「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

モーツァルトの「ヴァイオリン・ソナタ集」

2014年12月25日 | 音楽談義

この30年ほど専らモーツァルトの音楽に親しんできたので“今さら何だ”と言われそうだが、ここ2週間ばかりすっかり「ヴァイオリン・ソナタ集」に嵌っている。

この「ヴァイオリン・ソナタ集」はオペラなどとは違ってモーツァルトにしては非常にマイナーなジャンルにあたるが、
朝な夕なに聴き耽っておりウォーキングやエアロバイクを漕ぐときも頭の中にフレーズが自然に浮かんできてつい口遊むほどで、これは明らかに“淫している”状態にある。ちなみに「淫」とは、姦淫とか淫乱とか非常に語感が悪いが「度を越して熱中する」(広辞苑)ことをいうので念のため(笑)。

とにかく「いい音楽を聴くと必ず後に尾を引く」と、よく聞かされるがまさしく身をもって体験している。

ソースはCDとは違いクラシック専門放送「クラシカジャパン」(CS放送)を録画したもので、ギル・シャハム兄妹のピタリと呼吸の合った
演奏が何とも形容のしようがないほど素晴らしい。

          

番組中の「K301~306」の一連のソナタは1778年(22歳)に作曲されたもので、いかにも天真爛漫というべき「モーツァルトらしさに」溢れた作品で、正式な題名は「クラヴィール(ピアノ)とヴィオリンのためのソナタ」で、平たく言えば「ヴァイオリン助奏付きのピアノ・ソナタ」のこと。

形式上はピアノが主役となっているが、そこはさすがにモーツァルトでピアノとヴァイオリンがまったく対等となって丁々発止のやり取りを繰り広げている。その絶妙の緊張感と調和は何度聴いても飽きがこない。

去る20日(土)に、ご近所にお住いのYさんが久しぶりに我が家に試聴にお見えになったときもこの録画番組を真っ先に視聴していただいた。

ちなみにYさんは実際にフルートを演奏される方で日頃から生演奏に触れられているせいか非常に音にうるさい方。そのフルートにしても金製でトヨタ・クラウン並みのお値段とのことで、その熱心さが推し量られようというもの(笑)。

ひとしきり聴かれてから「このヴァイオリン・パートはフルートでときどき演奏してますよ。」とのご発言。

エッと驚いた。「とても複雑そうですが演奏が難しくはないですか?」

「いいえ、まるでフルート向きに書かれたみたいに簡単ですよ。しかしヘンデルなどの音楽とは違ってモーツァルトを演奏するときはいつも変化に富んでいてまったく飽きがきません、こればかりは不思議ですねえ~。」とYさん。

自分の日頃のモーツァルトへの思いを裏付けしてくれる貴重なご発言である(笑)。

一般的にモーツァルトの音楽はクラシックというジャンルの中で一括りにしてアッサリと片付けられているが、他の作曲家たちと同列に論じられるのが間違っているような気がしてならない。何といっても音楽の成り立ちがまったく違う。

手紙魔だったモーツァルトにはいくつもの残された書簡があるが、その中で作曲に当たっての非常に興味深い記述がある。(小林秀雄「モーツァルト」より)

要約すると、「曲目の構想が奔流のように頭の中に浮かんできてどんなに長いものであろうと一気に完成します。まるで美しい一幅の絵を見ているみたいです。後で楽譜に写す段になると、脳髄という袋の中から必要なだけの“かけら”を取り出してくるだけです。」

「天才の極印」(同書より)として非常に有名な箇所だが、こうして出来上がった音楽は文字どおり「天馬、空を駆けるが如し」で伸び伸びとして微塵も不自然さが感じられない。他の作曲家たちのように苦吟しながら何度も何度も推敲を繰り返して完成する音楽とはまるっきり異質で明らかに一線を画している。

ヴァイオリン・ソナタを聴くたびに「モーツァルトはやっぱり凄いなあ、天才やなあ!」とまるで“うわ言”のように繰り返しているが、このブログを書く段に当たって、ある程度の予備知識を蓄えておこうと県立図書館に出かけて関係図書を借りてきた。(21日)

         

右側の「モーツァルトその人間と作品」(アルフレート・アインシュタイン著)は、数あるモーツァルト研究書の中でも白眉とされているが、その348頁に「ヴァイオリン・ソナタが作られた当時はフルート奏者のために作曲をしていた時期に当たり、ヴァイオリン・パートは明らかにフルート的な性格を有している。」とあった。

Yさんが「ヴァイオリン・パートはフルートでも演奏しやすい」との発言にピタリと符合することに驚いた。

何はともあれ、こういう名曲をヴァイオリンの音色に特化した「AXIOM80」で聴けることは至上の喜びとするものである。

ちなみに、Yさんには(この曲を)初めにJBLシステムで聴いていただき、途中から「AXIOM80」に切り替えて試聴していただいた。

その結果「まったくヴァイオリンの音色が違いますね。JBLだとツルンとして“のっぺらぼう”に聴こえますが、AXIOM80になると、非常にしなやかで細かい襞の部分まで再生してくる印象を受けます。」
とのご発言。

“我が意を得たり”とばかり「いつも思うのですが(スピーカー側が)金属のダイヤフラムだと、どうしてもヴァイオリンの音色が硬くなりますね~。」と、すぐに返した。

その代わり、ピアノや金管楽器の響きなどはJBLの独壇場だから「音の神様」は実に公平である。

そこで一言。

「AXIOM80に打楽器や金管楽器の本格的な響きを求めるのは、比丘尼(びくに)に求めるに陽物(ようぶつ)を以ってするようなものだ」(司馬遼太郎「歳月」)。(笑)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする