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「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「宇宙の音階」とは

2021年08月07日 | 音楽談義

一昨日(5日)のNHK・BSプレミアムの天文関係の番組「コズミック・フロント」(午後10時~)では「宇宙に響く不思議な歌」というタイトルで特集を組んでいた。

「地球は空気があるので多様な音(空気の振動)に満ちているが、誕生から138億年になる宇宙にも独特の響きを持つ星がある。その音とは・・」を探求したスケールの大きな番組だった。

そういえば、ずっと以前のブログに「宇宙の音階」というタイトルで投稿したことを思い出した。

ちまちました家庭オーディオの世界からいっきに宇宙へと視野を広げるのも悪くはないと思うので(笑)、以下、今風に手直しして再掲してみよう。

音楽ってなんだろう? 音っていったいなんだろう?と、思うことがときどきある。

こういう根源的な問いに対して「武満徹 音楽創造への旅」は手がかりらしきものを与えてくれる。著者はつい先日亡くなられた「立花隆」さん。



とはいえ、内容を一括りにして述べるのはちょっと凡才の手に余るので、(武満氏の)音に対する考え方が一番如実に表れていると思う「海童道祖と“すき焼き”の音」(467頁)の箇所から引用しよう。

海童道祖(わたづみどうそ:1911~1992)は単なる尺八演奏家に留まらず宗教家にして哲学者だが、武満氏と小さな座敷で同席して名曲「虚空」を聴かせるシーンの叙述である。

「目の前にはスキヤキの鍋があってグツグツ煮えており、外はダンプカーなどがバンバンと走ってうるさいことこの上ない。そういう環境のもとで、尺八の演奏を聴くうちに、僕はいい気持になってきて、音楽を聴いているのか、スキヤキの音を聴いているのかダンプカーの音を聴いているのか分からないような状態になってきた。

それらの雑音が一種の響きとして伝わってくると同時に尺八の音色が前よりもくっきりと自分の耳に入って来る。演奏が終わって海童氏が“武満君、いま君はきっとスキヤキの鍋の音を聴いただろう”と言われたので“たしかにそうでした”と答えると、“君が聴いたそのスキヤキの音がわたしの音楽です”と言われる。

ぼくは仏教とか禅とかは苦手で禅問答的な言い方はあまり好きじゃないのですが、そのときは実感として納得しました。」

つまり、音楽の音の世界と自然音(ノイズ)の音の世界が一体となっている、そこに武満氏は日本の音楽の特質を見出す。

海童同祖は次のように言う。

「法竹(修行用の尺八)とする竹にどんな節があろうが、なにがあろうがいっこうに差支えない。物干しざおでも構わない。ほんとうの味わいというのは、こういうごく当たり前のものに味があるのです。

ちょうど、竹藪があって、そこの竹が腐って孔が開き、風が吹き抜けるというのに相等しい音、それは鳴ろうとも鳴らそうとも思わないで、鳴る音であって、それが自然の音です。」


さらに続く。

「宇宙間には人間の考えた音階だけでなく、けだもの、鳥類、山川草木たちの音階があります。宇宙はありとあらゆるものを包含した一大音響体なのです。

どんなノイズも、クルマの音も、私たちが喋っている声も我々には同じ価値を持っている。それぞれに美しさがあります。

いわゆる調律された音だけではない音たち、それから音のもっと内部の音、そういうものに関心があります。つまり音楽の最初に帰ろうとしているわけです。」


以上のことを念頭におきながら2枚のCDを聴いてみた。

         

いきなりこういう音楽を聴くと、これまでの西洋の音楽、つまり「旋律とリズムとハーモニー」にすっかり麻痺してしまった耳にとって違和感を覚えるのは当たり前だが、これから繰り返し繰り返し聴くことによってどのように耳に馴染んでくるのか興味深いことではある。




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