「居住地人間」であるためには、隠居ではなく「顕居」でなくてはならない、という具合に使う。これは、何時ごろから使い出したであろうか。高齢者は、引きこもるのではなく、社会や地域との接点(接線、接面)を持っていて元気が保てるのではないか。
今度、たまたま4月から縁あって高槻の南平台という「山路」にある花の平安女学院大学に来ている。そこでの感慨俳句。・ 山路来て 花咲きわれは 顕居(けんきょ)かな 市路
(芭蕉の「山路きてなにやらゆかしすみれ草」とえらい違いやなあ・・)
今度、たまたま4月から縁あって高槻の南平台という「山路」にある花の平安女学院大学に来ている。そこでの感慨俳句。・ 山路来て 花咲きわれは 顕居(けんきょ)かな 市路
(芭蕉の「山路きてなにやらゆかしすみれ草」とえらい違いやなあ・・)
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