西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

山本和夫先生の思い出

2005-10-25 | 名古屋・豊田の思い出
豊田高専建築学科教授の山本和夫先生は、橋本敬治郎先生より年配で、構造を担当しておられたと思う。実は、私は山本先生から京大で「一般構造」を習った。先生は、京大建築学科を出られた後、文部省の施設部に入られたようで、当時(1962年、3年頃)、京大の施設課長(部長?)をしておられ、非常勤で教えておられたのだ。そこを定年の後に豊田高専に移られたのかどうか、はっきりしない。私が助手で赴任した1966年度は建築学科の主任をしておられた。助手は、私のほか、先に言った藤谷幸弘さん、そして中谷勉さん(名城大学出身、高校で橋本敬治郎先生に習う)の三人だった。当時はっきりしていなかった助手の研修日について、我々三人は山本先生に掛け合って認めていただいた。それで「晴れて」週に一日、私は名工大の服部千之先生の研究室に出入りするようになったのだ。山本先生は、体を大切にされる先生だった。私が4年後の1970年に京大に助手で移るときにお宅で「送別宴」を開いてくださり「健康第一」と言われた。豊田市栄町の官舎においてである。正に「感謝」であった。その後、定年の後に山本先生は京都の自宅に戻られて、そこで亡くなられた。優しい柔和な目じりに皺を寄せた山本先生の顔は、今も忘れない。

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