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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

「読み信じて指せた」 防衛の里見女流王位 就位式

2021-09-17 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/17 05:00
 将棋の第32期女流王位戦(北海道新聞社主催)で防衛を果たした里見香奈女流王位(29)=清麗、女流名人、倉敷藤花=の就位式が16日、東京都千代田区のフランス料理店「日比谷パレス」で開かれた。女流タイトル通算獲得数を単独最多の44期とした今期の5番勝負を「終盤が難しかったが、自分の読みを信じて指せたことが結果につながった」と振り返った。
 新型コロナウイルス禍の中、東京と大阪の将棋会館のみで行われた前期と異なり、今期は札幌での第2局を含めて全国を転戦。タイトル初挑戦の山根ことみ女流二段(23)を3連勝で下し、女流王位通算7期獲得とした。
 日本将棋連盟の佐藤康光会長、日本女子プロ将棋協会の中倉宏美代表理事がそれぞれ就位状を授与。里見女流王位は「将棋ができる喜びを実感した。いい緊張感の下で対局するという貴重な経験をさせていただいた」とあいさつした。
 里見女流王位には、北海道新聞社から賞金のほか、日高管内平取町のアイヌ工芸作家・貝沢徹さんの「樹布(じゅふ)イタ」(盆)が記念品として贈られた。
 昨年に引き続き祝賀パーティーは中止され、就位状の授与のみが行われた。
(大原智也)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/590090

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「スッキリ」で圧巻のアイヌ民族舞踊紹介 加藤浩次「文化の多様性の大事さ分かった」

2021-09-17 | アイヌ民族関連
デイリースポーツ 9/16(木) 9:57配信
 日本テレビ系「スッキリ」で16日、アイヌ民族の舞踊パフォーマンスを紹介した。
 番組では東京五輪開催中の8月7日に札幌で行われたアイヌ民族の舞踊パフォーマンスの様子を放送し、総監督の秋辺デボ氏が踊りの持つ意味を解説。「アイヌ民族は自然と共生して仲良く暮らしてきました。それは自然に生かされているということをよく分かっていた平和主義です。ですからオリンピックの平和憲章と同じ根っこがあると思っている」と語り、最後に「全道から沢山の民族が集まって、世界に発信するアイヌ民族の心を伝えたい」と、今回の踊りに込めた思いも語った。
 圧巻の舞踊をVTRで見た加藤浩次は「世界では文化の多様性を大切にしましょうっていうのが大きな流れになっているが、6年間の練習、地域で踊りも違ってて衣装も違って、それをまとめ上げて練習してきたのが分かりますし、こういうパフォーマンスを見ると文化の多様性の大事さが分かった」と感心しきりだった。
 番組では今後もアイヌ民族の文化を伝える企画を放送していくという。
 「スッキリ」では、3月12日放送でアイヌ民族を描くドキュメンタリーを紹介したお笑い芸人の発言が問題となり、放送倫理・番組向上機構の放送倫理委員会は7月に「差別表現を含んだもの」と放送倫理違反があったとする意見書を公表した。それを受け、8月26日の「スッキリ」放送で問題の検証を放送し、経緯や再発防止策などを発表していた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/31375acdc37c25fd2a47a730ef7fa40b32e28997

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アイヌ文化伝える作品展 胎内市美術館で開催

2021-09-17 | アイヌ民族関連
北陸・信越観光ナビ 2021/09/16 11:49

アイヌ民族の儀式や生活を描いた中野雅友さんの作品展=胎内市下赤谷
 新潟県胎内市下赤谷の市美術館で、アイヌ民族を長年描き続けてきた洋画家・中野雅友さん(74)=新潟市中央区=の作品展が開かれている。アイヌの生活を描いた代表作をはじめ、衣服や楽器などが並び、アイヌの文化を感じることができる。
 中野さんは小学生の頃、北海道函館市に約1年間住み、アイヌの暮らしに魅了された。アイヌをテーマに約55年にわたり絵を描き続けてきた。
 会場には、アイヌの儀式や収穫の神とされるフクロウ、雪の中で猟に出る姿など56点の作品が並ぶ。中野さんがインスピレーションを得て描いた初期作品と、資料や取材を基に描き上げた近年の作品の違いも鑑賞できる。中野さんが集めたアイヌ民族の衣服や楽器、儀礼で使う道具なども展示されている。
 中野さんは「アイヌの自然と仲よく生きた文化が大好き。絵を描かせるエネルギーがアイヌにはある」と話した。
 11月4日まで。月曜休み。大人300円、小中学生150円、小学生未満は無料。
https://news.goo.ne.jp/article/hokurikushinkansen/region/hokurikushinkansen-NEWS0000028655.html

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幕末以降の近代史を“学び”を切り口に読み解く『学びの歴史像―わたりあう近代―』開催

2021-09-17 | アイヌ民族関連
ぴあ 9/16(木) 18:14配信
人々は何をどのように学んできたのか? 19世紀後半以降、日本列島に近代国民国家が成立していく様相を、“学び”の視点から紐解く展覧会『学びの歴史像―わたりあう近代―』が、10月12日(火)より千葉・国立歴史民俗博物館にて開催される。
同展では、幕末から明治という怒涛の流れの中にあった「学び」の姿を、対外関係史、文化史、経済史、医療・衛生史、アイヌ史など、さまざまな切り口から読み解いていく。アイヌ民族の歴史や言葉、首里や八重山の近代関係資料など、全国各地の資料を一堂に公開するほか《ブラントン日本図》や《元ト昌平阪聖堂ニ於テ博覧会図》など初公開の資料も含め、歴博の豊富な館蔵資料も紹介。さらに私たちにはなじみのない、初代の「君が代」のメロディなどを紹介する“聴く展示”もある。
伝統と近代、欧米とアジア、中央と周縁、強者と弱者など、教育や学知を通じて「国民」が生み出されていく過程を多面的に明らかにしながら、近代における“学び”の意義を考える。
【開催概要】
企画展示『学びの歴史像―わたりあう近代―』
会期:2021年10月12日(火)~12月12日(日)
会場:国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B(https://www.rekihaku.ac.jp/)
時間:9:30~16:30(入館は16:00まで)
休館日:月曜日(休日にあたる場合は開館し、翌日休館)
料金:一般1,000円、大学生500円
※会期中展示替えあり
※半券の提示で当日に限りくらしの植物苑に入場可
※開館日・開館時間を変更する場合があり
※土日祝、12月7日(火)~12月12日(日)はオンラインによる事前予約制
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e296bf7ecf37ab7d47c788c60311403d688e0bf

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オーストラリア日系ハーフの生き方から見えてくる、多文化に生きるためのヒント

2021-09-17 | 先住民族関連
GLOBE+2021年09月15日07時00分
「ハーフィー」の国 オーストラリアで考えた(前編)
シドニー特派員としての仕事を7月末に終えた。オーストラリア(豪州)で暮らした4年余り、現地の日本人と付き合っていて、ふと気づいたことがある。企業の駐在員とは違う、永住者の家族が思いのほかたくさんいるのだ。調べてみると、そうした日本人とオーストラリア人との間に生まれた子どもたちは数万人にも達するようだ。ここは、世界でも有数の「日系ハーフ」が住む国と言えそうだ。
英国系の「白人の国」という古いイメージから大きく変わりつつある豪州。若いハーフの彼らは、自らのアイデンティティーをどう感じ、生きているのだろう。その心の内をのぞいてみれば、移民問題や多文化共生に戸惑う日本社会にも、何らかのヒントが見えてくるのではないか。任期の最終盤に若者たちを訪ね、共に考えた。(小暮哲夫、文中敬称略)
■わたしは何者? 若者たちが語る
そもそも、日系ハーフの人たちは、豪州に何人いるのか。その数を調べた統計はないが、手がかりを見つけた。日本の外務省の海外在留邦人数調査統計によると、2019年10月現在で豪州に住む日本人は10万3千人あまり。米国と中国に次いで国別で3位だ。そのうち、企業の駐在員や留学生のような長期滞在者ではなく、永住者に限ると、約5万9千人。これは米国の次に多い。
豪州の国勢調査(16年)も調べてみると、「日本生まれ」と答えた人は約4万2千人。「母が日本生まれ」は約6万人、「父が日本生まれ」が約4万4千人いた。
永住者の子の多くが彼らと考えれば、その数は数万人になるとみられる。これはおそらく、日本国外では屈指の多さだ。しかも、彼らは日系人社会の第2世代で、3〜6世代までいる米国やブラジルなどと比べても新しい。
最近、民族や人種が違う両親から生まれた人たちは「ダブル」「ミックス」とも呼ばれるが、豪州では「ハーフ」に、ネガティブな響きはあまりない。若者たちが自ら「ハーフィー(Halfie)」と、くだけた感じで呼ぶこともある。単に「日系」と言われることも多い。
ちなみに、今夏の東京五輪にも豪代表で出場している。母方に日本のルーツがあるBMXレースのサヤ・サカキバラ(22)や、父が日本生まれの重量挙げのエリカ・ヤマサキ(34)らだ。
東京五輪のBMXレーシングに出場後、取材に応じるサヤ・サカキバラ=7月29日、北村玲奈撮影
そんな彼らに5〜7月、シドニーでじっくり話を聞くことができた。
■「ハワイアンじゃなかったの?」
「どこから来たの?」
地元の博物館に勤めるステラ・パルマー(25)は、この問いをこれまでの人生で幾度となく耳にしてきた。
ワーキングホリデーでシドニーに暮らしていた日本人の母が英国系のオーストラリア人の父と出会い、ステラが生まれた。ミドルネームのツバサ(翼)はふだん使わない。名前だけなら「白人」のようだけど、外見は少し違うから、「どこ?」と相手が当てようとすることもある。この種の質問、豪州では民族・文化的なルーツを尋ねる意味であることが多い。時に差別的なニュアンスを含むが、「友達の一人は、私をずっとハワイアンだと思っていた」とステラは笑う。
シドニー中西部の小学校時代、英語が母語でない子ども向けのESL(第2言語としての英語)のクラスに入れられたことがある。先生が外見から間違えたのだ。「今は笑い話だけど、当時は戸惑った。私はこの国で生まれ、オーストラリア人のアクセントの英語を話すから」
でも、学校で差別を感じたことはほとんどない。アジア系や太平洋の島国の出身など白人でない子が多数派で、みな自らの民族的な背景をオープンに話した。
ステラ・パルマー=シドニー、小暮哲夫撮影
中高で通ったシドニー北部の学校は生徒の8割が白人だった。日系だと言うと、クラスメートからは「クールでファッショナブルだと思われた」。街ですれ違いざまに、見知らぬ人に差別的な表現で「中国人」と言われても、気にしなかった。
ただ、アイデンティティーはいつも揺れていた。母の実家がある東京に行けば、「白人」と見られ、「金髪で青い目が美しい、とすり込まれてもいた」。でも、中高生になると、級友と比べ「どうして自分の髪は黒くて、目の色も体形も違うんだろう」と思った。
母に日本語で話しかけられ、「私はオーストラリア人よ」と反発して英語で返したことも。アイデンティティーを「白か黒か、二分法で考えていた」。
ハーフという自分を自然に受け止められるようになったのは、大人になってからだ。「自分は二つの文化を持つハイブリッドで、すばらしいことだ、と今は言える。昨日の夕食は、母が作ったおでんだったから、今日はとても幸せ」
反対に、「自分は、どこから来たの?とはあまり聞かれない」と話したのは、公務員のデックラン・フレミング(22)だ。母は日本人で父は白人のオーストラリア人だが、「外見からみな自分をアジア系だと思うから。自分のアイデンティティーは、と尋ねられたら、シンプルにオーストラリア人が半分、日本人が半分と答える」。自然体な様子が印象的だった。
デックラン・フレミング=シドニー、小暮哲夫撮影
日系ハーフだから嫌な思いをしたという経験はあまりない。思い出すとすれば、小学校で日本の捕鯨が話題に出たとき。豪州は強硬な反捕鯨国。同級生たちが「自分のことを変な目で見た」。
アジア系とみられるとき、数がはるかに多い中国系とみられることが多い。尋ねられて、日系だというと相手の態度が変わる。日本のポップカルチャーの印象がよく、関心を持ってくれるようだ。「でも、中国系の人たちに対してすまない気持ちになる」と話した。
■「中間点」でバランスを取る
シドニーの大学に通うトム・ディッキンソン(24)は、187センチの長身で、法学部で学ぶかたわらラグビーなども好むスポーツマンだ。彫りが深い顔立ちで一見、アジア系とは思えない。
父は英国生まれの移民で、豪州で育った。日本で英語講師をしていて母と知り合い結婚、トムが生まれた。生後3カ月でシドニーに移り住んだトムは、子どものころ日豪英3カ国のパスポートを持っていた。
今は豪英の二つになったけれど、トムは言う。「自分はまず第1にオーストラリア人。そして日本にルーツを持つ。英国のルーツもあるが日本寄りだと思う」
トム・ディッキンソン=シドニー、小暮哲夫撮影
毎年、学校の長期休みに母の実家に里帰りし、地元の小中学校にも通った。学校の玄関で靴を脱ぐ。掃除の時間がある。豪州との違いを感じた。目上の人に敬意を表す文化や、人との間に一定のスペースを保つ振る舞いが身についた。
だからなのか、今付き合っている彼女から、「こんな人に会ったことがない」と言われる。「日本語で言えば、こんな『マジメ』な人はいないと」。こんなに清潔で、整理整頓できる人は豪州にはあまりいないという意味だ。
だけど、父からの影響も自覚している。「豪州はもっと自由で平等を重んじる。自分は、この(日豪の)二つの中間点でバランスを取ってきた」
住みやすいのは豪社会だと思う。「見た目や話し方から、におい、着ているものまで、何も心配することはないから」
■親は「ワーホリ」世代
彼らの親世代が豪州に移住した大きな契機の一つが、ワーキングホリデー(ワーホリ)だ。日本が1980年に初めて協定を結んだのが豪州で、今でも最も人気の渡航先だ。新型コロナウイルスの感染防止のために外国人の入国が制限される前は、毎年8千〜9千人の日本人が滞在していた。
94年からワーホリの仲介支援業を営むアイエス留学(シドニー)の社長、田中和弘(55)によると、90年代はハングリー精神のある若者が多く、広大な豪州を何カ月も車やバイク、自転車で旅する「ラウンド」が人気だったという。
シドニー五輪があった2000年以降は豪州への注目が高まり、人数も右肩上がり。休学して来る学生が目立ち始めたのが05年ごろで、10年以降は現地企業でのインターンの希望が増えた。
他方、どの時代も日本での環境に居心地の悪さを感じてリセットしたいと来る人がいた。1〜3年間の滞在後、一部は移住を選ぶ。結婚相手を見つける人も珍しくない。「パートナービザはどう取れますか」。こんな相談をコロナ前は毎週のように受けていた、と田中は言う。
豪クイーンズランド大学で豪州の日系ハーフを研究しているイーファ・ウィルキンソン(23)は、18〜29歳の20人以上への聞き取りから、典型的な人物像を次のように分析する。
オーストラリア人の父と永住者の日本人の母の間に生まれ、子どものころは1、2年に1度、母の一時帰国で日本に行き、滞在中に日本の小中学校に通う場合もある。日本語は、家で母親と交わす日常会話程度はできるが、漢字が壁になる。周囲からの「日系」へのポジティブな受け止めを認識すると同時に、多くが自身をアジア系オーストラリア人、ともとらえている――。まさに、私が話を聞いた若者たちと重なる部分が多い。
ウィルキンソンは、都市部での非白人の増加や多文化社会の大切さを教える学校での教育が「ハーフたちが受け入れられる助けになっている」と指摘する。
■「完全な日本人」にはなれない
彼らの目に日本社会はどう映るのか。日豪の両方で暮らしたことのあるエンダ・セヤマ=ヘネガン(25)は言う。「日本では、日本語を話し、歴史やあらゆる文化行事も知っていないと、日本人として認められないように感じる。自分は全部の項目にチェックを入れられないから、『私はハーフ』という感じです」
エンダ・セヤマ=ヘネガン=シドニー、小暮哲夫撮影
英国人の父と日本人の母を持つ。5歳のとき東京からシドニーに移り住み、豪国籍を得た。中心部に近い小学校の級友たちはアジア系から中東系、先住民(アボリジナルピープル)、欧州系までいて、他人との「違い」は当然だった。
中高時代は父の仕事で再び日本へ。インターナショナルスクールに通いながら、多感な時期を東京で過ごした。友達と英語で話していたからか、街を歩けば自然と目立った。「かわいい」「脚が長いね」とほめられた。電車の中ではものを食べない、といった豪州と違うマナーを意識して守った。でも、常にこう感じていた。「自分は完全に日本人にはなれないだろう」
大学の進学先はシドニーを選び、単身で戻ってきた。豪州の方が快適だなと思った。大学の寮では、様々な背景を持つ人たちが住んでいた。
建築関連のエンジニアになった今、日本で身についた「勤勉さや、細心の注意を払う姿勢は役に立っている」と思う。
それでも、とエンダは言う。「自分は何者か。その答えは、いつまでも見つからないと思う。半分が日本人、半分が英国人、でも、オーストラリア国民です」(つづく)
【つづきを読む】ハーフが特別でないオーストラリア、昔は違った 先輩たちが語る差別体験
■移民を成長の原動力に
先住民が住んでいた豪大陸に英国から入植を始めたのは1788年。豪連邦が成立した1901年、政府は非白人の移民を排除する白豪主義を採用した。
英国系中心の白人国家、という姿は第2次大戦後に変わり始める。背景には経済的な事情があった。このとき、人口は約750万人。戦後の成長に労働力が必要で、50年代初めにかけて東欧や西欧に移民を求めた。
60年代にかけては南欧のイタリアやギリシャから受け入れた。彼らは「ウォグ(wog)」と差別的に呼ばれもした。
一方、日本から豪州への移民の歴史は戦前にさかのぼる。19世紀後半から20世紀前半にかけて真珠貝を採る潜水士として来た人たちがいた。白豪主義下でも、その技術と勤勉さから例外として就労が認められた。数千人いたが、太平洋戦争が起こると収容所に入れられ、戦後に日本へ送還された。
50〜60年代には連合軍の一員として日本に駐留した豪軍兵士と結婚した女性の移住が認められた。「戦争花嫁」と呼ばれたが、約650人にとどまった。
白豪主義を廃止した70年代半ば以降は、アジアや中東などからの移民が増え続ける。2016年の国勢調査によると、今や「自身か、両親のうち少なくとも一方が外国生まれ」が、人口2500万人の49%を占める。
政府の18年の報告書によると、移民の受け入れは20〜50年に毎年、GDP(国内総生産)の成長率で0.5〜1ポイント貢献すると見込まれる。10年代以降の成長率は年2〜3%ほどだから、決して小さくはない。
移民の大半は若く、高い技能を持った場合も多い。少子高齢化が進む社会の成長の原動力として期待されている。
http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/globe_asahi/world/globe_asahi-14440014

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道と北電、森林づくり協定に調印

2021-09-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/15 18:12
署名後に、森林づくりに関わる協定書を掲げる藤井裕北電社長(右)と鈴木直道知事
 北海道電力の藤井裕社長と鈴木直道知事による「ほっかいどう企業の森林づくり」事業に関する協定調印式が15日、道庁で行われ、両氏が署名した。北電は創立70周年記念事業として本年度から10年間、道立北の森づくり専門学院(旭川)と連携して道民の森・神居尻地区(石狩管内当別町)で植樹と管理を行い、担い手育成にも協力する。
 森林づくり事業は2007年度に始まり、今回の協定は55件目。今月以降、牧場跡地の3ヘクタールに計6千本の苗木を植える。樹種はミズナラやシラカバ、アイヌ民族の生活と関わりが深く昆虫の生息環境としても重要なキハダなどで、選定では同学院の提案を受けた。
 道は50年までの温室効果ガス排出実質ゼロを目指しており、藤井社長は「ゼロカーボン北海道の一助となるよう森林育成や水素利用など課題に挑戦してゆきたい」と述べた。(森川純)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/589519

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平取トマトの生シュー、びらとりプリン… 地元産食材 味に生かす 36年ぶり、町に洋菓子店 アイヌ文様のクッキーも

2021-09-15 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/15 05:00
 【平取】今年7月にオープンした洋菓子店「はれのあさ」(町本町)が、地元特産のトマトを使ったシュークリームなど、地域の魅力を生かした菓子作りで人気だ。同店の水野薫さん(60)は3年前まで日高町で洋菓子店を営んでいただけに、顧客からは「また食べられてうれしい」といった声が上がり、平取町商工会も「町内に洋菓子店ができるの36年ぶり」と歓迎。周囲の期待を追い風に、店は順調な滑り出しを見せている。
 店は薫さんと、夫の吉徳さん(60)で経営。ケーキや焼き菓子など32種類を販売する。町内の農場「あかねポートリーファーム」の卵を使った「びらとりプリン」(300円)や、町内産米で醸造した日本酒「びらとり純米酒 涼燗(すずらん)」の酒かすを使った焼き菓子「フィナンシェ」(150円)など、工夫を凝らした逸品がそろっている。
 大阪の製菓学校で学んだ薫さんは、郷里の日高町で2000年から18年間、洋菓子店を経営。中学教師だった吉徳さんの転勤で閉店したが、今年3月に吉徳さんが定年退職したのを機に「もう一度、店をやってみたい」と決意。吉徳さんの古里の平取で店を開いた。
 トマトで有名な町だけに、トマトを使った商品が多彩だ。トマトを生地に練り込んだクッキー(150円)やドーナツ(180円)に加え、「平取トマトの生シュー」(180円)も。トマトを練り込んだ生クリームはうっすらと赤く、甘さは控えめで、ほんのりとトマト味がする。
 アイヌ文様が表面に施されたクッキー(3枚150円)は、町アイヌ工芸伝承館ウレシパに文様の型を作ってもらった。薫さんは「地元の品を使うことで地域貢献できれば」と力を込める。町商工会の崎広秀樹事務局長は「地元の農産品を使っているので平取の宣伝になるほか、平取町の新たな土産にもなる。にぎわいを生んでほしい」と期待している。(杉崎萌)
※「ウレシパ」の「シ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/589151

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第32回世界文化賞にジェームズ・タレルやセバスチャン・サルガドら決まる

2021-09-15 | 先住民族関連
美術手帳 9/14(火) 18:03
 公益財団法人日本美術協会の設立100年を機に、1988年に創設された「高松宮殿下記念世界文化賞」。その第32回目の受賞者が発表された。昨年は新型コロナウイルスのパンデミック収束の見通しが立たないために開催が見送られたため、今回は2年ぶりの発表となった。
 今年の受賞者は、セバスチャン・サルガド(絵画部門)、ジェームズ・タレル(彫刻部門)、グレン・マーカット(建築部門)、ヨーヨー・マ(音楽部門)。若手奨励制度の対象団体にはイタリアの「中央修復研究所付属高等養成所」が選ばれた。なお、演劇・映像部門は、新型コロナウイルスの影響により、多くの候補者が受賞要件を満たすことができなかったため、今回は初の受賞該当者なしとなった。
 絵画部門を受賞したセバスチャン・サルガドは、1944年ブラジル生まれ。サンパウロ大学で経済学を学び、エコノミストとして農業発展計画などに携わるうちに写真に傾倒。73年に写真家に転じた。
 サルガドは徹底した取材によるフォト・ドキュメンタリーを志向し、アフリカの飢餓をとらえた《サヘル 苦境にある人間/道の終わり》(1986/1988)、世界の肉体労働の現場に迫った《人間の大地 労働》(1993)、移民や難民の実態を追った《移民たち》(2000)などを発表。
 代表作《ジェネシス(起源)》(2013)では、世界中の自然や動物、原始的な生活を営む人々を取材。最新作《アマゾニア》(2021)ではアマゾン熱帯雨林の生態系と先住民族の生活様式をとらえた。現在も熱帯雨林の違法伐採や気候変動、先住民の生活の破壊などに警鐘を鳴らす作品を発表し続けている。
 彫刻部門受賞者のジェームズ・タレルは、1943年アメリカ生まれ。物質としての光を可視化させるアイデアの具現化を試み続けている。
 タレルは1967年に、プロジェクターによって幾何学形を室内に投影した初期代表作である《プロジェクション・ピース》による初個展を開催。以降、霧状の光がスクリーンのように覆う作品や、漆黒の部屋でかすかな光を感知させる作品など、光を主題として制作を続けてきた。世界各地に設置している、くり抜かれた天井から空や光を体感できる作品《スカイスペース》は、これまでに102作を制作。国内でも金沢21世紀美術館や香川・直島の地中美術館に展示されているものが有名だ。
 また、1979年から取り組むライフワーク《ローデン・クレーター》プロジェクトは、アリゾナ州の火山帯の土地を入手し、死火山の火口と内部の部屋から、天体の運行に合わせて光を近くする壮大な計画だ。2026年の完成に向けて親交している。
 サルガドとタレルの受賞理由について、絵画と彫刻の両部門の選考委員長である高階秀爾・大原美術館館長は次のように述べた。「双方、自然という存在を大切にしながら、その恐ろしさも恵みも、一体として作品に落とし込もうとする姿勢が見られる。芸術の歴史は西洋的な自然を支配するという文脈があったが、両者には日本の自然と一体となるという伝統とも通じるものがあった」。
 建築部門の受賞となったグレン・マーカットは、オーストラリアの大地に根ざし、気候風土に寄り添う持続可能な建築で知られる建築家。
 1936年イギリス生まれのマーカットはオーストラリア・シドニーで育ち、建築業を営む父を手伝ううちに、自然に建築の道を志向するようになった。1969年にはシドニーに個人事務所を開設。以降はおもに個人住宅を手がけてきた。東西に長い高床式の家屋で、天窓や壁のルーバーによって日差しや風の向きを調整でき、空調に頼らず快適に過ごせる「マリー・ショート/グレン・マーカット邸」(1974/1980)は出世作となった。
 これまでに「アーサー&イヴォンヌ・ボイド教育センター」(1999)や「オーストラリア・イスラミックセンター」(2016)など、450件以上のプロジェクトに関わってきた。1992年にアルヴァ・アアルト・メダル、2002年に米プリツカー賞、2009年に米国建築家協会(AIA)ゴールドメダル(2009)など受賞多数。世界文化賞の受賞者としては初めてのオーストラリアからの選出となった。
 若手奨励制度の対象団体に選ばれた「中央修復研究所付属高等養成所」は、1939年に、イタリアの文化・芸術遺産の保存と修復を目的に「中央修復研究所」として設立。1941年から修復のプロを養成するコースが本格的に始まり、高等養成所へと発展した。開校以来約900人が卒業し、世界の文化・芸術遺産の保存修復に携わっており、現在もローマとマテーラの2校で110人が学んでいる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/931650a37302ef31dbe5dd4abe7888a86fa27afc

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高松宮殿下記念 第32回世界文化賞 ジャンル・文化を超え…歩み止めぬクラシック・レジェンド『音楽部門』ヨーヨー・マ氏 世界に安らぎ 豊穣の音色

2021-09-15 | 先住民族関連
サンケイスポーツ 2021/09/15 05:00
世界の優れた芸術家を顕彰する「高松宮殿下記念世界文化賞」(主催・公益財団法人日本美術協会=総裁・常陸宮殿下)の第32回受賞者(4部門4人)が決まり、14日、東京、パリなどで発表された。音楽部門はジャンルを超えて世界的に活躍する米国人チェロ奏者、ヨーヨー・マ氏(65)が受賞。昨年予定の第32回同賞受賞者発表と授賞式典は新型コロナウイルス感染拡大を受け今年に延期され、授賞式典や関連行事は中止となった。
■日本でも人気 96年坂東玉三郎と共演 NHK「新シルクロード」音楽監督も
音楽の分野や文化を超越して高い評価を得てきたクラシック界のスーパースターが、新たな歴史に名を刻んだ。
朗報を聞いたマ氏は「私は名誉ある生き方をするために最善を尽くしてきましたが、このような名誉を頂くことは非常に謙虚な気持ちになります。過去の受賞者の方々と一緒になれるのは、さらに意味のある大きな喜びです」と感激のコメントを寄せた。
1955年、仏パリ生まれ。中国人音楽家の両親の影響で4歳からチェロを習い、7歳で米ニューヨークに移住して名門のジュリアード音楽院に入学。10代でパブロ・カザルス、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチら巨匠と比肩するチェロ奏者と評されたが、「アイデンティティーを探したい」とハーバード大学に進学して教養を高めた。
これまで発表したアルバムは100作以上。米グラミー賞を18回受賞するなど数々の受賞歴を誇る天才チェロ奏者は「音から構成されている点で、すべての音楽は共通している」とクラシックの枠にとどまらず、多彩なジャンルのアーティストと共演を重ねてきた。
日本では81年の初来日以降、定期的に公演を実施。96年の公演では、歌舞伎俳優で第31回世界文化賞の演劇・映像部門で受賞した坂東玉三郎氏(71)との共演で注目を集め、98年にウイスキー「サントリーローヤル」のCMで名曲「リベルタンゴ」を演奏する姿で知名度が急上昇。2005年にはNHK特番「新シルクロード」の音楽監督を務めるなど幅広い活動で知られてきた。
■今年3月ワクチン接種会場で演奏、コロナ禍の人々に勇気
98年から多様な民族音楽を取り込んだ「シルクロード・プロジェクト」に力を注ぎ、2018年からはバッハの「無伴奏チェロ組曲」を世界36カ所で演奏する「バッハプロジェクト」もスタート。コロナ禍の影響で27カ所で途切れていたが、今年11月の沖縄公演から再開する予定だ。
どんなときも歩みを止めないレジェンドは、昨年12月に安らぎと希望がテーマのアルバム「ソングス・オブ・コンフォート・アンド・ホープ」を発表。今年3月に米国でワクチン接種後の待機時間に会場でチェロを演奏して話題になるなど、温かく優しい音色で人々を励まし続ける。
■【絵画部門】セバスチャン・サルガド氏 モノクロで写した人類と地球の真実
1944年2月8日生まれ、ブラジル・ミナスジェライス州出身。パリ在住。徹底した取材によるフォト・ドキュメンタリーで評価を得た世界的写真家。エコノミストからドキュメンタリー写真家に転じ、モノクロを基調として社会派的な視点から飢餓や難民・移民問題などを撮り続けてきた。
8年かけて生物と環境をテーマに地球の姿を写し出した写真集「ジェネシス(起源)」(2013年)が代表作。その様子や足跡を追った映画「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」(14年)が話題となった。最新作は7年にわたってアマゾンの熱帯雨林の生態系と先住民族の生活様式を撮影した「アマゾニア」(今年5月)で、展覧会がパリを皮切りに世界各地で巡回中。
■【彫刻部門】ジェームズ・タレル氏 光体感、壮大な作品
1943年5月6日生まれ、米ロサンゼルス出身。光と知覚の関係を探求している世界的な現代美術家。大学で知覚心理学と数学、天文学を専攻後、美術を学ぶ。
代表的シリーズ「スカイ・スペース」は矩形にくり抜かれた天井を見上げ、刻々と変わる空の色や光を体感するための作品で、最新作が米マサチューセッツ現代美術館で5月にオープンした。
米アリゾナ州の火山帯で広大な土地を入手後、79年から「ローデン・クレーター」プロジェクトを開始。死火山の内部にたくさんの部屋を造り、天体の運行に合わせて光を知覚する壮大な計画で2026年に完成予定。
これまで約500の展覧会を実施。香川・直島や石川・金沢21世紀美術館に常設作品がある。
■【建築部門】グレン・マーカット氏 全ての工程1人で自然と生きる建築
1936年7月25日生まれ、英ロンドン出身。幼少期をパプアニューギニアで過ごしたオーストラリアを代表する建築家。大学卒業後、ギリシャなど欧州各地の視察を経て、69年に自国で個人事務所を設立。妥協のない仕事をするために所員は抱えず、特別な協働を除いては、建築に関わる全工程を1人でこなし、450件以上ものプロジェクトに関わってきた。
「大地に軽く触れる」をモットーに自然に寄り添う建築は、自然環境の恩恵を最大限にいかす仕掛けが施され、豊かな生活環境を生み出す。
2002年に米プリツカー賞を受賞し、08年に日本初の展覧会を開催。オーストラリア初の世界文化賞受賞となり、国内外で後進の指導にも尽力している。
◆演劇・映像部門 該当者なし
新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)の影響により、多くの候補者が受賞要件を満たすことができなかったため、今回は「受賞該当者なし」となった。受賞該当者なしは、全部門を通じて初めて。
◆パリ受賞発表会見 サルガド氏が演説
パリのフランス学士院で行われた受賞者会見発表には、グザビエ・ダルコス仏学士院総裁ら日仏の文化関係者数十人が出席した。
絵画部門で選ばれた写真家、セバスチャン・サルガド氏は受賞演説で、出身国ブラジルで多くの日系人と出会ったことに触れ、「日本は、祖国の文化に重要な貢献をした国。受賞を大変名誉に思う」と喜びを語った。その後、アマゾン熱帯雨林を捉えた作品について、出席者からの質問に答えた。同賞国際顧問で、ジャン=ピエール・ラファラン仏元首相はビデオでメッセージを寄せた。
◆「若手芸術家奨励制度」対象団体にイタリア「中央修復研究所付属高等養成所」
次世代を担う若手芸術家を育成する「若手芸術家奨励制度」の第24回対象団体には、イタリアの「中央修復研究所付属高等養成所」が選ばれた。
第二次世界大戦が勃発した直後の1939年、戦火にさらされたイタリアの文化・芸術遺産の保存と修復を目的に中央修復研究所が設立され、41年から修復のプロを養成するコースが本格的にスタートし、高等養成所へと発展した。
5年間の修士課程では国際協力プロジェクトにも積極的に参加。ヨルダンのウマイヤード宮殿の壁画修復やギリシャの水没したローマ時代の別荘を修復・復元する水中作業も行った。
開校以来約900人が卒業。イタリア内外の文化・芸術遺産の保存修復に携わるなど修復士として活躍している。
◆19年死去、中曽根元首相の後任 国際顧問に安倍前首相
2019年11月に死去した世界文化賞国際顧問の中曽根康弘元首相(享年101)の後任には、安倍晋三前首相(66)の就任が決まった。
東京都内で行われた受賞者発表会見に出席した安倍氏は「中曽根康弘元総理の後を引き継ぎ、伝統と歴史ある本賞に関わる栄誉をいただきましたことを大変光栄に存じます」とあいさつ。
今月に着任してアジア推薦委員会を主宰。来年から受賞候補者の推薦を行うが、「世界文化賞が人類不滅の財産である芸術の創造者たちに最大限の勇気を与える場となるよう全力を尽くす」と活動に意欲を見せた。
◆世界文化賞 58年間にわたり財団法人日本美術協会の総裁を務められた高松宮殿下のご遺志を継ぎ、また協会創立100周年の記念事業として1988年に創設。国際顧問が主宰する各専門家委員会から推薦された絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像の5部門の候補者を日本の選考委員会で検討し、理事会で決定する。賞金は各1500万円。97年には「若手芸術家奨励制度」が設けられ、次代を担う芸術家の育成にも努めている。国際顧問は安倍前首相のほか、イタリアのランベルト・ディーニ元首相(90)ら。
https://news.goo.ne.jp/article/sanspo/entertainment/sanspo-_entertainment_geino_ZHPP556EKNLJPLYSEGLDOAN3L4.html

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世界文化賞 人間の尊厳、モノクロ写真に 絵画部門 セバスチャン・サルガド氏

2021-09-15 | 先住民族関連
産経新聞 2021/09/14 18:00
世界の優れた芸術家を顕彰する「高松宮殿下記念世界文化賞」(主催・公益財団法人日本美術協会=総裁・常陸宮殿下)の第32回受賞者が14日発表され、絵画部門はフォトドキュメンタリー作品で知られる写真家、セバスチャン・サルガド氏(77)=ブラジル/フランス=に決まった。

徹底した取材によるフォトドキュメンタリーで国際的に高く評価されている写真家。
ブラジル南東部ミナスジェライス州の小村で育ち、サンパウロ大学で経済学を学んだ。1969年、軍事政権の圧政を逃れ、妻のレリアさんとともにフランスに移住。パリ大学大学院を経て、国際コーヒー機関のエコノミストとしてアフリカの農業発展計画などに携わるうちに写真に傾倒。73年、写真家に転じた。マグナム・フォトなどエージェンシー所属を経て94年、パリに「アマゾナス・イメージズ」を設立した。
訪れたのは100カ国以上。モノクロを基調に、太陽光のみで撮影する。じっくり腰を据えて風景や状況に溶け込み、被写体に肉薄する。アフリカの飢餓をとらえた《サヘル−苦境にある人間/道の終わり》(86/88年)、世界中の肉体労働の現場に迫った《人間の大地 労働》(93年)、移民・難民の実態を追った《移民たち》(2000年)などを発表。「写真はわたしの言語」と語り、富の不均衡や戦争・災害の惨状を、苦境においてもなお失われることのない人間の尊厳を、写真を通して世に知らしめてきた。しかし1990年代半ば以降、ルワンダ虐殺やユーゴスラビア紛争で凄惨(せいさん)な暴力を目の当たりにして体調を崩し、一時活動休止を余儀なくされた。
ブラジルに戻り、荒廃した家族所有の土地に再植林を始めた。約20年間で原生種の苗木250万本を植え、水源や生態系も少しずつ復活。「大地研究所(インスティトゥート・テラ)」を創設し環境教育にも尽力する。《ジェネシス(起源)》(2013年)では世界中の手つかずの自然や動物、原始的生活を営む人々を取材。その様子や足跡を追った映画『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』は日本でも公開され、話題を呼んだ。
最新作は7年にわたりアマゾンの生態系と先住民族の生活を追った《アマゾニア》。違法伐採や金採掘、ダム建設、気候変動などがもたらす危機に警鐘を鳴らす。このほど写真集が刊行され、展覧会もパリを皮切りに世界各地に巡回中だ。
https://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/sankei-_life_arts_RH6WEU6RKJPHHDPG5ZV2U6PTUQ.html

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青森県立郷土館、異例のショートドラマ制作 りんご娘・ジョナゴールドさん主演

2021-09-15 | アイヌ民族関連
Web東奥 9/14(火) 10:43
 青森市の県立郷土館は本年度、りんご娘のジョナゴールドさんをヒロインに、郷土館の魅力を紹介するショートドラマを制作した。郷土館によると、博物館がショートドラマを制作するのは珍しいという。公式YouTubeチャンネル「キョドチャンネル」で公開しており、2022年3月末まで視聴できる。
 郷土館は耐震性能不足のため、現在、臨時休館中。在宅で郷土館や収蔵資料などを楽しんでもらおうと、キョドチャンネルを20年7月に始めた。各学芸員が自然や考古、歴史、先人、美術、民俗、美術、自然のジャンルごとに紹介する。
 「雪の果て」と題したショートドラマは同チャンネルの特別版で、各5~6分の3部作。青森に帰郷した楓(かえで)(ジョナゴールド)が、亡父も勤務した郷土館で解説員として働く中で次第に地元への関心を深めていき、「私が青森にいる理由」を見つける-。
 37年前に県内に落下した「青森隕石(いんせき)」が物語の重要な役回りを果たし、交易で新潟からもたらされたヒスイ、アイヌ民族の着物、ねぶたなどの収蔵資料も登場。3作合わせた視聴回数は約3カ月で2万回近くで、キョドチャンネルの通常版7回分の約2600回と比べて多い。コメントには「再開したら郷土館に行きたい」「青森に興味を持った」などが寄せられた。
 ドラマを企画した郷土館の小林浩一総務課長は「郷土館をまだ知らない人には入り口として、ふるさとの良さや魅力に気づいてもらえたらうれしい」と期待を寄せる。
▼主演のジョナゴールドさん 過去と現在つなぐ場に
 小学生の頃から考古学好きで、出演を通して、あらためて地元の歴史や文化に関心を深めたという主演のジョナゴールドさん。東奥日報の取材に「映像を見て、郷土館が青森の過去と現在をつなげる場になれば」と期待を寄せる。
 -作品の見どころは。
 「『郷土館が過去とこれからをつなぐ』という点。遠回りしたとしても家族の絆を再確認させてくれたのは郷土館という場所であり、その周りにいる人々。時間を超えて鮮明になっていく大きな愛を多くの人に感じてもらえたらうれしい」
 -郷土館が総合博物館であることは知っていたか。
 「この作品に携わるまで知らなかった。青森の自然や歴史など総合的な視点で学びを深めることができるので県外の方はもちろん、県民にもあらためて足を運んでほしい場所」
 「民俗展示室の過去の暮らしを表しているエリアが興味深かった。ドラマの中で主人公が、自分のやりたいものに一歩近づくようなシーンで使われている場所だが、過去の暮らしや歴史を眺めながら自分の未来を考えることに大きな意味を感じた。“過去を知って未来を考える”。ゆっくりした時間が流れる郷土館は自分を省みる時間にもなる」
 -青森県の総合博物館として今後、どのような郷土館であればいいと考えるか。
 「青森の過去と現在をつなげる場所になってくれればうれしい。ドラマの中でも郷土館での記憶が家族の絆や自分の過去をあらためて知る機会になっている。自分の知らなかった青森を見つけられる、みんなの郷土館になってほしい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/dea69244639c08eb51cfeac6204ed0d90d0397f0

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サケを迎えるアイヌ民族の伝統儀式「アシリチェプノミ」

2021-09-14 | アイヌ民族関連
STV 9/13(月) 20:30配信

戻ってきたサケを迎えるアイヌ民族の伝統儀式「アシリチェプノミ」が、札幌の豊平川の河川敷で行われました。
札幌・豊平川のアシリチェプノミには、各地からアイヌの人たちが集まりました。アシリチェプノミは、「新しいサケを迎える儀式」という意味で、札幌では40年前に復活しました。かつては、川で捕獲したサケを奉っていましたが、いまは購入しているといいます。
(アシリチェプノミ実行委員会 島崎直美事務局長)「アイヌ語でカムイチェプとも言うくらい尊い魚。アイヌ民族にはありがたい食べ物だ」
アシリチェプノミは、サケが遡上するこの時期に道内各地で行われます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e7b7e25897d78bd71ffc9518733670ce01af4220

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環境活動家の殺人、昨年は227人が犠牲 過去最多に=国際NGO報告

2021-09-14 | 先住民族関連
BBC 2021/09/13 16:50
環境活動家の殺人、昨年は227人が犠牲 過去最多に=国際NGO報告
クレア・マーシャル、BBC環境・地域問題担当編集委員
環境や土地関連の権利保護に取り組む中で殺害された活動家が昨年、過去最多だったとする報告書を、活動組織が公表した。
国際NGOグローバル・ウィットネスの報告書によると、昨年1年間で227人の活動家が殺害された。2年連続で最多を更新したという。
3分の1近くは、森林伐採、鉱山の採掘、大規模な農業関連ビジネス、水力発電用ダム、その他のインフラなど、資源利用に絡んだ殺人だったとされる。
報告書は犠牲者を「環境の守り手」と呼び、森林や水源、海洋など、保護が必要な天然資源を守ったことで殺されたとした。
パリ協定が合意された2015年以降、毎週平均で4人の活動家が殺害されているという。
報告書は、ジャーナリストや市民の自由に対する制限が強まってることを考えると、この「衝撃的な人数」は、現実にはもっと多い可能性が高いとしている。
殺人が最も多かった業界は伐採関連で、23件だった。ブラジル、ニカラグア、ペルー、フィリピンで襲撃事件が確認された。
気候変動の影響を真っ先に受けやすい先住民族が、被害者の3分の1を占めた。コロンビアでは昨年65人が殺害され、報告された襲撃事件としては最多だった。
「耐えられないほどの重荷」
グローバル・ウィットネスのクリス・マデン主任は、「守り手の保護に本腰を入れる」よう各国政府に求めた。また、企業に対しては、「利益より人々と地球を優先」し始めなければ、「気候崩壊と殺人」は続くだろうと警告した。
「このデータは、気候危機との闘いが一部の人に耐えられないほどの重荷を背負わせていることと、そうした人たちが、持続不可能な地球温暖化への対抗で欠かせない森林や河川、生物圏を救うために命を懸けていることを、あらためて知らしめるものだ」
グローバル・ウィットネスは各国政府に対し、安全で健全で持続可能な環境に関連した人権を、正式に認めるよう要求した。さらに、11月に開かれる国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)で、人権保護の取り組みも確立されるよう求めた。
COP26のアロク・シャーマ議長はBBCに、「気候変動の前線にいる人たちとの会合を優先し」、全員の声を聞くと述べた。
「居間で射殺された」
南アフリカのフィキレ・ンチャンガセ氏(65)はも犠牲者の1人。クワズール・ナタール州ソンケレ近郊にある、テンデレ・コールが運営する露天掘り鉱山の拡張をめぐり、法的な争いに関わっていた。彼女は自宅の居間で射殺された。
彼女の娘マルンゲロ・カカザ氏(31)は、「母の苦しみは続く」と話した。「母の殺人捜査では、今に至るまで誰も逮捕されていない。責任がまったく問われていない。何があろうと鉱山を拡張し、採掘を進めたい人がいるのだと、私には思える」。
子会社のテンデレ・コール・マイニングを通してソンケレ鉱山を所有する企業ペトミンは、グローバル・ウィットネスに対し、「地域の緊張関係がフィキレの死の原因の1つになったかもしれないと認めた」という。同社はまた、「いかなる暴力も脅迫も強く非難する」とし、警察への全面的な協力を申し出たと述べた。
メキシコでは昨年9月、オスカル・エラウド・アダムス氏が殺害された。彼は、バハ・カリフォルニア州クミアイ地域の先住民たちにとって、水が利用しやすくなるための活動をしていた。
グローバル・ウィットネスは、ホンジュラス・グアピノルの地域住民たちも、脅威にさらされている活動家たちだとした。同地域では、中央政府が保護区での酸化鉄の採掘権を与えたことに対し、多くの住民らが抗議運動を繰り広げている。活動家らは、大事な水源となっているグアピノル川が、危機的な状況に置かれているとしている。グローバル・ウィットネスは、「地域の多くの人たちが、収監されたままになっている」としている。
https://news.goo.ne.jp/article/bbcworldnewsjapan/world/bbcworldnewsjapan-58541771.html

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市美術博物館と国立アイヌ民族博物館 弁天の丸木舟を共同研究 覚書締結 保存や計測など協力

2021-09-14 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2021/9/13配信
 苫小牧市弁天の海岸で1~2月に見つかったアイヌの丸木舟「イタオマチプ」(板つづり舟)とみられる2隻の調査に関連し、市美術博物館を管轄する市教育委員会と白老町の国立アイヌ民族博物館は、アイヌ資料の共同研究に関する覚書を締結した。両館は舟のよ…この続き:510文字
ここから先の閲覧は有料です。
https://www.tomamin.co.jp/article/news/main/57784/

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札幌・豊平川でアイヌ伝統儀式「アシリチェプノミ」

2021-09-13 | アイヌ民族関連
HTB 9/12(日) 12:05配信

 生まれた川に帰ってきたサケを迎えるアイヌ民族の伝統儀式、「アシリチェプノミ」が札幌で行われました。
 「アシリチェプノミ」はサケが川に帰ってくるこの時期にサケを祭壇に供え、神々や大地に感謝の言葉を捧げるアイヌ民族の伝統儀式です。
 この儀式は明治以降、サケの全面禁漁に伴い消滅していきましたが、およそ40年前に復活しました。
 アシリチェプノミ 島崎直美事務局長「札幌のなかでももともとアイヌ民族が住んでいた場所だから、(ここで)祈りを込めるのは、サケが戻ってくるようにという気持ちで」
 多くの人にアイヌの文化を知ってもらおうと毎年観客を入れて開催していましたが、ことしは新型コロナの影響でアイヌ民族や関係者らおよそ50人に限定して開催されました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/75fc12678d31fd8b1638513272b8f0c1dd459cdd


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