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「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

南スコットランドからの「ウマさん便り」~2023・3・10~

2023年03月10日 | ウマさん便り

 「カレンとシャロン」  

カレンは40代半(なか)ばだろうか。いつも地味な柄の、ふわっと広がった長いワンピースに白いズック靴、化粧っけなしの素顔、そして腰まである長い赤毛をうしろで束(たば)ね三つ編みにしている。いつ会っても、それ以外の格好を見たことがない。

ダライラマ14世の代理人も務(つと)める彼女、時々、スイスからスコットランドの我々を訪ねて来る。

カレンは、アフリカの子供たちを飢餓(きが)やマラリアから救う活動を、長年、地道(じみち)に続けている人でもある。つまり、この世から消えさる寸前にあった幾多(いくた)の幼い生命が、彼女の献身(けんしん)的活動により、生きながらえて母の姿を自分の目で見ることが出来たわけですね。 

ある時エディンバラで、彼女とも親しく、我々とも時々一緒に活動をしているイヴェントプロデューサーのドイツ人ヴィクターに、カレンの生(お)い立(た)ちを聞いた時は、まあ驚いた。 

スイスの世界的食品会社(そう、誰でも知ってる、コーヒーで有名なあの会社)の創始者の家系、つまり億万長者の家に生まれた彼女は、小さい時、運転手付きのロールズロイスで幼稚園や小学校に通っていたという。もちろん欲しいものは何でも手に入る何不自由ない子供時代を過ごした。そういう生活が当たり前だと思っていた彼女に、一生を左右させるほどの衝撃(しょうげき)を与えたのが、高校を修(お)えた年に訪れたアフリカだった。  

ヨーロッパの他の国の青年たちと参加したキャラバン旅行の途中で見た光景…

栄養失調の幼い子供たちが目の前で死んでいくそのショッキングな光景は、今まで見たことも聞いたこともない、彼女にとっては、まったく想像すらしなかった未知の世界だった。あまりの衝撃に目の前がクラクラし、その場に立ちすくんでしまったという。そして、その衝撃的体験(しょうげきてきたいけん)が、彼女の生きる方向を決めた。 

その後、親の強い反対を押し切ってアフリカへボランティア活動に出向き、アフリカ各地で、無我夢中(むがむちゅう)の7年間を過ごしたと云う。そして国へ帰ってきた彼女は、根本的に別の人間になっていた。あらゆる贅沢(ぜいたく)にはもういっさい目が向かず、寝ても醒(さ)めても自分に何が出来るのかを模索(もさく)し続けたと云う。

<人の為に何が出来るか>…これが、彼女にとっての永遠の命題となった。

そして遂(つい)には、アフリカの子供たちを飢餓(きが)から救うファンドを立ち上げ、ユニセフなどとも連携(れんけい)しながらのNGO活動に全身全霊(ぜんしんぜんれい)を捧(ささ)げることになる。大邸宅から、事務所も兼ねた質素なアパートに移った彼女の意思の強さ固さに、とうとう両親も理解を示し、以後、協力を惜(お)しまなくなったと云う。 さらに、愛してやまない一人娘の確信に満ちた行動に、誇りすら示すようになったとも云う。 

カレンの驚嘆すべきストーリーを聞いて目を丸くしている僕に、ヴィクターが一息ついて付け加えた…

「カレンの献身的(けんしんてき)な歩みを知ったことが、それまで儲(もう)けることばかり考えていた私を大きく変えたんだよ」 だからヴィクターは、僕たちアラントンのイヴェントやプロジェクトに無報酬で積極的に協力してくれるんだね。 

ところで、ラグビーやオートバイなど、僕と共通の趣味をもつジェイクは、まったく気の置けない、隣り村に住む親しい友人です。その彼が、「バカンスで10日ほどスペインへ行くから、オートバイ貸したろか?」(オートバイ、正しくはモーターサイクル或いはモーターバイク、そして、バイクは自転車のことです)

女房のキャロラインは所用でスイスのカレンに会いに行って不在やし、これは嬉しい申し出やないか。で、彼の、BMW1100cc水冷4気筒の大型オートバイを借りてロンドンへ行くことにした。 

ロンドンでは、ミュージシャンをしている長女くれあのライブを聴いた。ライブ終了後、大英博物館近くの赤ちょうちん「酔処(よいしょ)」で、人肌燗酒(かんざけ)と塩辛や板わさなど、スコットランドではお目にかかれない貴重な珍味をいただいて、もうニコニコ顔の僕の脇で、うどん、ギョー

ザ、さらに梅干茶漬を嬉しそうに食べているくれあ…

あゝ幸せやと、久しぶりにロンドンの夜を堪能(たんのう)した。 

翌日、スコットランドへ帰ろうと準備しているところへ、スイスにいるキャロラインから連絡が入った。僕に、ジュネーブへ来て、ユニセフやカレンとの共同プロジェクト「アフリカ・ピース・デー」の仕事を手伝って欲しいという。どうやら手が足りないらしい。

で、ロンドンからジュネーブへのエアチケットの手配をしている時、…そうや、このままオートバイでスイスまで行ったろかいな…と、相変(あいかわ)らず成り行き任(まか)せのエエ加減さが頭をもたげてきよった、いやはやですね… 

で、ユーロトンネル(通行料高い!)でフランスへ、さらにフランスの、平坦であまり変化のない田舎道(いなかみち)をひたすら走った。美味(おい)しい店が多いグルメの街リヨンで何か食べたかったけど、我慢して走り、そして、やっとこさジュネーブのキャロラインが泊(と)まっているホテルへ着いた。

しんどかった。歳(とし)をとるとオートバイはきついわ。でも、久し振りのオートバイ、やっぱりエエなあ、とても楽しかった。

駐車場にオートバイを停めていると、ホテルのテラスで、キャロラインがカレンや友人たちとお茶を飲んでる姿が目に入った。ヘルメットを脱ぎ、オーイ!と叫ぶ。キャロラインが驚いて立ち上がった。カレンも立ち上がり、二人とも僕を見て目を丸くしてる。

「ウマ! オートバイで来たの!? ナニ考えてんの、呆(あき)れたー!」

自分でも呆(あき)れるわ。

「いやあ、カレン、久しぶりやね!元気?」

挨拶(あいさつ)しホッとひと息つく。ロングドライブのあとの冷えたビールが実に美味(うま)い! ひとしきり、スコットランドからロンドン、そしてジュネーヴまでのオートバイでの道中の話しをしたあと、アフリカから帰ったばかりのカレンの話を聞いた。 

アフリカでは民主化が進展する国もある反面、部族間対立が引き起こす政情不安が今でもおびただしい数の難民を生み、子供たちが真っ先にその犠牲(ぎせい)になっている図式は、昔も今もほとんど変っていない。治安(ちあん)はもちろん、衛生状態の劣悪(れつあく)さが子供たちを直撃している地域が山ほどあると、彼女は顔を曇(くも)らせる。

国連や各国政府の医療援助などは非常にありがたいけど、部族間同士の報復の連鎖や、住民のことなど眼中にない独裁政権に対する、もっと根本的な解決策に、国際規模での知恵を働かせてほしいと言う。それに日本からのODAなど、援助の資金を自分のポケットに入れる政府高官が少なくなく、正しく使われていない現実に何度も出くわしたとも云う。 

カレンがアフリカの子供たちに寄せるシンパシーは普通じゃない。今のNGO活動が自分の天命だと思っているのは話を聞いていてよくわかる。化粧もしない質素で地味な雰囲気からは、子供の時、ロールズロイスで学校に通ってたなんて、とても信じられない。しかし、化粧して美しくなる以上に、生き方や信念そのものが、その表情を生き生きと美しくしているし、その凛(りん)とした瞳の輝きも普通じゃない。

誰が見ても彼女は美人だと思う。でも、こういう人には、異性としての魅力などとは次元の異なるオーラのようなものを感じて、僕は、すごく爽(さわ)やかな気分になるんだよなあ。男でも女でも尊敬できる人は尊敬出来るんですよ。また、そうでなくちゃいかんと思うよ。 

オートバイでの長距離ツーリングは自動車の何倍も疲れる。ま、充実感のある心地よい疲労だけど。でね、焼き立ての香ばしいクロワッサンに地チーズ、それにスイスの地ワイン(コレがめちゃいける)など、皆とワイワイやりながらすっかりくつろいだ頃、カレンのケータイが鳴った…

「…もしもし、ああシャロン、久し振りね、その後元気? いまね、スコットランドのキャロラインが来ていて、ユニセフと共同で催すアフリカピースデーの打合せをしているところなの。ご主人のウマもついさっきオートバイで着いて、皆で呆(あき)れてたところ…」 

「シャロンは私の最大の理解者の一人よ。ちょっと挨拶してみない?」と嬉しそうにケータイをキャロラインに渡すカレン…

「初めましてシャロン。あなたのことはカレンから聞いてますよ。いつか会いましょうね」とキャロライン、しばらく親しげに話したあと僕にケータイを渡す。急にこっちに渡されても困りますがな。めちゃ美味(おい)しいスイスワインでエエ気分になってるのに…

「ハ、ハイ、シャロンさん、ウマです。そう、キャロイランのハズバンドです。スコットランドへ来る機会があればぜひウチへ寄ってくださいね」

「わたし、エディンバラの映画祭には参加したことがありますよ。スコットランドは好きですねえ。一度ゆっくり訪ねたいと思っています…」

このシャロンさん、落ち着いた低めの声がすごくハスキー…。とても魅力的なアルトでしたね。そのあと、カレンが、シャロンとの幸福な出逢(であ)いを語ってくれた。 

アフリカの難民救済救援活動をするいくつかのNGOが合同で主催したアムステルダムでの集会で、アフリカの子供たちの深刻な現状をリポートしたカレンに、集会のあと面会を求めてきたのがアメリカから来ていたシャロンとの出逢いだったと云う。そしてその場でいきなり2万ドルの寄附(きふ)をしたいと申し出て、カレンの目を丸くさせたそうです。その時以来、シャロンはカレンの活動を積極的に後押(あとお)しするようになった。

類は類を呼ぶんだなあ。彼女たちのミッションの実現には、気の遠くなる時間と不屈(ふくつ)の忍耐(にんたい)と努力が必要だろう。一円にもならない仕事に自身の生きる価値を見いだし情熱を捧(ささ)げるカレンやシャロン…

こういう人たちを尊敬しなくていったい誰を尊敬する? 

ところで、キャロラインという人、人を見下(みくだ)したり、逆に卑屈(ひくつ)になることもない、如何(いか)なる人に対しても態度が変ることのない稀有(けう)な人だと云えます。

ダライラマ14世やスコットランド政府の大臣たちとの会見、さらに、エリザベス女王への謁見(えっけん)など、そういう有名人著名人との接触に特に興奮もしない。僕みたいなミーハーが、得意げにそういう話を人にするのも好ましく思っていない。 

例のシャロン…彼女が如何(いか)なる人物か、キャロラインは知っていたのに僕には云わなかった…

ある時、テレビでハリウッド映画を観てたとき、キャロラインが画面の女優を指差(ゆびさ)しボソッと呟(つぶや)いた。「カレンをサポートしているシャロンよ」…

カレンをサポートしているシャロン?…

彼女がハリウッド女優シャロン・ストーンだと知ったのは、電話で挨拶してから二年以上も経(た)ったあとの事でしたね。


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南スコットランドからの「ウマさん便り」~2023・3・5~

2023年03月05日 | ウマさん便り

「二人のジョアンナ、その人生の選択のとき」

ロンドンのホテルでコンファレンスがあった日は、大雪、しかも風の強いかなりの悪天候で、欠席者がかなり多かった。 

欠席者が多く、空いた席が出席者同士の距離を遠くするという主催者の発案で、急遽、大きな楕円形(だえんけい)のテーブルをかなり縮小した。

縮小したテーブルのぼくのすぐ隣りに、ハリウッド女優みたいな美人が座ったんでドキドキしてしもた。

驚いた! びっくりした! ぼくに「日本の方ですか?」と聞いた彼女、めちゃ流ちょうな日本語で挨拶したんや。

「わたしジョアンナと云います。東京に住んでいました…どうぞよろしく。」

スティーブ・マックィーンの奥さんだったアリ・マッグローから野性味を取り除いたような、洗練された清楚(せいそ)な顔だちをしておられる。こりゃ、誰でも振(ふ)り向(む)く別嬪(べっぴん)さんや。 

あのね、誤解のないように云っとくよ。ウマはね、そんな別嬪さんとお付き合いしたいとか浮気をしたいとか、そんな気持ちは、まったく、毛頭(もうとう)、ぜ~んぜん、もう金輪際(こんりんざい)ないのでござるよ(たぶん…)。

美人を見て、ウ~ム、綺麗(きれい)やなあって思うのはね、つまり、美術館で名画を観(み)るのと同じ感覚やね。そう、別嬪(べっぴん)さんはね、ま、つまり美術品ってことなんや。

美術館で名画に手で触(ふ)れたら叱られるよね。ウマはね、もちろん、名画や別嬪さんにタッチするなんて、そんな非常識なことしますかいな。だってさあ、観賞させていただくだけで、もう、充分シアワセでございまっさかい(たぶん…)。 

さて、ロンドンでのコンファレンス、その平和集会で、スコットランドの平和の聖地アラントンの存在を知ったジョアンナは「是非訪ねたい」と、後日ロンドンからアラントンを訪れてくれた。嬉しかったなあ! 美術館の名画の中の美女が、額縁(がくぶち)から飛び出してわざわざ電車に乗って来てくれはったんや。 

ジョアンナ! なんか食べたいもんある?

「ウマさん、梅干(うめぼ)しあるかしら?」エッ? 梅干し?…まかしなはれ! 姉が送ってくれた最高の南高梅(なんこううめ)がありまっせ!

この別嬪(べっぴん)さん、ごはんに梅干しが大好き!それに納豆も大好きだとおっしゃる。で、彼女が滞在中、様々な日本食を作ってあげた。うどん、そばにラーメン、みそ汁、それにチャーハンなどなど…。誰もが振り向くこの別嬪さん、なんと日本食が最高だとおっしゃるんや。

ロンドンでは日本食なんか作ってるの?って訊いたら、いや、ないですと、やや寂しそうにおっしゃる。日本食が最高やって云うのに、アレッ? ちょっとおかしいなと、その時思った。

で、ロンドンに帰る彼女に、おにぎりと共に、アラントンにストックしている様々な日本の食材をあげた。ところが彼女、とつぜん泣き出したんや。エーッ? なんでーッ? すごく嬉しい…と云いながら泣

いてはるんや。ちょっと大袈裟(おおげさ)とちゃうやろか? その理由はかなりあとで知ることになる… 

ロンドン南部のウィンチェスターに住む大阪出身の恭子(きょうこ)は建築家です。御主人のデビッドはウィンチェスター大学の職員で、かなりの日本通の方です。同じ大阪出身の恭子とは親しくしているし、彼女もアラントンでの集まりにはちょくちょく参加してくれる。

恭子は、同じ平和活動の仲間として、ジョアンナとも親しくしていて、ロンドンで、ちょくちょく彼女と会っていると云う。 

ある時、その恭子から、ジョアンナのストーリーを聞いた時は、まあ、驚いた。あの、誰もが振り向く別嬪さんジョアンナの、ちょっと普通じゃない過去を知っちゃったんや。で、思った…

人生って、大事な選択をせんといかん時があるんやなって… 

…ジョアンナは東京で日本人と結婚した。

その相手は、とてもお金持だった。豪華な家に住み、そして、欲しいものは何でも手に入る何不自由ない日々を送ったという。これ以上ない贅沢(ぜいたく)、かつすべてに満(み)ち足(た)りた生活だったとも云う。ところが…

ある日、彼女は、テレビのドキュメンタリーで、住むところも食べ物もない中東やアフリカの難民の過酷な姿を見た。そして、私の人生、今のままでいいのだろうか?…と、ふと考え込んでしまったという。

そう…、その、何不自由ない贅沢な生活に疑問を抱いたんやね。ぼくは、それを聞いて、思わず、億万長者の家に生まれたカレン、アフリカで栄養失調の子供たちが目の前で死んでゆく姿を見て自分の一生の道を決めたカレン(ウマ便り「カレンとシャロン」参照)を思い出した。 

ジョアンナは…難民を生まない世界って平和な世界しかない…そう確信するのに時間がかからなかった。以後、様々な平和活動に関心を向け、そして、実際に参加するようになった。しかし、美人の外人妻が自慢の御主人は、常に彼女を晴れやかな場所に連れていこうとした。が、彼女のこころは、そんなうわべだけ、つまり、虚飾(きょしょく)の生活からますます遠のいていったという。

彼女のこころを理解しようとしない夫との距離がだんだん遠のき、結局、離婚と云うかたちで日本での生活を終えた。 

ロンドンに戻ったジョアンナは、エスニックミュージックを専門とする音楽プロデューサーの助手の職を得る。そして、その職場で知り合ったのが、イスラムのスフィーグループ(知的穏健派(ちてきおんけんは))のメンバーのパキスタン人だった。

お金や贅沢(ぜいたく)以上に、より精神的な拠(よ)りどころを求めていた彼女は、優しいとはいえ、とても裕福(ゆうふく)とは云えない彼との結婚を決意した。 

夫の母親も同居する狭(せま)いアパートでの生活は決して快適なものではなかったし、彼女に家計を任(まか)せてもくれなかった。買い物もいちいち細かく指定され、レシートも点検された。ま、日本での贅沢(ぜいたく)な日々とは雲泥(うんでい)の差の生活やね。

ロンドンには、日本の食材がかなり揃(そろ)っている。しかし、彼女には、大好きな日本の食材など、梅干(うめぼ)しひとつ買うことは許されなかった。だから、僕が彼女に日本の食材をあげた時、堰(せき)を切(き)ったように涙を見せたんですね。 

さてさて、その後、ずいぶん年月が経(た)ちました。ごく最近の事です… 

何度かアラントンを訪れたジョアンナだけど、ここんとこしばらくはご無沙汰していた。それで、その後。どうしてんのかなあ?と思い、メールを出してみた。

「ジョアンナ、その後、元気にしてる? たまにはアラントンにおいでよ」

すると、嬉しい答えが返ってきたやないですか。それを見たウマはめちゃ嬉しかったねえ。 

独立した御主人の事業がかなり順調で、二人目の子供が生まれたのを機会に、ロンドン南東部の海沿(うみぞ)いの、かなり広い土地付きの家に引っ越したと云う。

そして「今はとても幸せに暮らしてます」だって…

「ビーチに近い新しい家に引っ越して、今、とても幸せです。夫も義理の母も、いつの頃からか、私の平和活動にすごく理解を示してくれるようになり、私の念願だった、庭にピースポールを立てることにも賛成してくれました。

私の好きな日本の食べ物を、この頃では夫も母も一緒に食べてくれるようになり、私は、今、日本の食材を自由に買うことが出来るどころか、夫や母親から日本食のリクエストを受けるんですよ。一時期のことを思うととても信じられない。

すごく苦しい時期、すべてを投げ出したい時もあったけど、いつも、これからきっと良くなると信じて、祈りを欠かさない日々を送ってきました。

アラントンは、とても不思議なところです。アラントンに滞在するたびに、間違いなく特別な波動を、心強い波動を、いつも肌で感じていました。アラントンを訪れたことが、間違いなく、今の私の、幸せに繋(つな)がっていると信じてます。

ウマさんはじめアラントンの皆さんには、とても感謝しています。次回お邪魔する時は、家族全員で行くつもりです…」 

美人を観賞出来たうえに、その額縁(がくぶち)の中に秘(ひ)められたストーリーを知り、さらに、額縁の中のその別嬪(べっぴん)さんが幸せになったことも知り…いやあ、ウマはなあ、素敵なメールをもらって、とても嬉しいわ。

ジョアンナの選択(せんたく)…間違ってなかったんやね。

(もう一人のジョアンナ)

アラントンに、ボランティアとして、ちょくちょく来てくれる、近郊の村に住むジョアンナはゲイの方です。歳のころ40歳半ば、知的な美人で、しかも穏やか、誰からも敬愛されている。ウマももちろん大好きな方や。 

日本にいた時、ゲイと云うのは男の同性愛者のことだと思っていた。ところが、こちらに来て、男女問わず、同性愛者のことをゲイと呼ぶのを知って驚いた。つまり、レズビアンの方もゲイなんですね。広辞苑には(男の)同性愛者とあるけど、これは間違い。(男の)はいらないね。 

ぼくは、同性の結婚を事実上認めているこの国で、同性同士の結婚式に呼ばれたことがある。あのスーパースター、エルトン・ジョン…ゲイの彼に女王が<サー>の称号を与える国やしね。

カミングアウトしているゲイの人は多いよ。ぼくのまわりにもいるけど、実はね、素晴らしい人格者ばっかりなのよ。彼らのまわりの人々で、彼らを拒否する人はひとりもいない。ぼく自身も、彼ら同性愛者の存在を認めている。なぜか? 

人がこの世に生を受ける…、男に生まれるか女として生を受けるか…いわゆるジェンダーやね。ところが、神さんが、ちょっとイッパイ呑(の)んではったんやろか、或(ある)いはちょっとよそ見してはったんやろか、そんな隙(すき)に、体は男、でも心は女、或いはその逆…てな方が、この世に生を受けるんや。 

心身が逆転した状態でこの世に生まれてしまったことは、ま、しゃーないよね。第一、本人にまったく責任などないじゃない。だから、そんな性を隠すことなく生きていける社会も必要だとぼくは思っている。どうしてそんな思いに至ったかと云うとね、前述したように、ぼくのまわりのゲイの皆さん、知的で見識のある方ばかりやからです。 

イングランド人のダイアナ、イタリア人のアンティネラ…

平和活動に人一倍熱心な彼女たちの結婚式には、双方の両親はもちろん、イタリアからも多くの方が列席された。素晴らしい結婚式、そして実に温かい雰囲気のパーティーだった。彼女たちの親兄弟も含め、誰もがハッピーなひと時を過ごした。

新婚のカップル、そのどちらもが女性だったのが、日本ではちょっと考えられないことだけど… 

アイルランド人のキャロルとモイラ…

大阪に長く住んだこのゲイのカップルは、僕たちの古い友人で、僕の子供達も小さい時から親しんでいる。この二人、今、故郷アイルランドのダブリンで幸せに暮らしているけど、周りの誰もが、彼女たちがゲイである事を知っている。

二人ともキャリア豊かな教師で、キャロルなど校長先生を務めている。そう、ゲイであることが社会にまったく迷惑をかけていない。 

僕の長女、くれあの高校時代の同級生ニッキー・スペンスは、いまや押しも押されもしないスコットランドを代表するテノール歌手となった。そのファーストアルバムは、クラシックでは異例と云えるベストセラーとなり僕も愛聴している。

彼は、学校祭で、いつもくれあと日本の歌をデュエットした。学校一の巨漢(きょかん)、まるで相撲取(すもうと)りみたいな彼が、くれあと踊りながら日本語で唄ったユーミンの「まちぶせ」など、先生方や御父兄さんたち、おなかを抱(かか)えて笑っていた。

巨漢の彼がゲイだということは、先生も含め学校中の誰もが知っていた。でも、誰一人、それを非難する者はいなかった。それどころか、彼、ニッキ―は、学校で一番の人気者でもあった。うち、アラントンにもよく遊びに来た。 

毎年、大晦日(おおみそか)に恒例(こうれい)となっているグラスゴー・ロイヤルコンサートホールでの彼のコンサートはいつも満員です。彼が登場した途端(とたん)、歓声があがります。

彼、ニッキ―は、毎回、僕たちを一番いい席に招待してくれる。僕の姉、美也子は、着物姿でこのコンサートに行き、彼、ニッキーとビッグハグしてたね。 

いかがですか? こちらでは、尊敬を受けるゲイの方の存在が少なくないってこと、わかっていただけたかな? 少なくとも、僕のまわりでは、という注釈付きではあるけど…

日本では一部のタレントがゲイとして社会的に認められていると思

う。おすぎとピーコ、美輪明宏などなど…、でも、ごく一般の人も、ゲイとしてもっと認知されていいと思う。それを隠すことなく生きていける社会って、きっといい社会だと僕は思っている。 

前置きが長くなっちゃった。さて、ジョアンナ… 

ゲイの彼女、パートナーとの間には、当然、子供は出来ない。

いつだったかなあ、彼女が、ぼくに、晴れやかな笑顔で云ったことがある。「ウマ、わたし、養子をもらおうと思ってるの」

ああ、それはいいことやね。ジョアンナ、養子を迎えたら、是非、アラントンにも連れてきてな。 

それから半年ほど過ぎた頃だった。アラントンでの集まりに、彼女は初めて、その養子の子を連れてきた。

驚いた! びっくりした。車椅子(くるまいす)のその子を見て驚いた。10歳だというその男の子、小児マヒで口もきけないうえ、杖(つえ)を使っても一人では歩けない。

養子にもらった子が小児マヒ、しかも車椅子、自分で歩けない。口もきけない。

北アイルランドのロンドンデリーの生まれだという彼サミュエルは、小さい時に両親とも交通事故でなくし、ロンドンデリーの施設で育ってきたという。 

養子をもらって、やや誇らしげなジョアンナ、とても嬉しそうなのよ。

でも、でもな、ちょっと迷ったけど、ぼくは思い切って彼女に尋(たず)ねたんや…

「ジョアンナ、こんな子を養子にもらうって、苦労も覚悟してのことなの?」

ところが、彼女の返事には、思わず目を白黒してしまった。

「苦労なんてぜんぜんないのよ。彼サミュエルがこの世に生を受けたことには大きな意味があるのよ」

「えっ? どんな意味?」

「私たちのようにごく普通にハンディなく生まれてきた多くの人間の代わりにハンディを背負って生まれてきたのがサミュエルなのよ。私はね、その意味を共有出来るのでとても幸せ、苦労なんてないのよ。彼を養子にもらったことは素晴らしい選択(せんたく)だったと思ってるのよ」 

なんちゅう人や! なんちゅう選択や! ぼくは思わず天を仰(あお)いでしまった。この世にこんな人がいるんや!

そして、あの、ヘレン・ケラーの言葉を思い出した…

…人生で、もっとも刺激的なのは、人のために生きる時です… 

追記:

北アイルランド・ロンドンデリー生まれのサミュエルに「ロンドンデリーの歌」をCDで聞かせたことがある。戦場に赴く息子を想う親の気持ちを伝えるこの歌は、アメリカに渡り「ダニーボーイ」となり、ナット・キング・コールの唄などで広く知られるようになった。

ぼくが、サミュエルに聞かせた「ダニーボーイ」は、若くして亡くなったアメリカのシンガー、エヴァ・キャシディのアルバム「イマジン」に収録されている。

生前の彼女は無名だったけど、没後、英国のBBCが、彼女の唄を放送したところ大反響があり、エヴァ・キャシディの名は世界中に知られるようになった。

多くのシンガーがこの歌「ダニーボーイ」を唄ってるけど、エヴァ・キャシディがギターの弾き語りで唄うこの歌は胸に迫るものがある。魂の叫びのようなものを感じるのはぼくだけではないと思う。

サミュエルは口がきけない。しかし、目を閉じてエヴァ・キャシディのこの唄を聴いていた彼の目から、涙がこぼれるのを見た…

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南スコットランドからの「ウマさん便り」~2023・3・2~

2023年03月02日 | ウマさん便り

「第21回アラントン・ワールドピース・フェスティバル」 

英国の6月は一年を通して一番いい季節です。ジューンブライドっちゅう言葉もあるぐらいやしね。天気のいい日は、夜11時過ぎても明るいよ。

だから、アラントン最大の催し〈アラントン・ワールドピース・フェスティバル〉は、毎年6月に行われるわけ。 

第21回目の今年は6月23日の日曜日。地元はもちろん、英国全土から多くの方々が訪れ、とても盛況だった。 

世界各国の旗が風になびくなか、メイン会場の巨大なテントを中心に、いくつものテントが張られ、書道、茶道、合気道などのワークショップの他、数多くの展示があり、さらに、スコットランドで一番のアイスクリームファームからの出張ショップも開店した。 

泊まり込みのボランティアの方々は、アメリカ、ドイツ、フランス、イタリア、そして日本など様々な国から30名の方がおいでくださった。まあ、皆さん、呆れるほどよく働いてくださったなあ。ほんとにありがたいことだよね。 

アラントンのサポーターの東京の平和財団からは、Y女史が代表として来てくださった。女史と言うには、まだお若い彼女、夜遅くアラントンに到着したんやけど、翌朝、なんとトイレ掃除をしておられるんや。時差ボケは?

さらに彼女、ウマへのお土産だと言って、なんと一升瓶と四号瓶入りの、得難い超々高級日本酒を、わざわざ重たい目をして持って来てくださった。これにはもう言葉もなかった。主賓と言っていい彼女だったけど、まあ、よく働いてくださった。 

さらに、同じ平和財団に勤務するMさんは、なんと、幼い子供達も含め家族総出で来てくれたんや。これもとても嬉しかったなあ。 

メイン会場のステージでは、スコットランドでは知らぬ人のいないハープの名手ウェンディさんを始め、地元のいくつかのバンドの演奏が流れ、そして、メインイベントのフラッグセレモニーではすべての方が参加、これ以上ない盛り上がりを見せました。ほんでね、毎年好評のウマ式ジャパニーズカレー、なんと二つの大鍋が空っぽになっちゃったのよ。 

アラントンが、この地でNGOとしての平和活動を開始した頃、例のオウムの事件があり、アラントンの近隣では、〈怪しいオカルトが来たのとちゃうか?〉との風評があったと言う。

アラントンの主要スタッフ、キャロライン、ジェシカ、グレンダの三名は、過去を語らないんで憶測するしかないんやけど、彼女たちの苦労は並大抵じゃなかったと思う。 

それが今、スコットランド政府や、地元のダンフリーズ市も全面的に協力してくれているほか、近隣の村の方々も〈お手伝いさせてください〉と、積極的に協力してくれるようになり、アラントン・フェスティバルは、ま、地元の風物詩になったと言えるんじゃないかな。

何年か前、ダンフリーズ市当局からお借りした大きなテントを返しに行ったことがあったけど、なんと〈そのテント、アラントンで保管しておいてください〉だって。つまり実質的には、市からの寄付なんだよね。 

前述したように、第21回目の今回も、実に多くのボランティアの方々の積極的な協力を得た。

アラントンは初めてだとおっしゃるドイツから来られたラモーナさんもよく働いてくれた。誰もが〈彼女、美人ねえ〉と言う明るいブロンド・ロングヘヤーが印象的なラモーナさん。

でっかすぎて流しのシンクに入んないカレーの大鍋二つとご飯の大鍋、計三つの重たい大鍋を、彼女は綺麗に磨き上げてくださった。

だけど、このラモーナさんには一つ問題があった。ウマにとってちょっと困る問題やった。ま、それはあとで書く… 

アラントンフェスを翌日に控えた6月22日、超忙しいさなか、ディナーの準備を終えたウマは、もうクタクタでさあ、自分の部屋でビールを飲んでホッと一息ついていたのよ。ところが次女のらうざ(ローザ)が〈おとーちゃん、皆がおとーちゃんにダイニングルームに来て欲しい言うてるよ〉〈疲れて寝てる言うといて〉〈でも、ちょっとだけ来て〉

で、よっこらしょ、とダイニングルームへ行き、ドアを開けた瞬間びっくりした。誰かのピアノ伴奏で全員がハッピーバースデーの大合唱!エッ?

その日が自分の誕生日だなんて、すっかり忘れてましたがな。誰がいつ焼いてくれたのやら、イチゴとチョコレートがたっぷりのゴージャスなバースデーケーキにキャンドルが…。いやあ、驚いたなあ。

誰かが〈ウマ!いくつになった?〉と聞くんで、〈忘れた〉言うといた。

さて、前述のラモーナさん… 

彼女がキッチンに入って来た時、ウマはその姿を見て、エーッ!

な、なんと、ぴっちりした、膝上20センチの、しかも薄〜いタイツ姿、さらに、あんたな、胸の谷間が、もう、しっかり見えるタンクトップやねん。こ、これにはめちゃ困った。そんな姿でおいらの周りをウロウロされたら、あんた、もう… 

ウマはな、ほんまにほんまに、ほんまに困っちゃったのよ。

で、あゝ困った困ったと、玉ねぎを刻んでいた時、キッチンに入って来たローザが言った… 

「おとーちゃん、なんでニコニコしてんの?」


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南スコットランドからの「ウマさん便り」~2023・2・26~

2023年02月26日 | ウマさん便り

ブログを17年間やってきたが、「画像」の持つ説得力については身に沁みて十分わかっている積り。

そこで、友達の中でパソコンに一番詳しい「Mさん」(大分市)に相談を持ち掛けてみた。

「南スコットランド在住の方とメル友になってねえ・・。とても筆達者な方で、内容も面白いし、お願いして転載させてもらっているんだけど、文章の方は簡単にコピペできるけど、画像がどうしても無理なんだよねえ。なんとかうまい方法はないものか、教えてくんない~」

すると、さっそく昨日(25日)来てくれて、10分ほど弄っていたら「(画像の取り込みが)上手くいきましたよ!」

結局、タブの「保護ヴュー」で「編集を有効にする」をクリックするとOKだった。

言葉にすると簡単だが、自分なら未来永劫に気がつかない箇所だった。Mさん、ありがとう。

というわけで、遅ればせながら取り込んだ画像を一挙に公開といこう。

まずは「スカートではござらぬ。スコットランドの民族衣装キルトです。」とのコメント付きで、これがご夫妻の写真です。



次いで「アニー・ローリー」さんの生家がこれ。



そして「ウマさんと次女様」の画像がこれ。


最後に、「ウマさん便り」をご紹介。

「キャロラインさん、女王と会う」(女王がご健在だった頃の話です)

去る7月14日、女房のキャロラインさんが、地元ダンフリーズ市御訪問のエリザベス女王の歓迎レセプションに招かれ、女王陛下と親しく言葉を交(かわ)したと云う。

親しくしているダンフリーズ市の助役のトニーに聞いた話だけど、公的関係者以外の一般招待者リストで、キャロラインは三番目にその名があったと云う。

謁見(えっけん)の時、「女王陛下」と呼びかけたキャロラインに、女王は、なんと、「エリザベスと呼んでください」と言われたそうや。皇后陛下を、「美智子」って呼ぶ日本人はおらんやろ。

そして、女王は、キャロラインの平和活動のことをお尋(たず)ねになり、「あなたの平和活動に携(たずさ)わっておられるすべての方によろしくお伝えください」とおっしゃったそうです。

会った時の感想を聞くと、「歳(とし)の割には、まあ元気やった」とそっけない。特に感激した風でもない。

キャロラインさんって方、ミーハーのウマと違い、相手がどんな人であれ、態度が全然変わらん人やから、ま、無理もないか。

そこでです。わたくしウマが、以前、バッキンガム宮殿に招かれ、女王陛下と親しく歓談(かんだん)した時の、非常に貴重な体験の記録をここに再録(さいろく)しておきたい。まことに光栄至極(こうえいしごく)、忘(わす)れ難(がた)い想い出でございます。

「バッキンガム宮殿、いかに女王と盛り上ったか」

先日、バッキンガム宮殿に招かれました。

わたくしウマが、「英国<孫の手>愛好家協会」 「英国<キムチ>愛好家連盟」、そして、「英国<冷やし中華>友の会」、さらに「英国<モモヒキ>贔屓(ひいき)の会」などなど、英国や他のヨーロッパ諸国に於いて類例を見ない、かなり特殊と云える団体の会長という要職を務めている関係での御招待でございました(いつもと言葉遣(づか)いがちゃうな)。

バッキンガム宮殿「エディンバラの間」 に於ける晩餐会(ばんさんかい)に於いて、エリザベス二世女王陛下から親しくお言葉を賜(たまわ)るという、まことに得がたきひとときに、んまあ、感激至極(かんげきしごく)のウマだったのでございます。

  女王陛下は、わたくしが想像していたより遥(はる)かに気さくな方でございました。宮殿の暖房装置が急なトラブルで具合が良くないことをお気になさり、わたくしに直接お尋(たず)ねあそばされたのでございます。

「ウマさま、寒くはございませんか?」

その細(こま)やかなお気遣(きづか)いに感激しつつ、ご心配をかけてはいけないと、わたくし、元気よくお答えしたのでございます。

―ハ、ハイッ、女王陛下、お気遣(きづか)いまことにありがとうございます。ですがわたくし、まったく寒くはございません。モモヒキはいとりまっさかい!―

そして、「英国<孫の手>愛好家協会」会長としての威信(いしん)をかけた、ウマ渾身(こんしん)の特製自作の<孫の手>を、恐れ多くも女王陛下に献上(けんじょう)したのでございます。ローズウッドに英国王室のクレストを彫刻し、さらに日本の伊勢志摩から取り寄せた真珠をふんだんに埋め込んだ、「スクラッチ・グローリー」と命名した特製折たたみ式<孫の手>…

女王陛下は、もう、この上なくお喜びになり、「ウマさま、孫のウィリアムもハリーも、わたくしがどんなにお願いしましても、背中を掻(か)いてくれないのでございますの。嫁のダイアナもそうでございました。ですから、ウマさまお手製の、この素晴らしい<孫の手>「スクラッチ・グローリー」、いつもバッグに入れておくことに致しましょう」と、満面の笑(え)みでおっしゃられたのでございます。

わたくしにとりまして、背中が、んもう、めっちゃこそばくなるほどの光栄至極(こうえいしごく)でございました。どなたか<孫の手>お貸しくださいませぇ~!

さらに、女王のリクエストに応じまして、その「スクラッチ・グローリー」の使い方をお教え差し上げたのでございます。

わたくしウマが女王陛下の背後に立ち、陛下のドレスの背中側襟元(えりもと)から「スクラッチ・グローリー」をそっと慎重に陛下のお背中に差込み、お背中をスクラッチさせていただいたのでございます。 

女王陛下は、この上なく御興奮あそばされ、んもう、官能的な表情で、「ウマさま、も、もうちょっと右、アッ、行き過ぎ、も、もうちょっと左、も、もうちょっと上でございます、あっ、ソ、ソコソコ、ソコでございます。ああ、幸せ…」

英国女王のお背中を搔(か)かせていただくというこの上ない名誉に、ウマは感激至極、んもう、たまんなく背中がムズムズしたのでございます。

どなたか、孫の手をお貸しくださいませませ~~~! 

シャンパンによる乾杯のあと、ただ一人の日本人ゲストであるわたくしへの御配慮であろうかと思われる、日本の最高級吟醸酒が供されたのでございます。バッキンガム宮殿で、なんと日本の吟醸酒でございますよ…

それも、「越(こし)の寒梅(かんばい)」のような通俗的なダサいものではございませんで、なんと、石川県の「菊姫」、それも山廃吟醸(やまはいぎんじょう)なのでございます。

まったく予想もしなかった嬉しいお心遣(こころづか)いに、ウマさん、んもう…なんと云ってよいのやら…背中がムズムズするほどの興奮を覚えたのでございます。オーイ! どなたか<孫の手>お貸しくださいませー! 

意外なことに女王陛下、日本の地酒がたいへんお好きで、しかも、かなりお詳(くわ)しいことに、わたくしウマは驚嘆(きょうたん)いたしたのでございます。

日本御訪問の折、天皇陛下主催の晩餐会(ばんさんかい)で、初めて吟醸酒(ぎんじょうしゅ)をお呑(の)みあそばされたのが、そのきっかけだったそうでございます。 

石川県の『菊姫(きくひめ)』が最愛のお酒だとおっしゃる女王陛下に、恐れ多くもウマは申しちゃったのでございます。

―『菊姫』という典雅(てんが)な名はこの上なく女王陛下に相応(ふさわ)しいかと存じます―すると女王陛下は満面の笑みでお喜びあそばされ、「では、ウマさまのお好きな銘柄は?」と、たいへん興味深(きょうみぶか)そうにお尋(たず)ねあそばされたので、

―わたくしは、静岡県の『おんな泣かせ』が大好きでございます―とお答え申し上げたのでございます。そして、―ちなみに女王陛下、わたくし、女を泣かせたことなど一度もございません―と申しちゃったのでございます。

すると女王陛下はニヤニヤと声を落とし、「あーらウマさん、それ、ホ、ン、ト、ウ?」と、ウマの顔をのぞきこむように、疑わしげにおっしゃったのでございます。で、ウマさん、大いに狼狽(うろた)えちゃった次第でございますえ。


それと意外や意外、な、なんと女王陛下、日本の花札(はなふだ)にもこの上なく造詣(ぞうけい)が深くていらっしゃるんでございます。んまぁ~、驚(おどろ)きモモの木、サルの木、じゃなかった、サンショの木、でございますねんでござるんるん(ウマさん、もう酔うとるんでございます…)。

「世界中のあらゆるゲームカードの中で、<ハナフダ>ほど芸術性の高いものは他にないでしょう。賭(か)け事にまで、春夏秋冬・花鳥風月(かちょうふうげつ)の美を盛り込まずにいられない日本人の心情に瞠目(どうもく)いたします」とおっしゃられた女王の、その慧眼(けいがん)には、もうわたくし、感激至極(かんげきしごく)でございました。 

御亭主(ごていしゅ)のエディンバラ公フィリップ殿下と、バッキンガム宮殿の寝室で、 

「寝るのも忘れてハナフダ、そう、オイチョカブに熱中してしまうのですよ」と、やや恥ずかしそうに、でも、たいそう嬉しそうに、お顔を輝かせて仰(おお)せられたのでございます。で、わたくし…

―女王陛下! 今をときめく『ニンテンドー』も、その昔は花札メーカーだったのでございます―と、お教え申しあげたのでございます。

女王陛下は、このわたくしの発言に大きく瞠目(どうもく)され、「アラッ、ウマさま、それは初耳でございます。そのお話、『ニンテンドー』大好きな、孫のウィリアムやハリーにも言わなくっちゃ」と、満面の笑みで、この上なくはしゃいでおられた次第でございます。

かような次第で、エリザベス二世女王陛下とは、日本の地酒と花札の話題で、もう、この上なく盛り上がちゃったのでございます。

で、アンタ…い、いえ皆様…、とうとう今秋、ウィンザー城で、女王陛下主催の「エリザベス記念花札大会」 (競馬みたいやな) が急きょ催される運びと相成(あいな)った次第でございます。 

女王陛下は、「日本からタタミマットを取り寄せ、ウィンザー城の貴賓室(きひんしつ)をタタミ・ルームに改装し花札大会の会場といたしましょう。

盆栽(ぼんさい)や梅の花を飾り、そして大英博物館から江戸時代の掛(か)け軸(じく)や書画骨董(しょがこっとう)などもお借りしましょう。そして、サンドウィッチの代わりに御寿司もご用意いたしましょう」と、実に、実に嬉しそうにおっしゃられたのでございます。 

その女王陛下の、かくも嬉しい御提案に対し、ワクワクしちゃったわたくしウマは、ポンと膝(ひざ)を叩(たた)き、我ながらまことに当を得たアイデアを、恐れ多くも女王陛下に申し上げちゃったのでございます。 

―女王陛下閣下に申し上げたてまつる…。江戸幕府の市井(しせい)におきましては、かような賭博(とばく)場を<鉄火場(てっかば)>と呼称いたしまして候(そうろう)。この鉄火場で食されたのが『鉄火巻(てっかまき)き』でござりまするで候(そうろう)。

賭博に忙しくしていらっしゃる<ヤローども>のため、軽便(けいべん)につまめる食べ物として開発された寿司が、ツナ…つまりマグロを巻いた『鉄火巻き』でございまするで候(そうろう)。

当英国に於きまして、かつてトランプゲームに忙しいサンドウィッチ伯爵が考案された、パンになんやかんや挟(はさ)んだものを「サンドウィッチ」と呼ぶに至ったことと、少々似ておりまするで候(そうろう)。

従いまして、陛下におかれましては、それがしのこのアイデア、『鉄火巻き』を、ウィンザー城に於ける「エリザベス記念花札大会」会場に於きましてのお品書きの一隅(いちぐう)に、是非ともお載(の)せつかまつりますよう、しかとお願い申し上げる次第でござりまする、で候(そうろう)…―

「ウマさま、それはまことに素晴らしいアイデアでござる、で候(そうろう)。その『鉄火巻き』間違いなくメニューに入れてつかまつる、で候(そうろう)でござる。

で、ツナはトロ? 中トロ? あるいは赤身? どれがよござんすか?」

―女王陛下、中トロが相応(ふさわ)しいかと存じまする…。出来ますれば地中海はシシリーで水揚(みずあ)げされた本マグロがよろしいかと…

ワサビは『ヱスビーの本わさび』そして醤油は日が閉まる、じゃなかった『東(ひがし)マル』の薄口の方がタマリ醤油などより「鉄火巻」にはよろしいかと…

あっ!そうやそうや! わたくしウマは、日本の静岡から、是非とも『おんな泣かせ』を取り寄せることにいたしましょう、きっと鉄火巻きに合いまっせーぇー、でござる、と申し上げたのでございます。 

女王陛下は、んまあ、もう、この上なくお喜びあそばされ、「それではウマさま『おんな泣かせ』に相応(ふさわ)しいクリスタルグラスも用意させましょう」と仰(おお)せられたので、―いいえ女王陛下、クリスタルグラスなど必要ございません。タタミの上で立(た)て膝(ひざ)をつき、安物の湯飲(ゆの)み茶碗(ちゃわん)でいただくのが、花札には格別に相応(ふさわ)しいかと存じます―と箴言(しんげん)したのでございます。

すると女王はますますご興奮あそばされ、「んまあ!日本人はそのような優雅(ゆうが)な呑み方をされるのですか」と感激されたのでございます。 

さらに、「では、首相のゴードン・ブラウンとも相談し、花札大会開催の前に、立(た)て膝(ひざ)をつき湯飲み茶碗でお酒をいただく講習会を設けましょう」とご発案(はつあん)され、そして、そしてわたくしウマが、その、栄(は)えある講師拝命(こうしはいめい)という、日本人史上初、いや人類史上初の、まあ、まことに得がたい名誉(めいよ)をいただくことに相成(あいな)っちゃったのでございます。

まことにエライこっちゃ…、でございます。 

わたくしは、女王陛下に、お酌(しゃく)の作法、つまり、やや首をかしげ、流し目で (ちあきなおみ風に) ―おひとついかがぁ~?― という艶(つや)っぽい所作(しょさ)もお教えしようと密(ひそ)かに計画しておるのでございます。

ついでに、英国女王にお酌(しゃく)を賜(たまわ)る人類史上初の日本人になるのでは?という歴史的予感に胸震(むねふる)わんばかりの興奮を覚えるのでございます。

もちろん女王陛下にお酌(しゃく)を賜(たまわ)った際の言葉はすでに用意してございます。 

「ウマさま、おひとついかがぁ~?」 「…ウム、苦しゅうない…」 

以来、わたくしと英国女王エリザベス二世陛下とは、「ウマ!」 「ベス!」と呼び合う、この上なく親しい間柄(あいだがら)になっちゃったのでございます。

さらに、女王陛下とは、ケータイで頻繁(ひんぱん)に連絡を取り合う今日(きょう)この頃なのでございます。

 ちなみに女王陛下のケータイ着信音は『河内音頭(かわちおんど)』でございます。

♪ ア、ヨイヤサッサー、♪ エンヤコラセーェ、ドッコイショー…♪ 

(このはなし、かなり無理があるなやっぱり…女王陛下ごめんなさ~い!)

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南スコットランドからの「ウマさん便り」~2023・2・23~

2023年02月23日 | ウマさん便り

アラントンハウスとは何か?

アラントンハウス…その正式名称は「World Peace Prayer Society Allanton Sanctuary」…「ワールド・ピースプレヤー・ソサエティー・アラントン聖地」といいます。(以下WPPS)

このWPPSは、ひとことで云うと、「非政治・非宗教を標榜(ひょうぼう)する国連認定NGOの平和活動組織」ということになります。本部は米国ニューヨーク市郊外のアメニアにあり、アラントンWPPSは、そのヨーロッパでの活動拠点ということになります。

では、なぜ、女房のキャロラインがアラントンWPPSの代表となったのか、そこらへんの経緯(いきさつ)を説明しておきましょう。

日本の街角に「世界人類が平和でありますように」という、ちょっとわけのわからないステッカーが貼ってあるのを御覧になったことがあると思います。

戦後、五井昌久(ごいまさひさ)と云う、詩人で教育者で声楽家という方が興した「白光真宏会(びゃっこうしんこうかい)」という、割と穏やかな宗教法人があるのですが、その宗教法人が五井氏の提唱を受けて掲(かか)げている標語が「世界人類が平和でありますように」…なんです。

非宗教を標榜するアラントンにも、同じ標語を掲(かか)げたポールが何箇所かに建っていますので、ちょっとまぎらわしいと感じる方がいても不思議ではありません。で、まず、そこらへんの関連から説明いたします。


五井昌久氏のあとを継いだ方が、<宗教での平和活動には限界がある>と判断し、非宗教・非政治を旨(むね)とする純然たる平和活動組織を、二十数年前にニューヨーク郊外に設立したのがWPPSの始まりです。さらにその後、国連のNGO認定を受けたこのWPPSを支援する目的で、東京に、財団法人・五井平和財団が設立されました。

この財団は、後年、政府より公益法人に認定されています。公益法人の認定を受けるのは非常に難しいと云われていますから、五井平和財団の存在が公的社会的に貢献するものであるとの認識を、政府により認定されたと云うことになるわけですね。

そして、そのリーダー・西園寺昌美女史の世界平和実現に向けた理念に、かねてより私淑(ししゅく)していたキャロラインは、その活動を積極的にお手伝いをすることになったわけなんです。


ヨーロッパにも拠点(きょてん)を設けたいと考えていた西園寺女史は、キャロラインが大阪からスコットランドへ移住する機会を捉(とら)え、キャロラインにその場所探しを依頼、そして彼女が見つけたのが、南スコットランド・ダンフリーズ郊外のヴィクトリア時代の貴族の邸宅アラントンだったというわけなんです。

さらに、西園寺女史から、アラントンWPPSの代表者として、英国をはじめヨーロッパでの平和活動を展開して欲しいとの依頼を受け、キャロラインがその活動を始めたのが、今から23年前のことでした。

非宗教のアラントンが、宗教法人の標語である「世界人類が平和でありますように」を使っているのは紛(まぎ)らわしくないのか?

当然の疑問ですよね。が、平和活動組織として多彩な活動を展開するには、イメージ作りとしてのキャッチフレーズが欠かせません。で、上記標語を各国語に翻訳したものを使わせていただくことになったわけです。さいわい、この標語は非常に評判がよく印象深いものであるとの判断から、以後ずっと使用させていただくことになったわけです。

宗教とは一線を画しているアラントンに、「世界人類が平和でありますように( May Peace Prevail On Earth)」の標語があるのは、そういう経緯があったからなんです。

今や、アラントンWPPSは大きく成長し、地元ダンフリーズ市当局はもちろん、アラントンと関わりのある公的機関や公的諸団体、民間組織、学校などの数は年々増え続け、共同プロジェクトの数も増え、さらに、スコットランド政府のほか、EU政府の支援を受けるまでになっています。

取得が非常に難しいと云われている「チャリティ団体」の認定もスコットランド政府から受けています。これは、なかば公的機関として認められたことを意味しています。日本でいえば、公益法人に該当するでしょうか

さらに、スコットランド政府の環境大臣や文化外交担当大臣、さらに、英国国会議員もアラントンを訪れています。

ここで、アラントンを全面的に支援してくださっている在東京の公益法人・五井平和財団の理事や評議員の方々の一部を御紹介しておきます。

明石康 (元国連事務次長) 豊田章一郎 (トヨタ自動車名誉会長) 千宗室 (茶道裏千家家元) 大橋光夫 (元昭和電工名誉会長・現最高顧問) 田島義博 (学習院院長) 植芝守央(合気道道主) 龍村仁 (映画監督) 佐藤禎一(前文部省事務次官)

どうでしょう? 上記の方々を見れば、アラントンがいかなる組織かおわかりいただけるんじゃないでしょうか?

NGOとしての平和活動団体は世界中にたくさん存在していますが、実は、胡散臭(うさんくさ)いものも少なくありません。上記の説明によって、アラントンWPPSが、金銭的利益をまったく求めない純然たる利他的平和活動組織であることを御理解くだされば嬉しく思います。

さらに、アラントンWPPSは、世界平和、恒久平和の実現を目指し、数多くのプロジェクトを通して、常に多彩なアイデアを実践している組織であることもお伝えしておきたいと思います。


アラントンのスタッフ構成は、キャロライン、グレンダ、ジェシカの主要三名を含めレギュラースタッフが九名、順レギュラーを含めると15名になります。

あっ、そうや! そのほかにね、レギュラースタッフがスムーズに活動出来る様、そのサポート役として、まあ、実によく働く、大阪から来た、ほんのちょいと間抜けなヨッパライのおっさんが一名おります、はい…



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南スコットランドからの「ウマさん便り」~2023・2・20~

2023年02月20日 | ウマさん便り

「ご近所にいたアニー・ローリーさん」 

南スコットランドのダンフリース郊外にある我が家の周辺は、すべて、羊、牛、馬の放牧地で、家のまわりには、野うさぎ、リス、鹿などが出没する。

最近も、二匹の可愛いいバンビがぼくの部屋を覗いてた。 

さて、おのおの方は、かつて文部省唱歌にもなった「アニー・ローリー」をご存知だよね。実在したスコットランドの絶世の美女に夢中になった方の、その熱い想いを綴った詩に曲がつけられ「アニー・ローリー」となり、明治の日本に「オールド・ラング・サイン(蛍の光)」や「麦畑」などと共に紹介された。 

ぼくの家を出て右方向に田舎道を十分ほど走ると、アニー・ローリーの生家、マクスウェリントン・ハウスがある。丘の上にある立派な白亜の邸宅です。その家の前を通るたびに、かつて小学校時代、音楽の時間に親しんだ「アニー・ローリー」を懐かしく思い出す。アニーさんはあの白い邸宅で生まれ育ったんや…  

そして、ほのぼのとしたあの優しい旋律、とても好きやなあ。だから、時々、自分勝手流にピアノで「アニー・ローリ」を弾くことがあるよ。下手やけど… 

ぼくの家を出て車で左方向にほんの3分ほど行くと、とても素敵なリゾートホテルがある。自然溢れる静かな環境が素晴らしい。このフライヤーズ・カースは、かつて貴族が住んだヴィクトリア時代の邸宅です。  

すぐそばを流れる美しいニス川は、サーモン釣りで知られ、シーズンになると、このホテルには多くの釣り人がやって来る。

白鳥も舞い降りるこのニス川沿いの道は、うちの犬クリが大好きなので、ちょくちょく散歩に行く。散歩のあとは、このホテルのラウンジで、ビールやワインをいただくのが楽しみになっている。クリはテーブルの下でおとなしくしているよ。 

かなり以前のこと、このフライヤーズ・カースで大きなパーティーがあり、ぼくも女房も招待された。いつも静かなこのリゾートホテルには、着飾ったおおぜいの人が集まり、呑み唄い、そしてダンスに興じていた。

その華やかな雰囲気に、つい飲み過ぎたぼくは、外に出て、芝生にあるテーブルで、ワイングラスを手に、目の前のニス川に落ちる夕日を眺めてた。ま、爽やかな宵のひと時だよね。

それで、ワインのお代わりをもらおうと邸内に入ろうとした時だった、どこからともなくピアノの音色が聞こえてきたんや。 

びっくりした。このフライヤーズ・カースに、立派なアンティークのグランドピアノがあるのは知らなかった。

淡いパープルのロングドレスを着たおばあさんが、ブラームスの子守唄を、たどたどしく、でも、とても楽しそうに弾いておられた。

生のピアノの音に嬉しくなったぼくは、そっとピアノに近づき、ピアノに合わせてハミングしたんです。そしたら、ぼくに気づいたおばあさん、ピアノの演奏をやめ「あなた、弾いて見ない?」だって。

ほろ酔いですごく気分の良かったぼくは心臓も強かった。なんと、おばあさんと交代して、あの「アニー・ローリー」を弾き始めたんや。

そしたら、あんた、とんでもないことが起こったのよ。

ぼくが弾く「アニー・ローリー」を聞きつけたおばあさんたち数人が、ピアノのまわりを囲んだんです。 

弾き終わった時は、大きな拍手をいただいた。

そして、ひときわ品のあるおばあさんが、やや興奮しながらおっしゃった。

「あなたねえ。彼女、すごく喜んでるわよ」

「エッ? 彼女ってどなたのことですか?」

そのあとのおばあさんの言葉にはもうびっくり。めちゃ驚いた。

「もちろん、アニー・ローリーよ。彼女は、この屋敷で晩年を過ごし、そして亡くなったのよ。ほら、あそこの壁に、彼女が使ってた湯たんぽがかけてあるわよ」 

日頃、犬の散歩で慣れ親しんでいたこのホテルで、あのアニー・ローリーが亡くなったとおばあさんはおっしゃる。半信半疑のぼくは、思わず

「それ、本当ですか?」

その後、十年ほど経た頃、日本から送られてきた本に、アニー・ローリーがフライヤーズ・カースで亡くなった事実が記載されていた。あのおばあさんが言ったことは本当だったんだと、とても嬉しくなった。 

で、ふと気がついた…

ぼくの家を出て右に行くとアニー・ローリーの生家マクスウェリントン・ハウス、左に行くと彼女が晩年を過ごし亡くなったフライヤーズ・カース…と言うことは…つまり、彼女は、間違いなく、うちアラントンハウスの前を馬車で通ってたんだよね。でもな、将来、この地に、大阪のおっさんが住むことになるとは、アニーさん、夢にも思わへんかったやろなあ。

文部省唱歌として小学生の頃から親しんだ「アニー・ローリー」をこんなに身近に感じることになるなんて… 

夢に彼女が出て来たらきっと言うやろね…

…アニーさん! あなた日本でも親しまれてますよ…

アニー・ローリーの生家・マクスウェリントンハウス。小高い丘の上にある白亜の邸宅 

アニー・ローリーが晩年を過ごし亡くなったフライヤーズカースにて次女のローザと。壁にある丸いのが彼女が愛用した湯たんぽ。

アニーさんもこのソファに座ったんとちゃうやろか。

(註)残念なことに素敵な写真(白亜の豪邸と「ウマさんと次女様」の映像)がコピペできませぬ~(涙)。



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捨てる神あれば拾う神あり

2023年02月16日 | ウマさん便り

学生時代は人並みに「麻雀」に凝っていたが、一番タメになったのが「波」の存在だった。

たとえば、「和了」(あがり)に恵まれないときはそれがずっと続く。そしてその波を我慢強く耐えていると、そのうち運が向いてきて和了が出だす。

単なるゲームなのにどうしてこんな波が生じるのか、人知の及ばない世界があるんだと、今でも不思議でたまらない~。

そして、このブログにも「波」があるんですよねえ(笑)。

ある程度の期間をおいて読者(アクセス)が増えたり、減ったりする傾向がずっと続いている。

別に内容に手を抜いているわけでもないし、オーディオ、音楽、読書、そして「独り言」を適当にばらまいて偏りが無いように心掛けているのにこのありさま。

とりわけ、昨年の11月頃から今年の1月まではずっと低空飛行が続いていて、そろそろマンネリ気味になって飽きられたのかなあ、このままでは「ジリ貧」かもねえとやや悲観的に~。

なにしろ「音楽&オーディオ」という極めてマイナーな分野だから仕方がないか・・。

ところが2月に入ってから我が目を疑うほどの絶好調ぶりで、往時の勢いを取り戻すかのようにアクセスが快走している。

その原因はといえば、そう、あのスコットランド在住の「U」さん、通称「ウマさん」から寄稿していただいた「モーツァルトが変えた人生」なのだ!(笑)。

内容もさることながら国際色豊かだし、しかもイギリスという国は「オーディオ機器」をはじめ、とても品の良さを感じさせますね。日本人にとってはイメージがとてもよろしいのも一因かな(笑)。

そこで、ときどきこのブログに彩を添えていただくために「ウマさん、これ以外にもおもろい話がぎょーさんあるのとちがいまっか~」と、投げかけてみたところ、すぐにご返事が来て~、

「実はぎょーさんありまっせ~、いやはや「ウマ便りと題した文章は、もう膨大な数があるんです。過去を振り返ると少なからぬ予期せぬ展開に驚きもします。そもそも、中学一年の英語の成績が零点だった人間が、英語を喋る奥さんと英語の国に住むなんて、いさはやではございますねえ。

モーツァルト関連で言うと、思い出す人(故人)がいます・・。

うちの近所の丘の上に住み、モーツァルトを聴きながら星の観測をしていた、僕が「メルヘン爺ちゃん」と呼んでいた方がいます。彼の話はほんとにメルヘンそのものなんです。いずれ彼の話も「音楽&オーディオの小部屋の大将に知っていただきたいですね。

で、こうしましょうか?

まず、その昔に書き始めた時の「口上」のあと、折に触れ、随時、気ままにお送りすることに致しましょう。そこで、一つお願いがあります。

勝ってきままにお送りさせていただきますので、ご返礼やご感想などゆめゆめお気遣い内容にしてください。ただただ、読み捨ててくださるだけで嬉しく思います。

袖触れ合うもなんかの・・ですよね。ありがとうございます。

南スコットランドにて・・      ウマ拝

以上のとおりで、まさに「捨てる神あれば拾う神あり」ですぞ(笑)。

そういうわけで、このブログにも新たなカテゴリーとして「ウマさん便り」を設けました。

その第1号を以下のとおり掲載させていただきましょう。実はご夫婦のとても素敵な写真も掲載されていたのですが、どうしてもコピペできませんでした(涙)。

スコットランドほろ酔い通信・ウマ便り

「はじめに」(2010年冬)

この「スコットランドほろ酔い通信・ウマ便り」は、主に、大阪のミニコミ誌、タウン誌、PR誌、お寺の回覧板(かいらんばん)、寿司店、バー、その他、親しい友人などに、2007年の春頃から不定期に(無理やり)送りつけてきたものです。読者の多くが、ぼくにとって気の置けない気楽な方々と云えます。 

では、なぜ、こんな文章を書くようになったのか? 

「平和活動組織「アラントン・ワールドピース・ソサエティ」のスタッフとしてNGO活動に参加するかたわら、フリーランスのライターとして、日本のいくつかのメディアに、こちらの様子を伝えるリポートを送っています。ですが、これらオフィシャルと言えるリポートには間違いが許されません。そんな文章を書くことにやや緊張感をおぼえたんですね。

で、この「ウマ便り」では、その反動と云うわけで、思いついたことを気儘に書いたものなんです。大阪の読者がかなり多いので、大阪弁が多用されている点は御了承ください。 

政治・経済、移民問題など、やや硬(かた)い話が出て来る場合、僕の習性として、つい軟(やわ)らかい部分を挿入してしまう癖(くせ)があります。皆様方が「アホなこと書いてるなあ」と呆(あき)れる部分は、そんな事情があるのだと御理解ください。 

時々、エンターテイメントとしてショートストーリーを書くことがあります。そんな文章には必ずオチを付け、作り話だとわかるようにしていますが、誰が見ても作り話だとわかるものにはオチは付けていません。それ以外の文章は、誇張や飛躍した部分はあるものの、基本的には事実を基に書いていると思ってください。 

各文章は、アットランダムに並べてますので、はるか昔に書いたもの、最近書いたもの、それぞれ順番はめちゃくちゃです。その点もご留意ください。 

そうそう、この「ウマ便り」…ほろ酔いっちゅうぐらいやから、イッパイひっかけながらが書くことが多いのよ。で、誤字脱字などをめっけた場合など、どうぞお知らせくださいませ。 

(この前口上(まえこうじょう)…、芋焼酎(いもじょうちゅう)で酔っぱらってるわりには、うまいこと書けたな…)

「君の名は?僕の名は?」(2007年春) 

放送中、日本中の銭湯(せんとう)の女湯(おんなゆ)を空(から)っぽにしたという戦後の名作ラジオドラマが「君の名は」でした。その映画版で主役の真知子(まちこ)を演じたのが岸恵子さんです。

相手役の佐田啓二さんとのすれ違いが、はらはらわくわくさせ、このドラマを大いに盛り上げたんでしたね。そして彼女のスカーフの装(よそお)いが<真知子巻(まちこま)き>として一世を風靡(ふうび)したのは、ぼくもなんとなく覚えています。 

たまたま、岸恵子さんのエッセイ集「ベラルーシの林檎(りんご)」を読む機会があったんだけど、その温(あたた)かくも含蓄(がんちく)ある文章に触れ、すごく爽(さわ)やかな気分になりました。そして、この方は知的でしかも優しい、とても素敵な方だろうなと思ったんです。 

彼女の父親の葬儀に参列した会社の同僚(どうりょう)や部下たちは、喪主(もしゅ)をつとめる岸氏の娘が、あの、一世を風靡(ふうび)した「君の名は」の高名な女優だと知り、たいへん驚いたという。岸氏は、勤務先で、自分の娘が有名女優であるなどと、自慢話をいっさいしていなかったんですね。いい話ですよね。

さて、この「ウマ便り」を書くに当たり、その一人称をどうしようかと考えた。「私」や「わたくし」ってのは、どうも馴染(なじ)めないんだよなあ。なんか自分を表わすのに適切じゃないように感じるんや。

明治維新の立役者の一人、蘭学(らんがく)に通じ英語も出来た、あの偉大な勝海舟(かつかいしゅう)の残した文章を見ると、彼が「僕」を多用してるのに驚く。 

そんなわけで、この「スコットランドほろ酔い通信・ウマ便り」では、勝海舟に習って「僕」「ぼく」あるいは「ボク」を使うことにしたい。そうそう、 他人事みたいに、ニックネームの「ウマ」 「ウマさん」を使ったら、自分のドジさ加減も表わせるんじゃないかな。じゃ、これも使うことにしましょう 

英国在住の世界的空手家・冨山惠嗣(とみやまけいじ)さんは自分のことを「わし」と呼ぶ。僕と同じ歳にもかかわらず、この「わし」が、とても良い響きで伝わってくる。 「わし」、いいよなあ…、そこで、鏡の前で冨山氏の真似(まね)をしてみた。

「わし…」、吹き出してしまった。ぜんぜん似合わないんやこれが。でもね、いつの日か、冨山氏みたいに、「わし」が似合(にあ)う日が来るのを期待したいんだよなあ。まだまだ遠い先のことだとは思うけれど…

で、もし、そんな日が来たらね、是非ともエッセイを書いてみたいんです。

「わしがボクだった頃…」 。



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モーツァルトが変えた人生~最終回~

2023年02月09日 | ウマさん便り

「~その5~」からの続きです。

(あのニーチェの言葉を思い出したんや)「音楽のない人生は間違いである…」

Tさん…、そう、田代貢(たしろみつぐ)さんにこそ、この言葉は相応(ふさわ)しい… 

追記:

その後、スコットランドに移住した僕宛てに、その田代さんから「いつか女房とザルツブルグを訪ねるつもりなんですけど、その時、スコットランドのウマさんを訪ねてもいいでしょうか?」との嬉しい便りがあった。

よっしゃよっしゃ、もちろん大歓迎や! ウマの部屋でモーツァルトを聴こうな! ウマは、ザルツブルグのどんなシュニッツェルより美味(うま)い、トンカツ風シュニッツェルを作ったるでぇ。名付けて「シュニットン」や。

で、今、彼ら夫婦がスコットランドに来る話がトントン拍子(びょうし)に進んでいる。

田代夫妻をエディンバラに案内し、エディンバラのランドマーク、完成当時、世界初・世界最大であった鉄橋「フォース・ブリッジ」を是非見せたい。

この橋の建設工事総指揮を務めたのが、人望が厚いと云う理由で採用された、グラスゴー大学出身の日本人・渡辺嘉一(わたなべかいち)だった。なんと日本人や!

彼は今、バンクオブスコットランドの20ポンド紙幣(しへい)、その裏の右上隅(みぎうえすみ)に小さいけどその写真が出ている。なんと、スコットランド銀行の紙幣に日本人の写真が出てるんやで!

田代さんなあ、この渡辺嘉一の息子さんが、日本が世界に誇る、現役最高齢の指揮者としてギネスブックにも出た、元阪急電車の車掌(しゃしょう)さんや。

そう、田代さんもN社長もS子嬢もよ~く知っているあの人やで。

大阪フィルハーモニーの名指揮者・朝比奈隆(あさひなたかし)さん…大阪の誇り、いや日本の誇りや。僕は、彼が85歳でシカゴフィルに客演し、得意のブルックナーを演奏したユーチューブを見るたびに感動する。

余談です…

ザルツブルグのモーツァルトの生家にはお土産ショップがあってな、もう、あらゆるものを売ってるの。CDはもちろん、モーツァルトTシャツ、モーツアルト扇子、モーツァルトチョコ、モーツァルトゴルフボール、モーツァルトビスケット、モーツァルト帽子などなど、もうなんでもある。

で、思わず探してしもたがな…モーツァルトまんじゅう…(終)

とまあ、以上のとおり「6回にわたる連載」も、これで終わりです。

とても寂しい思いがしますが、音楽がこれほど劇的に人の人生を左右するなんて、改めて音楽の持つ力に敬服です。

こういうストーリーを通じてモーツァルトに目覚め、人生が豊かになる人が一人でも増えてくれれば、このブログの存在価値があろうというものです。

いろんな機会を通じてさらにモーツァルトの魅力を伝えていけたらいいですね。

「そんなにモーツァルトがいいというなら一度You Tubeで聴いてみよっか・・、おっ、なかなかいいじゃない!」と、いった具合(笑)。

Uさん、このブログに素敵な彩を添えていただき大変ありがとうございました。本当に感謝です。おかげさまで読者の興味を大いに引いたとみえて掲載期間中アクセスも非常に好調でした。

おそらく、これ以外にも「おもろい話がぎょーさんあるのとちがいまっか~」

再度のメールお待ちしてま~す(笑)。



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モーツァルトが変えた人生~その5~

2023年02月07日 | ウマさん便り

前々回の「~その4~」からの続きです。

モーツァルトを愛する人は世界中におおぜいいると思う。でも、Tさんみたいにモーツァルトと出逢(であ)った人は、いないんとちゃうやろか?

こんなひと時って、ほんまに楽しいですよねえ。酒場の陰(かげ)で、いやちゃう、墓場の陰で、モーツァルトさんもニコッとしてはるんとちゃうやろか… 

もし、モーツァルトさんが蘇(よみがえ)って我々の席に同席したとしたらさあ…

「よっしゃ! おたくら二人ともええ男や! 俺もビール呑むでぇ! ほんでシュニッツェルも食(く)うでぇ!」モーツァルトさんも大阪弁や! あゝ楽しい!

モーツァルトさんって、音楽を離れると、めちゃ柄(がら)が悪く、品もなく口も悪く、しかもギャンブル三昧(ざんまい)で借金だらけ、品行方正(ひんこうほうせい)にかなり問題の多い人やったらしいけどさ、ま、いっしょにビールを呑むのは大歓迎でっせ。 

茶臼山(ちゃうすやま)ウィリーの店にはピアノが置いてある。

ちょいと! ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトさんや! あんたな、ビール呑むのもええけど、そこにあるピアノ弾きなはれ…「唐獅子牡丹(からじしぼたん)」はアカンでぇ! エッ? なんやて? アカンアカン!「兄弟仁義(きょうだいじんぎ)」もアカン!

Tさんと会うのは二回目やったけど、もう、旧知の友のように、親しく楽しく話が弾(はず)んだんです。なんと素晴らしい宵(よい)であることか! 僕はこの時、Tさんとの出逢(であ)いに、ほんまに幸福を感じたんですよ。

ところが…、です… 

「Tさん、その後ずっと独身なの?」と訊(き)いた僕に、彼はやや顔を曇(くも)らせた…

「いや、結婚しましてん。けど、すぐ離婚しましたわ」

その理由が家庭内暴力だと云うんで僕はエーッ? と首をかしげてしまった。

「そら、あかんわTさん、(前歴がヤクザの)君が家庭内暴力やなんて、そら、ぜったいあかんわ」

「いや、ちゃうんです。アル中の女房の暴力ですねん。彼女と知り合った時、いろいろ悩みの多いこの女は俺が助けてやらんとあかんと思って一緒になったんやけど、無理でしたわ。ノイローゼにアル中、連日の暴力にかなり耐(た)えたんやけど…、ほら、灰皿を投げられて…。彼女、今でも病院に入ってます…」

彼の額(ひたい)、髪の生(は)え際(ぎわ)に、小さいけど傷跡(きずあと)があった… 

しかし、しかしや…

おのおの方なあ、世の中、何が起こるかわからんもんやなあ… 

その後、まったく予想すらしなかった相手、なんと、芦屋(あしや)の社長令嬢と再婚し、今は、一転、めちゃシアワセなんですと云う。

彼のその話、いや、そのストーリーに、僕は完全に惹(ひ)きこまれてしまった。

そのストーリー、もしタイトルを付けるとしたら、絶対にこれしかない。

「モーツァルトが変えた人生」…

以下、彼が語(かた)った素晴らしいストーリー、出来るだけ忠実に再現したいと思う… 

…彼が専務として働く兄の鐵工所(てっこうしょ)の納品先に、尼崎(あまがさき)にある、割と大きな自動車部品製造会社があった。

ある年(とし)の瀬(せ)に、上得意(じょうとくい)のその会社に御歳暮(おせいぼ)を携え挨拶(あいさつ)に行った彼は、社長室に入った途端(とたん)、もう、びっくりしてのけぞりそうになったと云う。

社長室の壁にあるボーズの小さなスピーカーから、なんとなんと、 モーツァルトの21番が流れてるんや! しかもリパッティやないか!

挨拶もお歳暮を渡すのも忘れ、咄嗟(とっさ)に「社長さん! これ、モーツァルトの21番、演奏はリパッティですよね」と云ってしまった。

この社長、もう、目を丸くして引(ひ)っ繰(く)り返(かえ)りそうになりながら立ち上がり「君!これ知ってるの!?」 

この一瞬が、彼の、再婚劇(さいこんげき)の始まりとなった…

それまで何度も会っているこの社長と、まさかモーツァルトやリパッティの話で盛り上がるなんて、それまで夢にも思わなんだと、Tさんは大きく微笑(ほほえ)み、グーッとビールを呑(の)みほした。ほんでそれからどないしたの?

社長は興奮しつつ「今日は仕事は止(や)めや! 君、今からうちへ来ないか?」 

関西屈指(くっし)の高級住宅地芦屋(あしや)の大きな邸宅、その社長の部屋には立派なオーディオ装置があり、社長のNさんは、嬉嬉(きき)としてターンテーブルにモーツァルトのLPを乗せたという。

「ほんでな、二人で、次から次とモーツァルトを聴いて話が弾(はず)んでいる時に、めちゃ綺麗(きれい)な娘さんが御寿司やお酒を持ってきてくれはったんでドキドキしてしもた。ほんで、ボク、車ですから呑(の)めません云うたら、社長が、明日は土曜やから、今日は泊(と)まっていきなさいやて!

そのあと、三人でブランデーをいただいてるうちに、三人ともザルツブルグへ行ったことがわかり、さらに話が盛り上がったんですわ」

「その夜はな、もう明け方近くまで、三人でモーツァルト三昧(ざんまい)でしたわ」 

以来、その社長Nさん、そして一人娘のS子さんと、商売抜きの個人的な付き合いが始まったという。奥さんに先立(さきだ)たれたN社長にとって、フルートを吹くS子嬢とコンサートへ行くのが何よりの楽しみだったそうやけど、その日以来、N社長は、しょっちゅうTさんをコンサートに誘うようになった。

で、ある時、社長に急用が出来、S子さんと二人きりでコンサートに行くことになった。最初、ちょっとよそよそしかった彼女やけど、大阪シンフォニーホールでのコンサートのあと、梅田のJRガード下の焼き鳥屋でイッパイやってるうちにめちゃ打(う)ち解(と)け、音楽の話で、もう、大いに意気投合(いきとうごう)したと云う。

S子さん、恥ずかしそうに「いつかTさんに、私のフルート聴いてもらおうかな」と、はにかんだそうや。話をするTさんの嬉しそうな顔を見ていて、彼にとっては、もう、夢のようなひとときだったんやろと簡単に想像がつく。

「彼女は武庫川(むこがわ)女子大出の芦屋の社長令嬢、しかもめっちゃ別嬪(べっぴん)さんや。亡くなったお母さんは元ミス芦屋だったと云うしな。ところが、こっちは少年院あがりの元ヤクザや。血筋はもちろん、住んでた世界が全然ちゃうやろ?

ま、こんな綺麗(きれい)な人と知り合いになれて嬉しいとは思ったけど、これ、なんかの間違いちゃうかと、ずーっと長いあいだ思ってたんですわ」

淡々(たんたん)とそんな話をする彼を見ていて、ハッと気が付いた。

とてもきれいな目をしてるんや。元ヤクザだなんて誰も信じない優(やさ)しい澄(す)んだ目をしている。これもモーツァルトの影響かいな? 

以来、S子さんと二人でコンサートに行く機会がちょくちょくあった彼だけど、ある時、ハタと気が付いた。

「ひょっとして、社長がわざと我々が二人きりになる機会を作ってるんとちゃうやろか? これ、まずいんとちゃうか?」

それに彼女の、彼を見る目つきが以前と違っていることにも気が付いた。

それからというもの、誘われてもなんとか理由を作り、出来るだけS子さんと二人きりになるのを避(さ)けたとTさんは言う。

しかし、ある年の暮れ、大阪シンフォニーホールでの恒例の第九コンサートは、社長もあとから来ると云うので、どうしても断ることが出来なかった。 

で、コンサートのあと、合流(ごうりゅう)した社長も含め、最高のフレンチレストランで食事をしている時、ほろ酔いの社長が冗談めかして言ったことに、彼は、もう、目が点になってしまったと云う。

「うちの娘も年頃(としごろ)やし、いや、ちょっと年頃を過(す)ぎとるかな? で、どうやろT君、もろてやってくれへんか?」

目が点になったままの彼の口から、ようやく出てきた言葉が「む、無理です。僕、離婚してますし、ほんでかなり年上ですし…それに…」

社長のNさんは、なにか云いかけたけど「君から云いなさい」と娘のS子さんを促(うなが)した。

「Tさん、あなたのこと、パパも私も、全部知ってるんです…」

一瞬ぎくっとしたTさんに、社長が真剣な表情で言(い)い添(そ)えた…

「T君な、覚えてるか? いつやったか、君と車で一緒やった時、社長!シンフォニーアワーの時間ですわと云って、カーラジオのスィッチを入れたことがあったやろ? その時な、娘の伴侶(はんりょ)はこの男しかいないと思ったんや。

それでな…、君には悪いと思ったんやけど、その後、実は、君のことは全部調べさせてもろたんや。

正直に言うけど怒らんといてや。最初、調査報告書を見て、ちょっと顔をしかめたこともたしかにあった。しかしな、今の君があるのはモーツァルトが原因やっちゅうことが分かった時な、私も娘も、もう、ほんまに嬉しなってしもたんや。我々にしたら、もう、信じられないぐらい素晴らしいことでな、親子二人、感激したんやで。

T君、どうやろ? 昔のことは、ま、置いといて、これから先のことを考えて見ないか?」

Tさん、どっと涙が出てきて、あとは、なんの言葉も出てこなかったという。 

…その時のことを思い出したんやろね、彼、ウィリーの店でも目が大いに潤(うる)みだした。ドイツ人のウィリー亡(な)きあと、店を一人で切(き)り盛(も)りしている雅美(まさみ)さんが心配して

「ウマさん、この人、大丈夫?」「大丈夫や、この人な、めっちゃ幸せな人やねん」 

彼ほど人格が変貌(へんぼう)した人を、僕は他に知らない…

ほんでな、あのニーチェの言葉を思い出したんや…

以下、続く。


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モーツァルトが変えた人生~その4~

2023年02月05日 | ウマさん便り

「~その3~」からの続きです。

大阪・天王寺(てんのうじ)、茶臼山(ちゃうすやま)の裏にポツンとある、隠れ家(が)的ドイツ・ビヤレストラン<ウィリー>…(ドイツ人、故ウィリーの波瀾万丈(はらんばんじょう)はいずれ書きたい)

お互いにビールを何度もお代わりし、モーツァルトの話で盛り上がったのは、もう当然でしょう。メニューにシュニッツェルがあるこの店こそ、モーツァルトの話をするのに相応(ふさわ)しいことに、あとで気が付いた。 

僕は女房のキャロラインと、ザルツブルグのモーツァルトの家を訪ねたことがある。そのすぐ近くのレストランで、冗談半分で「モーツァルトが好きだった食べ物はありますか?」と訊(き)いてみた。

ところが「ハイ、ありますよ」と云うのでびっくり! そして、出てきたのがシュニッツェルだった。子牛や豚の肉などを薄く叩(たた)き、パン粉をまぶし衣(ころも)を付けて揚(あ)げた、ま、ワラジみたいなカツレツやね。
 

そのシュニッツェルや、キャベツの漬物ザワークラウトをつまみ、ビールを美味(おい)しそうに飲(の)み干(ほ)したTさんが面白いことを云った。

「ウマさんな、モーツァルトって童謡(どうよう)みたいな曲が多いねん。だから僕でも理解出来るんとちゃうやろか?」

エッ? あっそうや! なるほどその通りや。言われて気が付いた。 

モーツァルトは父親の指示で長調の曲を多く書いた。つまりドミソの世界やね。ほら、あの「キラキラ星」や「トルコ行進曲」を筆頭に、童謡みたいなメロディーが多いわ。

そう云えば、誰でも知ってるあの有名な「アイネクライネナハトムジーク」も童謡的と云えなくはないよなあ。そうそう、モーツァルトを初めて聴いたTさんが涙(なみだ)したという、例のピアノコンチェルト21番もハ長調や。

つまり、モーツァルトってさあ、単純なドミソの世界で、誰にも真似(まね)出来ない夢のような旋律を作ったんやね。そうや、まさにドミソの世界や。  

そんなドミソの世界、ウマのノーミソでも理解出来まっせ。ランラン♪で、モーツァルトの世界って、ひとことで言うとね…、シンプルな童謡の世界、つまりメルヘンの世界って云えるんとちゃうやろか?

エッ? そんなこと言うたら、音楽評論家が怒るでぇー?

かまへんかまへん、僕はTさんのメルヘンを尊重したいなあ。 

彼、Tさんのモーツァルトに関する知識は、もうアンタ、ちょっと半端(はんぱ)じゃなかったですよ。モーツァルトだけでLPが100枚以上あるというんで驚いた。  

小林秀雄の名著「モオツァルト・無常という事」を、Tさんは国語辞書を引きつつ、悪戦苦闘(あくせんくとう)しながらも最後まで読み切ったというから驚いた。

この名エッセイを理解するためには、ゲーテやトルストイ、ロマン・ロランのことなど、もうたくさんの予備知識が要(い)るうえ、旧仮名遣(きゅうかなづか)いも含まれるんで、読み切るのは簡単じゃない。そんな本を、中学もろくに出ていないTさんが読んだというんやからすごい。

さらに、僕も大いに参考にしている音楽評論家・吉田秀和さんの本も持っているというから、ますます嬉しくなった。

それに僕の好きなピアニスト、ディヌ・リパッティが弾くピアノコンチェルト21番や、クララ・ハスキル演奏の27番などのLPも持ってるというんで、もう、さらに嬉(うれ)しなってしもたがな。

「Tさん、ええレコード持ってはるんやねえ」と云った僕に、彼は呆(あき)れ顔(がお)で云った。

「ナニ言うてはりますの? ウマさんに初めて手紙を書いた時に貰(もら)った返事の中で、リパッティやクララ・ハスキル、それに、モーツァルト弾きとして有名なリリー・クラウスやイングリット・ヘブラーなど、長い解説付きで、ウマさんが教えてくれたんやないの」
 

1957年、バイエルン国立管弦楽団と共演した、クララ・ハスキル演奏のモーツァルト・ピアノコンチェルト27番を初めて聴いたのは、大学浪人中だったのを今でも鮮明に覚えている(勉強せんとレコードばっかり聴いていた)。

日本楽器心斎橋店のレコード売り場、そのクラシックコーナーを物色中(ぶっしょくちゅう)、たまたま取り上げたレコードがそれだった。

でも、クララ・ハスキルなんて聞いたこともなかったんで棚(たな)に戻そうとしたとき、隣りにいた初老の紳士が、いきなり、でも、穏(おだ)やかな声で「そのレコード、モーツァルトの27番では最高の演奏だと思いますよ」とおっしゃった。で「じゃ、聴いてみます。ありがとうございます」と、お礼を云った。


しもた! カッコつけてしもた! と、その時思ったんやけど、家に帰って、いざ聴いてみたら、なんとも素晴らしい演奏やないか! で、思わず「おっちゃん! ありがとうな!」

その紳士は「それ最高の演奏です」と断定せずに「…だと思いますよ」と表現された。僕みたいな青二才を、上から目線で睥睨(へいげい)しない人柄(ひとがら)だったと今にして思う。ペイズリー柄のアスコットタイをしたあの紳士とは、是非とも知り合いになりたかったと、今でも残念に思っている。

ま、そんなわけで、今でもちょくちょく聴いているクララ・ハスキルのモーツァルト・ピアノ協奏曲第27番、穏(おだ)やかで端正(たんせい)な演奏なんやけど、とても研(と)ぎ澄(す)まされていて、いつ聴いても、僕は背筋(せすじ)がゾクゾクする。

モーツァルトが死んだ年に作曲された最後のピアノコンチェルトがこれ。この時期のモーツァルトが極度の貧困(ひんこん)だったのは有名な話やけど、この曲の、澄(す)み切(き)った世界はいったいなんなの? もう何ものも寄せ付けないと云っていい孤高の世界…、特に第二楽章など、もう言葉がないんや僕は…

クララ・ハスキルのこの演奏はね、モーツァルトや、ひょっとして神様とも一体となった、まさに天上の音楽とちゃうやろか?。少なくとも僕にとってはということやけど…それを、Tさんに云うと「ウマさん僕もいっしょや! あの曲な、第一楽章から第三楽章まで童謡みたいなメロディーが多いねん。いやあ嬉しいなあ!…すんませーん!ビールふたつおかわりねー!」

以下、続く。

追記

「言わずもがな」ですが、モーツァルトのメルヘンの世界は大いに納得がいきます。あの最高傑作「魔笛」(オペラ)からして、もうまったくメルヘンの世界ですからね。

冒頭の「鳥刺しの歌」(パパゲーノ)なんか童謡そのもので、モ
ーツァルトが「おとぎ話」の類を大好きだったのは疑うべくもないでしょう。

(この「おいらは鳥刺し~ヘルマン・プライがお薦め~」をぜひ「You Tube」で聴いてみて~)

天真爛漫で無垢な「童心」と「澄み切った青空のような調べ」が渾然一体(こんぜんいったい)となって奏でられる音楽を、もういったい何と形容したらいいのか・・、「神々しいばかりの透き通った世界」としか言いようがありません。
 

モーツァルト万歳!!


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モーツァルトが変えた人生~その3~

2023年02月04日 | ウマさん便り

お待たせしました。「~その2~」からの続きです。

「お前のブログなんてどうだっていいからモーツァルト・・を早く投稿しろ」という声が聞こえてきそうですね(笑)。

さあ、今回から第二段階目の新たなストーリーが展開します。

もう、ずいぶん前のことになるけど、完成したばかりの関西空港からパリへ飛ぶ飛行機の中で、たまたま隣り同士になったTさんとの楽しいやり取りは、ウマ便りに書いた。(「その1」と「その2」参照) 

その後、彼から何度か手紙をもらったことはあったけど、彼と再会したのは、たしか僕が、スコットランドへ移住を決めた頃だったと思う。

彼と会うことには、ちょっと躊躇(ちゅうちょ)した。正直言うけど、彼が元(もと)組員だったというのがその理由です。ところが、これは大間違いやった。

彼の語る<その後>を聞いて、なんと僕は、大いに心洗(こころあら)われることになったんや。こんな素晴らしい再会って、そうあるもんじゃないとも思った。
 

天王寺・茶臼山(ちゃうすやま)のドイツ・ビヤレストラン<ウィリー>で会った。

久しぶりに会う彼だけど、以前と違い、かなり穏(おだ)やかで優しい表情になっていたので、オッ!と思ったね。喋(しゃべ)り方(かた)も以前とは明らかに違う。

以下は、久しぶりに会った彼と僕のやりとり、そして、彼が語(かた)った話の聞き書きです。出来るだけ忠実に書こうと思うんやけど、さあ、どうやろ? 

亡くなった恋人の遺品(いひん)にあったカセットテープで、モーツァルトと出逢(であ)ったヤクザのTさんやけど、その彼が、すったもんだの末、組を辞(や)めた時の話は面白(おもしろ)かった。 

「辞めたい理由はなんや?」

「これです。聴いてみてください…」

渡そうとしたレコードを取り上げた組長は「訳の分からんこと云うな、絶対に辞めさせへん!」と、そのLPレコードを膝(ひざ)で叩(たた)き割(わ)り、Tさんに投げ返したそうです。Tさんは組長のお気に入りで、近い将来の、組の若頭(わかがしら)候補の筆頭だったという。

何度か組長にレコードを渡そうとしたTさんだったけど、その度(たび)に目の前で割られ、辞意(じい)は完全に無視されたそうです。 

僕は、北島三郎の「兄弟仁義(きょうだいじんぎ)」や、あの高倉健の「唐獅子牡丹(からじしぼたん)」も好きやけど、ヤクザの組長にもモーツァルトを聴いて欲しいよなあ。

健さんの「唐獅子牡丹(からじしぼたん)」って、学生運動真(ま)っ盛(さか)りの、あの70年安保(あんぽ)の頃、流行(はや)ったんだよなあ。この歌、全共闘(ぜんきょうとう)の連中にも、なにか通じるものがあったんやろと思う。ああ懐(なつ)かしい…

♪…義理と人情を秤(はかり)にかけりゃ~…♪…♪背中(せな)で泣いてる唐獅子牡丹(からじしぼたん)~…♪ 

えーとー、なんの話やったかいな? 

そうや! 組を辞(や)める話や…  

意(い)を決(けっ)したTさんは、レコードと携帯(けいたい)プレーヤー、それに包丁(ほうちょう)とまな板を持って組長宅へ行き、彼が頼(たよ)りにしていた姉(あね)さん、つまり、組長の奥さんにも同席してもらい「指詰(ゆびつ)めさせてもらいますけど、その前に、とにかく聴いてみてください」と、強引(ごういん)に組長に迫(せま)り、モーツァルトのピアノ協奏曲21番・第二楽章をかけたんだって。

しかしさあ、ヤクザの組長が、モーツァルトを聴く情景って、失礼ながら、ちょっと想像出来ないよなあ。どんな顔してはったんやろ? でも、これ、ほんまの話しなんだよね。

Tさんは、遠い過去を懐(なつ)かしむように、淡々(たんたん)と語ってくれた。

…そして、あの夢見るような第二楽章が終わった時、恐ろしい形相(ぎょうそう)で腕組(うでぐ)みしていた組長が「もう勝手にせい!」と立ち上がった。

「じゃ、指詰めさせてもらいます」とTさんは覚悟を決め、右手で包丁を握(にぎ)り、左手の小指をまな板においた。

が、組長は、まな板と包丁を取り上げ「そんなことせんでもええ。すぐ出ていけ!なにがモーツァルトじゃ、このアホ!」そして付け加えたそうです。「二度と顔を出すな。他の組員にも絶対に会うな」

組を辞める時は指を詰(つ)める…これはヤクザの世界の掟(おきて)でしょう。だから、指の付いたままの彼だと示(しめ)しがつかないから他の組員には会うなと云う組長の配慮(はいりょ)だったんでしょうね。 

組を辞(や)め、亡き恋人を想(おも)い、毎日、そのモーツァルトを聴いていたTさんやけど、たまたま、<モーツァルトの家を訪ねませんか>と云う旅行会社のちらし広告を見て、居ても立っても居られず、ザルツブルグツアー参加を思い立ったんですね。

で、その飛行機で、たまたま隣りの席にいたのが、僕、ウマだったというのは、ウマ便りに書いた通りです。 

Tさんは、その後、大阪の今宮(いまみや)にある兄の鐵工所(てっこうしょ)を手伝うかたわら、夜間高校を出たあと大阪市立大学の夜間部に通ったという。少年院を出たり入ったりで、中学もまともに出ていないという彼だけど、偉いと思うよ。頑張ったんやねえ。

彼の人相(にんそう)・表情に変化を見た僕は思った…教育って人相を変えるんやな。

しかし、彼の人相が変わった最大の原因は、そう、もちろん、あの偉大な作曲家の存在ですよね、間違いなく。

以下、続く。

追記

「言わずもがな」ですが、改めて「音楽が持つ力(ちから)」に感心させられます。

つい「五味康佑」さん(故人)の著作(「西方の音」、「天の声」)に「いい音楽は人の倫理感に訴えかけてきて、正しく生きようという気を起こさせる」と、あったのを思い出しましたよ。

おっと・・、自分が書くとつい説教臭くなりますね~(笑)。



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モーツァルト愛がもたらした素敵なプレゼント~その2~

2023年02月02日 | ウマさん便り

いやあ、この2日間すっかり「おんぶに抱っこ」でしたねえ。しかもアクセスが快調に復活しました・・、「ブログ主」を交代した方がいいんじゃないかな(笑)。

人の文章を云々する資格を持ち合わせているとは思わないが、リズム感といい、細かい観察力といい、少しも恰好を付けないところといい、こういう文章大好きです!

というわけで、好評につき3回連続掲載といかせてもらいましょう。

それでは、前回の「~その1~」からの続きです。

さて、それから二年後ぐらいやったか、彼のことをすっかり忘れた頃、手紙をもらった。消印(けしいん)は今宮(いまみや)とあった。 

「ウマさん、Tです。覚えてはりますか? 御無沙汰(ごぶさた)してます。今宮にある兄の鐵工所(てっこうしょ)で働いてます。

(中略)例のモーツァルト、今でもよく聴いてますけど、他のモーツァルトもぎょーさん聴いてます。ピアノ協奏曲の20番や27番、交響曲の39番40番41番なんかもええですね。(中略)それと、今、地元の青少年指導員をやらせてもらってます…」少年院に入ってた人が、青少年指導員やて!
 

<ハロードーリー><聖者が街にやってくる>などのヒット曲で有名なサッチモ、あのルイ・アームストロングは札付(ふだつ)きの不良(ふりょう)だった。

少年院で初めてトランペットを手にした。すぐ音が出た。で、起床(きしょう)ラッパや就寝(しゅうしん)ラッパを吹くようになった。ところが、彼がトランペットを吹くようになって、喧嘩(けんか)や脱走が激減(げきげん)したそうです。音楽のちからってすごいですね。 

そうそう、Tさんが泣いたというモーツァルトはね、ピアノ協奏曲第21番ハ長調の第二楽章アンダンテです。この曲に関して忘れることが出来ないのは、何と云っても、スェーデン映画「みじかくも美しく燃(も)え」ですね。

映像がとても綺麗(きれい)な映画だったけど、この夢見るような第二楽章アンダンテが、実に効果的に流れていたなあ。映像とぴったりやった。モーツァルトさんにお願いして、<第二楽章アンダンテ>ってな味気(あじけ)ない名前を<みじかくも美しく燃え>に変えてもろたらどうやろ? このメルヘンみたいなタイトル、彼、きっと「かまへん…」て云うと思うけどなあ。

実話に基づいた、この胸キュン映画「みじかくも美しく燃え」…この邦題(ほうだい)を考えた人エライ! このタイトルに、おじさん、胸キュンになっちゃうの… 

モーツアルトは毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人で、卑猥(ひわい)な言葉を連発しギャンブルに狂い、借金だらけのとんでもない人やったけど、音楽に関しては、小さい時から天才を示したそうです。社会人としては欠陥(けっかん)だらけ、そんな問題の多い天才っていますよねえ。バド・パウエル、チャーリー・パーカー、スタン・ゲッツ…

でもね、彼らがこの世に残した、その、超美しい遺産(いさん)を想(おも)う時、僕は、…社会的性格の破綻(はたん)は、無数の人々に感動を与えてきた、その普遍的(ふへんてき)芸術の代償(だいしょう)として相殺(そうさい)してあげなくては…と、心から思いますよ、ウン。 

モーツァルト・ピアノ協奏曲21番第二楽章」知らない方はユーチューブで聴いてみてください。第二楽章アンダンテでっせ!

オーケストラによるテーマ提示(ていじ)のあと、ピアノが、まるで夢見るような旋律(せんりつ)を奏(かな)でます。あなた、きっと云うよ。「ああ、これ、聞いたことある!」

モーツァルトのこの音楽は世界遺産だと僕は思う。この世に、こんな美しいメロディーを創(つく)った人がいたということですね。でもね、これはモーツァルトが創ったのではなく、神をしてモーツァルトに創らしめた…と、僕は思っています。つまり、神さんが作った、云わば<天上(てんじょう)の音楽>なんです。 

音楽の力(ちから)って凄(すご)いと思うなあ。Tさんをヤクザの世界から足を洗わせたんですから… 

追記:

モーツァルトのピアノコンチェルト第21番ハ長調は、多くのピアニストが録音してますし僕も何枚か持ってます。でも、僕が一番よく聴くのは、ルーマニアのディヌ・リパッティの、1950年8月、スイス・ルツェルンでのライブ録音で、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮によるものです。残念ながら音はよくありませんが、それを超越して迫ってくるものがあります。

リパッティは僕の最愛のピアニストです。僕にとって、彼ほど、気品と情熱と慈悲深(じひぶか)さを感じさせるピアニストは他にいません。彼はこのフェスティバルで演奏した翌月9月、フランスのブザンソンで人生最期(さいご)の演奏をし、同年12月に亡くなっています。33歳でした。僕は、夢の中で彼の演奏を聴いたことが何度かあります。

録音が良く演奏も素晴らしいのは、アバド指揮ウィーンフィル、フリードリッヒ・グルダによる21番です。これも、ため息が出るほど美しい。

以下、「第二段階目」のストーリーがいよいよ佳境に入っていきますので、内容に合わせて次回以降のタイトルを「モーツァルトが変えた人生」に変更します。

続く。



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モーツァルト愛がもたらした素敵なプレゼント~その1~

2023年02月01日 | ウマさん便り

前回のブログ「スコットランドからのメール」で紹介した「U」さんの添付ファイルの内容は次のとおり。(原文のままです)

「離陸の時、隣りの人が、いきなり僕の腕を掴(つか)みはったんでびっくりした。 

手が震(ふる)えてるんや。チラッと顔を見たら、額(ひたい)に脂汗(あぶらあせ)が出てる。この人、飛行機に乗るのは初めてちゃうやろか?  困った人が隣りにきはったなあ。でも、彼の腕をさすり「大丈夫ですよ、心配要(い)りませんよ」と、わざとニコニコして云った。

…十五年ほど前のことです… 

関空発パリ行きのフライト、僕はパリで乗り換え、グラスゴーに向かう予定やった。その人、僕より十歳ぐらい若いかな。

巡行高度になり機内が落ち着き、飲み物のサービスが始まった。 

僕がビールを呑(の)みだした時、まったく口をきかなかったその方が、やっと口を開いた。「あのー、それ、なんぼですか?」言葉で大阪の方だとわかった。

いや、無料ですよ。

「あの、すんませんけど、僕にもそれ、頼んでもらえませんやろか?」

で、ビールをグラスに注(つ)がず、缶のまま一気に飲み干(ほ)したその人、フーッと大きく息をつきはった。ツアーガイドらしき女性が彼の様子を見に来たので、パックツアーの一員だとわかった。 

やや緊張が解(と)けたようだけど、彼を落ち着かせるために、こちらから話しかけた。…どちらへ行きはるんですか?

「ザルツブルグっちゅうとこへ行くんですわ」

へぇー、なんでまたザルツブルグへ?

「あのー…、モーツァルトの家へ行くんですわ」

ビックリした。失礼やけど、クラシック音楽を聴くようなタイプでは全然ない。 

彼に若干(じゃっかん)興味をいだいた僕は、より緊張をほぐしてもらうために、二缶目のビールを頼んであげたけど、それもあっという間に飲(の)み干(ほ)してしまいはった。

そして、僕に向かって… 

「あのー、おたく…、…モーツァルト…知ってはります?」

えー? この人、何なの?!…

で、彼がどんな反応をするのか興味をもった僕は…

「ええ大好きですけど…」

僕の答えが意外やったんやろか? やや驚きの表情を見せたあと、彼は初めて笑顔を見せた。三缶目のビールのあと、ウィスキーをオンザロックで呑みだした頃、ようやく緊張(きんちょう)が解(と)けたんやろか、ポツリポツリと喋(しゃべ)り出しはった。 

「あのー…、僕、クラシックのことはよくわからないんやけど、モーツァルトは好きですねん。ほんで、このザルツブルグツアーに申し込んだんですわ」

繰(く)り返(かえ)すけど、失礼ながら、この人、モーツァルトと縁(えん)があるようには見えへん全然…

しかし、彼が、訥々(とつとつ)と語り出した話に、僕は惹(ひ)き込まれてしまったんです。 

僕がモーツァルトが好きだと云わなかったら、彼、そんな話はしなかったんとちゃうやろか? 

「…おととしの年末に、付き合ってた娘(こ)が突然死んでしもたんですわ。結婚を考えてた娘なんで、もう、めちゃショックで、かなり落ち込みましてん…

僕は、彼女の親にあまり好かれてなかったんやけど、…あのー、なんで好かれてなかったかっちゅうと、僕、地元の大国町(だいこくちょう)の山口組系の組に入っとったんですわ。

(エーッ!このひと、やくざかいな!?)

…通夜、葬式と、親から無視されたんやけど、コレやるから、もう、うちには来(こ)んといてくれ云うて渡されたんが、彼女が持ってたカセットやったんです。ほんで、五つあったカセット、全部聴いてみたんです。

彼女、ちあきなおみや五輪真弓(いつわまゆみ)は日頃から好きや云うてたんやけど、一つだけ、なんやらクラシックが入ったカセットがあったんですわ。

クラシックなんか全然興味も縁もないんで、そのテープ、無視しようかなと思(おも)たんやけど、彼女の遺品(いひん)やし、一応、聴いてみたんです… 

「ところが、聴いてる途中、泣けてきたんです。で、その部分を何度も繰(く)り返して聴いたんやけど、ずーっと、涙が止まらへんのですわ。もう、わけがわからんで、なんやこれは?と思(おも)たんです。音楽を聴いて泣くっちゅう経験、それまで全然なかったもんやさかい、もう自分でもびっくりしてしもて…

ほんで、じっくり考えたんですわ…。自分はクラシックなんかに全然縁がないけど、ひょっとして、この曲、彼女の遺言(ゆいごん)やないか…

(…あんた、組、辞(や)めや…) 

「梅田の阪急東通り商店街にあるレコード屋さんへ行って、店員さんにそのカセットを聴いてもらって、その曲が入ったレコードを二枚買(こ)うたんです。生まれて初めてレコードを買(こ)うたんですわ。ほんで、その一枚を彼女の両親に持っていき、これ、彼女が好きやった曲です云うて、彼女の霊前(れいぜん)に供(そな)えさせてもろたんです。ほんで、両親に云うたんですわ。組、辞(や)めます…」 

涙が出て止まらないと彼が云ったその曲、僕もよ~く知っている。

なるほど、モーツァルトの、この有名な旋律(せんりつ)を聴いて、こころを動かされない人はおらんのとちゃうやろか? 

ロングフライトのキャビン…

こういう時のアルコールの働きっちゅうのは絶大(ぜつだい)やね。彼も僕も、もう、かなりええ気分になってしもて「ウマさん!Tさん!」の仲になってしもた。ほんでな、ちょっとけったいな楽しい道中になったのよ。いやあ、モーツァルトの話で、かなり盛り上がりましたねえ。 

彼は、ウィスキーを何杯もお代わりし、まあ、ようしゃべってくれはった。

「僕なウマさん、子供の頃から不良(ふりょう)でな、盗み・かっぱらい・カツアゲは毎日ですわ。ほんで、もう、しょっちゅう少年院送り、ずーっと保護観察やった。せやから中学もまともに出とらんのですよ…」

オルリー空港での別(わか)れ際(ぎわ)、モーツァルトで意気投合(いきとうごう)した彼に、僕の名刺を渡した。でも、そのあと、ちょっと後悔(こうかい)した。

やくざになる人ってさあ、やっぱり普通じゃない部分があるんや。まず短気、ほんでな、ええ人みたいに見えても、いざとなると豹変(ひょうへん)するのが彼らの特徴や。だから、名刺を渡したのをちょっと後悔したんや。だけど、そのあとすぐ、後悔したことを後悔した。モーツァルトが好きやっちゅう元やくざ、そんな人に悪い人がいるやろか?

以下、続く。



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「スコットランド」からのメール

2023年01月31日 | ウマさん便り

このブログもいよいよ国際的になりましたよ~、何とはるばる「スコットランド」からメールが届いたんですからね。

何はともあれ、ご本人のご了解を得ましたので、ご意志を尊重して原文のまま紹介させていただきましょう。

「はじめまして、Uと申します。1949年生まれ、通称ウマと呼ばれている者です。

大阪からスコットランドの田舎に移住して20年になる音楽ファンです。
パソコンのスイッチを入れて真っ先に貴殿のブログを拝見しています。お人柄が偲ばれる文章にいつもニコニコしています。
 
さて、丸谷才一さんの旧仮名使いの文章に惹かれていますが、集英社文庫「星のあひびき」丸谷才一著の21ページ冒頭に、とてもとても嬉しいモーツァルトに関する記述があります。ぜひご覧ください。きっと、ニコニコされると思いますよ。
 
なお、大阪のミニコミ宛に送った文章を二点添付しておきます。お暇な折にでもご覧くだされば嬉しく思います。お返事・御返礼などゆめゆめお気遣いなく。」

いやあ、まったく光栄の至りです!

「袖擦り合うのも何かのご縁」ですからブログの読者は大切にしようというのが私の一貫したモットーです。しかもこういうご熱心な読者のおかげでブログを続ける気になろうというものです。

ただし、私の人柄となると「?」ですから「買被り」かもしれませんね~(笑)。

とりあえず返信のメールを打った。

「スコットランドからのメールとあって少々驚きました。拙いブログをご覧いただき、恐縮です。さっそくご紹介の有った添付ファイルを拝読させてもらいます。とりあえず、無事着信したことをご報告申し上げます。」

 そして、長文の添付ファイルをじっくり読ませていただいたところ、これが実に面白いお話。

要約すると、「反社会的集団」の構成員がモーツァルトの音楽に目覚めて人生が一変するというサクセス・ストーリーである。

実話だから驚く!

これは自分だけで所有するのはもったいない話と思ったので二弾目のメールを発信。

「あれから、添付ファイルを読ませていただきました。いやあ、実にめったにない面白い話ですね。

 

よろしかったら、私のブログで取り上げさせていただけませんか?

 

ただし、決して無理は申しません。困るということであれば潔く諦めます。

 

また、ブログの原稿を完成させた暁には、事前に一度目を通していただきますが、いかがでしょう。」

はたしてご返答はいかに~。

すると待望の返信が届いた。

「いつも楽しく拝読しているブログですので、意外な展開にびっくりしています。

原稿を事前に僕に見せる必要などまったくありません。どうぞご自由に遠慮なくお載せください。非常に光栄に思います。
 
日本フィルハーモニーのソロコンサートマスター木野雅之は僕の親友です。

彼はスコットランドが大好きで、コロナ以前は、毎年のように我が家にやって来ました。

焼酎好きの彼は、必ず熊本産の焼酎持参で、やはり焼酎好きの我が女房キャロラインと三人で飲み会が始まります。そして頃合いを見て「木野さん、ちょっと弾いてよ」「うん、弾こうか」…

キッチンテーブルで、1786年クレモナ産、あのルッジェーロ・リッチから譲り受けたロレンツォ・ストリオーニ(時価一億円?)を、フランス産の弓(時価1200万円!)で弾いてくれるんです。まことに贅沢なひと時ですね。彼によりますとストラディバリウスは玉石混交だそうです。師匠の名を付けたお弟子さんの作品も少なくないと言います。

世界最高のストラディバリウスはクレモナのヴァイオリンミュージアムにありますが、これを弾いた日本人は彼だけです。やはり素晴らしい名器だと木野は言ってました。

そうそう、パガニーニの生誕200年の時、イタリア政府の要請で、パガニーニのお墓の前で、パガニーニ愛用のヴァイオリンを弾き、テレビ中継されたそうです。
 
僕の長女 ”くれあ” はミュージシャンで、英国の有名ミュージシャンのバンドメンバーとして、常に世界ツアーの連続です。彼女が初めて日本で演奏したのは、ポップアイドルのハリー・スタイルズのバンドメンバーとしてでした。

ハリーが「クレア・ウチマ!」と紹介したとき「みなさん、こんばんわ」と日本語で挨拶したものですから会場は騒然となったそうです。

まさか、世界のアイドル、ハリー・スタイルズのバンドメンバーに日本人がいるとは思わなかったんでしょうね。会場にいた友人によりますと、そのあとの彼女のコメントに、会場中、ずっこけたそうです。

日頃、僕のことを「おとーちゃん!」と呼んでますので、その癖が出たんでしょう。「私は母がスコットランド人で、おとーちゃんはオーサカでーす!」
 
主に大阪のミニコミ誌などに宛て、気ままな文章を随分たくさん書いてきましたが、音楽に関しても楽しい話がかなりありますので、また、お伝えしたいと思ってます。ただただ読み捨てて下さるだけで嬉しく思います。
 
南スコットランドの田舎にいますが、周りはすべて牛、羊、馬の世界です。

二万四千坪の敷地は甲子園球場の二倍ありますが、林あり森ありで、野うさぎやリスが飛び跳ね、キジや鹿が散歩しています。お隣まで1キロ以上離れてますので、大音量の音楽にご近所迷惑はありませんが、家の中が問題ですね。家の裏にある電気トランスはうち専用ですので、ノイズとは無縁みたいです。家の写真を添付しておきます。
 
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」


 
まるでお城ですね~、これは!

ご快諾をいただき感謝です。さっそく次回から搭載させていただきます。

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