前回のブログ「スコットランドからのメール」で紹介した「U」さんの添付ファイルの内容は次のとおり。(原文のままです)
「離陸の時、隣りの人が、いきなり僕の腕を掴(つか)みはったんでびっくりした。
手が震(ふる)えてるんや。チラッと顔を見たら、額(ひたい)に脂汗(あぶらあせ)が出てる。この人、飛行機に乗るのは初めてちゃうやろか? 困った人が隣りにきはったなあ。でも、彼の腕をさすり「大丈夫ですよ、心配要(い)りませんよ」と、わざとニコニコして云った。
…十五年ほど前のことです…
関空発パリ行きのフライト、僕はパリで乗り換え、グラスゴーに向かう予定やった。その人、僕より十歳ぐらい若いかな。
巡行高度になり機内が落ち着き、飲み物のサービスが始まった。
僕がビールを呑(の)みだした時、まったく口をきかなかったその方が、やっと口を開いた。「あのー、それ、なんぼですか?」言葉で大阪の方だとわかった。
いや、無料ですよ。
「あの、すんませんけど、僕にもそれ、頼んでもらえませんやろか?」
で、ビールをグラスに注(つ)がず、缶のまま一気に飲み干(ほ)したその人、フーッと大きく息をつきはった。ツアーガイドらしき女性が彼の様子を見に来たので、パックツアーの一員だとわかった。
やや緊張が解(と)けたようだけど、彼を落ち着かせるために、こちらから話しかけた。…どちらへ行きはるんですか?
「ザルツブルグっちゅうとこへ行くんですわ」
へぇー、なんでまたザルツブルグへ?
「あのー…、モーツァルトの家へ行くんですわ」
ビックリした。失礼やけど、クラシック音楽を聴くようなタイプでは全然ない。
彼に若干(じゃっかん)興味をいだいた僕は、より緊張をほぐしてもらうために、二缶目のビールを頼んであげたけど、それもあっという間に飲(の)み干(ほ)してしまいはった。
そして、僕に向かって…
「あのー、おたく…、…モーツァルト…知ってはります?」
えー? この人、何なの?!…
で、彼がどんな反応をするのか興味をもった僕は…
「ええ大好きですけど…」
僕の答えが意外やったんやろか? やや驚きの表情を見せたあと、彼は初めて笑顔を見せた。三缶目のビールのあと、ウィスキーをオンザロックで呑みだした頃、ようやく緊張(きんちょう)が解(と)けたんやろか、ポツリポツリと喋(しゃべ)り出しはった。
「あのー…、僕、クラシックのことはよくわからないんやけど、モーツァルトは好きですねん。ほんで、このザルツブルグツアーに申し込んだんですわ」
繰(く)り返(かえ)すけど、失礼ながら、この人、モーツァルトと縁(えん)があるようには見えへん全然…
しかし、彼が、訥々(とつとつ)と語り出した話に、僕は惹(ひ)き込まれてしまったんです。
僕がモーツァルトが好きだと云わなかったら、彼、そんな話はしなかったんとちゃうやろか?
「…おととしの年末に、付き合ってた娘(こ)が突然死んでしもたんですわ。結婚を考えてた娘なんで、もう、めちゃショックで、かなり落ち込みましてん…
僕は、彼女の親にあまり好かれてなかったんやけど、…あのー、なんで好かれてなかったかっちゅうと、僕、地元の大国町(だいこくちょう)の山口組系の組に入っとったんですわ。
(エーッ!このひと、やくざかいな!?)
…通夜、葬式と、親から無視されたんやけど、コレやるから、もう、うちには来(こ)んといてくれ云うて渡されたんが、彼女が持ってたカセットやったんです。ほんで、五つあったカセット、全部聴いてみたんです。
彼女、ちあきなおみや五輪真弓(いつわまゆみ)は日頃から好きや云うてたんやけど、一つだけ、なんやらクラシックが入ったカセットがあったんですわ。
クラシックなんか全然興味も縁もないんで、そのテープ、無視しようかなと思(おも)たんやけど、彼女の遺品(いひん)やし、一応、聴いてみたんです…
「ところが、聴いてる途中、泣けてきたんです。で、その部分を何度も繰(く)り返して聴いたんやけど、ずーっと、涙が止まらへんのですわ。もう、わけがわからんで、なんやこれは?と思(おも)たんです。音楽を聴いて泣くっちゅう経験、それまで全然なかったもんやさかい、もう自分でもびっくりしてしもて…
ほんで、じっくり考えたんですわ…。自分はクラシックなんかに全然縁がないけど、ひょっとして、この曲、彼女の遺言(ゆいごん)やないか…
(…あんた、組、辞(や)めや…)
「梅田の阪急東通り商店街にあるレコード屋さんへ行って、店員さんにそのカセットを聴いてもらって、その曲が入ったレコードを二枚買(こ)うたんです。生まれて初めてレコードを買(こ)うたんですわ。ほんで、その一枚を彼女の両親に持っていき、これ、彼女が好きやった曲です云うて、彼女の霊前(れいぜん)に供(そな)えさせてもろたんです。ほんで、両親に云うたんですわ。組、辞(や)めます…」
涙が出て止まらないと彼が云ったその曲、僕もよ~く知っている。
なるほど、モーツァルトの、この有名な旋律(せんりつ)を聴いて、こころを動かされない人はおらんのとちゃうやろか?
ロングフライトのキャビン…
こういう時のアルコールの働きっちゅうのは絶大(ぜつだい)やね。彼も僕も、もう、かなりええ気分になってしもて「ウマさん!Tさん!」の仲になってしもた。ほんでな、ちょっとけったいな楽しい道中になったのよ。いやあ、モーツァルトの話で、かなり盛り上がりましたねえ。
彼は、ウィスキーを何杯もお代わりし、まあ、ようしゃべってくれはった。
「僕なウマさん、子供の頃から不良(ふりょう)でな、盗み・かっぱらい・カツアゲは毎日ですわ。ほんで、もう、しょっちゅう少年院送り、ずーっと保護観察やった。せやから中学もまともに出とらんのですよ…」
オルリー空港での別(わか)れ際(ぎわ)、モーツァルトで意気投合(いきとうごう)した彼に、僕の名刺を渡した。でも、そのあと、ちょっと後悔(こうかい)した。
やくざになる人ってさあ、やっぱり普通じゃない部分があるんや。まず短気、ほんでな、ええ人みたいに見えても、いざとなると豹変(ひょうへん)するのが彼らの特徴や。だから、名刺を渡したのをちょっと後悔したんや。だけど、そのあとすぐ、後悔したことを後悔した。モーツァルトが好きやっちゅう元やくざ、そんな人に悪い人がいるやろか?