先日、我が家に試聴にお見えになったオーディオ仲間(レコード愛好家)にこう言って嘆いたことだった。
「ようやくdCSのCDトランスポートが修繕から戻ってきましたが、2~3年おきに故障してほんとうに困ってます。使い方が悪いんでしょうかねえ。」
すると、「CDトラポは回転系ですから毎日使ってやった方がいいですよ。長い間ほったらかしにすると、ゴムベルトが変形したりしてけっしていいことはありません。その点レコードはいいですよ~。もう一度戻りませんか。」
「音がいいのはたしかですがレコードはちょっと・・・。精密な調整箇所が多すぎてこの歳では時間と資金が足りませんからねえ~(笑)。そういえばCDトラポは近年USBや光テレビで音楽を聴くことが多くなって1週間近く使わないことがよくありました。以後、気を付けて毎日使うことにしましょう。」
というわけで、大いに反省してそれからは毎日必ず最低でも2~3枚のCDを聴くことにしているが何を聴くかというとやっぱりモーツァルトに尽きる。
他の作曲家となると、どうしても楽譜の前で苦吟しながら作曲するイメージが付きまとい、旋律とかリズムなどを含めて作風そのものが何だか作為的というのか、わざとらしく感じてしまう。音楽の母「バッハ」はちょっと「線香臭い」しね~(笑)。
その点、モーツァルトは天真爛漫、こんこんと泉の水が湧き出てくるような風情で何もかもが自然の装いのまま、すんなりと音楽に溶け込めるのがいい。
幸い、5年ほど前に購入した「モーツァルト全集~55枚~」(ドイツ・グラモフォン)があったので、順に聴いていくことにした。55枚もあればモーツァルトのありとあらゆるジャンルに亘って綺羅星のような名曲が網羅されている。
この全集が到着したときに、ずっと通しで聴いているので知らない曲目はないがこうして改めて聴いてみると、やっぱりいい。
それにさすがに老舗のドイツグラモフォンからの発売だけあっていずれも、名歌手、名演ぞろいなのがありがたい。
とりわけ感銘を受けたのが次の2曲。
まず左側のCDは「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ K.165」(原題:エクスルターテ・ユビラーテ)。アレグロ・アンダンテ・アレグロという3つの構成だが、このアンダンテの中で歌われる4分ほどの曲が素晴らしい。
もう、「この世のものとは思われないような清々しい美しさ」である。歌手はあの有名な「バーバラ・ボニー」(ソプラノ)で、天使のような澄んだ声と知性的な歌唱力に思わず息を呑み、ウ~ン、参った!
ほんとうに生きててよかった!
こんな音楽を「いい音」で聴けるのなら、オーディオにいくらお金を突っ込んでもいいという気になるから不思議(笑)。
改めてバーバラ・ボニーに惚れ込んで、すぐにオークションを覗いて次のCD(歌曲集)を即決で落札。
それにしても、この曲目はモーツァルトが弱冠17歳のときの作品で、晩年(とはいっても35歳で亡くなったが)の円熟した作風とはまた違う朴訥な良さがあって、やはり年代毎の作品の優劣を感じさせない並外れた才能に「天才」という言葉を惜しみなく捧げよう。
次は、モーツァルトの最晩年の作品であるオペラ「魔笛」(ベーム指揮)。ベームは魔笛の常連さんだが、これは1964録音の最後の魔笛。
出色は王子役(タミーノ)の「ヴンダーリヒ」で、惜しいことにこの録音の2年後に事故死したが当時最高のテノールと謳われ、現在でも「彼を越えるリリック・テナーは現れていない」とまで言われる稀有の存在。
「大地の歌」(マーラー作曲:クレンペラー指揮)でも、ルートヴィッヒ(メゾ・ソプラノ)と並んで名唱を披露していた。
このCDの中でも伸びのある素晴らしい美声を披露してくれて、王子役としてはあらゆる魔笛の中で彼がベストと言い切っていい。秀逸な録音と相俟って、上出来の魔笛を堪能させてもらった。
もし、モーツァルトファンを自認されている方であれば、この全集はぜひお奨め~。