西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

住吉の長屋、再考

2006-10-04 | 住まい・建築と庭
今日の『日経』夕刊の「こころの玉手箱」で安藤忠雄さんは出世作とも言われる「住吉の長屋」について自ら語っている。私は一寸前にそれについて触れたし、「検索」で「安藤忠雄」と入れると多くのコンテンツが出てくる。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/46027f8d8aea06d6a21672d06d0b3406
安藤さん自身、「住吉の長屋」(1975年、昭和50年設計、1979年日本建築学会賞)について次のように語っている。「(1)木造長屋の密集する大阪下町の過密地帯にある三軒長屋の真ん中の家を、コンクリートのボックスとして建て替えた。(2)奥行きを三分割し、中央部を中庭として空に解き放った。失われつつある都市の自然を住居に引き込む装置だ。これが伝統的な町屋の坪庭のような役割を果たし、通風、日照など住まいに最低限必要な環境条件を整えることができた。(3)もっとも、雨の日には二階から一階に行くのに傘がいる。冷暖房もないから夏は暑く冬は寒い。自然と共生することがいかに大変か、身をもって知る。(4)だから、私と同年輩の施主には体を鍛え続けてほしいと言っている。」(括弧数字は私が入れた) で、1978年の吉田五十八賞の候補になった時、審査員の大御所の村野藤吾さんは「この家の設計は悪くはないが、任せた施主がえらい。賞をあげるなら施主にあげたい」と言ったようだ。で、安藤さんは以後30%は施主の要望を気にするようになった、と言う。「しかし、もう年も年だし、そろそろ以前と同じように施主の言うことをきくのはやめようと思っている。」
そうなのか、と思った。私は、逆に70%位、施主の言うことに耳を傾け(言う通りにするということではない)、30%思いっきりやったら、と思っている。「年も年だし」と言っているが、彼と私は同世代だ。今後の安藤流を見守りたい。
(写真は、住吉の長屋、伝統的長屋は格子や窓で外と「つながっている」のだが、これはそれを拒否して小さい穴のような玄関があるのみである!)

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