北海道新聞 02/16 09:10
15日に政府が閣議決定したアイヌ新法案は、2020年の東京五輪・パラリンピックを見据え、「共生社会の実現」を掲げる官邸主導で急速に進んだ。ただ、観光重視も透ける政府の方針には「本当に権利回復につながるのか」と憂慮する声も。日本の先住民族政策の遅れは国連などでも指摘されており、新法案で検討される施策をどのように先住民族の権利に結びつけられるのか、国会での論議が注目される。
「未来志向のアイヌ政策という観点から地域振興、産業振興、観光振興を含めた総合的な政策を推進していく」。15日の閣議決定後、記者会見した菅義偉官房長官は、法案の意義をこう強調した。
法案策定に向けた議論で政府がこだわったのが、観光振興につながるアイヌ文化の発信だ。「先住民族への関心が高い訪日外国人へのアピール効果は大きい」(政府高官)からだ。
■ウポポイ最優先
政府は、新法案にも位置づけられ、胆振管内白老町に20年4月開設する「民族共生象徴空間」(ウポポイ)の五輪前開業にこだわった。昨年12月の段階では24年としていた「年間来場者100万人」の目標達成年も、15日の閣議で一気に五輪年の20年への前倒しを決めた。ただ、目標達成への具体的方策は見えず、実現を不安視する関係者も多い。
新法案はアイヌ民族を初めて先住民族と明記し、産業振興などに向けた交付金制度の創設を盛り込んだ。北海道アイヌ協会のある幹部は「官邸の力なしにここまでの法案は実現しなかった」。担当の石井啓一国土交通相は15日の閣議後会見で、新千歳空港から白老にかけて国道36号の拡幅などアクセス整備も明言した。
■「初めの一歩に」
ただ、アイヌ民族の中には「アイヌを利用して観光振興をしたいだけでは」との見方も。特例措置が設けられたサケの捕獲も、文化伝承に限った上で「適切な配慮をする」との表現にとどめており、現行の道の特別採捕許可制度から何が変わるのか議論が必要だ。
紋別アイヌ協会の畠山敏会長(77)は「かつてアイヌから奪った権利を保障するという政府の姿勢が見えない」と憤る。サケ捕獲についても「上限を決めるなど資源保護への配慮をした上で、先住民族の権利として自由な捕獲を保障するところまで踏み込んでほしい」と訴える。
先住民族の権利保障は、国際的な流れでもある。07年に国連総会が採択した「先住民族の権利に関する国連宣言」は、先住民族が収奪された土地の原状回復や補償(土地権)、独自の教育制度などの確立(教育権)、自決権などが盛り込まれており、日本も賛成票を投じた。
宣言を受け、日本では08年に衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択された。さらに民族共生象徴空間の整備計画が具体化。16年に政府のアイヌ政策推進会議が新法を検討する方針を決め、議論が一気に進んだ。
ただ先住民族の言語を公用語化し、独自の大学や議会を設けているノルウェーや、土地回復や自治の確立などを保障する米国などに比べ、アイヌ新法案は先住民族の権利保障が曖昧だ。国連の人種差別撤廃委員会も日本政府に対し、昨年8月まで数回、権利の保障を求める勧告を出した。
北海道アイヌ協会の阿部一司副理事長(71)は「新法案は初めの一歩だ」と強調。その上で「交付金や特例措置を具体的にどのように権利回復につなげ、将来的に国際レベルの先住民族政策に高めていくか議論に期待したい」と話した。(斉藤千絵、古田夏也)
■先住民族明記に意義 北大アイヌ・先住民研究センター常本照樹センター長(法学)の話
法案の概要を見た限りではあるが、アイヌ民族の文化振興や生活の向上などこれまで論点となってきた事項に具体的な一定の方向性を示したと言える。
アイヌ民族を法律の中で先住民族と位置づけたこと自体に大きなメッセージ性がある。ただ支援の対象となるアイヌ民族の特定は、現段階で技術的に容易ではない。またアイヌ民族とそうでない人々が共生している現状が前提にある中、アイヌ民族の地位を改善するために地域全体を豊かにするという交付金制度は現実的なアプローチだろう。
今後、アイヌ民族が先住民族であるという認識を社会に広げ、民族共生を実現するには政府や道、市町村、アイヌ民族自身がこの新法をどのように運用できるかについて共に知恵を絞ることが欠かせない。
■歴史や現状に触れず 恵泉女学園大上村英明教授(国際人権法)の話
新法案はアイヌ民族の誇りの尊重を掲げながら、実質的には民族共生象徴空間の運営や特別措置の見直しなど行政上の段取りを示す「手続き法」に終始していると言わざるを得ない。
政府は1997年のアイヌ文化振興法以降、支援対象を決める個人認定は難しいとの立場をとってきた。その結果、対象を特定しない文化活動を前提にせざるを得ず、回りくどい政策に終始している。新法案も、国の責務はあくまで「アイヌ文化振興・環境整備」であり、サケの捕獲を文化伝承に限っている点でもその域を出ていない。
そもそも法案は、新法が必要な「理由」とも言える歴史的経緯やアイヌ民族の現状に触れておらず、政府にはあらためて説明を求めたい。その上で、権利回復のあり方を国民一人一人が再考する契機にしたい。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/277345
15日に政府が閣議決定したアイヌ新法案は、2020年の東京五輪・パラリンピックを見据え、「共生社会の実現」を掲げる官邸主導で急速に進んだ。ただ、観光重視も透ける政府の方針には「本当に権利回復につながるのか」と憂慮する声も。日本の先住民族政策の遅れは国連などでも指摘されており、新法案で検討される施策をどのように先住民族の権利に結びつけられるのか、国会での論議が注目される。
「未来志向のアイヌ政策という観点から地域振興、産業振興、観光振興を含めた総合的な政策を推進していく」。15日の閣議決定後、記者会見した菅義偉官房長官は、法案の意義をこう強調した。
法案策定に向けた議論で政府がこだわったのが、観光振興につながるアイヌ文化の発信だ。「先住民族への関心が高い訪日外国人へのアピール効果は大きい」(政府高官)からだ。
■ウポポイ最優先
政府は、新法案にも位置づけられ、胆振管内白老町に20年4月開設する「民族共生象徴空間」(ウポポイ)の五輪前開業にこだわった。昨年12月の段階では24年としていた「年間来場者100万人」の目標達成年も、15日の閣議で一気に五輪年の20年への前倒しを決めた。ただ、目標達成への具体的方策は見えず、実現を不安視する関係者も多い。
新法案はアイヌ民族を初めて先住民族と明記し、産業振興などに向けた交付金制度の創設を盛り込んだ。北海道アイヌ協会のある幹部は「官邸の力なしにここまでの法案は実現しなかった」。担当の石井啓一国土交通相は15日の閣議後会見で、新千歳空港から白老にかけて国道36号の拡幅などアクセス整備も明言した。
■「初めの一歩に」
ただ、アイヌ民族の中には「アイヌを利用して観光振興をしたいだけでは」との見方も。特例措置が設けられたサケの捕獲も、文化伝承に限った上で「適切な配慮をする」との表現にとどめており、現行の道の特別採捕許可制度から何が変わるのか議論が必要だ。
紋別アイヌ協会の畠山敏会長(77)は「かつてアイヌから奪った権利を保障するという政府の姿勢が見えない」と憤る。サケ捕獲についても「上限を決めるなど資源保護への配慮をした上で、先住民族の権利として自由な捕獲を保障するところまで踏み込んでほしい」と訴える。
先住民族の権利保障は、国際的な流れでもある。07年に国連総会が採択した「先住民族の権利に関する国連宣言」は、先住民族が収奪された土地の原状回復や補償(土地権)、独自の教育制度などの確立(教育権)、自決権などが盛り込まれており、日本も賛成票を投じた。
宣言を受け、日本では08年に衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択された。さらに民族共生象徴空間の整備計画が具体化。16年に政府のアイヌ政策推進会議が新法を検討する方針を決め、議論が一気に進んだ。
ただ先住民族の言語を公用語化し、独自の大学や議会を設けているノルウェーや、土地回復や自治の確立などを保障する米国などに比べ、アイヌ新法案は先住民族の権利保障が曖昧だ。国連の人種差別撤廃委員会も日本政府に対し、昨年8月まで数回、権利の保障を求める勧告を出した。
北海道アイヌ協会の阿部一司副理事長(71)は「新法案は初めの一歩だ」と強調。その上で「交付金や特例措置を具体的にどのように権利回復につなげ、将来的に国際レベルの先住民族政策に高めていくか議論に期待したい」と話した。(斉藤千絵、古田夏也)
■先住民族明記に意義 北大アイヌ・先住民研究センター常本照樹センター長(法学)の話
法案の概要を見た限りではあるが、アイヌ民族の文化振興や生活の向上などこれまで論点となってきた事項に具体的な一定の方向性を示したと言える。
アイヌ民族を法律の中で先住民族と位置づけたこと自体に大きなメッセージ性がある。ただ支援の対象となるアイヌ民族の特定は、現段階で技術的に容易ではない。またアイヌ民族とそうでない人々が共生している現状が前提にある中、アイヌ民族の地位を改善するために地域全体を豊かにするという交付金制度は現実的なアプローチだろう。
今後、アイヌ民族が先住民族であるという認識を社会に広げ、民族共生を実現するには政府や道、市町村、アイヌ民族自身がこの新法をどのように運用できるかについて共に知恵を絞ることが欠かせない。
■歴史や現状に触れず 恵泉女学園大上村英明教授(国際人権法)の話
新法案はアイヌ民族の誇りの尊重を掲げながら、実質的には民族共生象徴空間の運営や特別措置の見直しなど行政上の段取りを示す「手続き法」に終始していると言わざるを得ない。
政府は1997年のアイヌ文化振興法以降、支援対象を決める個人認定は難しいとの立場をとってきた。その結果、対象を特定しない文化活動を前提にせざるを得ず、回りくどい政策に終始している。新法案も、国の責務はあくまで「アイヌ文化振興・環境整備」であり、サケの捕獲を文化伝承に限っている点でもその域を出ていない。
そもそも法案は、新法が必要な「理由」とも言える歴史的経緯やアイヌ民族の現状に触れておらず、政府にはあらためて説明を求めたい。その上で、権利回復のあり方を国民一人一人が再考する契機にしたい。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/277345