本のタイトルを見て思わず笑ってしまった。「映画を早送りで観る」のは自分でもしょっちゅうやっているからねえ(笑)。
本書の狙いはこうだ。
「なぜ映画や映像を早送り再生しながら観る人がいるのか・・。なんのために? それで作品を味わったといえるのか? 著者の大きな違和感と疑問から始まった取材は、やがてそうせざるを得ない切実さがこの社会を覆っているという事実に突き当たる。
いったい何がそうした試聴スタイルを生んだのか? いま映像や出版コンテンツはどのように受容されているのか? あまりに巨大すぎる消費社会の実態をあぶり出す意欲作。」
ちなみに、本書に関しては「本棚には裏がある」という本にもコメントがあった。(139頁)
「それは膨大な情報の中で生き残るために編み出された手法ではあるが、ネット世界で千々に乱れた集中力が招く行為でもあるのかという気もしてきた。
2時間の映画に、今の人々はもう辛抱出来ないのだ。倍速試聴や10秒飛ばしといった見方をする人々の前では、映画は物語ではなく情報と化す。映画は「観る」ものではなく「知る」ものとなった。
厚みのある作品をペラっとした情報にしてしまう倍速試聴の背景にある人間の変化を知ると、背筋がうすら寒くなっていく。・・のだが、しかし平安時代の物語を読みながら、和歌を「ウザッ」と読み飛ばす自分と、映画を早送りで観る人は、実はさほど違うものではない。
放っておけば、自分にとって快適なものしか選ばない人間の本能が、ここからは見えてくる。」
少し、耳が痛くなりましたよ~(笑)。
膨大な情報の中でいろいろ目移りして集中力が欠如してきているのはたしかに自分にも当てはまる。
たとえば、2時間物のミステリー番組なんかは、一気に観ることはなく、30分程見たら、飽きてきて別に録画した「ドキュメンタリー」番組にリモコンでポチッと移行することが日常茶飯事である。
ただし、映画とは限らず「音楽」だってそうかもしれない。大好きなオペラ「魔笛」(モーツァルト)だって「2時間半」もの長尺なストーリーなので、もう今となっては根気が無くなって始めから終わりまで一気に見れない。
オペラとはいわず、交響曲だって「1楽章~4楽章」まで通しで聴いている人って、中高年の方々でどのくらいいらっしゃるのだろうか。
あの有名なブルックナーの「交響曲8番」などは「三楽章」と「四楽章」を聴けば、たっぷり満腹になるはずだが・・(笑)。
なお、つらつら考えるのにほかにも「早送り再生」の理由にはこういうことがある。
たとえば同じ1時間でも「大好きな音楽を聴く時間」と「ミステリードラマを見る時間」が、同じ価値を持つとは、自分の場合はとうてい思えない。
つまり「時間の値打ち」が違う。
「ミステリー番組」なら「好きな音楽」に比べてせいぜい半分の値打ちぐらいしかないので、早送り再生で30分ほどにして無意識のうちに「時間の値打ち」を合わせているということは考えられないだろうか。
残された時間がそれほど「潤沢」にあるわけでもなし、時間の浪費に対する防衛本能が自然と働いている・・。
関連して、最後に「タイパ」について・・。(159頁)
「倍速視聴派に言わせればその最大の効能は効率だ。2時間の作品を1時間で観ることができたら、たしかに効率はいい。彼らは喜びの感情を伴わせながら語る、「タイパ(タイム パフォーマンス)がいい」と。
アハハ・・、オーディオでは「コスパ」(コスト パフォーマンス)をよく使うが、「タイパ」という言葉は初めて聞きましたよ~。(笑)
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