「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

魔笛談義~年末のBS放送「ミラノ・スカラ座の魔笛」~

2012年01月10日 | オーディオ談義

「失敗学」の権威「畑村陽太郎」氏(東大工学部名誉教授、現在、福島原発の事故調査・検証委員会委員長)によると、講義の途中で学生たちに過去の「失敗事例」を持ち出すと急に身を乗り出してきて目が”生き生きと輝き出す”という。

「同じような失敗を繰り返したくない」という共通の心理が働き、他人の失敗経験から何らかの教訓を汲み取ろうと前向きになるそうだが、その一方で他人の「成功事例」ともなるとさほど熱心にならないという


「成功するよりも失敗しないことの方が大切」というわけだが、まあ、成功事例といえばサクセス・ストーリーとして小説なんかで読む分には気楽で面白いが、現実の身近な話ともなると、どうしても「自慢めいた話」になりがちなので敬遠されるのは否めない。

正直言って他人の「自慢話」に付き合うのを好む人はあまりおるまい。

「エッセイなんてどうせ自慢話だ」と言ったのはエッセイストの山本夏彦氏だが、ブログだってエッセイなので、「自慢話」を「自慢話」らしくしない配慮が必要だと思っているが、ブログを始めてからもう5年以上にもなるがこの辺がなかなか難しい。

とにかく唐突に自慢話を登場させると「あからさまだ」と嫌われるので「自然な流れの中で」、「表現にも一工夫」しながらさりげなく登場させるように心がけているが、こればかりは読む人次第なので判定がいろいろ分かれるところだろう。

しかし、止むに止まれず、これだけはどうしても自慢させてほしいという「生命線」みたいなものが誰にでも必ず一つか二つはあるもので、そういう場合には「そうか、そうか」と快く頷いてほしいものだ。

そして、それは、自分の場合だとモーツァルトのオペラ「魔笛」のCD、DVDの保有枚数なのであ~る!

実はブログを始めたきっかけというか、拠って立つ所もここにあるわけで、「これだけは絶対に人には負けない」というバックボーンがあると、人間(=ブログ)は結構、打たれ強くなれるものである。

とにかく、現在、所有している魔笛のCDが23セット、CD(ライブ盤)が11セット、DVDが14セットで、すべて合わせると48セットにもなる
!(下の写真はほんの一部)

            

何せ2時間半の長大なオペラだから1セット当たり2~3枚として 、枚数にすると確実に100枚以上は超える。およそ30年近くに亘ってこれだけのいろんな「魔笛」を追い求めて購入し、聴きまくったのは日本全国でも指折りではあるまいか、なんて思うことがしばしばある。

まあ「魔笛」に魅せられた後半生だったといえるが、オーディオにしても「魔笛」を「いい音」で聴きたいばかりにやむなく深みに入り込んでしまった結果でもある。

さて、そこで「魔笛のどこがそんなにいいの?」という話になるわけだが、モーツァルトが35歳で亡くなった年(1791年)に書かれたこのオペラには、彼の音楽のすべてが詰まっているといっても過言ではないほどの快心の出来栄えで、次から次に登場する歌曲(全22曲)が心に染み入る極上のメロディばかり。

(あのベートーヴェンでさえもモーツァルトの「魔笛」を最良の作品だと公言し、心酔のあまり「魔笛の主題による12の変奏曲」を献上している。)

また、生と死、善と悪、明と暗、美と醜、荘厳にして滑稽、などの対立する概念が公平に音楽に反映されているところがこのオペラに深い奥行きを与えている。

たとえば、ほんの一例だが王女(パミーナ)に言い寄って悪さをしかける憎まれ役の黒人の奴隷頭(モノスタトス)でさえも”やさしい眼差し”が注がれ、愛嬌のある歌が捧げられている。

こういうところがこのオペラにこの上ない人間愛の豊かさを感じさせ、いつ聴いても「まったく何という音楽だろう!」と感心する。

もちろん楽譜を読めない素人なので専門的な分析に基づいた鑑賞力にはほど遠いが、情緒的、感覚的に聴く分には大いに自信があり、通しで一度聴けばおよそ「演奏のレベル」が把握できる。


まず聴くポイントは次の主役級の5人の歌手たちの歌唱力の出来具合であり、指揮者とオーケストラとのマッチングである。

タミーノ(王子、テノール)、パミーナ(王女、ソプラノ)、夜の女王(コロラトゥーラ)、パパゲーノ(道化役、バリトン)、ザラストロ(高僧、バス)たち。

ただし残念なことにこれら5人の配役が完璧にそろうことはまず不可能で、誰かが良ければ誰かが悪いといった調子だし、これに指揮者の力量やオーケストラの響き、録音状態が加わるのでまず「魔笛」の完璧な演奏は未来永劫に望めないというのがこれまでの自分の正直な感想である。

まあ、トップクラスの演奏でも80点もいけば満足すべきだというのが偽らざる心境。

また、歌手たちやオーケストラの仕上がり具合とともに、もっと重要な要素なのがこのオペラ全体から受ける印象である。

まず、モーツァルトの最晩年の特徴である「(天高く、雲一つない澄み切った秋の青空のような)透明感、清澄感」が感じられなければならない。次に「死は最良の友達です」(父親あての書簡)を彷彿とさせる物悲しさ、はかなさ」が全編からそこはかとなく漂ってくれば、自分が思い描く「魔笛」はひとまず完結する。

モーツァルト独特の「物悲しさ」とは「悲しさが疾走する」とも「涙が追いつかない悲しさ」とも形容されるほどに有名だが、ピアノ協奏曲やクラリネット五重奏曲などもたしかにいいのだが、全編を通じてこの「透明感」とか「物悲しさ」を「心地よいリズム感覚」とともに味わえるのはやはり「オペラ」を措いてほかにない。

極論すれば、「オペラ」と「ピアノ・ソナタ全曲」を除いた、ほかのすべての作品はモーツァルトの才能の浪費ではないかと、思いたくなるほどに「魔笛」の出来栄えは素晴らしい。

さて、前置きが随分と長くなったが、年末のNHK・BSの深夜放送でミラノ・スカラ座で「魔笛」の放映があったので逃さず録画して、日を改めて2時間半の長丁場をじっくり鑑賞させてもらった。

日     時:2011年12月31日(土) 1:00~3:30

チャンネル :NHK BSプレミアム(103)

題     名:華麗なるオペラの世界 ミラノ・スカラ座歌劇「魔笛」

指揮&演奏:ローランド・ベーア、ミラノ・スカラ座管弦楽団

「スカラ座」でドイツ語による「魔笛」(ジングシュピール=歌芝居)を上演するなんて、「そんなのあり?」という違和感を持ったのが最初の印象だったが、とにかく歌手たちの熱唱さえ聴ければ”どうでもいいや”と開き直ってじっくり耳を傾けた。

結論から言えば残念なことだが「透明感、清澄感」や「物悲しさ、はかなさ」の”かけら”も感じられないような、理想には程遠い「魔笛」だった。

さすがに第二幕終盤のパパゲーノとパパゲーナによる「パ、パ、パ」は圧巻だったが、押しなべて歌手たちに「余裕」というものが感じられず昔と比べると随分小粒になったような印象を受けた。

世界クラスでどのくらいのレベルに位置する歌手たちが出演したのか、その辺がさだかではないので断定は禁物だが、ペーター・シュライアー(タミーノ役)など朗々と歌う往年の名歌手たちと比較するとやっぱり見劣りする。

どうもウィリアム・クリスティ指揮の「魔笛」(1995年録音)以降、気に入った演奏に出会わない、一度でもいいから目の覚めるような「魔笛」が出てこないものか・・・。

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