西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

インターン制度と新臨床研修医制度など

2012-10-08 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
昨日、Eテレで戦後の日本の医療制度変遷を1時間半にわたりやっていた。

先進国のレベル、つまり人口10万人に医者150人、医療費は税金で無料というイギリスのNHS(ナショナル・ヘルス・サービス)、それに見習おうとしたが、うまくいかず、日本では全体として国民皆保険自由開業医制の中で過疎地というか全国的にどう医療のサービスレベルを揃えるか、というのが大問題だったし、今もそうである。

懐かしい「喧嘩太郎」こと医師会会長の「武見太郎」氏も出てきた。

私が社会に出た1966年辺りから激しくなってきた大学紛争は、医学部から火がついた。医局制度とインターン制度が問題となり、結局1968年(昭和43年)にインターン制度(2年間医局を中心に大学付属病院で色々な科を回り経験を積む)は廃止されてしまった。教授を頂点にした医局の末端にインターンが位置付けられこき使われるという医学部生の主張が通ったかたちである。

若かりし日野原重明さん(聖路加国際病院)は「若い時に様々な科を経験するのは医者として良いこと・・・、」と主張したが「大学の先生方は、研究第一で教育については二の次だったので、インターン制度は廃止されたのだ」と言う。

その後、一都道府県一医大政策が取られ医者は増加したが、相変わらず大都市に集中し、過疎地の医者は増えなかった。

そうこうするうちに1986年から10年で医者1割削減の方針になった。

しかし、全人医療、総合医の必要性が出てきてインターン廃止(1968年)から36年後の2004年(平成16年)に「新しいインターン制度」ともいうべき「新臨床研修医制度」が発足した。昔のインターン制度の弊害の大学医局への「縛り付け」を避けるため大学病院以外の指定大病院でも研修して良いとなったため、大学医局の医者供給力は復活せず、相変わらず過疎地医師不足が続いた。

だが、東日本大震災が起こり、福島県では医師が125人退職、他地域に移動したが、一方「新臨床研修医制度」の必修科目の内科、救急医療科、地域医療科により大震災地域に「地域医療研修」で研修に来る医者の卵も増え、すこし明るい面も出てきた。

まあ、それと全国的高齢化で複数の症状を持つ高齢者を地域で面倒みる必要が出てきたので、複数の科に通じる医者が必要となりつつあるのだ。(以上、番組の小生要約)

地域住民としても、しっかり見守っていかねばならない。