西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「つなね」の「書斎」の今後

2009-08-13 | 住まい・建築と庭
コーポラティブ住宅「つなね」の「書斎」に行ききして、9年を越えた。

私が、仮に「早く」この世を去った場合、それは妻や娘に残される。本が数千冊あるのではないか。(自宅のも含めると五千冊はあるだろう。)

それらが丸々保存されるのがベストだが、なかなかそうはなるまい。適当なもののみ親戚や知り合いに貰ってもらう。後は古本屋に一冊10円で引き取ってもらう。

で、それらの本や報告書の本棚や机は立派なものでそのままにしておく。

この10坪ほどの空間にはキチネット(小台所)やユニットバス(バス+トイレ)が付いているし、空調機や冷蔵庫も付いているから十分「住まい」となる。

これを奈良女大の住環境学科の学生・院生に貸すのはどうだろう。もし、そうなら、貸す時に必要な本は処分する前に残すのも有効活用になるだろう。奈良女に希望者がいないなら平城・相楽ニュータウンすぐ外の奈良大学の学生・院生でも良い。

その前に「つなね」の理事会の許可が必要、入居学生・院生には「郷に入れば郷に従え」のライフ・スタイルをとって貰う要がある。奈良女の学生・院生の場合は、それも「住環境学」の実践的学習であると思う。

ある他大学の院生に「書斎」を見せて、今後のことを色々駄弁ったら、以上のような方向があることがわかった。彼女の見立てでは、「立派なワンルームマンション、月々4~5万円の賃料は取れるだろう」とのことだった。

妻や娘の生活の足しになるだろう。いや、まてよ、今からすぐ実行すれば、私の小遣い稼ぎになるかもしれない。

過去の「つなね」記事:http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%A4%C4%A4%CA%A4%CD

天命は「健康住宅」の持続的追求か

2009-08-09 | 住まい・建築と庭
四年前に奈良女子大学を辞めるとき、最終講義として「つながりの豊かな地域居住」という題で話した。「つながり」としては、時間と空間とのつながりを考え、時間的つながりを歴史的つながり、空間的つながりを環境的つながりと人間的つながりに分けている。最後に「以繋為道」(繋がりを以って道と為す)と言っている。

で、そのご4年間、平安女学院大学の専任として働き、今年度から時々特別講義をする客員教授にかわり、ほとんど「職場人間」から「地域人間」となった。そこでボランティア的に「けいはんな市民雑学大学」などをやっている。「地域人間」として、足元で建てて15年になろうとしている自宅(OMソーラーハウス)の補修に取り組みだした。数年前に羽根蟻が出現し、OMソーラー域外の和室床下を調べて、畳や柱の一部がやられているのを発見、その部分の防蟻処理をした。

しかし、OM域については、実は床下点検が、難しい空間構造になっているので、その時は見過ごし(OM域は乾燥していて大丈夫みたいに言われていて「鵜呑み」にしていた)、今回の補修で床の張替えをするついでにOM域の床下を見たのだ。

「開けてビックリ白蟻天国」、幸い土台は防蟻処理してあったので無事、その上の根太掛け、根太等、米とが材がやられている、集成材の柱を登って胴差しや梁の米松材の一部までがやられている・・・、(幸い、それ以上広がっていない。何故広がっていないか、一考を要する・・・)ということで、全面改修となった。生活的にも経済的にも非常に大変だ。

15年前のOMソーラー住宅の対シロアリ欠陥は、中にはブログでも発表し、OM協会と争っている人もいるが、私もきちんと経過をしめして、いずれOM協会の見解を求めたいと考えている。

OMで問題になることは、現在、宣伝されている「高気密高断熱」「外断熱」構造でも問題になるのでは、と考えている。

高気密高断熱は、シロアリにとって好都合であるだけでなく、シックハウス症候群など人間には極めて拙いのである。

私は、若いころ、水俣病患者のための住宅改善に取り組んだが、歴史の舞台が回って、やはり「健康住宅の持続的追及が天命なのかな」と思わざるをえない今日この頃である。

シロアリ補修の日々

2009-08-08 | 住まい・建築と庭
今日は、シロアリ補修工事の32日目、6月末から始まっているが、ポイントの日だ。

今まで、「シロアリ食い散らし」の広がりの現象認識、シロアリの侵入経路と理由、何故生きたコロニーが見つからないか、補修・改修の基本方策、利用材料・工法、予防方策等について、現状を観察し、過去の対応を思い出し、その基礎認識に立って今後の諸方策を考えてきた。

で、今日は、居間の西南隅の通し柱を入れ替え、最も食い散らされていた胴差しの一部を入れ替え、胴差しを支え、2階管柱等も支えるため、松丸太を挿入した。込栓も使いまくっている。

何だか、「伝統住宅」のようになってきたなあ。

人間のこの世への匂いづけ=刻印、マーキング

2009-08-07 | 私の考え出した言葉
空間への匂いづけ=刻印という話をしていたら、「それってマーキングのことですね?」と学生(院生)から言われた。「横文字」では、そうかな、と思う。

人と空間(環境)との「つながり」を意識的に強めるもの、強めることが匂いづけなのである。

匂いづけの事例(アトランダム):○神社仏閣を建てる(東大寺=聖武天皇、新薬師寺=光明皇后、談山神社=藤原鎌足、日光東照宮=徳川家康・・・)、○有名建築を設計し残す=有名建築家、○銅像、像を建てる、○墓碑銘を書く、○著書、記録を残す、○記念植樹をする、○記念写真、肖像写真を飾る、○マイ・チェアや、○マイ・ベンチを置く、○スナックへのボトルキープをする、○落書きする、○土産の展示をする、○建築、共用空間づくりへの参加、

逆傾向=削印:新権力者は旧権力者の跡を消そうとする、新入居者は旧入居者の跡を消そうとする、・・・

法則・・・匂いづけした空間には特別の「引力」が働く。

中塚 明著『司馬遼太郎と歴史観』を読む

2009-08-06 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
今度、NHKは司馬遼太郎の『坂の上の雲』をドラマ化し放映するようだ。

司馬遼太郎は、太平洋戦争に従軍し辛酸をなめた経験もあって、日露戦争以後の日本は「あかん」、明治の日露戦争までの日本は「凛としていた」というベースで『坂の上の雲』を書いているらしい。

『坂の上の雲』という題も「理想を求めて坂の上に見える雲を追って駆け登る青年達は素晴らしかった」というメッセージであろう。

ところが、今日、恵送されてきた中塚 明著『司馬遼太郎と歴史観ーその「朝鮮観」と「明治栄光論」を問うー』(高文研刊)を読むと、「歴史は、司馬遼太郎が言うような、一時前は良かったが最近は駄目」みたいな単純なものではない。

歴史は司馬の言うような「不連続」なものではなく連綿と「連続」しているものだ、というメッセージが伝わってくる。

世の俗論に、「朝鮮は放っておくと、ロシアの植民地になる恐れがあり、そうなれば日本は窮屈になる。もし、そうなら日本が先手を打って朝鮮を封建制から解放してあげた方が良い・・・」というのがある。

これは、事実に照らして見ると、全く違っていて、明治の日清戦争の前から、日本は朝鮮を「併合」しようと虎視眈眈狙っていたことが明らかとなる。

日清戦争をする場合も日露戦争の場合も、まず最初に朝鮮政府を抑えてから乗り出していることが歴史的事実としてある、とこの著書は事実を上げ論証している。

司馬は、『坂の上の雲』では、日清戦争に際しても日露戦争に際しても日本が朝鮮に対し何をしたか、それに対する朝鮮の政府や国民の動きはどうかには殆どふれていないと言う。

これは、戦後のことだが、日韓条約の締結に15年も要したのは、日本の朝鮮併合の意味について日韓で認識が大きく違っていたことがある、という。

朝鮮民族の日本に対する抵抗として「東学党の乱」(東学農民革命)があるが、日本人は、殆ど良く理解していない、『坂の上の雲』でも詳しく触れられていないともいう。

朝鮮半島を身近なものにするためにも歴史を連続するものとして深く理解しなければ・・・、とこの著書を読んで思った。ドラマ『坂の上の雲』にも注視していきたい。

中塚 明さんは、私の近所に住んでおられる。一回り「先輩」、京大史学科卒(日本近代史専攻)、奈良女子大学名誉教授、元学術会議会員。定年退官されてから毎年のように研究成果を著書で出しておられる。見習いたいものだ。

学部卒45周年のクラス会感慨

2009-08-05 | 京都の思い出(学生時代)
45年前の1964年に京大工学部建築学科を卒業した。私が入学した時の定員は40名で、卒業した時に、「上」から留年で「落ちてきて」同期になった友人も数人いる。また、入学が同期で「下」に「落ちた」友人もいて、差し引き卒業したのも40人ではなかったか。

ところが、この45年間に7人が鬼籍に入ってしまった。4人が大手ゼネコンの「戦士」(社長歴任もいる)、2人が大学教授と名誉教授、以上6人は病気、あと1人が卒業したてで交通事故だった。(ゼネコン、大学以外は、長生きなのかな・・・)

今年の11月に今回は東京圏在住の仲間が幹事団で世話をして学士会館で一泊で行われるクラス会には、20数人が参加するようだ。同期生は全員男子だが、奥さんが付き添いで来る友人も何人かいる。仲が良いというか、「体調管理」の面もあるようだ。私は一人で行く予定。二日目には、皆で江戸東京博物館に行く予定だ。

前回は関西の我々が世話をして、京都府の美山町、芦生の京大演習林(原生林)に行った。その時も、皆、酒が弱くなった感じだったが今回はどうだろうか。

アルコールは適当に入れて無理をせず、自由に建築や住宅のこと、町や村のこと、内外旅行のこと、趣味・楽しみのことなどを縦横に語りたい。

必要な「出」をみて、必要な「入」を求める

2009-08-04 | 私の考え出した言葉
世に「入るをはかって出るを制す」という言葉がある。これは、収入の範囲内で支出を考えよ!という意味だろう。

しかし、「出る」ことを一義的に考えて、それに対応する「入る」を求める、工夫するというのが本質的ではないのだろうか。

呼吸でも、先ず呼気であり、体中の空気を出してから静かに吸気に移るのである。
水でも小便で出したり汗で出したりした後で水分を補給するのが良いのだ。それが自然であろう。食い物でも、先ず「出す」ことがあって美味しく食べられるのである。情報も絞り出した後に猛烈に「勉強」したくなるのである。

今回、シロアリ対応で多大な経済的「出」が発生する。これに対して、どう「入」を考えるのか、「深呼吸」して死ぬまで考え努力していきたい。

フジヤマのトビウオ亡くなる

2009-08-03 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
昨日、フジヤマのトビウオこと古橋広之進さんが水泳世界選手権の開かれているローマで亡くなったとのニュースに接した。享年80歳。

私が小学校2年生(7,8歳)の昭和24年(1949年)に次々と自由形1500メートル、400メートルなどで世界新記録を打ち立てた。(蔭にライバルの橋爪四郎がいた)静岡県出身だったこともあり「フジヤマのトビウオ」と言われた。

相前後して湯川秀樹博士が日本人初のノーベル物理学賞を得た。

昭和20年(1945年)8月の敗戦で、ある意味で、うちしおれていた国民に勇気と希望を与えた二大快挙だった。いつまでも忘れない。ご冥福をお祈りする。

聖域にメスを!考える一ヶ月!!

2009-08-02 | 時論、雑感
今日は日曜日、朝9時からNHKでは総選挙を睨んで六党の政策(マニフェスト)論議があった。私は都合で最初の部分しか聞けなかった。

自民党のマニフェストは「酷い」と正直思う。マニフェストは、次期4年間に実現する政策約束なのに、「10年後に各世帯100万円所得アップします」だなんて、昔の池田勇人の「所得倍増政策」みたいなことを言っている。当時は右肩上がりの高度経済成長真っ只中だったから「貧乏人は麦を食え、中小企業の一つや二つ(つぶれても構わない)」と言い放った池田さんも総理になれたのだ。

今は、そういう時代ではない。まあ、基本的に、内需を増やす意味でも個々の国民の懐をどう暖めるかの工夫が必要だ。

で、一度、民主党にやらせてみるか、の雰囲気が世論調査でもマスコミでも感じられる。まあ「自公政権」より「民主党を中心の政権」は「よりまし」とは思う。子ども支援、年金確保、後期高齢者医療制度の廃止など国民本位の政策も確かにある。

しかし、財源問題で、官僚「天下り」聖域等にメスを入れるというのはいいが、4年後には消費税を上げる方向というのはいただけない。

じゃあ、第四党の日本共産党はどうか。確かに消費税に反対し、軍事費のカットや富裕層や大企業への「増税」を言っている。自民党が手本としているアメリカ自体が軍事費をカットし富裕層に「増税」と言っている位だから日本でもそういう「聖域」に切り込むことも一つの方向だ。だが、なにせ「少数政党」のため、そういう方向に中々いかない。建設野党を目指すらしいので大いに頑張ってほしい。

国際競争力確保や国の安全確保で共産党の政策はどうなのか、またソ連モデルの社会主義、共産主義に「真っ平御免」と思っている人も多い。私もそうである。(まあ、日本共産党はソ連は社会主義でも何でもなかった、と言っているが・・・)

しかし、とにかくマニフェストを冷静に検討すると、思想的にも論理的に一番筋が通っている、と思う。不破さんや志位さんなどのしっかりしたインテリがいるからかな。

まあ、衆議院議員50人位になるまで、増やしてみて、色々とやってもらうのも「手」かな、と最近思っている。もし、その過程で変なことがあれば、直ちに減らせばよいのではないか。それが民主主義であろう。

社民党や国民新党も少し増えたほうが良い。国民の価値観が多様なのに二大政党というのは、どうなのかと思うからだ。皆さん、麻生さんも言っているが、この八月一ヶ月マニフェストというものをじっくり検討して次期政権を選ぶ、更にその次を睨む歴史的時期にしようではないか。