COURRiER 11/15(日) 15:00
台湾の先住民には顔に入れ墨を施す「紋面(ウェンミエン)」という文化がある。顔に入れ墨を入れる文化は世界各地に見られるが、台湾では今、この伝統が姿を消しつつある。間もなく100歳を迎える台湾最後の「紋面」保持女性が、伝統継承への思いと誇りを語った。
世界各地に伝わる女性の「入れ墨文化」
11月6日、ニュージーランドの新たな開発大臣兼地方自治大臣兼外務大臣に、先住民マオリの女性で、与党労働党の国会議員ナナイア・マフタ(50)が就任した。先住民女性の外相起用は同国初で、彼女は唇と顎にマオリ伝統の入れ墨「モコ」を入れている。「顔に入れ墨を施した初の閣僚」としても話題になった。マオリのモコは誇り高さの象徴で、女性は唇と顎に施す。顎のモコは既婚女性のサインでもある。マフタ外相は2016年、46歳でモコを入れたという。
女性の顔を意図的に傷つけ入れ墨を施す……肉体的にも精神的にも凄まじい苦痛とダメージを想像させるが、マオリのほかにも各地に女性の顔に入れ墨を施す文化が受け継がれてきた。それらの多くは成人や婚姻、祖霊信仰の証、所属部族の識別のほか、横暴な権力者や優勢な多民族から貞操を守る威嚇の意味などもあったという。ちなみに男性の顔面の入れ墨は、勇壮さや権力、呪術性の証とする場合が多い。
海道のアイヌも、女性が口元や手に入れ墨「シヌイェ」を施していた。精霊信仰のひとつであったと言われたが、明治維新後、政府から禁止され消滅する。インド北東部・ナガ族のコニャック部族の女性も口の周りや膝下に、ミャンマー西部のチン族の女性は顔一面に入れ墨をする習わしがあった。
日本統治時代に禁止じられた「伝統」
台湾にも20世紀まで先住民に、直線・曲線を組み合わせた幾何学的なトライバルデザインの入れ墨文化が存在した。山岳狩猟民族であるタイヤル(アタヤル、泰雅)族、タロコ(太魯閣)族、セデック(賽徳克)族の男女は、唇から頬、額にかけて入れ墨「紋面(ウェンミエン)」を施す習俗を紡ぎ続けてきた。紋面を野蛮な文化と断じて禁止を命じたのは、台湾を1895年~1945年に植民統治していた大日本帝国の台湾総督府だった。
2018年1月、大きなV字型の紋面を施したタイヤル族女性イワン・カイヌ(簡玉英)さんが103歳で、翌2月に、額の棒状紋面が特徴的なタロコ族女性イパイ・ハロン(陳清香)さんが99歳で死去し、紋面保持者は残り2人(全員女性)となったことが大きく報じられると、筆者は紋面保持者の取材機会を求め、各方面に交渉した。北部・苗栗県泰安郷のタイヤル族集落・天狗に住む96歳のラワ・ピヘグ(柯菊蘭)さんの面会の許可を取り付けた2019年4月、筆者は原付バイクを飛ばし、山深い天狗(バヌクス)を訪ねた。
予約してあったタイヤル伝統文化の色濃い民宿に着くと、県政府原住民行政処の窓口職員が待ち受けていた。「台北からわざわざ来てくれたのにごめんなさい……。ヤキ(註:タイヤル語、セデック語でお婆さんの意。ここではラワ・ピヘグさんのこと)は今朝、体調を崩して、県の病院に入院したの」「え、入院? かなりお悪いのですか?」「いえ、には診療所も無いでしょう。ヤキは高齢だから大事をとって搬送したの」。翌5月にも、会えるらしいと聞いて天狗を再訪したが、ラワさんは肺炎の兆候が表れており、面会はまたも叶わず。次回はタイヤル族の伝統衣装を着て迎えると言われたものの、残念ながら彼女は同年9月に身罷ってしまった。
ラワさんはタイヤル族最後の紋面保持者で、部族の首領の孫娘として生まれた。実年齢は102歳前後とみられている。彼女が8歳のころ、台湾総督府による紋面禁止令が強化され、官憲による紋面器具の没収が始まった。祖父の首領は著名彫師のヤユト・ツワス氏に催促し、大急ぎでラワさんに紋面を施させたという。だがツワス氏もじきに器具を没収されたためラワさんが入れ墨をされたのは都合2回。当初予定よりも墨の色が薄く仕上がったという。
晩年、「ガガ(註:タイヤル語、セデック語で紋面の意)はタイヤルの魂の一部だ。文字やフィルムの記録に残し、子々孫々に伝えなくてはならん」と部族民に繰り返し語ったラワさんは、ドキュメンタリー映像やニュース番組の取材などでも勢力的に証言して来たという。
「地獄の痛さ、でも誇らしさもあった」
台湾最後の紋面保持者となったのは、台北市に隣接する新北市中和区の団地に住む、セデック族の98歳女性イパイ・サユン(林智妹)さんだ。
イパイさんは1922年東部・花蓮県卓渓郷のタロコ峡谷にたたずむセデック族陶賽に生まれ育ち、少女時代は機織りの傍ら、サツマイモやトウモロコシ、粟などを栽培し家業を手伝った。日本語教育を学校で4年間受け、キリスト教系の玉山神学院で、若くしてセデック族語の教師になる。イパイさんは歌唱、舞踊、機織りが得意な明朗快活な教師として慕われ、耳の遠くなった今でも明瞭なセデック語を話す。同族のウイン・ウクン(林春源)氏と結婚し4男1女を儲ける。
だが、台湾総督府が先住民の統治管理を徹底させるため、イパイさんたちはタロコ渓谷から平地の富世村へごと強制移住させられる。狩猟を生業としていたセデック族は、慣れない田畑作業で苦労しながら、壮年~初老期のイパイさんは貧困と戦う日々だったという。都会へ嫁いだ娘が、後にイパイさんを台北近郊へ呼び寄せる。
花蓮県政府が監修したドキュメンタリーフィルムで、イパイさんが証言する。
「セデック族には、男も女も壮年は必ずガガを入れるしきたりがあったの。墨を入れられているとき一番痛かったのは下顎ね。棒の先に針を何本か櫛状に結わえたものを顔に刺し傷を作る。その上から木炭の灰を練ったものを額から頬にかけて塗りたくられ墨を皮膚に定着させた。もう地獄のような痛さだった。忘れないわよ、涙も枯れ果てるほど痛くて痛くて苦しくて絶叫して。額も頬もナイフで削られるような痛さ。皮剥ぎに遭っているような、自分が自分でない奇妙な感覚だった」
「でもガガはとても神聖な習俗。入れたいと願っても入れられるものではない。女子は機織り能力が認められて、男子は敵の首を狩る通過儀礼を終えて(註:セデック族は首狩族である)一人前とみなされ、その証にガガを施されるの。壮絶な痛さだったけど、同時にああとうとう私もガガを入れた! という誇らしさもあった」
イパイさんの唯一の娘・林朝花(リン・チャオフア)さんによると、イパイさんは前述のラワさん同様、彫師が官憲に紋面道具を没収されてしまったため、紋面は墨入れが中途半端な段階で終わり、淡い色しか定着せず、現在ではうっすら痕跡が確認できる程度だ。
娘の嫁入り道具として、イパイさんは約100着の手織り織物を持たせてあげたという。誇り高き最後の紋面保持者は今、生まれ育ったタロコ渓谷に戻ることばかりを願っているという。
Jun Tanaka
https://news.yahoo.co.jp/articles/35ebc457fcd0df99549a8f96f03afdbe0abd6ffa
台湾の先住民には顔に入れ墨を施す「紋面(ウェンミエン)」という文化がある。顔に入れ墨を入れる文化は世界各地に見られるが、台湾では今、この伝統が姿を消しつつある。間もなく100歳を迎える台湾最後の「紋面」保持女性が、伝統継承への思いと誇りを語った。
世界各地に伝わる女性の「入れ墨文化」
11月6日、ニュージーランドの新たな開発大臣兼地方自治大臣兼外務大臣に、先住民マオリの女性で、与党労働党の国会議員ナナイア・マフタ(50)が就任した。先住民女性の外相起用は同国初で、彼女は唇と顎にマオリ伝統の入れ墨「モコ」を入れている。「顔に入れ墨を施した初の閣僚」としても話題になった。マオリのモコは誇り高さの象徴で、女性は唇と顎に施す。顎のモコは既婚女性のサインでもある。マフタ外相は2016年、46歳でモコを入れたという。
女性の顔を意図的に傷つけ入れ墨を施す……肉体的にも精神的にも凄まじい苦痛とダメージを想像させるが、マオリのほかにも各地に女性の顔に入れ墨を施す文化が受け継がれてきた。それらの多くは成人や婚姻、祖霊信仰の証、所属部族の識別のほか、横暴な権力者や優勢な多民族から貞操を守る威嚇の意味などもあったという。ちなみに男性の顔面の入れ墨は、勇壮さや権力、呪術性の証とする場合が多い。
海道のアイヌも、女性が口元や手に入れ墨「シヌイェ」を施していた。精霊信仰のひとつであったと言われたが、明治維新後、政府から禁止され消滅する。インド北東部・ナガ族のコニャック部族の女性も口の周りや膝下に、ミャンマー西部のチン族の女性は顔一面に入れ墨をする習わしがあった。
日本統治時代に禁止じられた「伝統」
台湾にも20世紀まで先住民に、直線・曲線を組み合わせた幾何学的なトライバルデザインの入れ墨文化が存在した。山岳狩猟民族であるタイヤル(アタヤル、泰雅)族、タロコ(太魯閣)族、セデック(賽徳克)族の男女は、唇から頬、額にかけて入れ墨「紋面(ウェンミエン)」を施す習俗を紡ぎ続けてきた。紋面を野蛮な文化と断じて禁止を命じたのは、台湾を1895年~1945年に植民統治していた大日本帝国の台湾総督府だった。
2018年1月、大きなV字型の紋面を施したタイヤル族女性イワン・カイヌ(簡玉英)さんが103歳で、翌2月に、額の棒状紋面が特徴的なタロコ族女性イパイ・ハロン(陳清香)さんが99歳で死去し、紋面保持者は残り2人(全員女性)となったことが大きく報じられると、筆者は紋面保持者の取材機会を求め、各方面に交渉した。北部・苗栗県泰安郷のタイヤル族集落・天狗に住む96歳のラワ・ピヘグ(柯菊蘭)さんの面会の許可を取り付けた2019年4月、筆者は原付バイクを飛ばし、山深い天狗(バヌクス)を訪ねた。
予約してあったタイヤル伝統文化の色濃い民宿に着くと、県政府原住民行政処の窓口職員が待ち受けていた。「台北からわざわざ来てくれたのにごめんなさい……。ヤキ(註:タイヤル語、セデック語でお婆さんの意。ここではラワ・ピヘグさんのこと)は今朝、体調を崩して、県の病院に入院したの」「え、入院? かなりお悪いのですか?」「いえ、には診療所も無いでしょう。ヤキは高齢だから大事をとって搬送したの」。翌5月にも、会えるらしいと聞いて天狗を再訪したが、ラワさんは肺炎の兆候が表れており、面会はまたも叶わず。次回はタイヤル族の伝統衣装を着て迎えると言われたものの、残念ながら彼女は同年9月に身罷ってしまった。
ラワさんはタイヤル族最後の紋面保持者で、部族の首領の孫娘として生まれた。実年齢は102歳前後とみられている。彼女が8歳のころ、台湾総督府による紋面禁止令が強化され、官憲による紋面器具の没収が始まった。祖父の首領は著名彫師のヤユト・ツワス氏に催促し、大急ぎでラワさんに紋面を施させたという。だがツワス氏もじきに器具を没収されたためラワさんが入れ墨をされたのは都合2回。当初予定よりも墨の色が薄く仕上がったという。
晩年、「ガガ(註:タイヤル語、セデック語で紋面の意)はタイヤルの魂の一部だ。文字やフィルムの記録に残し、子々孫々に伝えなくてはならん」と部族民に繰り返し語ったラワさんは、ドキュメンタリー映像やニュース番組の取材などでも勢力的に証言して来たという。
「地獄の痛さ、でも誇らしさもあった」
台湾最後の紋面保持者となったのは、台北市に隣接する新北市中和区の団地に住む、セデック族の98歳女性イパイ・サユン(林智妹)さんだ。
イパイさんは1922年東部・花蓮県卓渓郷のタロコ峡谷にたたずむセデック族陶賽に生まれ育ち、少女時代は機織りの傍ら、サツマイモやトウモロコシ、粟などを栽培し家業を手伝った。日本語教育を学校で4年間受け、キリスト教系の玉山神学院で、若くしてセデック族語の教師になる。イパイさんは歌唱、舞踊、機織りが得意な明朗快活な教師として慕われ、耳の遠くなった今でも明瞭なセデック語を話す。同族のウイン・ウクン(林春源)氏と結婚し4男1女を儲ける。
だが、台湾総督府が先住民の統治管理を徹底させるため、イパイさんたちはタロコ渓谷から平地の富世村へごと強制移住させられる。狩猟を生業としていたセデック族は、慣れない田畑作業で苦労しながら、壮年~初老期のイパイさんは貧困と戦う日々だったという。都会へ嫁いだ娘が、後にイパイさんを台北近郊へ呼び寄せる。
花蓮県政府が監修したドキュメンタリーフィルムで、イパイさんが証言する。
「セデック族には、男も女も壮年は必ずガガを入れるしきたりがあったの。墨を入れられているとき一番痛かったのは下顎ね。棒の先に針を何本か櫛状に結わえたものを顔に刺し傷を作る。その上から木炭の灰を練ったものを額から頬にかけて塗りたくられ墨を皮膚に定着させた。もう地獄のような痛さだった。忘れないわよ、涙も枯れ果てるほど痛くて痛くて苦しくて絶叫して。額も頬もナイフで削られるような痛さ。皮剥ぎに遭っているような、自分が自分でない奇妙な感覚だった」
「でもガガはとても神聖な習俗。入れたいと願っても入れられるものではない。女子は機織り能力が認められて、男子は敵の首を狩る通過儀礼を終えて(註:セデック族は首狩族である)一人前とみなされ、その証にガガを施されるの。壮絶な痛さだったけど、同時にああとうとう私もガガを入れた! という誇らしさもあった」
イパイさんの唯一の娘・林朝花(リン・チャオフア)さんによると、イパイさんは前述のラワさん同様、彫師が官憲に紋面道具を没収されてしまったため、紋面は墨入れが中途半端な段階で終わり、淡い色しか定着せず、現在ではうっすら痕跡が確認できる程度だ。
娘の嫁入り道具として、イパイさんは約100着の手織り織物を持たせてあげたという。誇り高き最後の紋面保持者は今、生まれ育ったタロコ渓谷に戻ることばかりを願っているという。
Jun Tanaka
https://news.yahoo.co.jp/articles/35ebc457fcd0df99549a8f96f03afdbe0abd6ffa