毎日新聞2024/8/30 05:30(最終更新 8/30 07:57)有料記事4274文字
「光-台湾文化の啓蒙と自覚」で展示された「甘露水」(撮影・黄邦銓、林君昵)=北師美術館提供
大正時代、台湾人で初めて東京美術学校(現・東京芸術大)に入学した彫刻家の黄土水(こうどすい)(1895~1930年)。その代表作である彫像「甘露水」(1919年)が母校、東京芸大に里帰りする。「台湾のビーナス」とも称される傑作は、戦後の台湾で姿を消し、幻の存在となっていた。その「発見」に尽力した台北教育大北師美術館創設者で総合プロデューサーの林曼麗(りんまんれい)氏が、その秘話を毎日新聞に語った。
台湾人初の帝展入選
黄は台湾の日本統治が始まった1895年、台北に生まれた。台湾総督府国語学校(現・台北教育大)で木彫の才能を認められ、1915年、台湾人で初めて東京美術学校彫刻科木彫部に入学した。高村光雲に師事しつつ、自ら西洋の大理石彫刻を学んだ。
台湾人初の帝展入選
黄は台湾の日本統治が始まった1895年、台北に生まれた。台湾総督府国語学校(現・台北教育大)で木彫の才能を認められ、1915年、台湾人で初めて東京美術学校彫刻科木彫部に入学した。高村光雲に師事しつつ、自ら西洋の大理石彫刻を学んだ。
黄は故郷の「台湾」を強く意識し、作品に込めていく。台湾を自らのアイデンティティーに結びつけ、芸術で表現した先駆的な存在となった。
「甘露水」戦後、所在不明に
20年、第2回帝展で台湾先住民の少年像「蕃童(ばんどう)」が入選した。台湾人初の快挙だった。
今回公開される「甘露水」は、翌21年の第3回帝展での入選作品。大理石の彫像で、裸身の女性が大きな貝がらを背に立つ姿から「台湾のビーナス」とも称される。顔を上げて胸を張り、りんとした姿だ。林氏は「手足が長くて細身の西洋的な女性像ではなく、たくましい体つきで、とても台湾らしい。『甘露水』は仏教の言葉。皆を幸せにするという思いを込め、自らの心に内在する台湾への思いを形にしたと思う」と評する。
黄は計4回帝展に入選し、天才彫刻家として名声を得る。皇室や政財界の有力者からも制作依頼が相次いだ。
だが30年、「水牛群像」制作中の無理がたたって35歳の若さで病死した。死後、作品は台湾に運ばれたものの、甘露水は戦後しばらくして行方不明になった。
台湾近代彫刻の先駆者
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【鈴木玲子】