およそ10年近い交流になるメル友の「I」さん(東海地方)。
九州と東海では距離がありすぎて一度もお会いしたことがないが、文面からして何かしら波長が合うので当方では勝手に百年の知己みたいな感じを抱いている。人後に落ちないミステリー好きというのも共通点。
で、オーディオ、ジャズとテニスがメインとなっているブログ「ジャズとテニスの雑記帳」をいつも拝読しているが、先日のブログで次のようなことが書かれてあった。(無断転載お許しください:抜粋)
「私は、装置の音の判断についてはロングターム・テスト風に考えます。
毎日聴いていて、心地良く聴けるかどうかが判断基準です。
心地良くといっても、”ソフト”という意味ではなく、その音楽らしく聴こえるかどうかが基準です。もちろん、私の考える、その音楽らしさという意味です。
具体的に言うと、管楽器のリアリティとウッドベースのスピードが大事になります。
生演奏は聴きに行きますし、オーディオの参考にもしますが、そこを目指すことはしません。
生の音が最高とは感じません。
天に唾する発言かも知れませんが、私は「音楽は、オーディオの方が、より楽しめる」と思っています。」
以上のとおりだが、実は私も同感なんです(笑)。
九州の片田舎に住んでいると、都会とは違って一流のオーケストラなどを聴く機会がまったくないといえばウソになるが、ごく少ないのは事実。
で、そういうハンディにたいして負け惜しみ的に「音楽はオーディオで楽しむに限る」と己を慰めてきたのだが、都会にお住まいの方から「生の音が最高とは思わない」という声を聞こうとは思わなかった。
たしかに電気回路を通した音に「生の音」を期待するのは無謀だと思うが、その一方、一歩でも近づこうとする涙ぐましい努力を続ける方もいらっしゃるので、それはそれで立派なことなので謗るつもりは毛頭ありません(笑)。
で、それはさておき何といってもオーディオのいいところは普段着のままにいつでも気が向いたときにアンプ類のスイッチを入れるだけで、それも好きな曲目を選択して聴けるので助かる。
また何回も反復して聴けるところがいい。
たとえば途中からコンサートをドロップアウトしてスタジオ録音に専念した「グレン・グールド」(ピアニスト)はその理由の一つとして次のように語っている。
「ゴールドベルク変奏曲(バッハ)のどこをどう変奏したのかなんて、コンサートで1回聴いたくらいでは(聴衆に)わかるはずがない。何回も反復して聴かないと~」
で、前述した大変なジャズ通の「I」さんによると、「管楽器のリアリティとウッドベースのスピード」に重点を置いたサウンドとのことだが、エリック・ドルフィーの大ファンの「I」さんのことだから「アルト・サックス」の響きを念頭に置かれているのは間違いない。
ちなみに、ドルフィーは死の1か月前にジャズ史上もっとも有名な名言(肉声)を遺している。
「音楽を聴き終わった後、それは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない」
実はクラシックを愛好している我が家でも同じことが言えますよ~。
大好きなモーツァルトだが他の作曲家と違うところは管楽器の使い方がうまいしそれに熱心なことで、曲目の方も「ファゴット協奏曲」以下「クラリネット」「フルート」「オーボエ」「ホルン」と実に多彩で枚挙に暇(いとま)がないほど。
ワーグナーも管楽器の効果的な使い方をしている気がするが、他の作曲家となると押しなべて管楽器に関しては「?」かな。
次に「ウッドベースのスピード」はあらゆるオーディオ・システムの基本中の基本のような気がしている。
この「歯切れ」がよくないとサウンド全体が朦朧体となってしまうが、中にはその方が好きという方もいるのでその領分まで侵入する気は毛頭ない(笑)。
で、我が家の場合はクラシックが主体だから、それらに加えて「弦楽器」とりわけ「ヴァイオリン」がうまく鳴ってくれないと話にならない。
その結果、我が家の優先順位から行くと、1位がヴァイオリンの妖しい響き、2位が歯切れのいいウッドベース、3位が管楽器の美しい余韻といったところですか。
そういうわけで、改めて我が家の7系統のスピーカーを眺めてみると幸か不幸か古びた英国製に限られてしまうんですよねえ・・。
7系統のスピーカーはそれぞれ楽団みたいなもので、曲目とかその日の気分によって聞き分けしているが、まだ足りないくらいに想っている。
この果てしないオーディオ欲をいったい何にたとえればいいのか・・、常に飢えと渇きに苦しむ「餓鬼道」みたいなものかもね~(笑)。