11月8日(火)の午後、オーディオ仲間のMさんが珍しく久しぶりにお見えになった。前回のご訪問から少なくとも半年以上は経っているはず。
この間の我がオーディオシステムの変遷もかなりのもので、チャンデバの導入やパワーアンプ2台(真空管)の改良などで以前よりもずっと良くなっていると自負しているので、”ご意見拝聴”の丁度いい機会。
はじめに、ご所望があったのはベーム指揮の「レクイエム」(モーツァルト作曲)。
去る9月27日に逝った母に捧げる「鎮魂歌」というご配慮があったのだろうと、こちらで勝手に推察している。
ご承知のとおり、この「レクイエム」はモーツァルト(1756~1791)が亡くなる直前に作曲に取り掛かったがとうとう未完のままに終わった作品で、最後のパートは弟子のジェスマイヤーによって補筆されているもののいまだに傑作の誉れが高く、レクイエム(鎮魂歌)の中では最高峰とされているもので、まあ、モーツァルトの遺作といっていい。
第一システムの「Axiom80」で聴いていただこうか、第二システムの「ウェストミンスター」にしようかと迷ったが、最近新たに導入したチャンデバのこともあって、まずウェストミンスターからスタート。
じっと黙って聴いているMさんは音質についてどういう感想をお持ちなんだろうかと考えるうちに終盤のジェスマイヤーの補筆のパートに差し掛かったところで、Mさんから「ここまででいいよ」との一声。
これからの展開は天才(モーツァルト)と凡人(ジェスマイヤー)の才能の差が歴然としているので”聴くに及ばず”といったところだろう。
モーツァルトの天才ぶりについては、今さらの話だがついこの間も思い知らされたばかり。
先日(11月2日)のNHKのBSハイの番組「名曲探偵アマデウス」でモーツァルトの「クラリネット五重奏曲」が流されていた。
若い頃に夢中になった想い出深い室内楽曲だが、”もう、とっくの昔に卒業した”と思っていた曲目なのに、テレビ音声ながら改めて聴いてみてクラリネットのふっくらとした響きと典雅、気品、愁いに満ちた旋律に深い感銘を受けた。
「やっぱり、いいなあ~」と思わず”ため息”が出て、急いで手持ちのCDを引っ張り出して聴いてみた。
歴史的名盤とされる「ウラッハ」盤(モノラル)と「プリンツ」盤(ウィーン室内合奏団)がそれで、やはりウラッハ盤は演奏そのものはいいものの1950年代初頭の録音なので響きの豊かさに不足を感じて、途中からプリンツ盤に切り替えた。
(ウラッハ盤は)明らかにデジタルへの焼き直しの失敗で、原盤のレコードで聴くと絶対的な強みを発揮するだろうとおよそ推測がつく。
この両盤ともにカップリングされているのがクラリネット五重奏曲の双璧とされるブラームス作曲のもので、結局これも合わせて続けて聴いてみたわけだが、さすがのブラームスでさえもモーツァルトの才能の前には完全に色褪せてしまうとつくづく痛感した。
モーツァルトの豊かな楽想のもとで滔々と流れていく調べに対して、ブラームスの作品は不自然さと窮屈感をどうしても拭えない。この差は小さいようで非常に大きい。
以上のような話をMさんにしたところブラームスのクラリネット五重奏曲だってたいへんな名曲だよと援護されるのだが、結局「モーツァルトが凄すぎる」という結論に落ち着いた。
ちなみに「クラリネット五重奏曲」の演奏者はほかにもカール・ライスター(ベルリン・フィルの元首席クラリネット奏者)が有名だが、何回(たしか4回くらい)も録音していてちょっと食傷気味。
個人的な意見だが演奏家は同じ曲目を何回も録音すべきではない。以前に録音した演奏がそんなに不満だったのかという話になるし、コンシューマーだってどの盤を購入していいのか迷うのが関の山で、まあ、せいぜい2回までくらいなら許せるところ。
たとえばグレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」(バッハ)はデヴュー当時と最晩年に2回録音しているが、別物かと思うほどの演奏でたしかにそれなりの必然性を感じる。
一方、カラヤンはオペラ「魔笛」(モーツァルト)を何回も録音しているが、一番いいのは最初に録音した1952年盤(テノール:アントン・デルモータ)で、あとは十把一絡げ。
なお、Mさんにこの曲目の決定盤をお訊ねすると近年は「シフレ」演奏のものが人気があるのこと。はじめて聞く奏者だがHMVのネットで「まとめ買いの割安セール」のときに本命盤と抱き合わせで購入してみようかな。
さて、再び話はオーディオに戻って、次に同じ「レクイエム」を今度は第一システムの「Axiom80」で聴いてみた。
音の佇まい、奥行き感、伝わってくる浸透力などなかなかいい面もあったが、ハーモニーとか音のまとまりについては明らかにウェストミンスターに軍配が上がってなかなか甲乙つけがたしだった。
果たして、どちらをメインにしようか・・・。