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「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・6・9)

2023年06月09日 | ウマさん便り

「ナポリ、そして浜辺の歌」 

ナポリへ行ったのは何年前になるだろう。 

女房のキャロラインとホリデーをシシリーで過ごす予定だったけど、彼女が急に行けなくなり、予定を変更して僕一人でナポリへ行くことにした。

なぜ、ナポリだったのか?

ナポリの西方に浮かぶカプリ島の「青の洞窟」を訪ねたかったのと、本場のピッツァを食べたかったこと…が、その理由かな? 

僕が初めてピッツァを食べたのは、上京した20歳の頃、東京は銀座でのことだった。それまで、なぜかピッツァの存在はまったく知らなかった。

ペスカトーレと名付けられた、ムール貝、アサリ、海老、ホタテ、イカ、アンチョビなど、魚介類入りのその味は衝撃的だった。この世にこんなにうまいものがあったのかとまで思った。

そして、イタリアのナポリが、ピッツァ発祥の地だとも知った。その後、いろんなピッツァを食べたけど、やっぱりペスカトーレに惹かれるなあ。

で、いつの日かナポリでペスカトーレを食べたい…と思うようになったのは、ま、当然ですよね。 

ナポリ市内の安宿で荷をほどき、さっそく、ツーリストインフォメーションのお嬢さんが「とても美味しいですよ」と薦めてくれたピッツァ専門店へ向かった。

ナポリのタクシーには気をつけろとの友人の忠告に従い、宿にお願いしてタクシーを呼んでもらった。市内から15分ほど、ベヴェレッロ港のすぐ近く、潮の香りがするところに、その店「ジャン・フランコ」はあった。店の中に入った途端、僕は、あゝ、来てよかったと思った。 

海辺に近いその店の、まず、インテリアに僕は目を見張ったんです。

幅20センチほどの板張りの壁と天井は、ライトブルーにペイントされ、フローリングのライトブラウンにとても合っている。そして、いくつかある大きく開放的な窓の枠はすべて白くペイントされていた。

いやあ、いかにも海辺の雰囲気やなあ… 

海が見える窓辺の席に案内してくれたウェイトレスに、まず、イタリアンビール・ペリーニの生を注文し、そして、メニューにペスカトーレを見つけたときは、やや興奮してしまった。

そうなのよ。ついに、ナポリでペスカトーレや! 東京の銀座で初めて食べて以来、すでに30数年になるんとちゃうか?

ウェイトレスが「日本人ですか?」と訊く。そして「うちの料理人に日本人がいますよ」と言ったのには驚いた。…こんなとこに日本人がいるんや!…

で、わざわざ厨房から出てきて、僕にペスカトーレを運んできた青年は、ニコニコと、とても嬉しそうに自己紹介した。

「僕、三谷圭介と言います」 

年の頃、二十数歳だろうか。その圭介君がいう。

「ほとんどの日本人ツーリストは、市内の有名店へ行くんで、この街はずれの店に来る方は少ないんですよ。よく来てくれました」

で、僕は、圭介君に、その昔の、僕とペスカトーレとの銀座での出会いを、やや興奮しながら説明した。

「じゃあ、わざわざペスカトーレを食べにナポリですか?」と、ナポリに来てすでに二年が経つという、笑顔がとても爽やかな圭介君は感激してくれた。 

ジャン・フランコのペスカトーレは格別に美味しかった。やっぱり日本の味とは、ちょっと、いや、かなり違うなあ。

その、本場のピッツァを、ペリーニの生を飲みながら食べたあと、ナポリ近郊が産地だと言うフラスカーティ(辛口白ワイン)を、シシリーで水揚げされたマグロのカルパッチョとともに頂いた。

薄くスライスした鮪のイタリア風刺身・カルパッチョ…これも、とても美味しかった。フラスカーティにぴったりのその味は、港に落ちる夕陽の眺めに、とても相応しいものだった。

そして、この店に来て本当に良かったとしみじみ思った。脇に美人がいたらもっと良かった。いや、あのー、もちろん奥さんのキャロラインのことですよ。 

私服に着替えた圭介君が

「僕は街中に住んでるんですけど、今日は早番なんで、車でウマさんを送っていきますよ」お言葉に甘えることにした。

そして、僕の滞在先とそれほど遠くないアパートに車を置いた彼と、すぐ近くの彼の行きつけのバーで、ゆっくり話をすることが出来た。 

以後、ナポリ滞在中の8日間、ほとんど毎日彼と会うこととなった。奇遇と言うより、思いがけない、とても嬉しい出逢いだったですね。

ところが、それから三年半後、神奈川県の逗子で、彼、三谷君と再会することになるとは、その時は夢にも思わなかったけど…

バーでは、彼お薦めのグラッパ (イタリア産焼酎?)で、まず、乾杯した。そして、興味しんしん、彼の話を聞いた… 

神奈川県逗子市出身の三谷圭介君は、高校卒業後、大阪の調理師学校で二年間西洋料理を学び、卒業後、東京は吉祥寺のイタリアンレストランに三年勤めた。 

このレストランで、主にピッツァの調理を任された彼は、オーナーシェフに

「イタリアで本格的にピッツァの修行をしてみないか」と言われたのがきっかけでナポリに来ることになったと言う。

今では言葉にもほとんど不自由せず、毎日が楽しい上、店のオーナーシェフ、ジャン・フランコが、日本が大好きな人で、圭介にとてもよくしてくれると言う。

そして、圭介は、今では、ナポリが第二の故郷だと思うになったとも言う。

逗子、そしてナポリ…素敵な話だよねえ。 

ここ、ジャン・フランコのピッツァは、大きな石の窯の高熱で、たった1分ちょっとで焼きあげると言うんで驚いた。ガスオーブンを使う吉祥寺の店とはかなり違うらしい。

「やっぱり薪をふんだんに使った高熱で焼かないとダメなんです」と圭介君は言う。僕は、その生地の旨さに感心した。

地元イタリア産の小麦粉を使っているというジャン・フランコのピッツァの端っこはやや厚く、軽く焦げていて固そうに見えるけど、実はとても柔らかく、しかも香りが香ばしい。

つまり生地だけでも美味しいのよ。もちろんビールにこの上なく合う。さらに、シシリーで水揚げされたと言う、ムール貝、エビ、イカ、ホタテなどの新鮮な魚介類の絶妙な歯応えが、モッツェレラチーズにこの上なく合い、申し分なく美味い。もう、絶妙のペスカトーレと言っていい。
 

僕はタバスコが好きなので、ウェイトレスにタバスコを頼んだけど、タバスコは置いてないと言う。その代わり、辛味のあるオイルをくれた。これが良かった。タバスコよりペスカトーレに合う。

圭介君によると、イタリアのピッツァ店にはタバスコは置いてないそうや。それにしても、ペスカトーレが好きでよかった。

ま、そんなわけで、ナポリで最高に幸せなウマでござった。 

あと半年でナポリでのピザ修行を終え日本に帰るという圭介君と、例のバーで三回目に会った時だったかな。グラッパでかなりご機嫌になった彼が、ふと、こちらで知り合った日本人女性のことを語り出したんです。そして、僕は、その話に引き込まれてしまった… 

「こちらに来てすぐのことだったんだけど、ある日、仕事から帰り、部屋のドアを開けようとしたら、隣の部屋から歌声が聞こえて来たんです。耳を澄ますと、なんと日本の歌なんです。で、思わず、ドアをノックしたら、とても綺麗な日本の女性が出て来たんで、もう、びっくり。僕の母親ぐらいの年齢かな? 聞くと、僕より一ヶ月ほど早くナポリに来たとおっしゃる」 

「その鎌倉出身の河合美津子さんとは、同じ神奈川出身ということもあり、すぐ親しくなりました。彼女もナポリとピッツァが大好きで、もちろんジャン・フランコにも食べに来てくれるようになったんです。美津子さんもウマさんと同じでね、いつも決まってペスカトーレを食べてました」 

「この美津子さん、とても歌が好きな方で、彼女の部屋からは、よく歌声が聞こえてました。すごく澄み切った透き通るように綺麗な声で、思わず聞き惚れてしまいました。ところが、いつも決まって同じ歌なんです。それでね、ある時、訊いてみたんです。その歌、なんて言う歌ですか?」

「浜辺の歌…私の大好きな歌よ…」 

「美津子さんは、生まれ育った地元の鎌倉から近い由比ヶ浜が大好きで、小さい時からその砂浜をよく散歩したそうです。そんな時、必ず、浜辺の歌を口ずさんでいたと言うんです。そして、今でも嫌なことを思い出した時など、必ずこの浜辺の歌を口ずさむとおっしゃる。

この歌を唄うと、心がとても和やかになるんですって。それでね、彼女に歌詞を書いてもらい、いつの間にか僕もこの歌を唄うようになったんですよ。ウマさんはこの歌、知ってます?」

知ってるどころじゃないよ。僕も浜辺の歌好きだなあ。好きな日本の歌はたくさんあるけど、ひょっとして浜辺の歌が一番好きかも知れないね。歌詞にある〈あした〉の意味が〈朝〉だと知った時は驚いたけど… 

 あした浜辺を さまよえば

 昔のことぞ しのばるる

 風の音よ 雲のさまよ

 寄する波も 貝の色も… 

 ゆうべ浜辺を もとおれば

 昔の人ぞ しのばるる

 寄する波よ かえす波よ

 月の色も 星のかげも… 

…それで、その美津子さん、今でもナポリにいらっしゃるの?

ところが、思いもかけない、そう、ちょっと悲しい話になった…

「いえ、…実は彼女…亡くなったんです…二ヶ月前に…」 

「ある日、僕の部屋を激しくノックした彼女、とても苦しそうに、身体中痛くてという…僕はすぐに救急車を呼びました。

で、翌日、病院に美津子さんを見舞った僕に、医師は、乳癌ですが、すでに全身に癌細胞が回っていて、もう手遅れです。あと一ヶ月は持たないだろう」

その告知を聞いた美津子さん…

「圭介、お願い、鎌倉にいる娘に連絡してちょうだい」

 飛んできた美津子さんの一人娘、奈美恵と圭介は今後の策を話し合った。すぐ日本に連れて帰りたいという奈美恵に、圭介はもちろん同意した。ところが、美津子さん本人は

「日本には、今すぐ帰りたくない。もう少しナポリにいたい」 

圭介と奈美恵は、何度も話し合った結果、そんな美津子さんの意思を尊重することに決めた。

そして、二人は、車椅子で美津子さんをジャン・フランコへ連れて行き、美津子さんは大好きなペスカトーレを、しみじみと食べたという。 

圭介と奈美恵は、港の外れにある浜辺に美津子さんを連れて行った。

美津子さんは、地中海に落ちる夕陽を眺めながら、透き通るような声で浜辺の歌をゆっくりと唄ったそうや…

僕は美津子さんに会ったことはないけれど…その光景、目に浮かびますね。 

🎵 ゆうべ浜辺を もとおれば(さまよえば)… 

美津子さんは、人生の最期に、まさに〈ゆうべ〉…つまり、夕陽に染まるナポリの浜辺を目に焼き付けたんですね。 

なぜ、美津子さんはナポリに来たのか?

圭介が奈美恵から聞いた話によると、実は、心を病み躁鬱の激しい御主人によるDV、つまり家庭内暴力に耐えかねて、美津子さんは日本を逃げ出してきたらしい。

結局、美津子さんは、愛したナポリで最期を迎え、そして荼毘に付された。遺灰の半分は、本人の遺言通り、奈美恵と圭介がナポリの浜辺に撒いた。そして、奈美恵は遺灰の半分を抱いて日本に帰ったという。 

ま、そんなわけでね、僕のナポリでのホリデーはジャン・フランコのペスカトーレと共に、嬉しさと、ちょっぴり悲しさを伴った、ちょっと忘れられない想い出となったわけなんです。

それからほぼ二年後、スコットランドの僕に、懐かしい圭介から連絡があった。

…ウマさん、日本に来る機会があれば逗子に来てくれませんか? 僕、自分の店をオープンしたんです。ウマさんには是非来て欲しい…

そして翌年、日本に行く機会を得た僕は逗子を訪れた。 

逗子の海岸沿いを走る道のやや高台に圭介の店はあった。その、さりげない小さな看板に書かれた店名を見て、僕は唸ってしまった…

「ピッツァの店・浜辺の歌」…

そして、店内に入った僕はさらにびっくりした。

壁、天井はライトブルー、フローリングはブラウン、遠くに逗子の海が見えるその窓枠は、綺麗に白に塗られている…そう、店の規模は小さいけど、まるでナポリのジャン・フランコのインテリアやないか! 

イタリアンビール・ペローニを持ってきたウェートレスが、ニコニコと僕に自己紹介した。

「初めまして、私、奈美恵です。ウマさんのことは圭介から聞いています」

 驚く僕に、キッチンから出て来た圭介が言った。

「実は、ナポリから帰って二ヶ月後に僕たち結婚したんです。美津子さんへの結婚報告代わりに、彼女の遺灰を由比ヶ浜で二人で撒いたんですよ。浜辺の歌を唄いながらね」

僕は、思わずジーンときてしまった、というか、もう、胸が詰まって言葉がなかったですね。 

不動産業をしていた奈美恵の父親、つまり美津子さんの夫もすでに亡くなっていて、その遺産が店の開店資金になったと言う。 

ペローニを飲みながらナポリを思い出していた僕は、テーブルのメニューを開いた。もちろん、注文はペスカトーレに決まっている。城ヶ島を始め、三浦半島のあちこちから新鮮な魚介類が豊富に入荷すると圭介は言う。

ところが、メニューにペスカトーレがない、どこにも書いてない。エーッ? なんでー? キッチンから圭介が言った。

「ウマさん、メニューをよーく見て!」 

メニューの一番上に「浜辺の歌」とあり、魚介類のピッツァとの説明があった。僕は思わずニッコリ膝をたたき、キッチンの圭介に、両手の親指を立てた。

ナポリ…逗子…そして、ピッツァ〈浜辺の歌〉… 

あした浜辺を さまよえば…

昔のことぞ しのばるる… 

追記: 

「浜辺の歌」を開店して3年後、圭介にナポリのジャン・フランコから連絡があった。老齢で引退することになった彼には後継者がなく、店を処分することになったけど、もし圭介が店を引き継いでくれるのなら彼に譲るとのことだった。

とにかく何年でもいいから圭介に店をやってもらい、いずれ日本に帰る時がくれば、店の窯など持っていっても良いとまで言われた圭介は、奈美恵の賛同も得て「浜辺の歌」を閉め、二人で第二の故郷ナポリに戻った。 

ジャン・フランコ、圭介、美津子、奈美恵… 

ナポリが縁で結ばれた彼らを思うと、なぜか胸が熱くなるウマでござった。

そして、いつの日か再度ナポリを訪れ、ジャン・フランコで、奈美恵にペリーニの生を注文し、そしてもちろん、圭介の焼くペスカトーレを食べるつもりでいる。

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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・5・30)

2023年05月30日 | ウマさん便り

「発音あれこれ」 

リス…うちの庭にちょくちょく出没(しゅつぼつ)する。

そのリス、英語でsquirrelと綴(つづ)る。その発音が出来ないんや。どうしても「スクロール」になってしまい、皆に笑われる。

まわりの皆さんの発音がよくわかんないのはしょっちゅうですね。でも、英語がようわからんでも世の終わりじゃなしと腹をくくってる。 

キングス・イングリッシュ、クィーンズ・イングリッシュ、スコッティッシュ・イングリッシュ、アイリッシュ・イングリッシュ、アメリカン・イングリッシュなど、英語もいろいろあるけど、僕自身は、どの国の英語であっても、それらの発音を忠実に真似(まね)する必要はないと考えている。なぜか? 

うちに来られた日本の方で、アメリカ人の発音を真似(まね)て、ウォーターを「ウォーラー」と言う方がいた。これはやめたほうがいい。英国人で「ウォーラー」と発音する人はいない(と思う)。

一般的な話だけど、英国で、あるいは他のヨーロッパで、アメリカ英語がやや下に見られている現実を僕は何度も見てきた。でもね、言葉って、要するにコミュニケーションの手段だよね。

そのコミュニケーションの手段の段階で優劣を付けるなんて、よくないことだと僕は思っている。ま、アメリカを馬鹿にしている連中でも、ハリウッド映画は喜んで観てるけどな。

もちろん、個人的な友人関係で、アメリカ人を馬鹿にする人を見たことは、今まで、まったくない。だから、一般的な話だと断ったんです。僕自身も、素晴らしいアメリカ人の友人が何人かいる。敬意を表すればこそ、馬鹿にするなどとんでもない。

あらゆる面で世界をリードするアメリカです。でも、英国を含むヨーロッパの人たちが、アメリカをやや下に見ている(なと感じる)現実は何度も見てきた。 

やや(かなり)話がそれますが(いつものことや)… 

コロンブスが「ガリレオが云うように、地球が本当に丸いのであれば、今までのように東に向かわず西に向かってもインドに到達する筈や」と、1492年、ポルトガル女王の支援を得て大西洋を西に船出し、悪戦苦闘(あくせんくとう)の末、大陸に近い島に上陸した。 

でも、彼はそこがインドだと思い込み、そこにいた原住民をインディアンと呼んじゃった。その後、幾度かの大航海により新大陸が発見されたけど、そこにいた原住民もインド人だと認識されインディアンと呼ばれた。だけど、彼らこそが本当のアメリカ人なんだよね。

さらに、その、インディアン、つまり、本当のアメリカ人が、その後、ヨーロッパから続々とやって来た人間に過酷(かこく)な生活を虐(しいた)げられた歴史は、多くの西部劇を見てればわかる。
 

1620年、メイフラワー号に乗って新大陸を目指した102名の清教徒たちは、艱難辛苦の末、アメリカに到達した。英国に於いて宗教的迫害を受けた上での決断だったとは云え、何が待っているかわからない未知の大陸を目指すと云うことは、すごく勇気のいることだったと、僕は、彼らに敬意を表している。

新大陸に夢を託した人々が作り上げたのがアメリカだというのは歴史的事実です。でも、そんな人々をアメリカ人と認識するより「アメリカ人になった人たち」と認識すべきでしょうね。

そうそう、あの、ドボルザークの交響曲「新世界から」は、新大陸アメリカを目指した人たちの、その夢と情熱をドラマチックに、しかも壮大に表現していますよね。大好きな音楽です。 

さて、今でも、ヨーロッパ系の先祖を持つアメリカ人の中には、キングス・イングリッシュやクィーンズ・イングリッシュなど、兄貴分の英国の英語に若干(じゃっかん)のコンプレックスを感じている方が少なくないと思う。

敗戦後、GHQのアメリカ将校が、白洲次郎の英国仕込みの英語に、コンプレックス故(ゆえ)の称賛(しょうさん)を与えたり、北海道余市のニッカウィスキーを接収(せっしゅう)に来たアメリカ軍将校は、やはり英国仕込みの竹鶴政孝(たけつるまさたか)、マッサンの英語の迫力に退散するはめになったりしたのが、その証左(しょうさ)じゃないかな。 

でもね、ここで僕が強調したいのは、前述したように、アメリカ英語でもイギリス英語でも、その発音などを忠実に真似(まね)する必要はなく、誰にも通じるニュートラルな発音をこころがけるのが一番だということなんです。だってね、僕やあなたは英国人でもアメリカ人でもないからです。 

そして、英語も含め、外国語を流ちょうに喋(しゃべ)ることより大事なこと…

云うまでもないけど「何」を喋るか…その話の中身ですよね。これはな、流ちょうに喋れないウマの負(ま)け惜(お)しみとちゃうと思うで…

かなり以前、大阪でのこと…

ある英国パブで、見事な英語を喋る日本人と御一緒したことがあった。まだ、若い方だったけど、めちゃ流ちょう、つっかかることなく、ペラペラと流れるような英語を喋りはるんや。発音も完璧。ウマさん、惚(ほ)れ惚(ぼ)れと目を見張ってしもた。

ところがや、外国人の友人たちは、ほぼ口を揃(そろ)えて「確かに彼の英語は完璧や。だけど、話す内容がぜんぜん面白くなくて退屈する。だから、彼とは一緒に呑みたいとは思わん。はるかに英語が下手(へた)なウマのほうが、まだちょっとはましや」

これには驚いた。あんなに流ちょうに英語をしゃべる人が敬遠されていたなんて…。でも「ウマはちょっとはましや」はないよなあ。

その時、ウマは気が付いた。流ちょうに喋る必要はないんやなって…で、今でもペラペラと喋れないんでございますのや。 

さて、日本人は、R(アール)とL(エル)の発音が苦手(にがて)だとよくいわれるよね。Lはさほど難しくないけど、問題はR(アール)ですね。

そこでね、red や、rightなど、単語の頭に微(かす)かに「ウ」を付けるんです。(ゥ)レッド、(ゥ)ライト、そうすると、まず通じますね。これ、伊丹十三さんの本に書いてあった。

英語の発音の要諦(ようてい)は、th(舌の先を上下の歯で噛(か)む)、f(下唇を上の歯で噛む)、vも同様。それにRとLですね。これだけ注意すれば、たいがい通じる(んちゃうか)。でも、ウマの発音が通じんのは、ま、日常のことやけどな。 

それぞれの国では、外来語をそれぞれ自分たちに都合のいいように発音する。

英国人の発音を都市名を例にみてみよう…ほんの一例です。

ジュネーブ→ジェネバ、ミュンヘン→ミュニック、ウィーン→ヴィエナ、ナポリ→ネイプル、ローマ→ロウム、ブルガリア→ブルゲイリア、グルジア→ジョージア…などなど。 

昔、全英オープンの実況中継で、アナウンサーが、青木Aokiのことを「エオウキ」と呼んでいたし、ある英国人が、東京の品川Shinagawaをシャイナゲイワと発音するのを聞いたこともある。

もちろん日本人も負けてません。カッコ内の英語読みと比べてみてください。ペキン(ベイジン)、トルコ(ターキー)、キプロス(サイプロス)、ベルギー(ベルジャム)、ウクライナ(ユークレイン)、マケドニア(マセドウニア)、ギリシャ(グリース)、ボルネオ(ボーニオウ)…などなど。 

余談だけど、英語になった日本語、けっこうありますよ。

「ツナミ」など、それ以外の言葉では表現出来ないぐらい世界共通語になってしまった。昔は「フラワーアレンジメント」と言ってたけど、今は「イケバナ」で通用しつつある。

布団(ふとん)は「フトンマットレス」、その他「スシ」「テッパンヤキ」「サケ」「テリヤキ」「ボンサイ」「シイタケ」「ワサビ」「ベントー」「ノリ」「ミリン」「ミソ」「サシミ」などはもう立派な英語です。寿司の「ニギリ(握り)」「マキ(巻き)」も、ほぼ通用します。

「柿」は「パーシモン」と書いてある店もあるけど、ロンドンの屋台の果物屋さんなど「KAKI」と書いてあった。でも、カキって、もともとスペイン語らしいね。僕は、柿(かき)と牡蠣(かき)を使った「カキカキッ!」ってなアホな料理を作ったことがあった。誰も食べてくれへんかった。
 

先日、スムージーを作るためにキャロラインが買ったジューサーの名前が「ニンジャ」。なんでジューサーがニンジャやねん?

商品名に日本的な名前がかなりあるのは、日本の製品って、やはり一目置かれているんですよね。「ショーグン」「サムライ」「カタナ」はどなたでも知ってます。「三菱パジェロ」こちらでは「ミツビシ・ショーグン」です。 

ところで、スーパーで見る日本の食材など、てっきり日本製だと思っていたら、裏に小さく小さく「メイドインチャイナ」と書いてあることがある。これらは日本の会社の委託生産(いたくせいさん)ではなく、中国の会社がパッケージに日本語や日本風のイラストを書き、日本製を装(よそお)ってるということですね。

こんな商品、すごく多い。僕も騙(だま)されたこと、けっこうあるよ。ずっこいよな。面子(めんつ)を重んじる中国人でも商売となるとなあ…
 

キャロラインさんは、けっこう日本語をしゃべる。僕が、彼女の喋(しゃべ)る英語がわからない時など、日本語で言ってくれることも珍しくない。「ナニナニです」「ナニナニでございます」など、敬語の使い分けや日本語の読み書きもある程度(かなり?)出来る。

さて、日本にいた時ね、彼女は「シュッ」の発音が苦手だった。「シュッ」が「シュウ」になっちゃうんだよね。ま、今は大丈夫ですよ。

で、当時、僕を人に紹介するのに「私のシュジンです」と云うべきところが「私のシュウジンです」になるんや。それはいいんやけど、なかには「あゝなるほど」とニコッとする方もいたりして閉口したなあ。

オイ!ウマは囚人(しゅうじん)かい?

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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・5・21)

2023年05月21日 | ウマさん便り

「御寄付(ごきふ)、匿名(とくめい)、そして天才のチェロ」

NGOとしての我々アラントンは、基本的には御寄付(ごきふ)で成り立っている。

言葉を変えれば、恒久平和(こうきゅうへいわ)を希求(ききゅう)するアラントンの活動を支(ささ)えたいという人々の、心からの篤志(とくし)で成り立っている。 

東京にある五井(ごい)平和財団、この公益法人(こうえきほうじん)がアラントンをサポートしてくださるその筆頭です。

この財団の理事で、昭和電工最高顧問の大橋光夫さんと奥様の清子さんがアラントンにおいで下さった時、かなりの額の御寄付をくださった。

現在、アラントンの各所にある北欧製暖炉(だんろ)は、この御寄付によって設置させていただいたものです。アラントン裏にある森林から伐採(ばっさい)された間伐材による薪(まき)が、美しい炎となって部屋を暖めてくれるたびに、我々アラントンスタッフは、大橋さん御夫妻を思い出す。 

面白い意図(いと)の御寄付もある。

「アラントンに日本式のお風呂をつくりませんか?」と、やはり我々アラントンを熱心にサポートしてくださる、名古屋にお住まいの柴田さん御夫妻も、かなりの御寄付をくださった。

日本のお風呂と西洋のお風呂文化はまったく異なっている。で、今、アラントンに於ける日本式お風呂も、実現に向け動き出した。 

何といっても、日本に長年住んだアラントン代表のキャロラインが、銭湯や温泉など日本のお風呂大好きだしね。この人、雪景色(ゆきげしき)の露天風呂につかりながら焼酎のお湯割りをキューと一杯、これサイコーやとおっしゃるんや。この人、前世はぜったい日本人でっせ。

で、アラントンの日本式お風呂完成の暁(あかつき)には、日本の銭湯に倣(なら)って入り口には暖簾(のれん)をかけます。もちろん「ゆ 柴田温泉」や。壁の富士山は、僕がペンキで描(か)きますがな。

 その他、日本のお米や食材など、こちらでは得難(えがた)い品々を送ってくださる方が少なくない。これらの貴重な日本食材で僕が調理した日本食のファンは、こちらで確実に増えている。実にありがたいことですね。 

ところで、このスコットランドの地に於いても、アラントンに御寄付くださる方はいらっしゃる。現金や小切手をくださる方もいるけど、お金だけではなく、ソファーやテーブル、さらに椅子などの家具の他、ピアノなど、あらゆるものを寄付して下さる。芝刈り耕運機(こううんき)や藁(わら)ぶき屋根のパティオ、それにキャンピングカーなど、アラントンの内外にある数多くの物が御寄附なんですよ。 

かなり以前の話だけど、アラントンに常設している寄付箱に、とんでもない札束が入っていて、アラントンスタッフがびっくりしたことがある。当時の日本円でたしか20万円ほどだったと記憶している。

で、その頃アラントンに来た方々すべてに問い合わせたけど、名乗りを上げる人はいなかった。つまり匿名(とくめい)の御寄付だったんですね。

アラントンに集う方々は無私無欲(むしむよく)の人ばっかりだなあと日頃から思ってた僕やけど、この匿名の御寄付には正直言ってびっくりした。そして、世の中にはこんな人がいるんやと、心洗われる思いがしたんですよね。

こんな方々に接するうち、僕自身、かつて盛大に持っていた物欲が、かなり希薄(きはく)になっている自分に気付いたこともある。ま、ちょっとぐらいはあるけどさあ… 

匿名(とくめい)…、で、ふと、思い出したことがある… 

ジャクリーヌ・デュ・プレ…

1987年に42歳で亡くなった天才チェリスト…

僕は、彼女が弾くチェロにとても惹(ひ)かれている。カザルス、ロストボービッチ、ヨーヨー・マなど、僕が愛するチェリストは少なくない。でもね、ジャクリーヌ・デュ・プレは、特別な存在なんです。

是非とも、彼女の演奏を目の前で聴きたかった。驚異的なテクニックも含め、その音色・表現力は卓越(たくえつ)している。指揮者のズービン・メータのコメントがある。

「あの音量の凄さは男のチェリストでも敵(かな)わない」

史上最高のチェリストですね。ま、僕にとってはということやけど… 

皆さんは、ストラディバリウスを御存知ですよね。

ヴィオリオンやチェロ、これらの楽器の最高峰として、多くの名手に引(ひ)き継(つ)がれている歴史的名器です。非常に高価、時価一億円はごく普通で、二億円以上するものもある。

ただし、ヴァイオリンの匠(たくみ)、名工ストラディバリウス氏のお弟子(でし)さんが、師匠の名を冠(かん)したものは玉石混交(ぎょくせきこんこう)なので、そんなストラディバリウスは要注意だと、親友のヴァイオリニスト木野雅之(きのまさゆき)が言ってたことがある。

彼は、イタリアのクレモナにあるヴァイオリン博物館所蔵の世界最高のストラディバリウスを弾いた恐らく唯一の日本人ヴァイオリニストじゃないかな?

さて、ジャクリーヌ・デュ・プレは、二台のストラディバリウスを使用したが、その二台とも彼女のファンから贈られたものだった。

ところが、二台とも、なんと匿名(とくめい)で贈られてきたという。もう、びっくりですね。そのうちの一台、ストラディバリウス・ダヴィドフは、現在、あのヨーヨー・マが使用している。二億円と云われるこの銘器(めいき)を、彼はタクシーに忘れたことがあるという。  

屈託(くったく)ない彼の人柄(ひとがら)を表わしていて微笑(ほほえ)ましいよね。だけどさあ、彼、気が付いた時は慌(あわ)てたやろなあ。 

余談だけど、匿名(とくめい)と云っても、ひどい匿名があるよ。

インターネットの便利さ素晴らしさ、その恩恵は僕も大いに享受(きょうじゅ)している。でも、ときおり、匿名での云いたい放題に癖癖(へきへき)することがある。

匿名の世界をいいことに、呆(あき)れるばかりの罵詈雑言(ばりぞうごん)を見ることがあるんやね。僕は、そういうおどろおどろした世界にはかかわらないようにしている。人をののしる時は、ちゃんと自分の名前をあきらかにせよ! どうや出来ないやろ?。つまり、それら匿名者は卑怯者(ひきょうもの)だと云えないか? 僕は、匿名でコメントしたことは一度もない。 

ジャクリーヌ・デュ・プレに歴史的銘器を贈った二人の篤志家(とくしか)…

彼らは億の付く楽器を、彼女に匿名(とくめい)で贈ったわけだけど、それらの無私(むし)かつ利他的行為(りたてきこうい)は、今、充分に報(むく)われていると僕は思っている。彼女の演奏が歴史的遺産として残っているのだから…

例えば、エルガーのチェロ協奏曲や、シューマン、サンサーンス、バッハなどの小品集が入ったEMIのアルバム「ジャクリーヌ・デュ・プレ」を聴けば、僕の意味するところが分かっていただける思う。エルガーのチェロ協奏曲など、これ以上の演奏はないとさえ僕は思っている。 

よっしゃぁ、僕も匿名で、人になにか贈るでぇー!

「これ、くれたのウマとちゃう?」と、聞かれても「エッ? 知らんよ…」

そうやそうや! 隣村のアリーン婆さん、ワサビ好きで僕の寿司の大ファンの彼女のニックネームはワサビガール。来週の金曜日、彼女の誕生日やないか。

その声も流し目も、めちゃ色っぽい彼女、もう、77歳か78歳とちゃうやろか?  日頃からアラントンの活動には熱心に協力してくれてるしなあ。

よっしゃ、ウマ特製の寿司にたっぷりのワサビを添(そ)えて、彼女の家のドアの前にこっそり置くことにしよう。

もちろんアンタ、匿名(とくめい)やで! ウフッ…



チェロを弾くために生まれてきた彼女だったけど、美人薄命…
 

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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・5・13)

2023年05月13日 | ウマさん便り

スコットランドほろ酔い通信・ウマ便り 

「木野雅之」

もう三十年近く前のこと… 

大阪阿倍野斎場近くの地酒の店、八人で満席の小さなその店に入ると、馴染みの常連、ピアニストの吉山輝がいた。彼には連れがいた。初めて見る顔だった。 

「ウマさん、こちら木野、さっき東京から来たばかり。酒が好きなんで、この店に連れて来たんです」

「やあウマさん、木野です。初めまして。吉山からウマさんのことは聞いてますよ」すごくにこやかなその挨拶に、たちまち好感を持った。 

陽気な酒好きが三人揃うと楽しいね。まあ、ワイワイと随分お酒が進んだ。

かなり盛り上がってきた時、ふと、木野の後ろにヴァイオリンケースらしき物があるのに気が付いた。

「木野さん、おたく、ひょっとしてヴァイオリン弾くの?」

「ええ、弾きますよ」

「じゃあ、ちょっと弾いてよ」

「ええ、いいですよ」 

この時点で僕は、彼がヴァイオリニストどころか、なんと、日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターだとは知らなかった。

これほどの演奏家が、呑み屋で「ちょっと弾いてよ」なんて言われたら気分を悪くするのが普通じゃないか? ところが彼は「いいですよ」とニコニコしている。

近くに、最近、三角屋根の一戸建てのフレンチレストランがオープンし、その店にグランドピアノがあるのを思い出した。

「ねえ、吉山と木野さん、近くにグランドピアノがあるレストランが出来たんやけど、そこへ行こうよ。ちょっと電話してみる…」

で、電話したけど、オーナーの順子さんは

「ウマさん、悪いけど、もうラストオーダーが終わって、お酒しかないわよ」

「お酒しかないって!」

「よっしゃ、行こ行こ!」 

 タクシーを飛ばして、そのレストラン「ゴルドナー・ヒルシュ」へ行った。お客さんは誰もいない。

「順子さん、この二人ミュージシャンやねん。ちょっとピアノを貸して」

やや、迷惑そうな順子さんだったけど

「開店以来、このピアノを弾いた人はいないわよ」と、真新しいピアノの蓋を開けてくれた。 

吉山も木野さんもかなり飲んでたんで大丈夫かいな?と思ったけど、演奏が始まった途端、もうびっくり! えげつないブラームスが始まったんや。

順子さんも「この人たち何?」と目を丸くしている。あと片付けに忙しくしていたウェイターやウェイトレス、それにシェフやコックたちもフロアに出てきて驚きの表情を見せている。その時、木野さんが弾いていたヴァイオリンは、名手ズッカーマンが愛用していた時価七千万円の名器だとは、かなりあとで知った。 

ま、これが、僕と木野雅之との出逢いだったけど、今、思うに、とてもいい出逢いだったと思う。その後、僕のファミリーがスコットランドに移住し、続いて僕も移住したけど、木野が毎年のようにスコットランドにやって来てコンサートで弾いてくれるようになるとは、その時は想像もしなかった… 

彼が現在使用しているヴァイオリンは、二十世紀の巨匠で木野の師匠でもあったルッジェーロ・リッチから譲り受けた1776年クレモナ生まれのロレンツォ・ストリオーニ。約一億円はするんじゃないかなあ。

木野はアラントンに来ると、すぐ、短パンにアロハシャツ、ビーチサンダルの格好でキッチンに来て、僕、キャロラインと、熊本の芋焼酎を呑むのが習わしになっている。そして「木野さん弾いてよ」「ああいいよ」…で、キッチンテーブルで演奏が始まるんです。僕らにしたらとても贅沢なひと時だよね。

ある時、いつもよりニコニコしてキッチンに来た。

「前から欲しかった弓がやっと手に入ったんだ」フランス製の弓だと言う。

「楽器屋さんがディスカウントすると言うんで買ったんだ」

「で、いくらしたの?」「千二百万円」エーッ?! 

彼は、ロンドンのギルドホールでヴァイオリンの研鑽に励み、卒業直後に国際コンクールで優勝するなど何度も賞に輝いた。そして順調にヴァイオリニストの道を歩み、日本フィルのコンサートマスターを経てソロコンサートマスターに就任し、現在に至っている。ヨーロッパはもちろん、世界各地にお弟子さんがいる。

彼は、東京の二子玉川とロンドンに住まいがある。時には、東京からヒースローに着いたあと、ロンドンの自宅には寄らずにスコットランドに来てくれることもあった。

築三百年近いというそのロンドンのアパートのリビングの真ん中には譜面立てがあった。やっぱり音楽家や。リビングのど真ん中に譜面立てなんてすごいなあ。やっぱり日頃から猛練習をしてるんや。で、その譜面立てにあるのは何の楽譜か興味を持ったんやけど、その譜面を見た長女のくれあが言う…

「おとーちゃん、あれ、譜面とちゃうで」

どれどれと見てみると、なんと「週刊ベースボール」や。 

彼、木野が大の野球狂で阪神タイガースの熱烈なファンだと知った。彼は、のちに、タイガースの応援歌「六甲おろし」をレコーディングしている。 

2008年夏、彼がスコットランドに来る機会を捉えて「グローバル・ピースコンサート」と銘打ったコンサートを催した。これがとても好評だったので、翌年に第二回グローバル・ピースコンサートを、地元ダンフリース市最大の会場で、木野はもちろん、多彩な一流ミュージシャンを招いて催した。

3時間に及ぶこの大コンサートは新聞にも大きく取り上げられ、こちらで木野のファンが増えるきっかけとなった。その後、彼は毎年のようにお弟子さんを連れてスコットランドにくるようになったが、スコットランド各地でのコンサートの収益金は、ことごとく被災地に送られている。これは彼の、無私の精神、そして利他的精神の賜物だと思っている。 

木野雅之は、百枚以上のアルバムをリリースしてるけど、彼の「ヴァイオリン名曲集II」と「ブラームス、ヴァイオリンソナタ集」の二枚は僕が解説文を書いた。どちらも12ページに及ぶ長〜い文章だけど、まあ読んでみて。笑っちゃうよ。



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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・5・3)

2023年05月03日 | ウマさん便り

「広大で深いその森…」

前々回からの続きです。

僕は酒場で他の人に声をかけることはまずない。特に本を読んでる人にはぜったいに声をかけない。それは前述したように、僕自身、読書の邪魔をされるのが嫌だからです。

ところがや、その紳士が読んでいるその本をまじまじと見た挙句(あげく)、思わず声をかけてしまった。

「あのー、ちょっと不躾(ぶしつけ)で失礼ですけど、今、読んではるその本、ウールリッチの短編集ですよね?」

「エッ? そうですけど、どうしてわかったんですか?」

「僕も、ついさっき、同じのを買ったばかりなんです、ほら!」

まあ、彼とは意気投合しちゃってさあ、そのあと、場所を変えてミステリー談議に花を咲かせましたね。 

「私は毎週金曜の夕方にはこの明治屋でイッパイ呑(や)るのを楽しみにしています。また是非、金曜日に会いましょう」

で、僕より十数歳ぐらい年長の彼、М氏と、毎週金曜に会うのが楽しみになりましたね。 

Мさんは、英国はもちろん、アメリカやフランス、さらに、北欧のミステリーを紹介くださるなど、数多くの優れた作品を僕に教えてくださった。

さらに、モーツァルトやエリントンなど、クラシックやジャズが大好きだと云う彼と、音楽談義にも大いに華が咲いたのは、より嬉しいことだった。

本や音楽に関する彼の知識の豊富さには随分舌を巻いた。しかし、決して、見せびらかすような語り口をしない方だった。でも、その語り口は静かだけど、常に熱がこもっていたなあ…。僕は、彼、Mさんのお話に魅了されましたね。 

ある時、いただいた彼の名刺を見てめちゃびっくりした。

…電通大阪 クリエイティブ局長 М…

なんと、あの電通のクリエイティブ局長…、めちゃ偉いさんやないか。

その後、定年退職したM氏は、京都と奈良の境目あたりに瀟洒(しょうしゃ)な山荘を建てられた。立派なオーディオ装置を備えたそのウッディな部屋の写真とともに

「ちょっと遠くて不便なところですが、ウマさん、ぜひ遊びに来てください」と誘ってくださった。

残念ながら、彼とはそれ以来になってしまったけど、今、どうしていらっしゃるかなあ? 御健在なんだろうか… 

誰が見ても、長身の立派な紳士のMさん…、広告業界という多忙な世界におられたにもかかわらず、毎週金曜日の夕方だけは、頑(がん)としてご自分の時間を確保されたMさん…

プリンシパル、あるいはポリシーっちゅうのかなあ、自分の肩書以上に、それらを大切にしていた方だと、今、思う。常識的に見て社会的地位の高い方だったけど、はるか年下の僕に対して、上から目線など微塵(みじん)もない常に対等の関係をごく自然に維持してくださった、とても素敵な方でした。

僕が、自分の子供たちも含め、年少の方に偉そうな態度をとらないように常に気を付け、さらに敬意を忘れないように心がけているのは、彼、Mさんの影響が大きいと思う。人間関係ってすべて相対的なもんだよね。でもね、上から目線ってのは常にあかん態度だと僕は思っているよ。そんなことをさりげなく教えてくださったMさんには感謝したいなあ。

ま、どこで、どんな人と出逢(であ)うかわからないよ、って云うお話ですね。 

閑話休題… 

さて、僕は、いつの頃からか、トリックを主体にしたミステリーより、動機の意外性や、どんでん返しに納得できる必然性があるものを好むようになった。さらに、登場人物の人間性がリアルに描かれているものに惹(ひ)かれる。

日本の、ベストセラーのミステリーを読んでいて、登場する有名探偵のイメージを思い描くことが出来ないことがけっこうある。さらに、名探偵が、とってつけたように登場し、都合のいい場面で都合のいいヒントや目撃者が登場…ちゅう安易なプロットに不満を覚えることも少なくない。 

松本清張の長編だと「点と線」や「砂の器」などより「球形の荒野」に惹(ひ)かれる。彼の他の作品にはあまり見られない抒情溢(じょじょうあふ)れるラストシーンには心打たれる。このラスト、何度読んでも、目が潤む。

彼の長編は全部読んだわけじゃないけど、一つ選べと言われたら、やっぱり「球形の荒野」じゃないかな? 今のところ… 

…奈良の古寺の芳名帳(ほうめいちょう)に筆で署名されたその独特の書体が、日欧を舞台にした意外な現代史が解き明かされる物語のプロローグ…

そんな特異なプロットの着想も、清張氏の日頃の努力の賜物(たまもの)なんだと思う。 

余談になるけど、映画「砂の器」のファーストシーンにはずっこけた。

放浪の旅の男の子が、砂浜の砂で作った器が、波に流されるシーン…

「砂の器」の器と云うのは象徴的な意味なんだよね。決して具象としての器ではない。名匠・野村芳太郎監督、この人、何を考えてたんやろ?

そして、この映画のもう一つの欠陥、と云うより、大いに白けた場面は、そのラストシーンです…

加藤剛扮(ふん)する新進作曲家の主人公が、晴れの舞台で、オーケストラの伴奏で自分が作曲したコンチェルトを、みずからピアノで演奏する映画のクライマックスシーン…

ところが、加藤剛さん、ピアノを弾いてる振りして実際に弾いてないのが見え見えなんや。白けちゃうのよこういうシーン。もう、演技とか演出以前の問題や。

野村芳太郎監督、何もアイデアなかったの? 大事なラストシーン、実際に弾いてるように工夫した画面を見せないとアカンと思うけどなあ。
 

ロマン・ポランスキーのアカデミー受賞作「戦場のピアニスト」…

ポーランド人ピアニスト役を演じたエイドリアン・ブロディ…、何度も彼がピアノを弾いているシーンが出て来る。ところが、どう見ても、彼が、実際にピアノを弾いているように見えるんや。ある程度、実際に弾いてるのはまちがいないけど、すごく巧(たく)みにフィルムを繋(つな)いでる。

さらに、僕の好きな女優ミシェル・ファイファーが売れないシンガー役で出る「恋のゆくえ」…この映画の中で、彼女の恋の相手として出るピアニスト役が、やはり僕の好きな俳優ジェフ・ブリッジス…

そして、ふんだんに出て来る二人の共演シーン…どう見ても、ジェフ・ブリッジスが本当にピアノを弾いてるんです。俳優としての彼がそこまで達者なピアノが弾けるとはとても思えない。いったい、どういうトリックを使ったんやろ? それとも猛練習(もうれんしゅう)したんやろか? そうだとしたらエライ!

ま、いずれにしても、日本の映画監督さん、そして演出家の皆さん、俳優さんがなにか楽器を弾くシーンでは、とにかく、本人さんが間違いなく弾いているような画面を工夫して創ってください。そうじゃないと白けるんですよね。

そうそう、松本清張で忘れてならないのが、何と云っても「日本の黒い霧」です。僕は現代史、特に日本の戦後史に興味を抱いているんで、それらに関する本はかなり読んで来た。敗戦後の日本を支配したGHQ(連合軍総司令部、実体はアメリカ)が、今日の日本の(アメリカ追随の)基礎を作ったのは当然と云ってよい。

司令長官マッカーサーは、当時、天皇陛下さえもその支配下に置くオキュパイドジャパンにおける最高の存在だった。 

あの…、ごめん、また余談ですけど… 

その昔、テレビ朝日開局ン十周年記念番組で、戦後、天皇の存在をどう扱うかというドキュメンタリードラマがあった。

ケント・ギルバート主演のそのノンフィクションドラマに、GHQ本部の秘書役で、なんと、女房のキャロラインが出演した。

彼女が、ソビエトの動向を想定したGHQ作成の、日本を南北に分断した大きな地図をGHQ首脳陣の前に掲げてテレビ画面に登場した時、家族一同、バンザーイ!してしもた。「あーっ!出た出たー!」 

おのおの方なあ、ウマの話は余談がほんまに多いよね。ゴメンやっしゃ! もう、大いに反省・自省…(ほんまは反省してないけど…)

で「日本の黒い霧」…

これを読む限り、帝銀事件、もうGHQの関与は明らかですね。もちろん、平沢貞通の冤罪(えんざい)も間違いない。間違いないというより確かです。

僕は、警察の捜査の杜撰(ずさん)さも指摘した松本清張の、この説に対する反論を、時間をかけて探したけどなかった。僕が不思議に思うのは、事件関与を避けるためアメリカに移動させられたGHQの将校たちに、その後、日本のメディアがいっさい取材していないことなんです。

彼らはもちろん何も喋らなかったと思う。でも、なぜ喋らないか?ということが状況証拠になったと思うんや。いや、メディアも大きな圧力を受けていたと云うことか?

日本の現代史、特にその戦前戦後、何があったのか? これは追及し過ぎることはないと僕は思ってる。これを詳しく検証することは、平和への大いなる礎(いしずえ)になるとも確信している。 

さてさて、登場人物の人間性がリアルに描かれている作品が好きやと前述した。

東京のベテラン編集者のF女史は、年に何回か、航空便で大量の本を送ってくださる。郵送料を見て目が飛び出るその大きな段ボールの箱のなかに、数多くの時代小説に混じって、デンマークのユッシ・エーズラ・オールスンの「特捜部Q」シリーズ(ハヤカワミステリ)が入っていたのは、かなり以前のことになる。

もちろん、F女史が送ってくださるまで、彼、オールスンのことはまったく知らなかった。スコットランドの田舎にいるとね、本に関する情報が極端に少ないんや。 

日本の新聞の一部をインターネットで読むことは出来る。しかし、ほとんどの新聞が朝刊の第一面下に並べている本の広告を見ることは出来ないし、書評もすごく限られている。僕は日本の新聞(朝刊)を手に取った時、真っ先に、第一面下に並ぶ本の広告を見るのが楽しみなんです。 

「特捜部Q」…北欧その他で最高の賞を何度も得、圧倒的人気のこのベストセラー警察小説シリーズを、F女史は、新刊が出るたびに、利尻昆布や、こちらでは得難い珍味など、大量の日本食材と共に送ってくださるんや。ありがたいよね。

「特捜部Q」って云う、いかにも警察もんっちゅうタイトルに騙(だま)されたらあかんよ。単なる謎解き以上に、人間と社会をしっかり描いた部分がこのシリーズにはある。

オールスンって云う人、たいした作家やと思う。 

初めて読んだのが、このシリーズ第二弾の「キジ殺し」…

これには、初めからくぎ付けになった。描かれる主要な登場人物の、そのリアルさに、まず、驚いた。

主人公の特捜部の責任者カール…、いくつも個人的問題を抱えたその人間臭さを、日本の名探偵、浅見光彦や十津川警部などに見出すことは難しい。欠点だらけのカールと違って、彼らは現実感のない英雄やしな。 

シリーズ第四弾の「カルテ番号64」…、実際にあったデンマーク社会の負の側面も、その行間にはっきり示しているこの作品、その複雑なプロットは、ミステリー史上、読み手の想像をはるかに超えたものになっている(と思う)。

著者自身がその短いあとがきで、デンマーク王国を冷静に告発している。

そのラストに驚愕(きょうがく)した僕は、主人公の女性ニーデの、この上ない不幸な生涯に、もう、なんとも言えないものを感じて、読み終えた直後、思わず慟哭(どうこく)してしまった、ラストページを開いたまま…

頬(ほほ)を伝わるものをぬぐっている時に、たまたま女房のキャロラインが部屋に入って来た。そして云った…

「ウマ…、あんた、泣いてんのね」…うっ… 

はじめから終わりまでとても暗いストーリーだけど、そのラストシーン、彼女に理解を示していた人の、その愛ある言葉に、ほんの少し癒(いや)される…

第六巻目の「吊(つ)るされた少女」も、犯人が一転二点三転四転し、最後まで目が離せない。おのおの方、読んでみてごらん。ほんまに手に汗握(あせにぎ)って、映画を観ているようでっせ。 

オールスンの特捜部Qシリーズは、デンマーク社会の一面を描いている点でも大いに魅力があるっていうことですね。そして、生々しいんや。登場人物といい、情景といい風景描写といい、まるで映画を見ているように展開される。だから目が離せない。もちろん、翻訳者の力量にも大いに感謝したい。

この、ユッシ・エーズラ・オールスン、世界的に絶大な人気の作家らしいけど、ハヤカワミステリの裏表紙にある、その顔写真を見て、特捜部Qのカールはこの顔や! もう、いかにもってな感じのふてぶてしさに笑ってしまう。

このシリーズのお陰で、これぞミステリー!の醍醐味(だいごみ)を、さらに堪能(たんのう)しているウマでございます。 

そうそう、僕は、北欧ミステリーに限らず、海外小説を読む時は、いつも、ストーリーに登場する都市や街など、必ず、その所在を世界地図で確認するようにしている。するとね、ストーリーが、より立体的になって、臨場感が増すんだよね。おのおの方も、これやってみて。効果抜群だよ。 

僕が初めて読んだ北欧小説は、かなり以前のことだけど、スェーデンの作家夫婦が書いた「笑う警官」だった。これが北欧小説に興味を示すきっかけになったと思う。そう、例の、マルティン・ベックシリーズです。

プロットそのものもかなり凝(こ)ったものなんだけど、社会福祉が行き届いていると思っていた理想郷(りそうきょう)スェーデンの暗部の描写が僕を惹(ひ)きつけた。つまり、ペール・ヴァールーとマイ・シューヴァル、この作家夫婦は、しっかり、社会も描いているんですね。

あの福祉国家スウェーデンで、ホームレスの酔っぱらいが、通りで叫ぶ… 

因(ちな)みに、直木賞作家の佐々木譲に「笑う警官」と題された警察もんがある。このタイトルはアカンやろ。上記の「笑う警官」は世界中で大ベストセラーになった有名作品や。佐々木譲がそれを知らん筈がない。同じタイトルを付けるってのは遠慮するのが常識ちゃうかなあ? 皆さん、どう思う? 

ああそうや! オールスン同様、すべての作品が、もう、スリル満点、今や、人気絶頂、アメリカのジェフリー・ディーヴァーにも、この際触れなければいけないな…

「ボーン・コレクター」「石の猿」「魔術師」「限界点」「スキン・コレクター」「バーニングワイヤー」「ゴースト・スナイパー」…すべてお薦めしたい。読みだしたらね、もう止まらないよ。

ジェフリー・ディーヴァーの存在も、やはり、F女史によって知った。

彼女は、オールスンの作品同様、毎回、ディーヴァーの新しい作品を、多くの日本食材とともに送ってくださる。文庫本とちゃうよ! 重たいハードカバーやで!

世界中で大ベストセラーの本が、信州味噌や利尻昆布、いかの塩辛、五目めしの素、うなぎ茶漬け、四合瓶の日本酒などの間にはさまれて箱の中にあるのよ。なんか、嬉しくなっちゃうよね。

F女史からのでっかい箱を開けてるとね、もう、ついついニコニコしてるんやいつも。でも、その航空便、郵送料だけで、毎回、三万円四万円なのよ。いつもギョッとしてのけぞります。F女史に…もう、お礼の言葉もない…と言ったことがある。彼女の返事は「私にお礼を言う必要はありません。その代わり、ウマさんの周りの方々に尽くしてあげてください」…ますます言葉がない…     

 「限界点」など、しょっぱなのカーチェイスのシーンから、あっと驚くどんでん返し。もう、いやはや…なのよ。普通の作家じゃないねディーヴァーは。すごく緻密(ちみつ)なプロットを、しかも念入りに考える人や。

イアン・フレミング財団の許可を得て出版された「007白紙委任状」など、その想像を超えた展開に、ウマは唖然(あぜん)としてしもた。この「007白紙委任状」映画になるんじゃないかなあ。そう期待したい。

オールスンと同じ年、1950年生まれのディーヴァーも、人物と社会をかなりリアルに描いている。「石の猿」など、冒頭で、中国人の密入国の様子を詳しく描いているけど、思わず、これ、ほんとの話とちゃうか、と思ってしまった。いや、ほんとの話でしょう。

彼の練(ね)りに練(ね)った緻密(ちみつ)なプロットの作品を読むとな、日本の某作家の時刻表トリックなど、まるで子供騙(だま)しに思えてくるのよ。悪いけど… 

アカン!…きりがない。もう止(や)めとく…

現代のクリスティー、ルース・レンデルや、一味違う本格ものを書く女流のP.D.ジェイムス、さらに、盗みやかっぱらいをしていたストリートチルドレン、つまり捨て子が、凄腕(すごうで)の女刑事になったキャシー・マルロー・シリーズのキャロル・オコンネルなど、書きたい作家や作品は、もう山ほどある…ほんまにきりがない。

だから、本という森は広大で奥深く…と冒頭に書いたのでございます。 

今回は、ミステリーなど、エンターテイメント本で紙面が尽(つ)きた。

いつになるかわからんけど、次回は、優れた作家が百花繚乱(ひゃっかりょうらん)、ウマがこよなく愛する日本の時代小説、さらに、現代史に大いに興味を持つウマが読んできた日本の戦後史に関する興味深い本など、他の分野にも言及したい。

歴史を学ぶことは非常に大事なことやと思う。特に現代史を検証するってことは平和への礎(いしずえ)になるんや。僕は、日本のあらゆる高校で、日本史や世界史の他に、必須科目として「現代史」も教えるべきだと考えている。 

じゃ、本好きのおのおの方…いつかまたの機会にね…

「ロンググッドバイ」でござる… 

さあ、さあさあ、いよいよおいらの読書タイムや…

オーイ! キャロラインさんやーい!

ワイン頼(たの)んまっさー! オーイ! オーイ!

アレッ? 聞こえてるんかいな? 

オーイ!美人でセクシーなキャロラインさんやーい!

あっ、聞こえたみたいや!


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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・4・30)

2023年04月30日 | ウマさん便り

「広大で深いその森…」 

アラントンのガーデンでは、様々な野菜とともに多くの果物も栽培している。ストロベリーやリンゴなど、その季節になると、もう、ふんだんに採(と)れる。農薬を一切使用しない完全オーガニックやから、めちゃ美味(おい)しいよ。 

いつだったかなあ、女房のキャロラインさんが「ブルーベリーを食べると眼がよくなるわよ」と、摘(つ)み取ったばかりを何粒かくれた。

それらを口に含み、しっかり飲み込んだあと、彼女の顔をしげしげと見てから云っちゃった…

「キャロラインさんって、へぇー、いやぁー、美人だったんだねえ…」 

目の衰(おとろ)えはあまり感じない。文庫本も含め、この歳になって本を読むのに眼鏡(めがね)が必要ないのは有難い。

音楽と共に、読書は、日々の暮らしの中で、いや、人生に於(お)いて、かなり重要な柱です。やや大袈裟(おおげさ)かも知れないけど、音楽と読書が、我が人生最大の楽しみと云っちゃっていいかも知れない。それに映画もそうですね。

でも、そう思ってる人はかなり多いと思うよ、世界中に… 

ところで僕は、数多く書いてきたこの「ウマ便り」で、本と音楽の話をしたことがほとんどないんです。なぜか?

本と云う世界…、あまりにもその森が広大で奥深く、一体何を話してよいのやら、途方(とほう)に暮れるからなんですね。大好きな音楽に関してもほとんど語らないのは、その膨大な量を前にして、どこから書いて良いのやら迷うからです。ま、いずれ書いて見たいと思っている。 

一冊を一気に読む… 

これは、小学校時代からの僕の習性と云っていい。とにかく、本を読みだして途中で邪魔が入ると不機嫌になっちゃうんだよね。本の中、つまり非日常の世界に没入(ぼつにゅう)しているのに、突然、現実の世界に引き戻されるのはちょっと…なんですよね。

一旦(いったん)読みだすと、よほどのことがない限り最後まで読み切る。文庫本でもハードカバーの長編でも…ま、読むのがかなり早いせいでもあるけど…

ごく普通の厚さの親書や文庫本だと、読了するのに一時間を超えることはまずない。でも、速読じゃなくって、ちゃんと脳内音読はしてるよ。

だから、キャロラインは、僕のそんな習性を知っているので、僕が本を読んでいる間は、よほどのことがない限り声をかけない。ま、ワインなど、そっと僕の脇に置いてくれたりはするけど…。そんな彼女、好きやなあ。

たまに、遠くから「洗濯もん畳(たた)んでねーッ」ってなことはあるけどさ… 

いくら読むのが早い僕でも、一気に読むってことは、まとまった時間が必要だということです。つまり、忙しい日々が続くと、本を読まない日も続くということになる。これは辛(つら)いね。 

最初の読書体験は小学校時代、そう、たしか四年生だったと思う。 

江戸川乱歩(えどがわらんぽ)の「少年探偵団」に、まあ、熱中しましたねえ。小学生向けの月刊雑誌に連載されていたのを毎号欠かさず読んでいた。

当時は、江戸川乱歩というけったいな名が実はペンネームで、あの「モルグ街の殺人」のエドガー・アラン・ポーからきているなんてまったく知らなかった。 

子供ってアホなことを考えるんやなあ。なんと、クラスメートを集めて少年探偵団を結成したんや。学校裏の田んぼのあぜ道で結団式をした。同じクラスの男女、そう、七名か八名はいたと思う。

僕は、一応リーダー、つまり本に出てくる小林少年役やから、団員を一列に並ばせ、なにやらわけのわからん訓示(くんじ)みたいなもんをたれた記憶がある。

ちょうどその時、僕と団員の間を、畑仕事を終えた麦わら帽の爺ちゃんが自転車で通り過ぎたんや。その爺ちゃんが通り過ぎた直後、僕は、何の脈絡(みゃくらく)もなく団員に叫んでいた。「あいつが犯人やー!」

全員一丸となって、その爺ちゃんを追いかけた。ワーーッ!!ワーーッ!!

爺ちゃん必死で逃げよったなあ。わけもわからんでな。 

次の日、担任の中原先生にえらい怒られたわ。せやけど、先生、苦笑(にがわら)いしてはった。先生に、…こいつアホちゃうか?…と思われたのは間違いない。 

と云うわけで、僕の読書初体験は探偵ものだったんやね。

で、その影響甚大(じんだい)で、その後、読(よ)み漁(あさ)ったのは探偵もんやミステリーばっかりや。

たしか、六年生の頃からアガサ・クリスティやコナン・ドイルを読みはじめた。もちろん小学生向けの月刊雑誌に振(ふ)り仮名付(がなつ)きで連載されていたもの、或いは、その付録(ふろく)でついていたものですね。今から思うに、フリガナはもちろんのこと、小学生向けに読みやすくアレンジされたものだったと思う。

かなり後年、お遊びで、ストーリーまがいのものを書き出した時、ペン・ネームに、アンタガタ・クリスティーってな、ふざけた名を使ったこともあった。 

中学校に入っても、そんな読書傾向は続き、クリスティやドイルをかなり読み終え、同時に、イアン・フレミングにも熱中した。僕の007好きはその頃以来だから、かなり年季(ねんき)が入ってまっせ。ただ、いわゆる呑(の)んフィクション、あ、ちゃう、ノンフィクションにも興味を示し始めてましたね。

ヘイエルダールが古代の作り方を真似(まね)た素朴な筏(いかだ)で、南米からポリネシアまで漂流した「コンティキ号探検記」や、堀江健一の「太平洋ひとりぼっち」など何度読んだかわからない。それがヨット好きになるきっかけだった。 

そうそう、中学二年の時、初めてストーリーらしきものを書いた。

黒木先生の理科の時間、授業そっちのけで書き出した。そのストーリーは完結しなかったけど、出だしは今でも良く覚えている。 

…黒木警部補は、新米刑事に、現場検証の指示をした…

「こりゃ毒殺やな。害者をよく見ろ。恨み(うらみ)が足らん顔つきをしとるやろ。見てろ、汗が出てくるぞ」「しかし、すでに心臓は停止していますが…」「それがこの薬物の特徴や」「で、その薬物の名は?」「ウラ・ミタリン酸・ミテロ・アセデルや」… 

高校に入っても、ミステリーや冒険譚(ぼうけんたん)ばっかり読んでたけど、ある日、ラグビー部の同期だったK君が「これ読んでみ」と貸してくれたのが、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」だった。

それまでその手の翻訳本はまったく読んだことがなかった。それがきっかけで、後年、ジャック・ケルアックやレイモンド・カーヴァー、チャンドラーなど、アメリカの現代文学に傾倒(けいとう)することになったと思う。 

特にジャック・ケルアックの「路上(オンザロード)」には惹(ひ)かれた。何度も読み返した。当時のアメリカに対する憧れがあったせいかも知れないね。 

この「路上」、ヒッピーブームのはるか以前に、ビートニックの存在を世界に知らしめた点も含め、今でもアメリカ現代文学の金字塔(きんじとう)だと僕は思っている。もちろん、異論があるのは、大いに承知していますよ。

村上春樹さんは、フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」こそ小説や、云うてはるけど、「路上」に出て来る若者群像と比べると、登場人物の、その抱いてる思いがまったく別もんなのには唖然(あぜん)としてしまう。同じ国なのに…

ま、それはとにかく、読書の世界を広げてくれたK君には感謝しています。

いつだったか、海上保安大学に入った彼が、僕の下宿を訪ねてきた時「これ読んでみ」と渡されたのが、庄司薫(しょうじかおる)の「赤ずきんちゃん気を付けて」だったのは意外だった。で、いっそう、彼の読書の守備範囲の広さを知り驚くことになる。僕もK君みたいに、色んな本を読まんとあかんなあ… 

大学時代は、当時の誰もがそうであったように、まわりの人間の影響を大きく受けることになる。特に大学紛争で騒然(そうぜん)としていた頃は… 

サルトル、マルクス、エンゲルス、ショーペンハウエル、ドストエフスキー、安吾、織田作、太宰…それに埴谷雄高に丸山真男…

でも、この頭では難しすぎて内容を覚えてないのが多かったね。ショーペンハウエルの言葉「若くて妻帯、我が身の災難…」は、よく覚えてるけど…

特に惹(ひ)かれたのは「堕落論」の坂口安吾だった。その無頼(ぶらい)ぶりが非日常的かつ魅力的に映(うつ)ったんだと今にして思う。

彼は、たった一つだけミステリーを書いている。「不連続殺人事件」…

犯人が明かされる場面…、彼は、探偵が犯人を突き止めた理由、その心理描写を非常にユニークに書いている。興味のある方は読んでごらん…

日本と云う画一社会における安吾の存在意義を書いた安吾論を、どっかの大学の同人誌に送り付けたこともあった。今から思うと、ああ恥ずかし…

そうそう、詩人・中原中也の「汚れっちまった悲しみに」や、寺山修司の短歌に惹(ひ)かれたのもその頃です。寺山修司の短歌集を読んでごらん。涙なしには読めないよ…

でもね、読んでいて楽しいのは、相変わらずエンターテイメントだったですね。 

ロバート・B・パーカー、レイモンド・チャンドラー、ロバート・ゴダード、ギャビン・ライアル、パトリシア・スミス、コーネル・ウールリッチ、彼の別名ウィリアム・アイリッシュ、松本清張、五木寛之、野坂昭如、安部公房、植草甚一…いや、もう、きりがない… 

「ロング・グッドバイ(長い別れ)」などチャンドラーの一連の作品が、ハードボイルドと形容されているのは後で知った。

で、ハーフボイルドと冠したアホなショートストーリーを、いくつか書いたことがあったなあ。もちろん、アンタガタ・クリスティーの筆名でね… 

安部公房の「第四間氷期(だいよんかんぴょうき)」…

この、とんでもない小説には驚いた。

こんな凄い小説を書く作家が日本にいるんやと驚嘆したことを今でも鮮明に憶えている。「砂の女」もそうだけど、あり得ない話をここまでリアルに描けるのは、もう、天才にしか持ちえない想像力・創造力だと、ため息をついてしまった。

世界的にも評価が高かった彼は、日本にとっても世界にとっても、最も重要な作家の一人とちゃうかと、その頃思っていた。彼は68歳の若さで亡くなったけど、もう少し生きていたら、間違いなくノーベル賞を貰(もら)っていた。実際、ノーベル賞の選考委員がそう云ってる。今、僕が全集を欲しいなと思っているのは安部公房さんだけです。

そうそう、安部さんとは渋谷の東急ハンズの工具売り場で偶然お会いし、十分ほどお話ししたことがある。偉そうな態度などまったくなく、僕の目をまっすぐ見て、真剣に御相手してくださったのが忘れられない。 

ところで、翻訳ものに関して、日本は、もう、圧倒的に入超ですよね。

ま、日本語の特殊性を思うと仕方がないかな。でも、もっともっと日本の作家や作品を海外に紹介すべきだと僕は強く思っているし願ってもいる。文学は、その国に対する理解を大きく促進(そくしん)するからね。

こちらの本屋で、ハルキ・ムラカミコーナーを設けているのは珍しくないし、安部公房や三島由紀夫の本もよく見る。特に、村上春樹は、もう誰でも知ってると云っていい。僕を日本人だと知って、ハルキ・ムラカミの話をはじめる方さえいる。

余談だけど、こちらの本屋って、いっさい雑誌は置いてない。雑誌は、コンビニ、スーパー、ニューススタンド、駅の売店です。ヨーロッパもそうだと思う。

この事実、面白いと思わない? 本屋に雑誌が一切置いてない… 

僕は無名時代の村上春樹とは何度も会っている。さらに、学生結婚した奥さんの陽子さんとも会っている。

当時、世田谷区の会社に勤めていた僕は、得意先のあった千駄(せんだ)ヶ(が)谷(や)に、週に一度ほど行ってたんだけど、近くに偶然ジャズ喫茶を見つけ、仕事の終わりにちょくちょく寄るようになったん。その店が村上春樹の経営だったと、何年か前に、ある雑誌で知ってびっくりした。

その店に初めて行った時、派手にコーヒーをこぼしてしまった。

飛んできた彼は、テーブルを拭(ふ)く前に、僕のズボンを気にかけてくれた。そして、すぐ、かわりのコーヒーを持ってきてくれた。

彼に誠実さを感じた僕は、以来、そのジャズ喫茶「ピーターキャット」に寄るようになった。彼は、カウンターの中で、ボロボロの辞書を傍(かたわ)らに、英語のペーパーバックなどを読んでいることが多かった。 

あまり、客にしゃべらない人だったけど、他にお客さんがいなかった時、僕に「何かレコードかけましょうか?」と訊(き)いてきた。

「じゃ、エロル・ガーナーのコンサートバイザシーをお願いします」に対し

「いいですね、僕も大好きです」… 

カウンター越しに僕から彼に声をかけたこともある。

「その辞書、相当年季(ねんき)が入ってますねえ」

「いろいろ書き込みをしてるんでこれ以外使えないんです」

当時、彼が関西出身で、僕と同じ年だとは、まったく知らなかった。

実は、奥さんの陽子さんをピーターキャットで見た時「どっかで見た人やなあ」と思った。 

それは、ピーターキャットを知る何年も前のことだった…

当時、僕がよく通っていた神田駿河台裏のジャズ喫茶「響(ひびき)」は中年夫婦の経営だったけど、ある日、初めてアルバイトの女の子が入ってきた。それが陽子さんだったんですね。

その店のアルバイトは、あとにも先にも彼女以外見たことがなかったんで覚えてたんです。彼女が村上春樹の奥さんだとわかったのは、響のオーナー、大木さんが、後年、彼のブログで披露しておられたからです。
 

さてさて、何年か前に、元劇団民芸の女優で、あの宇野重吉さんの薫陶(くんとう)を受けた前田光子さん、テレビの時代劇などにちょくちょく出演していた彼女が、松本清張や三島由紀夫などの文庫本を、お住いの宇治市から、僕にどっさり送ってくれたことがあった。

アラントンでの世界平和を祈る集いに参加したことがある彼女は、実は大のジャズ好きで、僕より十歳?近く年上にもかかわらず、同時代のジャズを語ることが出来たことは嬉しかったですね。そう、ジャズなども含め、趣味の話は、歳の差をなくすんだよね。 

光子さんが送ってくれた三島由紀夫の戯曲集を初めて読んだ僕は、彼の作品に対する思いを新たにすることになった。さらに、宮部みゆき編集の、松本清張の短編集は、すでに多くの彼の作品を読んでいた僕にとって、あらためて彼の凄さを再認識することとなった。光子さんありがとう。

週刊誌や月刊誌、文芸誌などに、同時に、五つも六つも、内容のまったく違う連載を抱(かか)えるなんて常人ではあり得ない。松本清張は超人です。ところが…

彼自身の述懐(じゅっかい)を思い出す…

「作家の才能とは、いかに長時間、机に座っていられるかだ」… 

短編集の最後に、宮部みゆきを含めた編集者たちの座談会が掲載されているが、僕が印象深かったのは、松本清張の担当だった編集者の言葉です。

「彼は努力の人でした…」 

学歴のなさなどにコンプレックスを抱いていた彼は、だからこそ、人一倍、いや、それ以上の努力を重ねてきたんでしょう。光子さんが送ってくれた彼の自伝「半生の記」を読んだけど、貧しく、そして、将来に希望を持てない、なんとも暗い青春だったようです。作家デヴューもかなり遅く、四十歳を過ぎていた… 

コーネル・ウールリッチの短編集を読んでいて、その描かれる世界(社会)の暗さが松本清張のそれとよく似ていると思ったことがあった。

だけど、ウールリッチ、つまり、ペンネーム、ウィリアム・アイリッシュの描く暗さは、純文学を目指していたのに、たまたまミステリーで成功して世に出てしまった自分に対する屈折したコンプレックスから出ている部分があるという。松本清張のコンプレックスとはかなり違う。

因(ちな)みに、僕が、どんでん返しの面白さを初めて知ったのは、アイリッシュの「幻(まぼろし)の女」だった。衝撃的だった。あのね、なんと目次を見てるだけで興奮してしもたのよ。この作品を読んだ江戸川乱歩は「すぐにでも日本語に翻訳して出版すべきだ」と語ったと言う。と言うことは、彼は英語が出来たんですね。 

ところで、アガサ・クリスティーの作品に共通する暗さは何だと思う?

スコットランドに長年住んでいる僕の意見だけど、それは、英国って云う国の天候の悪さと階級社会の存在だと思う。ちゃうかなあ? 冬場など、ほぼ連日、あの「嵐が丘」の空やしなあ…おっと、犯罪小説は、暗いのが当たり前だよね。明るかったらアンタ…いや、明るい犯罪小説を思い出した。宮部みゆきの「我らが隣人の犯罪」や。

なんかほのぼのと明るかったように記憶している。

ところで、かなり以前、大阪阿倍野(あべの)の老舗の居酒屋・明治屋で、すごくミステリーに詳しい方に出逢(であ)ったことがある… 

五時を過ぎるといつも満席のその古い酒場…

その日の朝刊の広告でみた待望のコーネル・ウールリッチの短編集を買ったばかりの僕は、わくわくしながらカウンターに座った。ビールを一口含み、おもむろに本を開いた僕だったけど、僕の右隣に、やはり手酌(てじゃく)で本を読む、かなり身なりのいい紳士がいた。

以下、続く。



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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・4.21)

2023年04月21日 | ウマさん便り

「ずっこけ書道教室イタリア編アゲイン、そして…」

ミラノの北、そして、コモ湖のやや南、木工家具とレース編みで知られるカントゥー市の中学校で、去る5月下旬、我々アラントンと地元イタリアの同志によるピースセレモニーを催した。

市長、副市長、教育委員長など列席のもと、おおぜいの御父兄さんの参列も得、実に盛大な催しとなり、大成功裏にセレモニーを終えることが出来た。 

ついでに、僕ウマは、二日間にわたり中学生120名に書道を指導した。

イタリアのヤングに書道を教えるのは、これで通算6回目、イタリアでの指導は三回目になる。

エッ? ウマさんって、きっと書道がお上手なんでしょうね?ですと?

あのなアンタ、ウマはな、書道はね、まったくの素人でっせ。決してお上手じゃないの! 書道というよりお習字やね。

今回ね、全校生徒の前での市長さんの御挨拶には、いや、もう、めっちゃ、ずっこけてしもた。

「皆さん、ウマさんに指導していただけるのは、たいへんラッキーなことです。ウマさんは日本一の書道の先生です!」英語の先生が同時通訳してくれた瞬間、ドテッ! いつの間に日本一になってしもたんや? 

この市長さんとは、何度か食事を御一緒したけど、真面目な顔して冗談をおっしゃるすごく愉快な方なんです。生徒たちには、あとで教室で正直に云うといた…

「ウマは決して日本一ではありません。市長さんのコメントはめちゃ大袈裟(おおげさ)です」

ところがね、生徒の一人から、とんでもない想定外の質問を受けた。

「じゃ、ウマセンセ、日本一じゃなければ、日本で何番目ですか?」

美少女と云っていいこの子、まあ、とんでもないイノセントな質問をしてくれちゃった…

さあ、困った、いったいなんて答えればええのよこんな時…、でもな、一応答えておいた…

「あのー、ウマはね、決して日本一じゃありません。日本では、そうですねえ…、七番目ぐらいかなあ?」よく云うよな、このオッサン…

六回目ともなれば、指導の手順など、ま、かなり手慣(てな)れてきましたね。

…皆さん、日本語にはひらがな、カタカナ、それに中国から来た漢字の三種類の文字があり、そのうち、漢字は意味を含むんですよ…

黒板に、<人><木><林><森><川>などを書き、それぞれの意味を説明します。…<人>二本の線がお互いに支えあってますね。それぞれ支えあうのが人間だって意味なんですよ(ここで必ず歓声があがる)。

単に、東洋のエスニックな文字だと思ってただけの漢字に、皆さん、途端(とたん)に興味を示すんです。 

各クラス20名前後です。まず、全員に僕のまわりを囲んでもらい、ひと通りのデモンストレーションをします。筆の握り方、墨を付けた筆の先のととのえかた、筆の傾け方、止め方、跳(は)ね方などを、実際に皆さんの目の前で示します。残念ながら筆順など教えている時間はありません。「筆順は上から下へ、左から右へが基本です」と、超おおざっぱな説明にとどめます。 

以前は新聞紙に練習をさせた。しかし、最近は練習をさせず、いきなりA4の紙に清書させます。練習なしで最初の一枚から作品を仕上げる…これが、彼らの興味を引き付ける効果があることが、かなり以前にわかったんです。

練習させず、いきなり清書…、これには、日本の名書家、山下紅波先生など、目をむいてずっこけはるんじゃないかな? ま、書道教室じゃなくって、エスニック体験ワークショップだと、僕は思ってるんですよね。

ラグビー仲間の山下の夫人、山下紅波先生に書いていただいた30枚ほどの手本(英語でその意味を書いてある)を各自に選ばせ、とにかく真似(まね)して書きなさいと云う。でも、自分のセンスでちょっとぐらいアレンジしてもいいよとも云う(この効果は大きい)。

さらに、日本の書家の作品は、その独自のアレンジがあるからこそ芸術作品となるんですよってなことも云っておく。つまり字が芸術になるんですよ! を強調しておく。イタリアは芸術の国やからな。

 練習なしでも書き損じる子がほとんどいないことには驚きますねえ。

一生懸命といっていい。皆さん、生まれて初めての書道に、もう、真剣に取り組んでくれる。嬉しいんだよねえ、彼らのそんな姿を見るのが…

各自の机を丹念にまわり、そして、かならず誉(ほ)める。上手だとか下手だとか、そんなことは関係ないの。だってね、エスニック体験なんやもんなあ。誉(ほ)めたら、どの子も必ずニコッとする。 

生まれて初めての書道、そのすべての作品が、日本人の誰が見ても、文字としてはっきり読めるのです。さらに、同じ手本を書いても、彼らの作品に、それぞれの個性が少なからず表れているんですよねえ。

あのね…ここだけの話やけどさあ、各自の机をまわっていてな、特に美少女の作品には、ちょっとぐらい歪(ゆが)んでようが「サイコー!すばらしい!天才や!」を連発する。

そしたら、ますます張り切っちゃってさあ、次から次とお手本をこなしてらっしゃるの。そして「ウマセンセ、これ、どうでしょうか?」と、自分の作品をわざわざ見せに来るんや。いや、たいへん積極的で結構ですよねえ(デレデレ…)。

市長さんが「来年もよろしく」だって! だって!! だって!!!

<ウマの、ずっこけ書道教室イタリア出張編>、どうやら、恒例の行事になりそうですね。ウマさん、もう、大喜びでございますよ。


だってさあ、イタリアは、もう、なんでも美味(おい)しいうえに、ワインやプロセッコも安くて美味しいのがふんだんにあるんや。それに…、それにね…

あのー…、美少女や美女がそこらじゅうに溢(あふ)れてるしなあ…、あっ、い、いかんいかん、こんなこと、思ってても口にだしたらあかん!

で、でも…、溢(あふ)れてるの…ウフッ…

 ピースセレモニーも、ウマのずっこけ書道教室も、まあ、めでたく成就(じょうじゅ)したし、さあ、あとのホリデー、どないしようかな? と思った途端(とたん)、ベアトリーチェのことが頭をよぎった。(ウマ便り「ベアトリーチェとコモ湖の隣人」参照) 

彼女には、僕がイタリアに行くことはすでに伝えていたので、電話をしたらめちゃ喜んでくれた。で、久しぶりに彼女と会った。

美少女だった彼女がアラントンに初めて来た時のことを思うと、英語が飛躍的に上手になっていたので驚いた。

美少女時代から彼女を知ってる僕は、その後、ゴージャスな美女に成長した彼女とも会っている。ところが今回、あのね…、かなりセクシーになっておられるのに驚いたのでござるんるん、あっ、ウマさん、興奮しとるんるん… 

この娘(こ)なあ、絶世の美女やのに、めちゃほのぼのとした性格なのよ。ほのぼのとした上に、ツンとすましたところがまったくない絶世の美女! ちょっとイメージが思い浮かばんでしょ? ま、言葉を変えると、ちょっとけったいな娘(こ)やとも云える。 

ベアトリーチェは、僕を「007カジノロワイヤル」が撮影されたロケ現場へ連れていってくれた。

それは、南北に長いコモ湖の、ちょうど真ん中当たりの西側の湖畔、湖に向かって突き出た半島にある。かつてのイタリアの超超超リッチな資産家の、まあ、想像を絶する広大なおうちなんだけど、今は、世界遺産を管理する団体が維持している。美術品のコレクションがこれまた凄いんです。

世界中からの多くの訪問者の為に、邸内ツアーが一日何度も行われている。ツアーガイドも、主要言語をしゃべる人材を何人も備えている。

半島のほぼすべてを占める、その、広大な邸宅の湖畔脇の、その芝生の庭を見た途端、僕は「007カジノロワイヤル」のシーンを想い出した。

そうか!ここやったんか!

負傷したジェームス・ボンドが車椅子に乗り静養していた、まさにその同じ場所に立ったミーハーのウマ、めちゃ感激したのでございますえ。



その日、女房のキャロラインは、他の人々とのコンファレンスなどで忙しかったので、僕だけベアトリーチェ家の招待を受けた。
 

ああ、懐かしい!

両親のジョバンニ、クラウディアが両手を広げて迎えてくれた。

北イタリア有数のお金持ちなのに、ウマみたいなしょぼい日本人のおっさんを歓迎してくれるんや。嬉しいよなあ。 

でもね、ジョバンニが僕を歓迎してくれる理由は、実は、わからんことはない。めっちゃワイン好きの彼、めっちゃワイン好きのウマを迎えたら、そら、嬉しいんとちゃうやろか? 彼、僕の顔をみて、もう、ニコニコしてはるのよ。

案の定、すぐにおっしゃった。

「ウマ! デッキでワイン呑むか?」自分が呑みたいくせにな。

北イタリア経済界の重鎮(じゅうちん)なのに可愛いもんや。

グラスを持って、湖に張り出たデッキのテーブルについた。すると、ジョバンニが「そこと違う」と云う。なんと、係留(けいりゅう)してある大型のモータークルーザーのデッキで呑もうとおっしゃる。 

で、ベアトリーチェとクルーザーに乗り込んだ。ところが彼、エンジンをかけたんや。アレッ?と思てるうちに離岸して走り出した。そして、湖のほぼ真ん中あたりで停止し、彼が「ここで呑もう」やて!。

 クルーザー上階のデッキには、燦々(さんさん)と太陽の光が降り注ぐ。ベアトリーチェが、クラウディアが用意してくれた豪華なつまみをテーブルに並べ、ジョバンニがワインの栓(せん)をぬく。楽しいね、こういうひとときって…

空は、もう真っ青や! 

いろいろな話題に華が咲く… 

ジョージの話になった。そう、初めてお邪魔したときにご一緒した、俳優のジョージ・クルーニーさんのこと。

「彼、買い物には歩いて行くの。彼は、街に行く途中、通りで会う人に、自分から気軽に声をかけるのよ」

街の人たちは、ジョージが忙しい俳優で、年に何度か別荘に来てリラックスすることを知っているという。だから、彼にサインを求める人もいないし、彼がバーでイッパイ呑(や)ってても「やあ、ジョージ、元気かい?」と、声はかけるけど、あとはそっとしてるとも云う。

ええ話だよねえ。有名俳優がリゾートの街に溶け込んでいるんや。

 ワインでほんのり頬(ほほ)を染(そ)めたベアトリーチェが、もじもじしながら告白した。

「ウマ、わたし、恋したみたい…」脇でジョバンニがニヤニヤしている。

ウマさん、余計なひとことが多いおっさんや。云うてしもた…

「そんな病気はすぐ治るから心配要らん」ジョバンニが大笑いしたので、彼女、ふくれてしまいよった。

イタリアやフランスでは、自転車レースの一流選手は国民的大スターです。彼女の恋の相手は無名の選手だという。

「でも彼、一生懸命頑張ってるのよ」と夢見るような顔つきをする。ま、年頃やし、恋の一つや二つ、結構なことや。セクシーになった理由がよくわかった。 

彼女の胸元でなにかが鳴った。

ネックレスに付いている小さなカメオの裏を彼女が押したら、虫が鳴くような、その小さな音が鳴りやんだ。

ウマが怪訝(けげん)な顔をしていると「一週間に一度、バッテリーチェックをしないと警察にしかられるの」えっ?どういうことや?

ジョバンニが代わりに答えた。それは超小型のマイクロ発信器で、ジョバンニやクラウディアの指輪にも仕込まれているという。

 彼女のファミリーが、北イタリア有数の資産家であることは、広く知られている。だから、誘拐(ゆうかい)に備えて警察から渡されたという。半径100キロ以内なら警察のモニターで所在がわかり追跡可能だという。

そうか…お金持ちはそんな心配をせんとあかんのやなあ。 

くれあ、ローザ、ジェイミーなど、うちの子供らは、そんな心配、じぇんじぇん要らん。まったく要らん。よかったよかった。 

ええか! 君らのおとーちゃんはな、貯金ゼロ!資産ゼロや! 感謝せんとあかんでぇー。 

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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・4・11)

2023年04月11日 | ウマさん便り

「向田邦子とジネット・ヌヴー 」 

テレビドラマなどで、教訓めいたセリフを書く脚本家はあまり好きじゃない。なんか上から目線を感じるんやね。もっとも、僕がひねくれているせいかもしれないけど…。だから、教訓めいたセリフの少ない向田邦子の脚本には共感を覚えていたし、ハッピーエンドでさえ、ふと考えさせる何かがあったようにも思う。

先月だったか、YouTubeで、向田邦子のドキュメンタリー「没後20年、向田邦子が秘めたもの」を観た。驚くべき内容だった。

数々のドラマを書いてきた彼女だけど、彼女自身が誰にも明かさなかった秘めた恋こそがドラマではないか?と思ったね。いつもそばにいた彼女の妹さえ知らなかった秘めた恋…

向田邦子の恋文5通が、亡くなった相手の遺族によって発見され、彼女に返却された。その手紙を向田邦子はタンスに秘蔵していた。後年、亡き姉の部屋を片付けていて、その手紙を見つけた妹は、とても驚いたという。

妹の判断で、20年後に公開されたその恋文を読むと、向田邦子が、病に伏せる彼に、献身の心遣いを見せていたのがよくわかる。が、妻ある人への恋は、彼女の作品にどのような影響を与えたのか?

あれだけ多くのドラマを書いてきた向田邦子だけど、自身に秘めたストーリーだけは書けなかったんでしょうね。

向田邦子は、書くドラマがことごとく高視聴率を記録し、さらには、様々な人間模様を描いた「思い出トランプ」が直木賞に輝いた。そんな絶頂期の彼女が、台湾での航空機事後で還らぬ人となって久しい。

絶頂期の突然の死…で思い出すフランス人がいる。

ネット・ヌヴー …

今から80年以上前に彼女が弾いたヴァイオリンは、今に至るも、ぼくにとって日常の癒しとなっている。

小学校一年の頃だったと思う。家にあったソノシート(これ懐かしい人は歳がわかるよ)で、ヴァイオリンの巨匠、ロシアのダヴィッド・オイストラフを知った。

どういうわけか、そのチャイコフスキーのヴァイオリン・コンチェルトに痛く惹かれたんやね。ませとったんかいな? ま、それがクラシック音楽に親しむきっかけとなった。

時が流れ、高校時代やったと思う。たまたま、そのダヴィッド・オイストラフの伝記みたいな文章を読んだ時、27歳の彼が国際コンクールで二位になった時の話が僕の興味を惹いた。

一位になったのが若干15歳、フランスはパリ産まれの女の子だという。僕は、あのダヴィッド・オイストラフを超える15歳ってどんな娘や? さらに、二位の27歳オイストラフに「彼女の一位は当然だ」と言わしめた、その15歳のフランス娘に、僕が興味を持たないわけがない。

さっそく、心斎橋の日本楽器のレコード売り場へ行って、そのフランス娘のレコードを探したら…あった!

ジャケット写真を見ると、めちゃ可愛い娘やないか。嬉しくなってニコニコしながら地下鉄に乗った。

ところがや、えらいこっちゃ。家に帰って解説を読むと、ジネット・ヌヴーは、30歳の絶頂期に、アメリカへ演奏に行く途中の飛行機事故で亡くなってる。もうこの世にいないんや。ショック!

7歳でオーケストラと共演、天才少女と絶賛され、成長とともにその人気はうなぎのぼりに高まり、ヨーロッパ各地での演奏はもちろん世界中で演奏し、アメリカへも毎年のように演奏旅行をするようになる。

初レコーディングが1938年で19歳の時、今から80年前、もちろん、はるか戦前のことです。

クラシック音楽に造詣の深い芥川賞作家の五味康祐さんの本を読んで嬉しかったのは、世界的演奏家や高名な評論家でさえ容赦無く切って捨てる辛辣な彼が、ジネット・ヌヴーを絶賛していることです。

…彼女の早い夭折が惜しまれてならない…と。

当時、ぼくが集めた彼女のレコードは、今の時点で言うと、どれも70年から80年前の録音で、音は決して良いとは言えなかった。ところがCDの時代になってリマスタリングの技術が向上したせいか、音が格段に向上した。

今、彼女のCDは全部持ってるけど、彼女のヴァイオリンの音色を、現代の録音と比べても遜色ない良い音で聴けるのはとても嬉しく思っている。

彼女の残したレコーディングはどれも素晴らしいけど、特に1948年3月に録音された「ブラームス・ヴィオリン協奏曲」には、もう言葉もない。

さて、今宵は、人生の絶頂期に飛行機事故で亡くなったお二人のご冥福を祈りつつ、YouTubeでこのお二人を偲びたい。おのおの方も是非一緒にご覧下さい。

エッ? おいらの絶頂期? あんたなあ、あたしゃ、まだまだこれからでっせー! エッ? なんやて? すでにもうろくしてる? ほ、ほっといてんか!

向田邦子…1981年8月22日 51歳没

ジネット・ヌヴー…1949年10月28日 30歳没 (ぼくが産まれた4ヶ月後)

YouTube →「没後20年、向田邦子が秘めたもの」

YouTube →「ジネット・ヌヴー /ショパン夜想曲第20番」

ショパン夜想曲第20番…

映画「戦場のピアニスト」で、廃墟に隠れていた主人公がナチの将校に見つかり、ピアノを弾くように命令されて弾くのがこの曲。元はピアノ曲です。多くのヴァイオリニストがこの曲を引くけど、亡くなる3年前のジネット・ヌヴーのこの演奏を聴くと、目が潤んできて、もう…

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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・4・6)

2023年04月06日 | ウマさん便り

「初めてのスコットランド…そして20年後の驚き」 

ロンドン発の夜行列車は、朝8時にグラスゴー・セントラルステーションに到着した。

すぐ、キャロラインの実家に電話した。でも誰も出ない。何度も電話したけど誰も出ないんです。少し不安になってきた。

初めてやって来たスコットランド、今夜泊まるところがなかったらどうしよう? 

駅の案内所でもらった地図を頼りに、グラスゴー大学近くの彼女の実家まで歩いて行った。グラスゴー大学の協会の脇を通り、キャロラインの実家を見つけた時はとても嬉しかった。

でもその時、2年後にぼくがこの教会で結婚式を挙げることになるなんて、もう夢にも思わなかったですけど… 

思い出します… 

初めてスコットランドの地を踏んだのは1980年夏のことでした。その2年前に東京で知り合ったグラスゴー生まれのキャロラインが故郷に帰る時、ぼくに「グラスゴーに遊びに来たら?」

で、その誘いに乗ったというわけなんです。

その時、その後、スコットランドがぼくの第二の故郷になるなんてつゆとも知らず…

当時のぼくにとって、スコットランドって、地球の裏側の、そう、ネッシーの国、ファンタジーの国でしたね。 

さて、キャロラインの実家…その玄関をノックしても返事がありません。困った。どうしよう?

仕方がないので、近辺を物見遊山で見物することにしよう。

グラスゴー大学がある広大なケルヴィングローブ公園、ウェストエンドの繁華街にある様々な店や図書館を覗き。さらに植物園のあるボタニックガーデンなど、もう、そこらじゅうを歩き回りました。初めて見る街の風景に瞠目します。時々、キャロライン宅に電話を入れますが、相変わらず誰も出ません。 

そのうち、旅の疲れ、いや時差ぼけでしょうね、ボタニックガーデンのベンチで、リュックを枕に眠り込んでしまった。かなりの時間寝ていたようで、気がつくと、なんと午後6時なんです。

「エライこっちゃ!」祈るような気持ちで、キャロライン宅に電話をします。

出た! とうとう誰かが電話に出たんです。嬉しい! 嬉しい!

「ウマ? ぼく、キャロラインの弟のフランキーです。日本から君が来ると姉から聞いてたんで、仕事を早めに終えて帰宅したところです。すぐに来て!」

このグラスゴーに、ぼくのニックネーム「ウマ」を知ってる人がいるのには驚いた。 

ドアを開けたフランキー、ニコニコとぼくの肩を抱くように家の中に入れてくれた。リビングには弟のマーティンもいた。そしてテーブルには、ビールにウィスキー、それにポテトチップスやピーナッツなどなど…、いやあ嬉しかったですね。

「キャロラインは、母や妹のエレインとリゾートに出かけていて、明日帰って来る」 

ビールで乾杯した。「ウェルカム・トゥ・スコットランド!」そのビールの美味しかったこと。もう天にも昇る心地だったですね。

日本人と会うのは初めてという彼らと、大いに飲み、話が弾み、初対面にもかかわらずすっかり打ち解けた時、フランキーが叫ぶように言った。

「今日は金曜日、パブへ行こう!」 

週末のパブは、もう立錐の余地がないほどの混みよう。

その喧騒の中、フランキーやマーティンが、ぼくを次々と友人たちに紹介する。そして「日本人と会うのは初めて」という彼らが、ぼくにビールやウィスキーをおごってくれるんです。

今夜は泊まるところがあるんだろうか?という不安なんかとっくに吹っ飛んでしまい、実に楽しい宵となりましたね。よかった。本当にホッとした。 

翌日午後、キャロラインとお母さん、それに妹のエレインが帰って来た。お母さんもエレインも、ニコニコと初対面のぼくにハグ、そして「遠い国からよく来てくれたわね」と喜んでくれた。

父親はキャロラインが17歳の時に亡くなったことは聞いていた。 

さて、その土曜日… 

キャロラインの家族が、ぼくのための歓迎パーティーを開いてくれたんです。ところが、おおぜいの人が続々とやって来たのにはびっくりした。従姉妹たち、叔母さんや叔父さんたち、フランキーやマーティンのガールフレンドたち、さらに友人たちなどなど、おおぜいの人で、もう家の中はぎっしり。その全員が「日本人と会うのは初めて」だとおっしゃる。

スコットランドから見ると、日本は、極東、つまり地球の果てにあるんですね。その地球の果てからやって来たぼくに、皆さん、とても好意的な笑顔を向けてくれました。 

そんな中、ふと、部屋の隅に、一人だけぼくに無表情の方がいるのに気がつきました。キャロラインの叔母さんのモニカです。彼女、部屋の隅っこで一人タバコを吸っていました。

で、飛行機の中で買った免税のマイルドセブンをそっくり1カートン彼女にあげました。そしたら、それまで無表情だったこのモニカ叔母さんは大喜び、途端に満面の笑みで、なんとぼくにビッグハグなんです。あとで知ったことだけど、この国はタバコが非常に高価で、当時の日本円で一箱が700円も800円もしたんですね。 

モニカ叔母さんが、初め、ぼくに対して無表情だった理由…それを知ったのは20年後のことでした。

ある日、大阪の家で、たまたま、ぼくが、懐かしいスコットランドの写真を整理していた時、わきにいたキャロラインが、あのモニカ叔母さんの写真を見つけたんです。

で、彼女、何を思ったのか、ぼくに「あの時のパーティーのこと覚えてる?」ぼくが初めてスコットランドを訪れた時の、あの歓迎パーティーのことですね。

彼女が言ったことにはびっくりしてしまった。

「実はあの時、モニカは、日本人には絶対に会わないって言ってたのよ。でも、わたしに説得されて、しぶしぶパーティーに出てきて、ウマに会ったわけ…」 

戦争中、彼女と親しかった友人がシンガポールで日本軍の捕虜になった。奇跡的に生還した彼の、その時の過酷な体験をモニカは聞いていたのね。…日本軍は捕虜に残酷だった…

ところが、あのパーティーでウマと会い、一緒に肩を組んで呑んでるうちに、日本人に対するイメージをすっかり変えたのよ。この日本人の酔っ払い、とても残酷には見えないけどねえって…

あのパーティーで、ぼくと肩を組んで呑んだモニカが、最後に大きな声で叫んだ言葉、それはいまでも覚えています。「わたし、日本へ行くわよー!」 

そしてやって来たモニカ叔母さん…

奈良・吉野の桜に目を満開、旅館の畳の部屋の布団に感激、そして、雄大な富士山に感嘆の声をあげ、修善寺温泉の露天風呂で、満天の星空の元、かつて経験したことのないお風呂に大感激するなど、日本を満喫してスコットランドに帰りました。 

そう、日本を大好きになって…


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「パリの空の下」のワイン

2023年04月02日 | ウマさん便り

先日のブログ「モーツァルトとアルコール」で、アルコールに関する「音楽の想い出」を募集したところ、やっぱりというか音沙汰なし~(笑)。

半分諦めていたら「ウマさん」からタイミングよくお便りがあった。以下、ありがたくご紹介させていただきましょう。

「フランスの記録映画作家マークと、フランスを代表する新聞「ル・モンド」でコラムを書いていたオリヴィエの二人が、大阪のぼくを訪ねて来たのは、もうかなり昔、1980年のことだった。

ぼくのフランス人の親友アントワーヌが彼らに言ったらしい。
「日本に行ったら、大阪のウマと会うといい」

彼らは、大阪のぼくの実家に滞在し、かなり精力的にあちこち観て回ったようだけど、もちろんぼくも彼らをいろんなところへ案内した。

当時50歳前後だったオリヴィエは、ぼくの家で食事をする時でもネクタイを着用するなど、かなりの洒落者で、毎朝、ウチの洗面台で一時間ほどかけて身支度をととのえていた。ぼくなんか、長くて1分や。

彼らは、大阪はもちろん、奈良や京都など、取材も兼ねていたとはいえ、日本を大いに楽しんでパリに帰って行った。

さて、1982年2月、グラスゴーで結婚式を挙げたぼくは、日本への帰途、思い立ってパリに立ち寄った。当時アントワーヌは東京にいたので、マークとオリヴィエの二人に会おうと思ったんです。

ところが、オリヴィエとは連絡が取れず、マークに電話しても出なかった。仕方がない。マークの住所はわかっていたので、探し探し彼の住まいを訪ねてみた。

二人しか乗れない鳥籠みたいなエレベーターに乗って、彼の部屋を訪ねドアをノックしたけど返事がない。仕方がない。彼の帰宅をどこか近くで待つことにした。

来る途中の通りに、バー見たいな店があったのを思い出したぼくは、その店で、彼の帰りを待つことにした。

ガラスのドアや窓が開けっ放しの、かなり開放的なその店は、奥に細長いカウンターだけの店で、しかも立ち飲み。労働者ふうのおっちゃんたちが三名、ワイワイと昼間っから陽気にワインを呑んでいた。

ドアのすぐ近くに立ったぼくは、バーテンダーのおじさんに、おっちゃんたちが飲んでいる赤ワインを指差した。こういう場合、言葉がなくても通じるよね。「あれと同じのちょうだい」

おじさんは、カウンターにドンと置かれた樽から、ワイングラスになみなみと目一杯注いでくれた。キャッシュ・オン・デリバリーのようだけど、いくらかわからないからお札を出した。

かなりのお釣りがあったので、一杯いくらか、とっさに計算した。当時の日本円で80円と出た。あまりにも安いので、もう一度計算したけど、やっぱりグラス一杯80円や。安い!

ところがや、驚いた! びっくりや! この赤ワイン、めっちゃうまいのよ。
あまりのおいしさに目を白黒させてしまった。ぼくが英語で「ベリー・デリシャス!」と言ったら、隣のおっちゃんが、ポケットからカシューナッツをいくつか出して、ニコニコとぼくの前に置いてくれた。
「にいちゃん、これでもつまみ!」でしょうね。メルシー、ムッシュー、おっちゃん、メルシー!

そのワインの、あまりのおいしさに、お代わりした時、バーテンダーのおじさんに聞いてみた。

「ボルドー? ブルゴーニュ?」 おじさん、肩をすくめ両手を広げ困った顔をした。「わし、そんなん知らん」顔がそう言ってる。

自分のバーで売っているワインの産地を知らないんや。なんとええ加減なと、その時思ったけど、のちのちわかった。つまり、そんな産地のことなど気にせんでも、本物が身近に存在するってことなんやろね。

ワインってさあ、日本では蘊蓄の格好の対象だよね。だけど、このパリの立ち飲みバーでは、蘊蓄なんてあっちゃ行けー!なんです。ぼくは、やっぱり、こっちを選びたいなあ。


そうそう、かなり後年、とてもお世話になった方をご招待した時、蘊蓄抜きでさりげなく出したドン・ペリニョンで乾杯したことがある。ドン・ペリニョンをご存知じゃなかった彼だけど「ウマ!これうまいなあ!」と言ってくれたのは、とても嬉しかった。それで充分じゃない?
そう、パリの立ち飲みで学んだことを実践したんです。ま、蘊蓄を語るのは、時と場合を選ぶってことかなあ。   

その、パリの立ち飲みのバーの、通りを挟んだ斜め向かい側に、立派な門構えの邸宅があり、制服のおまわりさんが数人立っていた。おっちゃんたちにその家を指差し「What is that house? (あの家はなんですか?)」 英語で聞いて見た。おっちゃんたち、口々に「プレジデント、プレジデント!」
どうやら、フランス大統領ミッテランの公邸だったようですね。大統領公邸の向かい側に立ち飲みのバー、パリって面白いね。

もう一度、マークのアパルトマンを訪ねた。でも不在だった。仕方がない。諦めた。
で、もう一度、その立ち飲みバーへ寄ったら、おっちゃんたち、ニコニコと笑顔でぼくを迎えてくれた。「よう、にいちゃん、また、来たんかいな!」ってな感じ。

最高に美味しい一杯80円のワインをお願いしようとしたけど、バーテンダーのおじさんったら、ぼくの顔を見た途端、もう、グラスにワインを注いでいた。いやあ、嬉しくなったなあ。言葉なしで気持ちが通じるっていいよねえ。 

嬉しくってニコニコしていたら、隣のおっちゃんが、また、カシューナッツを、さっきの三倍ぐらいくれた。そしてぼくの顔を指差し「ジャポネ?」と訊く。ウイ!ジャポネ!と答えたら、全員が「オオ!ジャポネ!」と、かなり大げさに手を広げて、もうニコニコ。どうやらジャポネ大歓迎みたいな雰囲気なんです。

ぼくはさらに嬉しくなってしまった。

おっちゃんたちとカウンターの中のおじさんが、ジャポンやジャポネがどうのこうのと、日本のことを話題にしているのがわかったけど、皆さんニコニコしてるのよ。どうやら、日本と日本人に大いに興味を抱き、さらに好意を持ってるんやなと、ぼくは理解した。

とてもいい雰囲気の中で、気持ちよくワインを飲み干したぼくが、お代わりをお願いしようと空のグラスを持ち上げた時、隣にいたおっちゃんが、ぼくの手から空のワイングラスを取り上げた。

一瞬、何事か?と首を傾げたんだけど、おっちゃんたち全員が何やら相談したあと、小銭を出し合いカウンターに置いた。それを見たバーテンダーのおじさんがぼくに赤ワインを出してくれた。

おっちゃんたち、ニコニコしてぼくを見ている。まさか、おっちゃんたちがぼくにワインをおごってくれるなんてまったく思ってもいなかったぼくは、もう、感激してしまった。
メルシー! メルシーボクゥー! もう、メルシーの連発でしたね。

異国のフランス、その花の都パリ、たまたま立ち寄ったバーで、見ず知らずのおっちゃんたちにワインをご馳走してもらう。その時の感激、わかってもらえるやろか? あの時ほど言葉の通じないもどかしさを感じたことはないなあ。
しかしな、おのおの方、ほろ酔いとはいえ、その時のウマさん、心臓が強かったわ。

楽器が大好きなぼくは、長年の習慣として、旅行に出る時はいつもリュックにハーモニカを入れている。半音が出せる小型のクロマチックハーモニカです。

おっちゃんたちにワインをご馳走になったぼくは、お礼代わりにハーモニカを演奏しようと思いたったんです。ハーモニカを取り出したぼくを見たおっちゃんたち、何事や?と、はじめ怪訝な顔つきやったけど、演奏が始まった途端、店内は大騒ぎになった!

ぼくにとって、シャンソンの「パリの空の下」は、とても弾き慣れた曲やった。おっちゃんたち、もう大興奮でしたねえ。パリの空の下で、ハーモニカの「パリの空の下」。演奏が終わった瞬間、拍手、拍手、もう大拍手! そしてぼくに、ハグ、ハグ、ハグ!

心臓の強いウマはさあ、さらに心臓が強くなっちゃったのよ。
 
次の曲のイントロを即興でおごそかに始めた時「このにいちゃん、次は何を弾くんやろ」と興味しんしんのおっちゃんたち…ところが、イントロが終わり、曲が始まった途端、おっちゃんたち大騒ぎになった。

シャンソンの名曲、あの伝説的シンガー、エディット・ピアフの「愛の讃歌」

もう、おっちゃんたち大興奮、「ウララー」と大興奮なんです。
そして、なんと、カウンターの中のおじさんも出てきて、ぼくのハーモニカに合わせて、全員が大合唱になったんです。もちろん演奏しているぼくも大興奮です。

「愛の讃歌」を終えて、間をおかず、すぐにぼくは、やはりシャンソンの名曲「バラ色の人生」を演奏した。そしたら、なんと、なんと、店にいた全員が踊り出したんです。ぼくは、もう、ここぞとばかり、あらん限りの大音量でハーモニカを吹きましたね。
 
その時、かなりの騒ぎになっていたと思う。なんと、向かいにある大統領公邸のおまわりさんが、何事かと、鉄砲を構えたまま店を覗きに来ましたがな。でも、そのおまわりさん、「ウララー」、店内の様子を見て、ニコニコと自分の持ち場へ戻って行きました。

そして、演奏を終えたぼくに、全員がハグ、ハグ、またハグでした。そして、ワイン、ワイン、さらにワイン…

異国の、予期せぬ場所での予期せぬ出来事は、忘れることの出来ない想い出となりました。

ぼくがワインの美味しさに目覚めたのは、パリの、その立ち飲みバーだったと、今にして思う。一杯80円の素晴らしいワインに出逢ったパリの空の下で「パリの空の下」をハーモニカで演奏した日本人は、たぶん、ぼくだけじゃないかなあ?あの時、あの店にいたおっちゃんたちの顔は、今でも鮮明に覚えていますよ。

かなり後年、ワインには旅をさせちゃダメだと知った。
特に長い船旅をするワインには防腐剤などが入っているとも聞いた。あの一杯80円の美味しさの秘密は、きっと旅をしていないからでしょう…

コロナが落ち着いて、また旅に出れるようになったら、また、パリの空の下でワインを飲みたいなぁ。


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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・3・30)

2023年03月30日 | ウマさん便り

「奥の細道」 

ロナルド・ターンブル…スコットランド有数の数学者として知られる彼が、ひょっこり僕を訪ねてきた。 

「ウマ、筆で、奥の細道って書いてくれないか?」

いいけど、ロナルドは芭蕉(ばしょう)を知ってるの?

「英国でHikeをたしなむ人は、皆、バショウ・マツオを知ってる」

英国での松尾芭蕉のニックネームは、なんと「バナナ」だという。なるほど、「バショウ」やもんな。 (註 ブログ主:バショウは英名を「ジャパニーズ・バナナ」という)

俳句は、もう、英語のHikeになってますね。僕の地元ダンフリーズには、授業でハイクを教える中学校がありますよ。もちろん英語で詠(よ)むハイクです。 

で、彼の目の前で、筆で「奥の細道」と書いてあげた。そしたら…

「芭蕉が馬屋で寝ていて、蚤(のみ)や虱(しらみ)に悩まされた挙句(あげく)、馬におしっこをかけられる俳句があるよね。あれも筆で書いてくれない?」

ロナルド! おぬし、芭蕉の俳句に詳しいんやねえ。あれは有名な俳句で、もちろん僕もよく知ってる。お安い御用や!

で、即、書いてあげた「蚤虱(のみしらみ)馬の尿する枕もと」…

そしたら彼「ついでに、ウマのサインも筆で書いてくれないか?」

エッ? ちょっと待って! いったい何のためにこんなことさせるんや?

「いや、ま、いずれわかるから…」ロナルドが言葉を濁(にご)す…

ちょっと変や…彼、いったい何を企(たくら)んでるんや? 

で、練習もなしでサッと書いた三点を持って帰ろうとするんで慌(あわ)てて止(と)めた。 持って帰るんやったら、もっとちゃんと書くから練習させてよ。コーヒーでも飲んで、ちょっと待っててよ。

「いや、ウマ、これでええ。これで充分や」

あかんあかん、もっと上手(じょうず)に書くから、ちょっと時間をちょうだいよ。

「いや、上手(じょうず)か下手(へた)か、こっちの人間、誰もわからんからこれでいい」

結局、まったく練習なしでサッと書いたのを強引(ごういん)に持って帰りよった。いったい何に使うんやろ? けったいなヤツやなあ? 

で、彼が帰ったあと、ふと気が付いた…

スコットランドに移住して以来、ちょくちょく筆を使う機会があることに気が付いた。イタリアにも書道の指導に行くしな…

英国人、特にスコットランド人は、ハイキングやトレッキングが好きな国民だと思う。トレッキングの専門雑誌もいくつも出ている。

僕の住むダンフリーズ郊外でも、もう、いくつものモデルコースがあり、老若男女(ろうにゃくなんにょ)、大いに歩くことを楽しんでいる。歩くことを楽しむって、とても素敵なことだよね。 

広大な放牧場のゲートには、通常、鍵がかかっていない。トレッキングの途中、放牧場に出くわしたら、誰でもゲートを開けて、その中(つまり私有地)を横切り、トレッキングを継続することが出来る。 

スコットランドも含め、英国の土地の多くは貴族の所有です。貴族の土地を避けて鉄道施設は不可能だと云われている。その貴族が、広大な土地を小作人(こさくにん)に委(ゆだ)ね、牛や羊、ウマなどの放牧場にしてるわけですね。 

イングランドの事情は知らないけど、スコットランドでは、なぜ、一般の人々が、それらの土地、つまり、私有地に断りもなしに入っていいのか?

貴族が、その所有する自然景観豊かな広大な土地を独(ひと)り占(じ)めするのは、社会的道義に反するという考えがあるからだと思う。広大な土地の所有は自分に帰属するものであっても、その自然景観は公共のものであるという考え方ですね。 

美しい自然景観を一般の人々に開放することで、貴族はその社会的責任をある程度果たしているというわけです。しかも、その自然景観の維持(いじ)に莫大(ばくだい)なお金を費(つい)やしてもいる。

敷地が二万四千坪あるアラントンハウスは、貴族の住まいじゃないどころか、しょぼい日本人のオッサンがおるけど、その門に扉はない。誰でも自由に入ってくることが出来る。フォレストウォーク(森林歩き)など、我々が設置した様々な木の説明ガイドを見ながら、どなたでも散策できるようにしている。

知らない方が犬をつれて散歩しておられるのを見るのはめずらしくない。朝早く、たまに、鹿の親子も散歩してるけどね。 

アラントンのまわりにも、山あり谷ありの貴族の土地がたくさんあるけど、その私有地内の道を通ることはしょっちゅうですね。ここからは進入禁止ってな標識はない。つまり、私有地を自由に車で通ってるんです。そう云えば、土地を含め、多くの富を独占していると云っていい貴族に対する非難の声を聞いたことないなあ。 

時々、キャロラインさんと、南スコットランドの海岸沿いを、犬のクリを連れて、散歩がてらトレッキングすることがある。牛や羊、馬の放牧場のゲートを開け勝手に入り、牛ちゃん羊ちゃん達の横を通ることはしょっちゅうです。

ところで、松尾芭蕉(まつおばしょう)って、トレッキングの専門家とも云えるよね。ただ、行く先々で俳句を詠(よ)んだのが、ただ歩くだけの人たちとの違いでしょうか。

その昔、高校時代のラグビー仲間だったK君と、車で北海道を一周した。最北端の街稚内(わっかない)を目指していた僕たちは、稚内(わっかない)に行く前に、サロベツ原野の沖合に浮かぶ利尻島(りしりとう)の利尻富士(りしりふじ)を見たかった。でも、サロベツ原野も利尻島も残念なことに曇(くも)り空だった。

その時に詠(よ)んだ一句が、僕は割と気に入っている(んやけど…)。

…利尻富士(りしりふじ)…見えるかどうか…わっかない…

K君ドテッ! 彼には、バカにされたなあ… 

そうそう、何年か前、先生に引率された街の中学生19名が、アラントンの広い敷地内を三時間ほど散策したあと、僕が淹(い)れたお茶を呑(の)みながらHikeを詠(よ)んだことがあったなあ。平均年齢14歳の彼らの作品の、ほんの一部を紹介しておこうかな。ウマの訳を付けときます。 

アレックス君(14歳)

a leaf…blowing in the cool breeze…endlessly

(木の葉が一枚…そよ風に揺(ゆ)れている…いつまでも) 

クローディアちゃん(11歳)

a field of buttercups…holding in their petals…the golden sun

(キンポウゲ咲く野原…輝く光が…花びらを包む…) 

ケリーちゃん(12歳)

tall trees stand alone…leaves flutter…in the summer breeze

(大きな木が一本…夏のそよかぜに…葉がヒラヒラ…)

ジョッシュ君(13歳)

a small white moth…on my finger…a whole new world
(ちいさな白い虫…知らない世界…今、僕の手に触れている) 

どう? 中学生とは思えないでしょう? 彼らには、是非とも芭蕉の句に親しんでもらいたいと願っている。 

さて、ロナルドがうちに来たことなどとっくに忘れてた頃、彼から、一冊の雑誌が届いた。「TRAIL(トレイル)」…、トレッキング専門雑誌では英国で一番売れている。その案内ガイドは信頼がおけるというので、僕もたまに買うことがある。

怪訝(けげん)に思って目次のページを開くと、ロナルドが芭蕉の特集記事の執筆者として写真入りで紹介されているんでびっくりした。

で、彼がエッセイを書いているそのページを開けた… 

な、な、なんやコレッーーー??? 思わず目を剝(む)いてしもた。 

な、なんと! ロナルドの芭蕉(ばしょう)に関するエッセイのタイトルバックに、僕が練習もなしに書いた「奥の細道」が載(の)ってるやないか!

次のページには「蚤虱(のみしらみ)馬の尿する枕もと」、さらに次のページに僕がジョークで、ええ加減に書いたアホなサインも載(の)ってるんや。 

あ、あかん!こんなんあかん! 練習もなしで書いたのが、英国全土のトレッキングファンの目に触れるなんて、あ、あきません!

だから、練習させてくれって云うたやろ! 

でも、すごく嬉しいね。ロナルド、ありがとう!




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南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・3・25)

2023年03月25日 | ウマさん便り

WBCの優勝でいまだに余韻冷めやらぬ日本列島・・。

やはりスポーツはいいですね。連帯感を育み、心を一つにしてくれる点では芸術よりも上ではないでしょうか。

で、国際試合にちなんで「ウマ」さんから次のようなお便りが来たのでご紹介しよう。

「北海道と本州が野球の試合をする…
これ、国際試合と言ったら「何をアホなことを…」となるよね。
 
ところが、英国では事情が全然違います。
スコットランドとイングランドがサッカーやラグビーの試合をする…
これ、国際試合になります。
 
ご存知の方も多いと思うけど、そこら辺の事情を書いた「ウマ便り」をご覧ください。

「英国はイングランドではない」  

初めてスコットランドを訪れたのは1980年の夏だった。

グラスゴーのキャロラインの実家で、弟のマーティンが、ある日、やや興奮して言った。「今夜、スコットランドとイングランドのサッカーの試合がある」

そして、ビールやらウィスキーやらポテトチップス(英語ではクリスプス、ポテトチップスはフレンチフライのこと)などをしこたま用意しテレビの前に座った… 

いよいよゲームのスタート、ところがそのタイトル画面を見て僕は首をかしげた。「スコットランドvsイングランド」、これはわかる。が、そのタイトルの下に「国際試合」とあるんや。なんなのコレ? 「マーティン! なんで国際試合や?」

「当たり前や。イングランドは外国や!」「エッ? スコットランドもイングランドも同じ英国とちゃうのか?」 「同じ英国やけど、違う国や!」 

英国が「連合国家」であることを知るのに時間はかからなかった。

英国は四つの国で成立している。「イングランド」 「スコットランド」 「ウェールズ」 「北アイルランド」…

この国は、歴史上、ケルト人、ローマ人、それにゲルマン人であるアングロサクソン人やノルマン人その他が入り乱れ、他の欧州の国々同様に、様々な王国を築き集合離散を繰り返してきた。現フランスのほとんどが英国の領地だった時代もある。 

18世紀はじめにイングランドに併合されたスコットランドは、それまではれっきとした独立国家だった。だから、イングランドへの対抗意識や気風・気概は今に引き継がれ、スコットランド独自の法律や銀行制度(独自の紙幣を発行)、或いは教育制度や医療制度など、イングランドとは違う行政制度がある。さらに立派な国会もあるし首相も存在する。 

「英国」と「イギリス」、この国を呼ぶのにこの二つの名称が日本にはある。ここらもちょっと事情をややこしくしているんじゃないかな。

「英国」は、ブリテン島と北アイルランドを示し、文字通り英国全体を現している。ところが問題は「イギリス」や。もともと「イングランド」が語源のこの言葉、  

「英国」も表わすが「イングランド」を示す場合も多い。

だから僕は、英国全体を示す場合、イギリスという言葉は極力使わないようにしている。 

さてここで、日本の学校の英語の授業をちょっと振り返ってみよう… 

「英国は英語でイングランド、英国人は英語でイングリッシュ…」

僕は中学で確かにそう習った。いまでもこう教えている先生は多いんじゃないかな。でも、これ、明らかに間違いなんだよね。 

イングランド人   → イングリッシュ

ウェールズ人     → ウェーリッシュ

スコットランド人 → スコティッシュ

北アイルランド人 → アイリッシュ 

イングリッシュってのはイングランド人のこと。同じ英国人であるスコットランド人はスコティッシュであり、間違ってもイングリッシュとは云わない。もちろん、ウェールズ人はウェーリッシュでありイングリッシュじゃない。だから、英国人のことをイングリッシュと呼ぶのは間違いだってわかるよね。

英国には四つの国があり四種類の国民がいる(現実にはおびただしい移民との共生社会だけど)。この四国民を総称して、つまり英国人は「ブリティッシュ」が正解となる。でも国籍を尋(たず)ねられた場合、「入管」など公的な場以外で自分のことをブリティッシュとみずから言う英国人はあまりいないと思う。「私はイングリッシュです」 「私はスコティッシュです」…が普通でしょう。

「私はイングリッシュです」と云う方を、この人英国人だと捉(とら)えずに、この人、イングランド人だ…と認識すべきでしょうね。

「英国人はイングリッシュ」、これが間違いだということ、わかってもらえました? 

じゃあ「英国」は英語でなんと呼ぶのか? 

英国の正式名称、実はコレ、世界で一番長い国名なんです。「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」

「グレートブリテンと北アイルランドによる連合王国」 コレ長すぎるよね。だから通常は「United Kingdom」(ユナイテッド・キングダム)と呼ぶ。キングは王様、ダムは領地のこと、つまり、キングダムは王国の意味。だから、ユナイテッド(連合)とキングダム(王国)で「連合王国」となるわけ。これは御存知の方も多いでしょう。  

これをさらに省略して「U.K.」となる。「英国はユナイテッドキングダム」、これが正解となります。もっとも慣習的に昔から「グレートブリテン」と呼ぶ場合も多いけど、正式名称ではない。 

スコットランドで暮らす僕に、日本からの手紙のほか、時に、本や雑誌、あるいは様々な日本食材を送ってくださる方がかなりいらっしゃる。手間隙(てまひま)かかる梱包(こんぽう)、そして決して安くはない郵送料…、非常にありがたいことだと、いつも心より感謝している。

でもその郵便物を見ると、僕への宛名として、スコットランドのあとにイングランドと記入しておられる方が実は少なくない。つまり国名が二つ並んでいるんですね。

だから皆さん、僕に何か郵送してくださる場合(催促してるんとちゃうよ)、どうか宛名のスコットランドのあとに「U.K.」とご記入くださいましね。 

いつだったか、大阪のラジオで、英国製紳士服地のCMを聞いたことがある。ナレーターが格調高い語り口でこうおっしゃった… 

「イングランドの誇り…最高級ウール…それが〇×紳士服地…」

ところが、そのCMのバックに流れていたのはバグパイプなんです。もちろんバグパイプはスコットランドの誇りでイングランドのものじゃない。笑っちゃうよねコレ… 

御存知だとは思うけど、UやKのあとに付いているピリオドは、省略の意味です。そこで思い出した… 

大阪に置いてある僕の自転車は、自転車屋の友人が組上げてくれた特製です。で、彼、わざわざ、フレームに「U.M.A.」とレタリングしてくれた。 

それは嬉しいんやけど、なんでピリオドが付いてるんや? ピリオドなんかいらん筈や。で、その理由を訊いた… 

「コレなあ、Uは胡散(うさん)くさい、Mはマヌケ、Aはアホ。胡散臭(うさんくさ)いマヌケのアホ…」

…あ、あのなぁー… 

さてさて、日本の英語の先生方! もうやめましょうよ。

「英国はイングランド、英国人はイングリッシュ」と教えるのは、ネッ!

追記(2023・3・25)

日本も英国のように分けると面白そう。

たとえば、「九州」「四国」「静岡以西の本州」「東京以北の本州」「北海道」の5つの連合国家にする。いわば県を廃止して「道州制」へ。

行政の合理化(人件費など)に寄与すると思うんだけどなあ・・(笑)。



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南スコットランドからの「ウマさん便り」~2023・3・20~

2023年03月20日 | ウマさん便り

「住めばこそ…」 

「ウマ!そこにあるジャンパーとってくれる?」女房のキャロラインが云う。

「ジャンパーなんかないよ」「目の前にあるでしょ!」

セーターのことをジャンパーと云うのにはびっくりした。

「じゃ、日本のジャンパーは何て云うの?」「あれはジャケット」 

ウマ!コンテナ持ってきて!」「コンテナみたいなデッカイもん、どこにあるねん?」「キッチンにあるでしょ!」「エーッ!これがコンテナかいな?!」

「スカーフをドライブウェイに落としてきたみたい。探(さが)してきて!」「どこのドライブウェイや?」「うちのドライブウェイに決まってるでしょ」

家の門から玄関までの道をドライブウェイと呼ぶのにも驚いた。 

ま、英語の国に住めばこそわかる英語ってあるんですね。そして、日本の、いわゆるカタカナ英語が、こちらでどう表現されているかにびっくりしたこともかなりあります。長年スコットランドに住んでいる僕の、そんな経験を皆さんにお伝えしたいんだけど、二点だけご留意(りゅうい)ください。

まず、ここで述べる英語はイギリス英語だということ。アメリカ英語だと違ってくるケースがかなりあると思います。それと、僕は、元々、英語がかなりダメな人間だったんです。

ちょっと恥ずかしい話なんだけど、中学一年の最初の英語の授業で新任の先生とひと悶着(もんちゃく)あり、ほぼ一学期中授業をボイコットした僕は、中学・高校と英語の成績は、もう…

ですから、これを読んでくださる皆さん方が、「ああ、そんなのとっくに知ってるわよ」とおっしゃることも大いにあり得ます。ま、その点、よろしくね。 

それと、違いを理解していただくのが目的なので、英単語の部分をあえてカタカナ表記にしました。スペルに自信がないせいでもあるけどさ。そして、こちらの人が日常使う英語に関して気が付いたことや、英語になった日本語、そして、日本人が英語を使う場合に気を付けるべきことなどを書いてみようかと思ってますけど、さあ、どうやろ? 皆さんの参考になるやろか?

以下、思いつくままに書いてみますが、左側が日本語、あるいは日本での使われ方で、右側が英語あるいは英国での使われ方です。 

  日本               英国

     ↓                   ↓

 セーター     → ジャンパー

 ジャンパー    → ジャケット

 オーバー      → コートあるいはオーバーコート(オーバーは通じない)

 マフラー      → スカーフ(マフラーも通じないなあ)

 ネクタイ      → タイ(ネクタイって云う人はいない) 

 ネクタイピン   → タイクリップ

 タータンチェック → タータン(タータンチェックは日本語です)

 サスペンダー   → ブレイス 

 下着のシャツ   → ベスト (下着のシャツはシャツとは呼ばない)

 下着のシュミーズ → スリップ (シュミーズはフランス語)

 下着のパンツ   → ネッカース(通常、パンツはスラックスのこと。アメリカの病院で看護婦さんにパンツを脱いでといわれた日本の商社マンが下着のパンツを脱いだんで、看護婦さんが、イヤァーン!って目をそむけた話は有名です)

 ブラジャー    → ブラ(ブラジャーはフランス語で、英国では単にブラ。英国でブラジャーと云う人に会ったことがない。エッ?いちいち聞いてるんか?ってか?)

 パンスト     → タイツ (パンティーストッキングは日本語です)

 ガーター      → サスペンダー

 バスト       → ブレスト(こんなこと書いてると変態やと思われるな) 

    日本            英国

      ↓                       ↓

プロポーション   → フィギュア或いはシェイプ(普通、プロポーションは人間の体形を表わすのには使わない)

 スマート      → グッドルッキング(スマートは、通常、頭が良いという意味で使う場合が多く、見た目のことを表わすことはあまりない)

 マカロニウェスタン → スパゲティウェスタン(マカロニウェスタンはまったく通じない。日本だけ)

 (ホテルの)フロント → レセプション(英語でいうフロント・オブ・ザ・ホテルは玄関の外のことなので、待ち合わせの場合など要注意です)

1階          →  グランドフロア(英国の1階は日本の2階)

 

 マスコミ       →  ミディア(日本ではマスコミがうるさいからねと云ったらマスコミってどんな人?って訊(き)き返されたことがる。マスコミは日本語、メディアではなくミディア)                  

 マンション      →  アパートメントあるいはフラット(英語でのマンションは一戸建ての大邸宅のことです。日本で一億円するマンションでも英語では単にアパートメント、あるいはフラット。2DKや3LDKのマンションなどあり得ません。 戦後、高級分譲アパートを業者が勝手にマンションと名付けた結果、日本中に「マンション」が溢れることになっちゃった。これ、日本の間違い英語の筆頭やろね。

     日本                   英国

      ↓                      ↓

 バックミラー      →  サイドヴューミラー

 (車内の) バックミラー →  リヤヴューミラー

 (車の)トランク      →  ブーツ(トランクはアメリカ英語です)

 フロントウィンドウ   →  ウィンドシールド

 ハンドル         →  ステアリングホィール (ハンドルは通じない)

 ガソリン          →  ぺトロール

 ガソリンスタンド    →  ぺトロールステーション

 パンク         →  フラットタイヤ (パンクは通じない)

 パトカー          →  ポリスカー (パトカーは日本語)

 覆面(ふくめん)パト      →  アンマークド・ポリスカー

 消防車       →  ファイヤエンジン(ファイヤーカーとは云わない)

 キャンピングカー   →  キャンパーバン(牽引(けんいん)するタイプはキャラバン、大型はモーターホームとも云う)

 オートバイ或(ある)いはバイク →  モーターバイクあるいはモーターサイクル    

(オートバイは日本語。バイクは自転車のこと) 

 シグナル(交通信号)    → トラフィックライト

 サブウェイ        → 地下道 (アメリカでは地下鉄の事)

 地下鉄           → アンダーグラウンド(レイルウェイ)或いはチューブ(日本語の地下鉄は英語から翻訳(ほんやく)された。

その他、総合、大学などの日本語は福沢諭吉が英語から翻訳したもの。ちなみに井伊直弼(いいなおすけ)が桜田門外の変で暗殺された時、ロンドンではすでに地下鉄が走っていた。伊藤博文はそれを見て尊王攘夷(そんのうじょうい)を、即、返上した。なお、地下鉄は、アメリカではサブウェイ)

 ドライブウェイ      → 家の門から玄関までの道(たった5メートルでもドライブウェイ) 

 繁華街        → ダウンタウン(これ、下町と思ってる人が多いと思うけど違います。都市の中心部のこと。東京だと新宿、渋谷、池袋、有楽町、新橋などがダウンタウン。大阪だと、梅田、難波、天王寺近辺などがダウンタウン) 

         日本                   英国

           ↓                      ↓

 (お店などの)レジ      → キャッシャー(レジは日本語)

 スーパーなどのビニール袋 → プラスティックバッグ

 ビニール            → ヴァイナル (LPレコードもヴァイナルと呼ぶ)

           

バンドマスター        → バンドリーダー

 コンサートマスター     → オーケストラリーダー

 ウッドベース         → ダブルベース

 ボーイ(ガール)フレンド  → フレンド(ボーイフレンド、ガールフレンドは恋人のこと。つまり決まった相手のことで、男友達・女友達の意味ではない)

 ボートピープル(難民)   → リフジー(ボートピープルは、通常、ベトナム難民を示す)

 ハンディキャップ(障害者) → ディスエイブルド(ハンディキャップはほとんどの場合、通じない)

 ポテトチップス      → クリスプス(こちらでのポテトチップスはフライドポテトあるいはフレンチフライのこと)

バイキング   → ビュッフェ(バイキングはまったく通じない。その昔、東京オリンピックの時、帝国ホテルの思い付きでバイキングとなった。ビュッフェという言葉があるのに、こういう勝手な命名はいかんと思うけどなあ)

タッパーウェア      → コンテナ。正式にはフードコンテナ。タッパーウェアは、マジックインキ同様、商品名が一般名詞になった例。 

   日本          英国           日本        英国

     ↓            ↓            ↓         ↓

 ジュネーブ →  ジェネバ     ウィーン  →  ヴィエナ

 北京    →  ベージン      ナポリ   →  ネイプル

 ローマ   →  ロウム       ミュンヘン →  ミュニック

 ミラノ   →  ミラン       ワルシャワ →  ワルソー

 グルジア  →  ジョージア     トルコ   →  ターキー

 ギリシャ  →  グリーク      ヨルダン  →  ジョーダン

 シベリア  →  サイベーリア   キプロス  → サイプロス 

(どの国も、外国の都市名など、勝手に発音してますね。品川のことをシャイナゲイワと発音したアメリカ人がいたそうです。Shinagawa…なるほどそう読める。

ゴルフの青木(Aoki)選手のことをBBCアナウンサーは<エオウキ>と呼んでた)

     日本                     英国

     ↓                     ↓ 

 アンケート  → クウェスチョネアー(アンケートはまったく通じない)

 ムービー   → フィルム(ムービーでも通じるけど、フィルムが普通)

 ハローワーク → ジョブセンター

 ホッチギス  → ステープラー(ホッチギスは通じない。発明した人の名前)  

さて、日本の女の子がよく言う…

ウッソー!  → ジョーキング!あるいはキディング!つまり、冗談を言わないでと表現する。これ、英語のライヤー(嘘(うそ)つき)を使うとたいへんなことになるから要注意!

ライヤーは人格を否定されるほどの非常にきつい言葉なんです。大阪のパブで、女の子が、ウッソー!の意味で「ドント・テル・ア・ラーイ!」と云った現場に遭遇(そうぐう)したことがある。相手の外人さん、顔付きが変わってましたね。

シーユー・アゲイン → シーユー、シーユーレイター、シーユーサムタイム

シーユー・アゲインは、かなり長い間、あるいは永遠に会いそうにない時に使う表現で、あまり使わない。出来るものならまた会いたいですね…のニュアンスを含む。                                        

ファイト! → ゴー! ファイトは闘(たたか)う、争(あらそ)う、あるいは殴(なぐ)り合うの意味。オリンピックその他で、日本の観衆が、頑張(がんば)れ!の意味でファイトファイト!と叫ぶのは、どついたれ!殴ったれ!となり、かなり異様です。                                                    

街で友人や知人と会った時、こちらの人、どんな挨拶をすると思う? もちろん「ハロー!」や「ハーイ!」が一般的だけど、実際は、それと同じぐらい使われている挨拶が「ハイヤ(Hiya!)」です。「やあ!」「元気?」ってな感じでしょうね。それと、しばらくぶりの場合、「ハロー!」のあと、「ハウ・アーユー・ドゥーイング?」これもすごく多いです。「どないしてんの?」ですね。 

それと、ありがとうやさよならの意味で「チアーズ!」も非常によく使われる。例えば、あなたより先にお店に入った方が、あなたの為に手でドアを開けてくれてる場合「チアーズ!」なんです。これは僕も頻繁(ひんぱん)に使ってる。もちろん「サンキュー!」でもいいんですけど。

E-メールを送る際、こちらの人、テクスト(テキスト)を送ると表現してます。「じゃ、あとでテクスト送るわね」ってな感じですね。 

英国のパブリックスクールは、公立ではなく私立の寄宿学校です。

その昔、貴族の師弟の教育をしてたんだけど、産業革命以降、一般(パブリック)の方の中から富浴層が出てきて、彼らの子弟を受け入れることでパブリックスクールの名前がついたようですね。アメリカのパブリックスクールは公立です。 

ベンツ…、そう、ドイツの高級車。こちら、あるいはヨーロッパで、ベンツって云う人に会ったことがない。まったくない。皆さん、例外なくメルセデスって呼んでます。なぜか? その理由は割と単純で、こちらはファーストネームの国だからです。創業者のカール・ベンツさんが、会社名に姪御(めいご)さんのメルセデスの名前を使ったんで、メルセデス・ベンツとなった。で、皆さん、ファーストネームのメルセデスとおっしゃるわけ。 

因(ちな)みに西洋社会では、通常、ファーストネームで呼び合います。特に友人同士で苗字(みょうじ)で呼ぶことはまずありません。僕も、病院や歯医者、あるいは役所など、公的な場所以外で苗字で呼ばれたことは一度もない。

皆、ファーストネームなんです。しかも、ほとんどの場合、ニックネームです。僕はすべての方に「ウマ!」と呼ばれている。かなり親しい友人でも僕の苗字(内間)や本名(安則)は知らないし、僕も彼らの苗字はほとんど知らないし気にしたこともない。ま、大阪生まれの子供たちは「おとーちゃん」って呼ぶけどさ… 

お役所の公式書類に<あなたはなんと呼ばれていますか?>の欄(らん)がある。つまりニックネームを書く欄があるんです。そこに僕はいつも<UMA>と書いている。つまりニックネームを書かないと誰の事かわからんのよ。これ、日本のお役所ではあり得ないよね。

女房のキャロラインが地元を訪れたエリザベス女王の歓迎晩(かんげいばん)さん会に呼ばれ、女王と親しくお話しした時、彼女が「女王陛下(じょおうへいか)!」と呼びかけたら、なんと女王さん「エリザベスと呼んでください」だって! 日本で、皇后(こうごう)陛下(へいか)が「ミチコって呼んでください」って云わんやろし、皇后陛下を「ミチコ!」って呼ぶ国民もおらんやろ。こちら西洋社会は、苗字(みょうじ)のない国と云っていいんじゃないかな。 

それと、これも注意してくださいね。日本人は年齢(ねんれい)を尋(たず)ねる、とよく言われます。キャロラインも日本にいた時「なんで皆、年齢を聞くんだろう?」と不思議がっていました。で、思うんや。皆さん、外人さんを前にした時、頭の中で、昔習った英語の教科書を開けるんとちゃうか? でも、まさか「ディス・イズ・ア・ペーン!」って云うわけにはいかないよね。で、たいへん思い出しやすい「ハウ・オールド・アーユー?」になるわけですね。

でも、こちら西洋の人は、人の年齢を気にしないメンタリティーを間違いなく持っています。儒教圏(じゅきょうけん)と違って先輩後輩のカルチャーがないといっていい。

僕はこのスコットランドに移住して以来、年齢を聞かれたことは一度もない。まったくない。で、皆さん、外人さんに「ハウ・オールド・アーユー?」はやめようね。もちろん、なんらかの理由があって年齢を知る必要がある場合は別ですよ。
 

あなたの仕事はなんですか? これ、割と単純です。

「ウォット・ドュー・ユー・ドュー?(あなたは何をしてますか?)」が一番多いと思う。オキュペイション(職業)は入管など公的な場所でのちょっと固い用語じゃないかな。ゲイバーに勤めている君、オキュペイションを聞かれて「オカマ」って答えたらあかんよ。

僕は日本にいた時、<ゲイ>というのは、おかま、つまり、男の同性愛者やと思ってた。ところがレズビアンの方もゲイなんです。つまり男女を問わず、同性愛者をゲイと呼んでますね。 

日本とこちらではセクハラの意味が若干違います。まず、こちらでは、相手の身体に関するコメントはしないのが普通です。自分も身体に関することはまったく言われたことがない。それと、これも要注意ですが、例えば、足が長いとかまつ毛が長いとか、褒めてるつもりでも、なんと、一種のセクハラなんだって。

大阪のおばちゃんがよく言う「あんた太ったなあ」「老けたなあ」「あんた白髪増えたなあ」などはもう… 

日本のサイダーとこちらのサイダーはまったく違います。日本のサイダーは清涼飲料水やけど、こちらのサイダーはリンゴの発泡酒、つまりアルコール飲料です。  

それと、こちらでは「スープを飲む」とは言わない。スープは飲むものではなく食べるものなんです。でも、eatじゃなくhaveやtakeを使っているようです。 

日本では「ゴハンやでー!」に対し「今、行くー!」だよね。ところが、こちらでは「ゴハンやでー!」に「今、来るー!」つまり、呼んだ人の立場からみた反応なんです。「I’m coming!」ですね。うちの子供らも、日本語の場合「今、行くー!」じゃなくって「今、来るー!」って言います。 

さて、ここで、英語になった日本語を紹介しておこうかな。かなりあるけど、今後、どんどん増えると思いますよ。ま、思いつくまま書いてみます。 

スシ、ニギリ、マキ(巻き)、テッパンヤキ、ワサビ、ドンブリ、ミソ、ノリ、ラーメン、ウドン、テリヤキ、キムチ、サケ、オニギリ、ベントー、シイタケ、ミリン、エダマメ、ダシ(も英語になりつつある)、ウマミ、ワギュー(和牛)、カツカレー、フトン、ハイク、カタナ、サムライ、スモウ、ショーグン、イチバンなどなど…まだまだあると思う。 

ロンドンで<フトンショップ>という店をみたことがある。そして、ボンサイ、ツナミ、カラオケ、キモノ、ジュードー、カラテ、スードクなどは、他に表現する言葉がないので完全に英語になってます。カラオケは非常にポピュラー。

時々<カラオケ>の意味を説明することがある「カラはエンプティー、オケはオーケストラ」そしたら皆さん「へぇー、そうなの?」と驚きますね。こちらの人「カリオキ」って発音してますね。 

それとね、これも大事な事…こっちの人ってね、人を笑わせることをとても大切な事なことだと思ってる。僕は、グラスゴーやロンドンへ行ったついでに、よくライブ音楽を聴くけど、司会者はもちろん、指揮者、演奏家など、ほとんどの方が聴衆を笑わせるんです。

古い例だけど、例えば、サッチモ…、そのトランペットと共に独特の歌声で世界中で愛されたルイ・アームストロングの、1958年ニューポート・ジャズフェスティバルでのコメント…

「先日、ローマ法王の前で演奏したんだけど、法王がわしに聞くんだよね。お子様はいるんですか? って。でな、いや、まだいません、でも頑張ってます!って答えておいた」(笑) 

同じフェスティバルの記録映画のフィナーレはゴスペルの女王、あの偉大なマヘリア・ジャクソンだった。延々と鳴り止まない拍手を受けての彼女のひとことには笑ってしまった。「なんだかスターになったみたい」(笑)

 僕は、ちょくちょくこちらのパーティーに呼ばれるけど、会場に行く途中、いつもジョークを考えてる。どないやって笑わせたろかいな…。でも、日本で受けるジョークがこちらでまったく受けないこともあります。これは要注意。

僕のジョークで、かなり受けたのをいくつか… 

…皆さん! 英国って、第二の国歌と云っていいエルガーの有名な<威風堂々(いふうどうどう)>(日本のブラスバンドでも必ず演奏される曲)に謳(うた)われているように「ランド・オブ・ホープ・アンド・グローリー(希望と栄光の国)」ですよね。ジャパンはね、世界中のあらゆる食品雑貨(グロッサリー)が、めっちゃあふれている国なんで「ランド・オブ・ホープ・アンド・グロッサリー」でっせ!(笑) 

…僕は、中学生だった14歳の時、父親の部屋で見つけたボトルの中身をこっそり飲んでみたんです。これがめちゃ旨(うま)い!で、それがスコッチウィスキーだと知って以来、僕の血には、スコティッシュ・スピリッツがあると思うようになったんです(笑)。(注:スピリッツは精神と蒸留酒の二つの意味があるんで、スコットランド人の前でこのジョークを云うと必ず受ける。で、初対面の方でも、即、僕に親近感を持ってくれるというオマケが付きます)

…皆さん! 僕は中学一年の一番最初の英語の成績が零点でした(これ、ほんと)。でも、今、僕は英語の国に住んでるんですよ。人の将来ってわからんもんですねえ(笑)。おっと、今笑った方、お宅、ひょっとして、老後は、日本の田舎でボンサイをいじってるかもよ(笑)。(ボンサイは完全に英語になってるけど、こちらの人はボンザイと発音してる)

…キャロラインは、かなり日本語をしゃべりますけど、日本にいた時は<シュッ>の発音が苦手だったんで、出発が<シュウパツ>になったりするんです。で、僕を友人に紹介する時「私のシュジンです」というべきところ「私のシュウジンです」になっちゃうんです。ウマは囚人(しゅうじん)かい?(笑)

英語とは関係ないことだけど、西洋でのテーブルマナー、これは覚えておいた方がいい。ひとことで言うと音をたてない。これに尽きると思う。

こちら英国で、スープ、コーヒー、麺類(めんるい)など、ズズーッと音を立てて召し上がってる日本の方とご一緒したことは何度もある。かなり旅慣れてるリッチな方でもそんな方が多いのには驚きます。

こちらのレストランなどで、くちゃくちゃ音を立てて食べてたら、まわりの人が眉(まゆ)を顰(ひそ)めます。それと人前で爪楊枝(つまようじ)を使わないようにね。僕は、日本では、蕎麦(そば)やうどんなど、音を立てて食べますよ。しかし、マナーの違う土俵(どひょう)の国では、その国のマナーに従って音を立てません。ま、日本でもコーヒーや紅茶は音を立てないけどさ。

たまにこちらの人に言うことがある。

「日本人が麺類を食べる時に音を立てるのは、皆さん方にとってノイズかも知れないけど、日本では美味しく食べるためのサウンドと言っていいかも。特に蕎麦など、音を立てて食べた方が鼻に入る香りが違うんです。だから皆さんが日本に行った時、日本人が麺類を音を立てて食べてるのを見て目くじらを立てないようにね」

ロンドン最大の繁華街(はんかがい)ソーホーに讃岐(さぬき)うどんの店がある。開店前から行列が出来てたんで、わくわくしながら席に着いた。僕以外は全員こちらの方、つまり西洋人です。食べ始めてすぐ気が付いた。全員、お箸(はし)を使ってるけど、音を立てないんや。ズズーッっちゅう音が聞こえないんです。ちょっとぐらい音を立ててもええんやないの?と云いたくなったなあ。

ついでに云うと、外人さんがお箸(はし)を使うのを誉(ほ)める日本人ってけっこういる。

「お箸、お上手(じょうず)ですね」これは止(や)めた方がいい。ハリウッド映画をみてごらん。ジュリア・ロバーツ、マイケル・ダグラス、ジョージ・クルーニー、アン・ハサウェイなど、俳優がお箸を使うシーンは、もうふんだんにある。

映画「ブラックレイン」で、マイケル・ダグラスと高倉健が道頓堀でうどんを立ち食いするシーンがある。もちろんお箸や。

あなたが外人さんに「フォークとナイフを使うのがお上手ですね」と云われたら、どう感じます? フォークもナイフもお箸も、食べる道具という点では同じものなんです。お箸を使うのを誉(ほ)められて喜ぶ外人さんはいません。彼らにとって、お箸は、もう日常のものなんです。

それと、彼らは片言の日本語を喋るたびに褒(ほ)められるんで、もう、へきへきしてますよ。「日本語お上手ですね」もやめときましょう。


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「ウマさん便り」の後日談

2023年03月16日 | ウマさん便り

前回の「南スコットランド・・」は、多くの方々の興味を引いたと見えて、近年にないダントツのアクセスでした。ありがたいことです。

何よりもロマンがありますね~、
そして、お国柄というかイギリス人の飾り気のない奥ゆかしさ・・!

そこで「鉄は熱いうちに・・」と、後日談をご紹介。

まず、ストーリーの中でスポットライトを浴びた明治屋(大阪)さんの「盃」だが、「百聞は一見に如かず」なので、画像をようやく探し当てて「ウマさん」(スコットランド在住)あてに「これで間違いないですか?」と問い合わせたところ、次の画像が送られてきた。



”どんぴしゃり”でした! 私も欲しいです(笑)。

そして、ありがたいことに追加のメール「後日談」がありました。

「実は、とても素敵な後日談があるんです。
 
アンドレアの息子アンディーが、フランス人の恋人ソフィーと僕を訪ねてくれたことがありました。ちなみにアンディーは通常アンドリュースの略ですが、彼の場合、アンドロメダの略だそうです。こんな素晴らしい例外は他にないでしょう。やっぱり爺ちゃんの孫ですね。
以下は、そのアンディーの話です…
 
アンドレアは亡き母の形見のグヮルネリ・デルゲスを、ロンドン・シンフォニーオーケストラで母のルイーズと一緒にヴァイオリンを弾いていたマーガレットに貸与したと言います。

爺さんをよく知るマーガレットは、幼かったアンディーに、しょっちゅうディズニーの「ピノキオ」の挿入歌「星に願いを」を弾いて聴かせたそうです。いい話ですよね。
 
そのアンディが、なんとグリニッジ天文台に勤務していると言うんで、僕は唸ってしまいました。なんちゅう孫や。草葉の陰で爺ちゃん、きっとニッコリしているでしょう。

さらに、アンディーがソフィーと知り合ったのが、パリのデイズニーランドだと言うんで、このファミリーはどこまでファンタジーの世界にいるんだろうと、僕は呆れてしまいました。
 
それと思いがけないことを発見しました。
僕の愛聴盤の一つ、アンドレ・プレヴィン指揮、ロンドンシンフォニーによるラフマニノフの交響曲第2番に、メルヘン爺ちゃんの白雪姫ルイーズが、オーケストラのメンバーとしてヴァイオリンを弾いている可能性が非常に高いんです。いや、そう思いたいですね。

僕のスピーカーから流れてくるオーケストラのヴァイオリンの中に、ルイーズの音が混じっている…」

いやはや、「縁は異なもの・・」といいますか~。

次に、(メルヘン爺ちゃんの)星の観測時のBGM「ピアノソナタ」(モーツァルト)について。

この、ブツブツとつぶやく「独り言」に「ふ~ん、そうかそうか」と付き合いだしてから軽く40年にはなりますが、いまだに飽きがこず汲めども汲めども尽きせぬ泉のように水がこんこんと湧いてくる印象です。一度嵌ってしまうと病み付きになる音楽ですよ・・、これは。

      

次に、メル友の「I」さん(東海地方)から次のメールをいただいた。

「今日のウマさん便り興味深く拝見しました。

ヒュー爺さんはヒューム元首相なんじゃないか? と思いながら読んでいましたが、年齢が合わないかな? と・・・そういう方だったんだ!

MG-Bが出てきましたね。

この車は私が〇〇保健所で精神保健の業務に付いていた頃、〇の精神保健センターにいらっしゃった鈴木さんという先輩の愛車でした。

サスが弱くて乗り心地が悪く、雨漏りもするで、苦労されていました(笑)。しかし。 佇まいは最高でした。

鈴木さん(スーさん)は一回り年上の方で、私は凄く可愛がってもらいました。

テニスやスキーそしてワインの手ほどきを受けましたが、テニスは最後までかないませんでした。

10年ほど前に肺がんで亡くなられました。70歳前半という若さでした。

自宅療されている時に、電話で良く話をしましたが、人に心配をさせない方で、私は電話を切った後、落涙したものです。

スーさんはクラシックファンで、もちろんモーツアルトの話も良く聞きました。

「Iさん、弦楽五重奏第〇番の第〇楽章の出だしのここが、「天使の声が聴こえると」〇〇が表現したんだよ」

と言われましたが、いい加減な私は、〇及び〇〇の部分を覚えておりません。

もし、ご存じでしたら教えていただけませんか?」

というわけで、まず、「MG-B」について。



不覚にも名前と姿が一致しなかったが、このクルマなら見たことがあります・・。フロント部分が旧型「ジャガー」に似てますね。このクルマが「盃」と交換ですかあ!


次にモーツァルトの弦楽五重奏曲について。

実は「カルテット」と「クインテット」の区別が判然としなかったので確認しました(笑)。

前者が「四重奏」のことで構成は「ヴァイオリンが2、ヴィオラが1、チェロが1」、後者の「五重奏」では「ヴァイオリンが2、ヴィオラが2or1、チェロが1or2」。

ヴァイオリンがヴィオラやチェロに対抗するためには2挺要るというわけですかね。

手持ちのCDがこれです。弦楽五重奏曲の第3番と第4番(ヨゼフ・スークとスメタナ・カルテット)



「ライナーノート」には、こうありました。

「モーツァルトの弦楽五重奏曲はすべてヴィオラ2挺の編成で、チェロ2挺のものは1曲も書かれなかった。これにはさまざまな理由を考えてみることが可能であろうが、まず一つにはチェロを2挺にして、低音部を重くすることは必ずしも彼の音楽的趣味に適うものではなかったと思われる。彼の音楽はどんな場合にも低音は明快でなくてはならない」

よく分かりますよ~。「天馬空を駆ける」ような軽快な音楽が彼の持ち味なので、低音部が重たいと話になりませんからね。システムだって・・。

おっと、また余計なことを口走りそうに~、危ない、危ない(笑)。


さて、「I」さんの想い出「天使の声」に該当するかどうかわかりませんが、久しぶりにこのCDを聴いて「3番 K515の第二楽章」「4番 K516の第三楽章」の冒頭部が琴線に触れて思わず涙しました!

さっそく、その旨「I」さんにご連絡すると、たまたま同じCDを持っておられて
私も、このCDを聴き返しました。いい音楽ですね。天使の声として、ひとつを選ぶとしたら、第4番の第3楽章ですかね・・・」

K(ケッヘル)の500番代といえば、ほかにもディヴェルティメントK563があって、名曲ぞろいですね。

最後に「ウマさん、これからもおもろい話をぎょーさん頼んまっせえ~」(笑)。



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南スコットランドからの「ウマさん便り」~2023・3・14~

2023年03月14日 | ウマさん便り

「メルヘン爺ちゃんと星とモーツァルト」

時々、うちの近辺ののどかな田舎道(いなかみち)を、犬のクリを連れて散歩する。

途中、小高(こだか)い丘に緩(ゆる)やかに登っていく脇道がある。その丘の上からの風景が絶景でね、はるか下に見下ろす我がアラントンハウスが立派なお城に見えないことはない。その丘に、僕がメルヘンハウスと呼んでいる家がある… 

放(はな)し飼(が)いのニワトリが十数匹ウロウロしているその家の前を通るたびに、しげしげとその家を眺(なが)めてしまう…

だってな、ディズニーの白雪姫(しらゆきひめ)に出てくる七人の小人のお人形さんたちが、西部劇に出てくるワゴンホィールなどと共に、そこらに飾(かざ)ってあるのよ。誰が見ても、ちょっと普通じゃないこの家、まさにメルヘンハウスなんや。

陶器で出来た、その大きな?七人の小人さんたち、皆さんニコニコと、そこにいるのがとても幸せそうなのよ。白雪姫はどこや?

クリスマスの季節になると、我が家からも、そのメルヘンハウスのロマンチックなイルミネーションのカラフルな光が見えるんや。丘の上に、夢見るようにキラキラと輝いて… 

いつだったか、雪が降ったあとの月明(つきあ)かりで、あたり一面の雪がキラキラと光るクリスマスイブの宵(よい)、丘の上のメルヘンハウスを、うちのリビングルームから見上げていた僕は、雪面に輝くそのイルミネーションのあまりの幻想的な美しさに、これはファンタジーの世界やと見惚(みほ)れてしまった。

で、ふと、あの七人の小人たちに思いを馳(は)せ、思わず「白雪姫(しらゆきひめ)(スノーホワイト)はどこや?」と呟(つぶや)いてしまった。そしたらアンタ、僕の脇でワインを呑んでいた女房のキャロラインがな「…ここにいる…」やと。

彼女って、めったに冗談を云わない真面目(まじめ)な方なんで、思わず吹き出してしもたがな。ワインで、エエ気分になってはったんやろね。ま、クリスマスイブやし…結構(けっこう)けっこう… 

それはさておき、このメルヘンハウス…どんな人が住んでるんやろ? そう思うのは当然だよね。

ある日、クリを連れての散歩の途中、そのメルヘンハウスの前にさしかかったら、ヨボヨボの小さな犬が出てきて我々を歓迎してくれた。

その犬、歩くのもよたよた、右に左にフラフラ、かなりのお歳やないか。その直後、家の中から「メグ!メグ!」と叫ぶ声があり、その犬メグの飼(か)い主(ぬし)が家から出てきはった。

年のころ80歳ぐらいやろか。メグもとてもきれいな犬とは云えないけど、その爺ちゃんの格好(かっこう)も、もうヨレヨレ。ところどころ破(やぶ)れたキルティングのジャンパーを着たその姿、まるでホームレスや。首に、なにやらペンダントみたいなものをぶら下げてはるけど、もちろん、ぜんぜん似合(にあ)ってない。


そう、メルヘンハウスの主(ぬし)に、やっと会えたのよ。 

その爺ちゃん、僕を一瞥(いちべつ)するや、ややぶっきらぼうに

「今、お茶淹(い)れたとこやから家に入っといで」と、人の返事も聞かずにメグを連れて家に入ってしまいはった。仕方がないから、彼のあとから家に入った。

ウ~ム…この人がメルヘン爺ちゃんか? でも、イメージがちょっとなあ?

家の中は、メルヘンチックな外観と違い、かなり重厚(じゅうこう)な造(つく)りで、そのリビングルームのロッキングチェアに腰を下ろし、暖炉(だんろ)の前でお茶をごちそうになった。

棚(たな)にかなりの数のウィスキーボトルがあったんで、しげしげとそれらに見とれていると「君、ウィスキー呑(の)むか?」返事も待たずにグラスに注(つ)いでくれてはる。  

挨拶も自己紹介もなし。けったいな人や。

で、このメルヘン爺ちゃん、自分もウィスキーをひとくち飲み、やっと僕に質問しはった。近隣では唯一(ゆいいつ)の東洋人と言っていい僕に「どこから来た?」とは聞かず「どこに住んでる?」…アラントンと答えると「ああアラントンか!」と、膝(ひざ)を叩(たた)いてニコニコ…。やっとニコッとしはったんで、やや安心した。  

これが、ヒュー爺ちゃんと僕との出逢(であ)いだった。 

この爺ちゃんな、ニコッとすると顔が変わるんや。やや無骨(ぶこつ)な顔が、途端(とたん)にめちゃ可愛(かわい)い顔になる。もう満面(まんめん)の笑(え)みで顔はしわくちゃ。裏(うら)おもてゼロ! まさにメルヘン爺ちゃんや。格好はホームレスやけどさ。しかし、あのペンダントは似合わんなあ。 

以後、毎週のように自分とこでとれた新鮮な卵を届けてくれるようになった。挨拶なしでアラントンの玄関に卵のパックを置いていきはるのよ。放(はな)し飼(が)いのニワトリのその卵、もう、スーパーの卵とは黄身(きみ)の色からして違うし味もぜんぜん違う。

ある日、たまたま、アラントンの玄関で、初めて爺ちゃんに会ったキャロラインが、日頃の卵のお礼を言った時、ちょっと慌(あわ)てた様子(ようす)の爺ちゃんの返事にはずっこけてしもた。

「いやな、うちのニワトリどもがな、卵をアラントンに持っていけ!云うとるもんでな」人に恩を売らない洒落(しゃれ)た言い方だよね。好きやなあこんな人。 

彼、ヒュー爺ちゃんがうちに卵を届けるのに乗ってくる車、これが超ブリティッシュなんです。今から半世紀ほど前のMG–B、かつての英国を代表するスポーツカー、今や骨董品(こっとうひん)と云ってもいい車や。自動車少年だった僕にとっても、かつての憧(あこが)れの車やった。

ある日、近所の街道(かいどう)で、爺ちゃんが乗るブリティッシュグリーンのMG–Bを見かけ、そのうしろを走ったことがあったけど、爺ちゃんの運転、もうフラフラ…

アカン、爺ちゃん、もう、運転やめなはれと云いたくなった。 

さて、ちょっと話がそれるけど、大阪市阿倍野区の、チンチン電車が走る通(とお)り沿(ぞ)いにある居酒屋・明治屋は、僕が大学浪人時代に通(かよ)い出した居酒屋であり、大阪で一番古い居酒屋でもあった。この店、今でも僕の最愛の居酒屋なんだよね。

居酒屋ってさあ、インテリアを民芸調にしたりして、わざと古い雰囲気を作る店がけっこうあるけど、この明治屋はね、そんなことをしなくても、そもそもとても古い。サムライが現れそうな雰囲気なんや。 

かなり以前のことやけど、僕がスコットランドに移住すると知ったこの店の御主人、松本さんが「うちを忘れんといてください」と、明治屋のおちょこ、つまり、さかずきを僕にくださった。

お酒を呑(の)むのにこんなに相応(ふさわ)しいさかずきはちょっとない。唇(くちびる)に当たる部分の、そのカーブが絶妙なんや。

今でも、お酒を呑むのに僕が一番好きなのが、この明治屋のおちょこなのよ。松本さんにいただいた、この明治屋のさかずきは、僕にとって、お酒を美味(おい)しく呑(の)めるこの上ない器(うつわ)であり、さらに、地球の裏側スコットランドで、大阪はアベノの、あの懐かしい明治屋を思い出させてくれる、とても大切
な道具となった。 

さてさて、ある日、ヒュー爺ちゃんが、週末の午後かなり遅くに卵を届けにうちにやって来た。

「爺ちゃん、きょうはうちに泊(と)まっていかない? 日本から上等のお酒が届いたんや。いっしょに呑もうよ」

ヒュー爺ちゃん、めちゃ喜びはった。かねてより日本のお酒には興味を持っていたとおっしゃる。が、ちょっとした異変(いへん)があった…

 ヒュー爺ちゃん、例の明治屋のおちょこに痛く興味を示し「こんなの初めて見た。素晴らしい! これ、わしにちょうだい」やと。

「アカン! 爺ちゃん、これ、僕にとって、想い出深い大阪の明治屋のさかずきやねん」…そしたら爺ちゃん「わしの車と交換しよう」やと。

冗談やと思ったら、彼、久しぶりにロンドンから彼の家に来てるという娘さんに電話して

「ウマにわしの車をあげることにしたから、明日(あした)の朝、迎えに来て」だって。

冗談やなく本気なのよ。ビックリした。 

で、翌朝、迎えに来た娘さんのアンドレアが云った。

「もう運転はやめてって何度も云ってきたので、ちょうどいい機会だわ」

…やっぱりな…

そんなわけで、かつての英国を代表するスポーツカーMG–Bをいただいたのでございます、明治屋のさかずきと交換でな。

明治屋のさかずきを手にした爺ちゃん、もう、満面の笑みで

「ウマ、これ、わしの宝もんや」

ま、そもそも、さかずきなんてもんがないスコットランドの田舎(いなか)やけどさあ。

でも、おちょことスポーツカーを交換した人間なんて、世界中探してもおらんやろ。で、この話、明治屋の御主人、松本さんに言ったらきっと驚くやろなあ。  

日本に行く機会があれば、明治屋に寄って、松本さんに事の顛末(てんまつ)を報告し、厚(あつ)かましくも再度さかずきをいただこうかな。 

爺ちゃん宅では、いつも、リビングやキッチンで呑(の)んでたけど、ある日、二階の彼の書斎(しょさい)で呑んだことがあった。いやあ、もう、びっくりしてしまった。

重厚(じゅうこう)な書斎の壁二面すべてが本棚(ほんだな)で膨大(ぼうだい)な数の本がぎっしり。さらに、たくさんのLPレコードと立派なオーディオシステムがある。

しかし、特に僕の目を引いたのは、ガラスケースの中に立ててあるヴァイオリンだった… 

「このヴァイオリン、爺ちゃんの?」

「いや、亡くなった女房のもんで、デルゲスっちゅうヴァイオリンや」

「えーっ? デルゲスって、まさか、グワァルネリのデルゲス?」

「なに? ウマはグワァルネリを知ってるんか?!」

「ストラディバリウスと並ぶヴァイオリンの名器でしょ」

爺ちゃんは遠くを見つめるように呟いた…

「ロンドンに住んでた時、女房はロンドンフィルのメンバーやった…」 

「爺ちゃんはどんなレコードを聴くの?」

「ほとんどモーツァルトや…」

英国を代表するタンノイの12インチのスピーカー、それに、かつて僕も使っていた、やはり英国のクォードのアンプ。嬉しい組み合わせやないか。ところが、レコードプレーヤーがドイツのデュアルのオートチェンジャーなんや。どうして?  

その理由はすぐに分かった… 

その書斎の南側は全面ガラス…、その外側には広いデッキがある。そこに、電動で屋根が大きく開閉(かいへい)するサンルームがあるんやけど、なんと、そこに、めちゃデッカイ反射望遠鏡があるのには、まあ驚いた。その直径50センチはある巨大な反射望遠鏡の周(まわ)りには、なにやらおびただしい数の観測機器らしいものまである。まるで天文台(てんもんだい)やないかここは。 

本やオーディオ、それにグワァルネリのデルゲスに目を見張り、さらに、まるで天文台みたいな設備に目を丸くしている僕に…

「星を観(み)るためにここに引っ越してきたんや…ここで、モーツァルトを聴きながら星を見ている時間が最高なんや。しかし、星に魅入ってる時はレコードプレーヤーのことは忘れてしまう」…そうか、だからオートチェンジャーなんやね。

「ブラームスやシューベルトもいいが、やっぱりモーツァルトがいい。特にヴァイオリンソナタやピアノソナタが星の観測には一番ふさわしい…」 

天気の良い日、うちアラントンの夜空は素晴らしい。女房のキャロラインは、冬の我が家の庭で二回オーロラを観ている。銀河(ぎんが)も天(あま)の川(がわ)も、手が届きそうな位置にくっきりはっきりと見えるし、アンドロメダ星雲も、うっすらだけど肉眼で見える。だから丘の上やったら、なおさら星空がきれいやろなあ。

きれいな空気、澄(す)んだ空、しかも丘の上…、なるほど、ここやったら星を観測するのに最高や。モーツァルトを聴きながら星を観察するヒュー爺ちゃんって、なんかロマンチックで素敵だよね。そう、やっぱりメルヘン爺ちゃんやなあ…格好はホームレスやけど…

しかし、何年かあと、彼の一人娘(ひとりむすめ)のアンドレアから、爺ちゃんの経歴を聞いたときはビックリした… 

さて、時が流れ… 

彼、ヒュー爺ちゃんが亡くなった時は、ちょっと、いや、かなり寂しかったね。明治屋のおちょこは、棺(ひつぎ)の中に入れ、彼と一緒に埋葬してもらった。 

葬儀ではめちゃ驚いた。その参列者の多さにびっくりしてしもた。もう、おびただしい数の人々が、ロンドンその他の英国、そしてヨーロッパはもちろん、なんとアメリカからもおおぜい来ておられたんで目を丸くしてしまった。ヒュー爺ちゃんって、いったい何をしてた人なんや?  

教会では幾人もの方が故人を偲ぶスピーチをしたけど、その間、ずっとピアニストがモーツァルトのソナタを演奏していた。 

ロンドンから来ていた娘のアンドレアが、遺品(いひん)整理の最中、アラントンに寄ってくれた。そして、彼女の話には、まあ、びっくりしてしまった。

あの飄々(ひょうひょう)としたヒュー爺ちゃん…、家の周(まわ)りをディズニーのキャラクターで飾り、クリスマスには、遠くからも見えるファンタジックなイルミネーションで村の人々を楽しませた、あのメルヘン爺ちゃん、モーツァルトのソナタを聴きながら星を見ていたメルヘン爺ちゃん…

なんと、かつて、オックスフォードやケンブリッジ大学、さらにハーバード大学や、あの名門MITで、天文学や気象学を教えた博士やったという。しかも、NASA、つまり、アメリカ航空宇宙局の顧問(こもん)もしていたというから驚きや。

1969年、人類が初めて月に降り立った時の地球の気象分析も彼がしたと言う。 

いやあ、もう、びっくり。失礼ながら、元大学教授で博士だったとはとても思えないぐらい飄々(ひょうひょう)かつ剽軽(ひょうきん)な人柄だったんで、ほんまかいな?と思ってしもたがな。しかも、いつも、これ以上ないヨレヨレのホームレスみたいな格好(かっこう)やし…

だけど、不思議なのはあのペンダントや。なんなのアレ? 

ま、それはともかく、僕はちょっと考え込んでしまった…

過去を人に語らず、さらに過去を振り返らない人間って、なんて素敵(すてき)なんやろ。メルヘン爺ちゃん、格好はホームレスみたいな爺ちゃん。モーツァルトを聴きながら星を観察したメルヘン爺ちゃん…実は、めちゃカッコええ人やないか。 

あの大きな反射望遠鏡を、ダンフリーズの天文観測クラブに寄贈するなど、一か月近くかかって遺品整理を終えたアンドレアが、アラントンに挨拶に来た。

彼女は、爺ちゃんの遺品として、十数本の貴重なモルトウィスキー、それにモーツァルトのレコード十数枚と共に、彼の著書を一冊置いていった。

その本のタイトルが「宇宙のファンタジー」…爺ちゃん自身の撮影によるロマンチックな星の数々…さらに、爺ちゃんの手によるパステル画に添えられた詩はメルヘンそのもの。まさにファンタジーの世界や。ヒュー爺ちゃんって、そう、やっぱり、七人の小人のお友達に相応(ふさわ)しい方やったんやね。 

アンドレアが云った… 

「母のルイーズは、私を出産した直後に亡くなったんです。だから私は母の顔を写真でしか知りません。以来、父は、その母の写真をペンダントに入れて肌身離(はだみはな)さずもっていました…そして、父はずっと独身を通しました…」 

そうか…メルヘン爺ちゃんの白雪姫って…奥さんのルイーズさんだったんや…

(合掌)

(註 ブログ主より)

言わずもがなですが・・。

星の観測のBGMとして「ヴァイオリンソナタ」と「ピアノソナタ」が適しているのは何だか「腑に落ちます」。

この二つのジャンルはモーツァルトの膨大な作品群の中でやや異質です。聴衆を意識しておらず、自己の内部に深く沈潜した「独り言」のような趣があります。

「独り言」にいちいち返事する必要はなく聞き流しておけばよいので、ほかの作業に没頭するのにこのくらい適した音楽は無いでしょう。


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