図書館の「新刊コーナー」でたまたま見つけたのが「交響曲名盤鑑定百科」という本。
「交響曲」でいちばん好きなのは「第39番K543」(モーツァルト)なのでどういう鑑定をしているのか、真っ先に目を通してみたところガッカリ・・、肝心の「第4楽章」に言及していない。
50年以上も前に読んだ「モーツァルト」(小林秀雄著「無私の精神」所蔵)では、この4楽章についてこう書かれている。
「部屋の窓から明け方の空に赤く染まった小さな雲の切れ切れが動いているのが見える。まるで「連なった♪」のような形をしているとふと思った。
39番のシンフォニーの最後の全楽章が、このささやかな16分音符の不安定な集まりを支点とした梃子(てこ)の上で、奇跡のようにゆらめく様はモーツァルトが好きな人ならだれでも知っている」
以上のような表現だが、この「揺らぎ」こそモーツァルトの音楽の真骨頂なのに、これに触れないなんて音楽評論家としてあるまじき行為だと思うよ~。
腹が立ったので、もう読まずに返却することにした(笑)。
もう一冊・・。
「宗教音楽の手引き」に目を通していたら、次のような箇所があった。(60頁)。
「クリスマスが近づいてきました。一時代前の日本ではクリスマスというと顔を真っ赤にして酔っ払ったご機嫌の紳士がケーキの箱をぶらさげて きよしこの夜 を歌いながら千鳥足で歩く姿をよく見かけたものでした。
それでも普段キリスト教に関心を持たない日本人が年に一度でもキリストの誕生を祝う気持ちになるならそれはそれでいいことだと思っておりましたが、どうも話はそう簡単ではなかったようです。
その頃たまたまテレビを見ておりましたところ、若い芸能人たちが「連想ゲーム」をしていました。「クリスマス」という題を出されて、それぞれ「プレゼント」「シャンパン」「パーティ」などと言い合っています。その中で一人だけ気の利いた若者が「キリスト」と言ったとたん「バカァー、お前、何言ってんだョー」「何の関係があるんだよョー」と一斉にののしられ、当人も自信をなくして「アア、そうか」と引き下がってしまったのです。
なるほど、これが日本の現実かとわたくしはしばらく考え込んでしまいました。」
そして、各国のクリスマスの祝い方に移り「アメリカは商業的」「ヨーロッパは地味で静かで、フランスは聖夜のミサが秘かに捧げられ教会堂から流れ出る鐘の音がいかにもそれらしい雰囲気を醸し出す、もっとも好ましいのはドイツで質実剛健で浮かれ上がったところが無く堅実で素朴です」といった具合。
ブログ主は「クリスマス」に限らず、外国の風習を安易にとり入れる日本独特の浮かれ方について、苦々しく思っているうちの一人です。
あっ、そうそう、ふと思い出した・・、何かの雑誌に書いてあったことだが、「イブともなると若者たちで都会のラブホテルが満員になる、聖なる夜をみだらな性欲で汚さないで欲しいと外国人が嘆いていた」というお話。アハハ、と笑い話で済ましていいのかどうか・・。
皆さまはどう思われますか?
さて、本論に移ろう。
宗教曲といえば死者の霊魂を天国に送る「レクイエム」、正式には「死者のためのミサ曲」に代表される。日本でいえばお坊さんの念仏みたいなものですかね~。
本書では「レクイエム」の代表曲として「ガブリエル・フォーレ」と「モーツァルト」が挙げてあったが、まったく異論なし~、「ヴェルディを忘れちゃいかん!」と怒り狂う方がいらっしゃるかもねえ(笑)。
前者には「クリュイタンス」盤が推薦してあったが、「ミシェル・コルボ」盤を忘れてはいませんかと言いたくなる~。
後者では「ワルター」盤と「ベーム」盤が推してあったが、ちょっと古いかなあ・・、近代の名演をご存知の方があればご教示ください。
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