いてほしいと願っていたが、かさばって棺桶に入らなかったという秘話(?)も語られている。浄瑠璃の世界を描いたものが多いのも嬉しい。山下先生は福富さんを評して、画壇や美術史の価値観に惑わされず、本当に自分の眼を頼りに蒐集する人だった、と賛辞を贈る。

 ただし前橋重二氏の「見た、買った、調べた!福富流コレクター流」を読むと、福富さんが自分の感覚を盲信するタイプではなく、猛烈な読書家・勉強家で、知的な推理を楽しんでいたことが分かる。まあそうでなければ実業家として成功しないだろう。旧・福富コレクションの河鍋暁斎『幽霊図』は、行灯の後ろに立つ痩せさらばえた女性の幽霊で、光と闇の交錯が、生々しくも美しくて私の好きなもの。岡田三郎助『あやめの衣』(現・ポーラ美術館所蔵)は切手にもなった有名作品だが、これも福富コレクションだったのだな。島成園『おんな』、鳥居言人『お夏狂乱』(少女マンガみたいな美人だなあ)は本誌で初めて知った。ぜひ本物を見たい。

 美人画以外にも驚くような作品が多数あって、川村清雄『蛟龍天に昇る』も向井潤吉『影(蘇州上空にて)』もいいなあ。福富さんの集めた戦争画のほとんどは東京都現代美術館に寄贈されているという。日清・日露戦争から太平洋戦争、そして終戦後の混乱までをカバーしており、上野の地下道で眠る浮浪児や、女性と戯れる米兵を遠目に眺めるぼろぼろの服の少年たちの姿もある。暗い色調の満谷国四郎『軍人の妻』は、福富さんがこだわった「女性」と「戦争」がリンクした作品。夫の遺品を抱く喪服の女性の両目にかすかな涙が溜まっている。

 東京ステーションギャラリーの展覧会、たとえ1週間でも再開したら、万難を排して見に行くつもりだが、もし駄目だったら、巡回先の新潟か大阪まで追いかけて行こうと思っている。

 第二特集(art news exhibition)は、多摩美術大学アートテーク・ギャラリーで開催された『我楽他宗-民藝とモダンデザイナーの集まり』(2021年2月25日~3月6日)を紹介する。この展覧会は見ていないが、ガラクタ蒐集を旨とする「我楽他宗」を実践した趣味人・三田平凡寺については『荒俣宏の大大マンガラクタ展』でも取り上げられていたので、興味をもって読んだ。びっくりしたのは夏目房之介さんの「吾輩ハ三田平凡寺ノ孫デモアル」。え!そうなの!? 房之介さんの雑学的好奇心はこっちのお祖父さんから来ているのかも。

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グローバリゼーションの中で/モダン語の世界へ(山室信一)

2021-05-25 16:12:20 | 読んだもの(書籍)

〇山室信一『モダン語の世界へ:流行語で探る近現代』(岩波新書) 岩波書店 2021.4

 山室信一さんといえば『キメラ:満洲国の肖像』や『思想課題としてのアジア』を読んできたので、勝手に中国史とか東アジア史の人だと思っていた。奥付を見て、その山室さんの著書であることを確かめたものの、落ち着かない気持ちで読み始めた。

 本書は、おおよそ1910年から1939年までの30年間に造られ、使われた「モダン語」の世界を探訪し、モダン(近代あるいは現代)の意味を考える。1910~30年代は第一次グローバリゼーションとも呼ぶべき時代で、情報・モノ・ヒト・カネが国境を越えて交わり、地球全体が相互に影響し合いながら、ライフ・スタイルや価値観の転換に向けて始動していた。日本国内でも、電話・ラジオ・映画などのニュー・メディアが普及し、ニュー・ジャーナリズムに乗った新製品や流行の情報が駆けめぐった。モダン語とは、世界的な文化の激動に対応しながら日常生活を送っていく上で必要な言葉で、多くは外来語またはカタカナ借用語を日本語と組み合わせた新造語だが、そればかりではない。とにかく「新しい何ものか」を追い求めて止むことのない生き方を促す言葉だった。

 本書は「社会階層・職業・生活」「食文化」「女性」「エロとグロ」「グローバルとローカル」など、いくつかの視点から、具体的なモダン語の事例を紹介する。よく知っているもの(高等遊民、モガ・モボ、ハイカラ)もあれば、初めて聞くものもある。何でも「~る」をつけて動詞化してしまうのは今と同じで、「デパる(デパートに行く)」「コスメる(美しく着飾る=特に男性)」「アサクサる(学校を抜け出し浅草で遊びまわる)」など、よく分かるし笑えた。「どうもありがとう」を略して「どうまり」なんて「あけおめ」の感覚と同じ。

 「スーパーマン」や「ウルトラマン」が、理想的な人間を示す語として1910年代から流布しており、ウルトラの訳語「超」はモダン語の展開に不可欠のキーワードだったというのは、初めて知った。このほか「ア・ラ・モード(当世風の)」「シック」「色情狂」「猟奇」「キセル(途中区間のただ乗り)」などがモダン語に挙げられているのも、やや意外だった。

 食文化の章は、ことばの問題よりも、食文化そのものの記述が興味深かった。日本で、ちゃぶ台や銘々膳に先行して18世紀頃から箱膳が普及したのは、家族の間でも食器と箸は共用しないという食習慣に適したからだという。なるほど。中国にこの習慣はなさそうだな。朝鮮は一人用の膳を使うけれど食器はどうなんだろう。「ちゃぶ」は中国語の卓袱の転だというが、広東語のチャプスイ(雜碎ないし雑炊)、英語のチョップ・ハウス(chop-house)との関係も考察されている。ラーメンの語源は、北大の前にあった竹屋食堂で肉絲麺を提供するのに「好了(ハオラー)」と知らせたからという説がある。羊の焼肉をジンギスカン鍋と名づけたのは、時事新報社の鷲沢与四二だったという話も載せる。ただ、こういう食文化の起源説話は、眉唾しながら楽しむのがよいだろう。

 モダン語について、欧米、特にアメリカ文化の影響が大きいことは言うまでもないが、アジア・アフリカとの関係に目配りしているのは本書の特色だと思う。この時代、中華料理とともに支那趣味が流行し、谷崎潤一郎、芥川龍之介、佐藤春夫らがこれを唱導した。絵画でも、確かに支那服の女性を描いた作品が多い。「工作」(裏面工作など)「合作」「要人」「改編」「改組」などは、この時期に中国から入って来た言葉だそうだ。逆に「モダン・ガール」という言葉は、その典型とされたナオミ(谷崎『痴人の愛』)から生まれた和製英語Naomismとともに、朝鮮・台湾・中国などに紹介されていった。女性の権利拡張と新しい生活様式の獲得に十分なページを割いているのも本書の読みどころである。

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中国時代劇の虚と実/戦乱中国の英雄たち

2021-05-21 12:17:41 | 読んだもの(書籍)

〇佐藤信弥『戦乱中国の英雄たち:三国志、「キングダム」、宮廷美女の中国時代劇』(中公新書ラクレ) 中央公論新社 2021.5

 まさかこんな本が出るとは思わなかったので、驚きながら喜んでいる。韓ドラや日本の大河ドラマを題材にした新書は見たことがあるが、マイナージャンルだと思っていた中国時代劇も、今やそれらに次ぐファン層を獲得しているということだろうか。

 本書は近年の話題作を具体的に取り上げながら、中国時代劇の楽しみ方、読み解き方を論じている。第1章は「三国志」で、1994-95年放映の『三国演義』(※以下、全て原題とする)、2010年の『三国 Three Kingdoms』に続き、詳しく紹介されているのは2017-18年の『軍師聯盟』と2018年の『三国機密』。私は前二者を見ていないので、2010年の『三国』が、登場人物の政治性を際立たせ、謀略や駆け引きの応酬に重点を置く(やや露悪的なアレンジや創作が加えられている)作品だと知って、興味深く思った。そうすると、同じ虚構でも、頑固な理想主義者の劉平を主人公とした『三国機密』が、『三国』のアンチテーゼになっているという論評は分かる。

 第2章は人気コミック『キングダム』と同じ春秋・戦国時代を舞台とした作品。私はこのカテゴリーは全然見ていない。唯一の例外は2013年の『趙氏孤児案』で「中国人は現実主義者で理想主義など鼻に掛けない(※これは「洟も引っ掛けない」だな)というイメージがあるが、実のところ中国人も理想主義の効用をちゃんと理解しているのではないか」というのは同感である。

 第3章「タイムスリップ物」も見ていないものが多いなあ。2020年の話題作『伝聞中的陳芊芊』は、ジェンダー物としての要素も濃厚で「世界は我々の行動で変えられる」というメッセージが込められているというのは気になるが…ラブ史劇は苦手なのだ。

 第4章は時代劇における「異民族」の扱い。21世紀に入った頃から少数民族の描写に対する見直し(一種のポリティカル・コレクトネス)の動きがあり、たとえば金庸『神雕侠侶』の悪役ラマ僧「金輪法王」は、読者の指摘を受けた作者自身によって「金輪国師」に改められた。あまり変わらないようだが、特定の宗教を連想させる「法王」よりはニュートラルな表現であるとのこと。また、帰属をめぐって韓国、北朝鮮と論争がある高句麗や渤海には、なるべく触れないことになっているという。民族対立における愛国の英雄・岳飛の物語が、近年敬遠されているというのは、ちょっと信じられないけどおもしろい。

 2019年の『大宋少年志』(未見)には「たとえ宋人の血を受け継いでいなくても、宋で生まれ育ったからには宋人である」というセリフがあるそうだ。著者がこれを『天龍八部』の蕭峰が聞きたかった言葉ではないか、と書いてくれたことには感謝。2003年版『天龍八部』で、宋人として育てられた蕭峰(胡軍)が自分の出自を知り「我是契丹人」と苦悩する場面は、今も忘れられないのである。

 第5章はジェンダーと宮廷物。該当作品が多いので難しいとは思うが、『瓔珞』だけでなく『如懿伝』にも触れてほしかった。『那年花開月正圓』と『成化十四年』を宦官の描き方から取り上げているのはよい視点。これらの作品に親しむと、陰険で強欲という、ステレオタイプな宦官しか登場しないドラマがひどく古臭く見えてくる。近年の中国時代劇は、女性、宦官、異民族などの描き方が多様化していて、しかも「ポリコレだから」というつくりごと感を与えない点が魅力だと思う。

 最後はいわゆる武侠物。『笑傲江湖』(未見)の正派と邪派の対立には、文革時代の政治的なレッテル貼りや政治闘争が反映されているのか。目からウロコが落ちたような指摘だった。それと『陳情令』が『笑傲江湖』のいわば本歌取りであるという説明もよく分かった。

 著者はあとがきで、近年の中国時代劇は、過去の歴史を語っているようで、「世界はこうあるべきだ」という理念を語っており、それが我々の生きる現実世界への異議申し立てになっている、と述べている。これは全く同意できるが、そもそも創作(文学、演劇)が歴史を扱うときの基本スタンスだと思う。歌舞伎や文楽の「時代物」もそうだし。中国の伝統演劇もそうではないのかな。

 最後に、中国時代劇のジャンル整理の中で「いわゆる時代劇」(日本の『水戸黄門』や『大岡越前』のような作品)が「近年は下火となっている」というのは、そのとおりだが気になった。私が中国時代劇にハマったのは、武侠物と並んで、『康熙微服私訪記』や『鉄歯銅牙紀暁嵐』などの「いわゆる時代劇」がひとつのきっかけだったので。あののんびりした朗らかさは、最近のドラマにはない魅力。またリバイバルしないかなあ。

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ポストコロナへ向けて/大学は何処へ(吉見俊哉)

2021-05-20 12:30:06 | 読んだもの(書籍)

〇吉見俊哉『大学は何処へ:未来への設計』(岩波新書) 岩波書店 2021.4

 大学に関する根本的な論考を発表し続けている著者の最新作。本書では、2020年の新型コロナウイルス感染症のパンデミックが浮かび上がらせた大学の窮状と、ポストコロナ時代の大学に対する提言が大きな比重を占めている。

 はじめに「大学の窮状」とその要因。今日の大学の疲弊は、大綱化、大学院重点化、国立大学法人化という平成時代の大学改革の失敗から来ている。ただしそれは、外部の強圧的な力によるのではなく、「大学とは何か」を真剣に主導的に考える責任を放棄してしまった大学自体によって生じたと著者は考える。

 そして歴史を遡り、日本の大学が1990年代以降の諸改革により深刻化する問題を抱え込んでしまった構造的淵源は、1930-40年代にあることを指摘する。まず総力戦体制下で理工医の応用研究機関が大増強され、戦後の新制大学移行によって旧制高校が廃止された。このことは、現在の(国立大学の)理系と文系の関係、リベラルアーツの問題に深い爪痕を残している。ちょっと面白いのは、東京帝大で理系大拡張の目玉となった第二工学部(千葉にあった)が、本郷の「旧体制」にはない自由闊達な雰囲気を持っていたという証言。

 また、戦後、新制東京大学の最初の総長だった南原繁は、旧制一高と東京高校を取り込み、教養学部を創設するにあたり、学内の保守派(帝国大学の威信を守ろうとする人々)の抵抗を巧みに避けながら、リベラルアーツの学びの実現に努力した。本郷(=タテ割り専門教育)と駒場(=ヨコ串教養知)の反目と共存、最終的には前者による後者の侵食、従属化の物語は大変面白かった。そして、終戦直後の日本には単科大学や専門学校にもリベラルアーツ構想があり、その代表が和田小六による東京工業大学の教育改革であるというのも、初耳だが(現在の東工大を見ていて)納得できるように思った。しかし、著者の言によれば「旧制高校に内包されていたリベラルアーツが、高等教育にとっていかに根本的かも認識されてこな」いまま、戦後の大学教育が進められ、1990年以降、深刻な袋小路に陥っていく。

 次に、あらためて2020年以降のコロナ危機がもたらした問題。オープン・エデュケーション、MOOC(大規模オンデマンド配信型授業)などに加え、少人数型教育のオンライン化を徹底した米国ミネルバ大学の挑戦を紹介する。同大はキャンパスを持たないが、世界各地に学寮を持ち、学生たちは世界各地の7つの都市(アジアではソウルと台北が入っている!)を集団で渡り歩きながら学びを深めていくという。「大学にとって真のキャンパスは都市そのもの」という認識にはとても共感する。オンライン授業には外部の実空間が必要だが、それは、これまでのようなキャンパス内の教室でよいのか?というのは重要な問題提起。そして学生が「オンラインの学びを携えて町へ出る」としたら、学びを支援する図書館やアーカイブがどう変わるべきかも考えなければいけないと思う。

 9月入学問題については積年の検討の歴史を踏まえて、問題の打開策を提言する。また、日本の大学に根強い年齢的な同質性にも苦言を呈する。社会人学生の割合が一向に増えない根本的な理由は、日本の社会が大学を「通過儀礼」としてしか捉えておらず、大学の「学び」の内容に関心も期待も持っていないためだという。これを打破する手がかりとして、通信制大学(オンラインの活用を含む)と高専が挙げられているのも面白い。

 最後に、山積する問題から「大学」を救い出せる主体は誰なのか?という問題。著者はブルデューの分析を踏まえて、大学教授の4類型(既成秩序維持派、大学構造改革派、専門的学術派、越境的言論派)を挙げ、概して教授たちの何割程度がそれぞれに該当しているかを示す。そして大学の改革を進めるには、ごく少数の構造改革派の教授たちが起こしていく動きを、学長が資金やポストの配分で適切に(ビジョンと決断力をもって)後押ししていく必要があるという。大学という組織の内情を知っていると非常に味わい深い。

 さらに味わい深いのは、改革が一定の成果を成果を収めたとしても、大学という組織では、ほぼ全ての新しい活動は加算的に展開されていくため、特定の教員に負担が集中し、挑戦的な人々を疲弊させていくという指摘。著者の体験が物語らせているのではないかと思う。そこで、教員とは別の一群の人々、大学職員への期待が述べられている。職員の雇用形態、キャリアパスにもさまざまな問題があるのだが、「それぞれの専門的な組織分野において、教員の意思から独立して意思決定し、責任も負」うことができる職員の育成が急務であると思う。

 最後に個人的メモ。著者には、この3月、東大出版会の南原繁記念出版賞表彰式の場でちょっとだけお会いした。「最近あまりない、大学らしいイベントでしょう」とおっしゃっていたことを思い出す。

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覆水盆に返らず/一度きりの大泉の話(萩尾望都)

2021-05-08 22:03:12 | 読んだもの(書籍)

〇萩尾望都『一度きりの大泉の話』 河出書房新社 2021.4

 萩尾望都さん(1949-)が大泉時代のことを語った書き下ろしエッセイが出版されたという情報が流れてきた。私がSNSで最初に見かけたのは、どこか奥歯にものの挟まったような、煮え切らない感想だったので、よけい気になって書店に行き、一気に読んでしまった。そして、なるほどこれは感想を他人に語るのが難しい本だと思った。

 著者は1969年に漫画家としてデビューし、上京した後、練馬区大泉の二階家で竹宮恵子氏と同居していた。1970年から72年の2年間ほどである。それから下井草に半年ほど住み、1973年5月には埼玉に引っ越した。田舎に引っ越した「本当の理由」についてはずっと沈黙を守ってきたが、2016年に竹宮氏が自伝本『少年の名はジルベール』を出版して以来「静かだった私の周辺が騒がしく」なり、困惑しているという。そこで、封印していた記憶を一度だけ解き、「私の出会った方々との交友が失われた、人間関係失敗談」という前置きのもとに著者は語り始める(この導入、著者は無意識かもしれないが、ストーリーテラーとして実に巧みだと思う)。

 序盤は淡々とした回顧録である。両親に反対されながら漫画家を目指す。中学時代の友人の紹介で増山法恵さんと知り合う。『なかよし』でデビュー。竹宮恵子先生と知り合う(萩尾さんは文中で「竹宮先生」と呼んでいる)。上京、大泉生活の始まり。増山さんと竹宮先生の「少年愛」への熱中を、少し醒めて眺めている著者。ヨーロッパ旅行。おおむね竹宮氏の自伝の記述と齟齬するところはない。そして、佐藤史生、山岸涼子、ささやななえ(こ)、坂田靖子、城章子、山田ミネコ、伊東愛子など、懐かしい(それぞれの絵柄が浮かぶ)名前もちらほら登場する。

 ヨーロッパ旅行から帰ると、竹宮先生と増山さんは別のマンションで暮らすことになり、著者も別のアパートを見つけて、大泉生活は終了した。そして、1973年3月、『ポーの一族』シリーズの『小鳥の巣』を執筆中だった著者は、竹宮先生と増山さんに呼ばれて「なぜ『小鳥の巣』を描いたのか(なぜ男子寄宿舎ものを描いたのか)」という質問を受ける。さらに「あなたは私の作品を盗作したのではないのか?」と言われたとも文中にある。著者はうまく答えられないまま、呆然として下宿に帰った。

 3日ほど後、竹宮先生がひとりで著者のアパートにやってきて「この間した話はすべて忘れてほしい」と言って、手紙を置いていく。この場面、著者は記憶に従って書き起こしているのだろうけど、異様な緊張感がある(別の箇所で、萩尾さんが、見たものをぱっと覚えて正確に描いてしまう才能の持ち主と言われていることを思い出す)。自分と同じジャンルに入り込んできた、才能ある後輩を呼びつけて「盗作」の疑いで詰問するまでは、凡百の人間がやりそうなことだ。しかし、ひとりで後輩を訪ねた(ひとりで来たのは初めて、とある)竹宮先生の心中の葛藤も察するに余りある。著者は、竹宮先生の手紙を読んでも、彼女の意図が分かりかねたという。そして本文中には、その手紙の一部らしい語句が切れ切れに並べられているのだが、その中に「『11月のギムナジウム』くらい完璧に描かれたら何も言えませんが」というフレーズがある。やっぱり、竹宮先生は萩尾さんの才能が本能的に怖かったのではないかと思う。

 著者は「何かわからないけど、自分の何か悪いことで嫌われたのだ」と思って自罰的になり、頭痛や不眠、目の痛みに悩まされるようになる。妹の語学留学につきあい、しばらく英国で暮らしている間も、脳の中にある「大泉の死体」を意識していたという。帰国後、木原敏江先生の誘いもあって埼玉に引っ越し、ぼちぼちと仕事を始める。木原さんが萩尾さんに「個性のある創作家が二人で同じ家に住むなんて、考えられない、そんなことは絶対だめよ」と語ったというエピソード、理知的な切れ味が木原先生らしい。それから、城章子さんの後書きで岸裕子さんが「あの頃、漫画を見ていてわかった」「(萩尾さんの)絵柄が変わった」「登場人物の目が怒っていた」と語っていることにも驚いた。プロの感性は鋭い。当時の作品を、もう一回読み返してみたい。

 その後も著者の人生は続く。連載中に評判が悪かった『ポーの一族』第1巻初刷3万冊が、3日で売り切れたというのは初めて聞くエピソード。漫画家に反対していた両親との和解。そして、大泉生活解散の理由についても、著者は著者なりに、歳月をかけて整理した言葉であらためて語っている。しかし過去は過去。このことにはもう触れないでいただきたい、と。同世代を生きる私たちは、著者の訴えを聞くしかないだろう。でも、いつの日か本書が、あらためて著者の作品とともに解読されることをひそかに期待してしまう。

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