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SXSW】参加予定の海外アーティスト、適切なビザを所持も入国拒否される

2017-03-16 | 先住民族関連
Billboard Japan 3/15(水) 14:30配信
 2017年3月10日から19日(現地時間)まで米テキサス州・オースティンで開催されている【SXSW 2017】(サウス バイ サウスウエスト)に出演する目的で米国に入国しようとし、合法なビザを所持していたにも関わらず入国を拒否されたアーティストが少なくとも7名いることが分かった。
 【SXSW】の無料ショーケース・イベントに出演する場合、通常は短期の商用目的などに必要な“B-1ビザ”で十分で、過去にも多数のアーティストがこのビザで入国している。一方、活動実績がある芸能グループのメンバーがライブ・ツアーなどの目的で入国する場合は“P-1ビザ”を取得しなければならない。
 米国税関・国境警備局(USCBP)は3月13日、米ビルボードに宛てた声明文で、「国際的に知名度のある芸能グループに所属しているメンバーは、P-1ビザを申請し、発給されなければならない」と、特定のグループやイベントを名指しせずに説明した。
 メンバー3名が入国を拒否されたポスト・ハードコア・バンド、Massive Scar Era(マッシヴ・スカー・エラ)が米ビルボードのインタビューに応じ、メンバー全員がB-1ビザを取得していたにもかかわらず、入国は許可できないと言われたとボーカルとギターのCherine Amr(シェリーン・アムル)が話した。「私が全て合法的に手続きしていることは分かっているし、嘘もついていないだろうけれど、入国はさせないと言われたわ。(【SXSW】で)バンドを宣伝したり、レーベルやブッキングの担当者と会って人脈を広げたかっただけなのに」と彼女は嘆く。
 マッシヴ・スカー・エラは、エジプトとカナダで活動するバンドで、エジプト生まれのアムルはカナダの永住権を持っている。別のメンバーはカナダ人で、残りのメンバーは“ファースト・ネーション”と呼ばれる北米先住民出身だ。以前にも2回B-1ビザで【SXSW】に参加したと局員に説明しても聞き入れられなかったという。
 【SXSW】の主催者側は、マッシヴ・スカー・エラのメンバーたちが入国する際に税関当局に見せられるよう、“報酬が発生しないため【SXSW】ショーケース目的の場合はB-1が妥当である”という内容が記載された書類を発行していた。バンクーバーと米国の国境で足止めされた際、アムルは【SXSW】の担当者に電話をかけたが、局員は通話を拒否したと話している。
 他に入国を拒否されたのはイタリアのポスト・パンク・バンド、ソビエト・ソビエトのメンバー3名とロンドンのジャズ・コレクティヴ、ユセフ・カマールのメンバー、ユセフ・デイズ。いずれも全員B-1ビザを取得していた。ソビエト・ソビエトのメンバーたちはシアトル・タコマ国際空港で逮捕され、一晩拘置されたあと、翌日にイタリアに強制送還された。
 【SXSW】の広報担当者は「状況は把握している」と話しているが、ビザ問題についてのコメントは避けた。主催者側は、カナダや英国からのB-1ビザでの入国は大抵許可されるが保証はないとサイトで警告していて、報酬が発生しない場合でもP-1ビザを取得するよう促している。
http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/48718/2

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なぜ現代人に占める渡来系の遺伝子が相当な割合を占めているのか?

2017-03-16 | 先住民族関連
BEST TIMES 3/14 配信
シリーズ「ヤマト建国は地形で解ける」④
常に新たな視点を持ち、従来の研究では取り扱われなかった古代史の謎に取り組み続けてきた歴史作家・関裕二が贈る、『地形で読み解く古代史』絶賛発売中。釈然としない解釈も、その地にたてば、地形が自ずと答えてくれる!? 「ヤマト建国は地形で解ける」をシリーズで紹介いたします。
日本人のなりたち
 弥生時代の始まりが紀元前三世紀と信じられていた時代には、渡来人が百万人規模でやってきたと考えられていたが、弥生時代の始まりが数百年遡ったことで、少数渡来、先住の縄文人と融合、その後の人口爆発という仮説が浮かびあがってきたのだ。  その上で、シミュレーションをしたところ、渡来系住民が人口比一〇パーセントと仮定して、一・三パーセントの人口増加率で、三百年後には、渡来系の住民が全住民の八〇パーセントに達することが分かった。人口比を〇・一パーセントと極めて低く見積もっても、二・九パーセントの人口増加率で、同じ結果が得られたという。
 要は、本格的に農耕を始めた人たちだけが、増殖していったのだ。
 採集狩猟民族は、必要以上の殺生を避け、縄張りを守るのに対し、農耕民は余剰を生み、子供が増え、その子たちのために、新たな農地が開墾された。
 弥生時代に戦乱が勃発したのは、土地の奪い合いが起きたからである。
 なぜ弥生時代の渡来人と人口爆発の話をしたかというと、日本人の成り立ちを知りたくなったからだ。
 少数の渡来者が先住の縄文人の中に紛れ込み、融合し、子や孫が生まれ、日本列島で育った。彼らは渡来系の血が濃いのに、「列島人(先住民、縄文人)よりも列島人(先住民、縄文人)らしい」とからかわれるほどに、同化していったにちがいない。そして、顔は渡来系に見えながら、すっかり列島人になっていったのだ。
 また、古い水田は海岸に近い地域に造られていた。弥生前期の終わりか中期になって、ようやく最先端の稲作技術がもたらされたのか、内陸の扇状地や谷などに、水田が広がった。だから当初から爆発的に水田が増えていったわけではない。
 また、四国や九州など西日本の山村では、長い間焼畑農業が営まれてきたが、その文化や生活様式は、東南アジアや中国南西部の「稲作以前」の文化とよく似ていて、稲作伝来以前から継承されてきたものと考えられている。
 もちろん、古墳時代から七世紀にかけて、多くの人々が朝鮮半島の動乱から逃れてきたことも、忘れてはなるまい。しかし、日本の文化、信仰の原型は、一万年続いた縄文時代に求められるのであり、それは、弥生時代の到来と共に消し去られたのではなく、継承され、民族の三つ子の魂となって、脈々と生き続けたのだ。
  北部九州の発展は、稲作がいち早く到来したからではなく、縄文の伝統を継承した勇敢な海人が、「南北市糴(してき)」したからである。
 この、交易を生業としていた沿岸部や島嶼(とうしょ)の人々と、土地を耕す人々の間には、同じ北部九州に住んでいても、意識の差は大きかったと思われる。
 北部九州といえば、一枚岩のように考えてしまうが、同じ地域のなかにも、生業と利害を異にする人々が暮らしていたという、あたりまえすぎるほどあたりまえのことを、まずここで、再確認し、その上で、話を進めていこう。
 ヤマト建国に果たした北部九州の役割だ。
 シリーズ『ヤマト建国は地形で解ける』⑤に続く。
http://best-times.jp/articles/-/4884

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豪州アボリジニ現代アート展、14年ぶり釧路で

2017-03-16 | アイヌ民族関連
釧路新聞 2017年03月15日
 豪州先住民族アボリジニの子孫による現代アート展「ワンロード」が14年ぶりに釧路で開かれる。4月7日から釧路市立美術館(釧路市生涯学習センター3階)で1カ月間、豪州国立博物館所蔵の60作品が展示される。初日のオープニングセレモニーでは阿寒湖温泉地区のアイヌ民族による演舞のほか、期間中は学者や専門家によるシンポジウムなどが予定され、広く多文化多民族に触れられる内容だ。

http://www.news-kushiro.jp/news/20170315/201703154.html

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