西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

食欲を抑える食べ方

2011-06-09 | 色々な仮説や疑問
昨日のテレビ「ためしてガッテン」で、食欲をコントロールスル技をやっていて興味があった。先週は、冷凍レモンの効用だったな。

一二日前のブログで、人間の「異常な」食欲と性欲について書いたが、今日は、その食欲の「異常」の原因の一つの説明を聞いた。自然な食材を簡単な調理で薄い味付けでつくって普通に食べる分には、他の動物と同じくすぐに満腹を感じて「異常食い」になりにくいのではないか。

ところが、「見た目が美味しそう、香りが良い、甘みが付いている、油脂が付いている(霜降りなど)、出汁味がついているなど手の込んだ料理にし、グルメ情報で後押しする、料理を食べる時にはアルコールも飲む」などの沢山食べたくなる「食演出」が異常に発達する、さらに生活上「ストレスを受けたり」「睡眠不足になったり」すると「やけ食い」になる。

それらは動物としての「自然食」ではなく、人間としての「文明食、文化食」となって食欲を異常に刺激し(摂食中枢を刺激し)必要以上に食べてしまいメタボになるのだ。私の解釈。

では、どうしたら良いか。坂田利家さんの研究では、脳内のヒスタミンが増えると咀嚼中枢を刺激し、それが結節乳核頭を刺激し、それが満腹中枢を刺激して「食べかた止め」となると言う。では、脳内ヒスタミンを増やすには?30回しっかり噛むことだ、と言う。つまり、それが咀嚼中枢を刺激するのだ。

坂田さんは(一口30回噛むという)型を守って実践すれば効果がある、と言う。普通、味が濃く調理されているので30回も噛まずに飲み込むのだ。自然味だと30回噛むと「味」が出てくるのだ。玄米も美味しさが出てくる、キャベツの自然の甘さも出てくるのだ。やってみよう。

食べ物でヒスチジンを摂れば、それは脳内に入ってヒスタミンに変わると言う。そのヒスチジンを多く含むのはマグロやブリやカツオや鯖などと言う。それらは皆好きな魚である。

以上、人間の調理、料理、文字・写真情報などで「異常に」肥大化してきた食欲には、理性的計画的に立ち向かうことで、活路があるのかな。美味しい副食は、玄米飯で食べれば噛むことにバランスがとれて少食になる。全体的に少食になれば、世界の飢餓を減らすことにも貢献するのではないか。

Harvard for JAPANシンポジュウムより

2011-06-08 | 時論、雑感
テレビ(再放送)で、「ハーバードからのメッセージー東日本大震災から何を学ぶのかー」を見た。「遠く」離れた所からのシンポジュウム(4月22日)で少し物足りない点もなきにしもあらずだったが勉強になった。

最近、日本でも「白熱教室」でおなじみの政治哲学のマイケル・サンデル教授が基調講義とまとめ、二部のシンポジュウムでは日本近代史のゴードン教授の司会で、災害医療のロズボロウ医師(女性)、元IAEA事務次長のハイノネン博士(IAEA日本支部に勤務経験あり)、防災都市計画のミホ・マゼレウ(講師、日系人、女性)が発現した。

ここではマイケル・サンデル教授の発言で気にとまったところをメモしておく。

・アダム・スミスは『道徳感情論』で「…遥か遠い中国で大地震が起きて国民全体が飲み込まれたとしたら、ヨーロッパの人達は、どう考えどう行動するか」という問を立て、初めは同情し、哀悼の意を述べ、頑張って立ち直って欲しい、と述べた後で、それで「満足して」さっさと日常のビジネスに戻り、その日もぐっすり眠ったしまうだろう。(つまり、ヨーロッパ人にとってはアジアの大不幸は一過性の出来ごとで、すぐ忘れてしまうものだ、と述べたようだ。)
(それに比べ一人のヨーロッパ人が小指を不幸にも切断したとしたら、痛く、心配で夜も眠れないであろう、とも言っているようだ。)

・1755年にポルトガルのリスボンを襲った大地震、大津波で多大な災害を受け多数の死傷者も出たが、これに対してフランスのルソーやドイツのカントらが、この大災害をどうみるか、でキリスト教的な黙示録のように「天罰だ」という見方に対して、大地震、大津波は自然現象で、やがてはそれらの発生メカニズムは明らかになるだろう、と言った啓蒙主義的な見方を対置し、これが大きな啓蒙主義、まあ大きくは科学主義の幕開けになった、と言う。

・で、今度の日本の大震災は、何かの変化、何かの幕開けになるだろうか、と問うている。

この問いに対して、私は、底の浅い「科学主義」の克服、サンデル教授が言う「最近世界的に不調な民主主義」に対して新たな前進を目指すきっかけになるに違いない、と答えたい。

サンデル教授は、特に後者に期待したい、と最後に述べていた。

(これを聞いて、先日、ドイツの脱原発を決める前に、結構奥の深い原発維持推進派と脱原発自然エネルギー派の10時間に及ぶ公開討論を思い出した。こういうやり方も多様な重層的な民主主義の一方法であろう。日本でも議会以外の国民民主主義をも発展させるべきであろう。)


頭脳、言葉の「発達」と食欲、性欲の「異常」

2011-06-07 | 色々な仮説や疑問
人間も生物、動物の一種だから「生物、動物」の生き方法則に大局的に従うはずだが、どうも逸脱しているのではないか、と思う現象もしばしばみられるのではないか。

普通、動物は満腹になったら更に無理をして食べるということは、ない。ライオンも満腹になったら、すぐ前を例えばシマウマが通っても見向きもしない。シマウマもそのことを知っていて、そういう場合、悠々とライオンの前を通り過ぎていく。

又、人間以外の動物では繁殖期がほぼ決まっていて、それ以外の季節には、繁殖行動(セックス活動)はしないし、繁殖期を過ぎた動物は、なるべく早く死んで子孫のための食料を「食い荒らさない」、そのことによってその種は「永遠に」生きながらえるのだ。

ところが、人間は、満腹になっても「別腹」とかなんとか言って更に美食に走っている。色彩鮮やかな料理本もそれを後押ししている。

又、人間の繁殖活動というか性生活は、野放図になってきており、季節ものべつまくなしに一年中だし、繁殖期間を過ぎてもなお盛んである。

これっていうのは、人間の食欲、性欲という本能が、歴史的に「歪んで」きていることをしめしているのではないか。この原因は何だろうか。一つの仮説として言えそうなのは、頭脳が異常に発達して、言葉や、図像によって、それらの本能が異常に刺激されることにあるのではないだろうか。

我々人間が食欲、性欲の二大本能の発露において、こういう異常を続けていると、メタボ、生活習慣病が蔓延し、セックス異常者(例えば、セックスした相手を殺すなど、これはセックスの元々の目的、優秀な子孫を残すことを逸脱している)が蔓延し、やがて人類は本当に滅びるかもしれない・・・。

民主、自民の「大連立」は駄目だし、無理・・・

2011-06-05 | 時論、雑感
まあ新聞社の世論調査は民意誘導と思っているが、今日の『朝日』に世論調査結果が載っていたので検討してみる。

大見出しは「退陣表明「良かった」52%」、中見出しは「「大連立を」53%」とあり、大連立に誘導しようという意図がみえみえだ。

少し詳細に見てみると、「菅首相の辞任時期」は、「原発事故収束のめどがついた後」が45%で一番多い。原発事故収束を何処に求めるかによって時期は変わってくるが、冷温停止は来年1月というのは楽観的過ぎで何十年もかかるという専門家もいるのだ。

「新首相で復興・原発対応は」については「いまよりうまく進むとは思わない」が、61%で国民の多くが、この課題は大変難しい、と認識している。「菅首相辞任後の政権枠組み」については三つしか選択肢をあげなかったために「民主、自民大連立」が53%になったのだ。

他方「自民党などが不信任決議案を出したことに対する評価」だが、「評価しない」が60%で「評価する」の倍もあるのだ。

「民主党がまとまっていたほうが良いか、分裂したほうが良いか」では、「まとまっていたほうが良い」が55%なのである。

表面的には、「大連立」が過半数だが、同時に自民党は評価されておらず、民主党も初心に帰って「まとまっていてほしい」が過半数なのだ。

だから「大連立」は現実不可能だし、変な「野合」は国民は認めないだろう。「緊急避難」が必要だとしても、だ。

醜い原発瓦礫風景を遺産に・・・

2011-06-05 | 住まい・建築と庭
今朝、テレビで最近の東電福島第一原発の風景を見た。結構近くからの映像で、水素爆発で吹き飛んだ鉄筋コンクリート破片が建屋の足元ややや離れた敷地に散乱し、むき出しになった鉄骨が折れ曲がり、配管も断裂しているのが確認できた。

醜い原発瓦礫風景とでも言えようか。建築に関係してきたものとして何とも残念な風景だ。

この建築を設計した人たち(構造家も含め)は、こういう風景がありうると想像したであろうか。恐らく、あるまい。でも、原発を容れる建築ならこういうことはありうる、ということが明らかになってしまった。

でも、もうこういう建屋を新たに建てることは止めにしたい。そして、広島の原爆ドームが、二度と再び原爆を使うことがないように、とのメッセージを全世界に発信しているように、この福島の原発建屋フレームを二度と再びこういう大事故を起こさないというメッセージを全世界に発信するために、将来「遺産」としたらどうだろうか。

No more Hiroshima,Nagasaki and Fukushima!を表す遺産として。

『伽藍が白かったとき』(ル・コルビュジェ)より

2011-06-04 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、テレビの「新日本風土記」で日本の各種建築を見た中で青森県・弘前市に建てられた建築家・前川国男さん設計の一連の建築をみて、改めて前川さんが弘前に因縁(お母さんの生れ故郷)があったことを認識した。

で、ふと前川さんが戦前、東京帝大建築学科を卒業してすぐにパリのル・コルビュジェの事務所に行かれたことの連想から、岩波文庫で買い置きしてあったル・コルビュジェ著、生田 勉/樋口 清訳の『伽藍が白かったとき』を思い出して手に取ってみた。

前川さんが「まえがき」を書いておられるが、宮内嘉久著『前川國男』(晶文社)によると、この『伽藍が白かったとき』は前川さんが後輩の生田 勉、樋口 清さんに「訳させた」もののようだ。この本はル・コルビュジェが1930年代にニューヨークを訪れて書かれたものだ。まあ、ある意味で「ニューヨーク(の建築、都市計画)批判」の書でもある。

この二冊は、ゆっくり読んでみたいが、『伽藍が白かったとき』をぱらぱらと見て、ある一ヶ所に目がとまった。(ニューヨークという)「11 都市に木がない」という項である。

都市には木がない!と言っても言い過ぎではない。木、人間の友、あらゆる有機的創造の象徴。木、全体的講造のイメージ。完全な秩序にありながら、われわれの目には最も幻想的なアラベスクと映ずる魅惑的な風景。開かれた新しい手の、春ごとに数を増す枝の戯れ。葉脈の整然と引かれた葉。空と地の間にあってわれわれを蔽うもの。われわれの目の前にある恵みの衝立。固い建築の偶然的な幾何学とわれわれの心臓や目のあいだに置かれた、快い比例中項。都市計画家の手に任された貴重な道具。自然力の綜合的な表現。われわれの労働や気晴らしを囲む、都市における自然の存在。木、人間の何千年来の仲間!

 太陽、空間、木、それらを私は、都市計画の基本的な材料、「本質的な喜び」の提供者と認める。・・・
」(131~132頁)もちろん、「セントラル・パーク」の存在を高く評価しつつもこのようにル・コルビュジェは言っているのだ。特に木と人間、木と建築・都市の関係を多様な視点から位置付けた点が大きいだろう。

昨日、私が言った「環境との繋がり」の重要性を、太陽と空間と木のサンドイッチによって見事にその基本を抽出したと言えるのである。この文言も頼りとして考察を深めていきたい。

幸せ度の追求

2011-06-02 | 色々な仮説や疑問
今夕の「クローズアップ現代」で「震災後の幸せのモノサシづくり」をやっていた。

まあ、幸せは経済的成長によるなどという経済中心主義のみにあらず、である。GDP(国民総生産)で国民の幸せを測るシステムは、ほぼ崩壊した、と言ってよい。

では、国民幸せ度は何で測るのか。

「健康の度合い、自由時間の確保具合ではないか」との説もある。

私は、「繋がりの豊さ」に幸せ度の大きさをみたい。

「繋がり」とは、私の解釈では三つの複合である。

第一に、人々との繋がり、

第二に、環境との繋がり

そして第三には、歴史との繋がりである。


じっくりとこれらを成熟させていきたい。

見えない所に「補助線」を引いてみたら

2011-06-02 | 時論、雑感
今日、菅首相に対する「不信任案」が提出され、午後に採決となるようだ。

国民目線からは、何たること、こんな時に、と率直思う。仮に菅さんが大震災からの復興や原発事故収束でドジを重ねているとしても、だ。被災地住民や県知事なども批判しているし、日経連の代表も批判している。

今日の『朝日』によれば、「谷垣氏は不信任案賛成への協力を求める1日の野党党首会談で、共産党の志位和夫委員長から「菅首相をやめさせた後、どういう政権構想を持っているのか」と迫られ、「確たる展望を持っているわけではない」と答えるのみだった。」

これじゃ「アカン」と思う。こういう場合は、これらの「ゴタゴタ」の裏の表から見えない本当に事態を動かしている勢力(と思われる所)に「補助線」を引いてみたらどうだろうか。

フムフムそうかもしれない。

見えることと見えないこと

2011-06-01 | 時論、雑感
昨日、晴れ上がった空の下で電車を乗り継いで大津へ、何故か琵琶湖を見に行った。
波静かな湖である。

たっぷりと真水を抱いてしづもれるくらき器を近江と言へり 河野裕子

ずっと琵琶湖の北の端を陸に上がって更に山を越えると日本海、若狭湾で「原発銀座」と言われている所だ。

そこが、仮に東電の福島第一原発のような事態となると30kmほどで琵琶湖に放射性物質が落ちて上水にも入り込み「えらいことに」なる。昨日も大津で「脱原発」のデモがあったようだ。

とにかく放射性物質は、我々には見えないし、他の五感(四感)でも察知出来ない。

考えてみると、微量化学物質過敏症の場合、それらの微量化学物質も見えないし、花粉症の花粉も殆ど見えない。

住宅の地下からひっそりとのぼってくる白蟻の列も屋内から見えにくい。

でも、これらの中ではやはり放射性物質が一番怖い。内部被ばくするとDNAを傷つけ遅発性の癌などが発現する恐れがあるからである。

2011年は、「脱原発」への転換点となったと後日言われるように是非したいものだ。