西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

豊田高専の初期学生達(1)

2005-09-09 | 名古屋・豊田の思い出
8月16日のブログに豊田高専のM君がヘーゲルの『精神現象学』を読みこなしていたことを紹介した。他にも優秀な学生が色々いた。私が就職して2年目(26歳、1967年度)に卒業研究の学生3人(5年生20歳)の面倒をみたが彼等もそうだった。Kan.君、Kat.君そしてY.君ではなかったか。私の研究室で私も入れて4人で撮った白黒写真がどこかにあると思う。Kat.君のテーマは一寸失念しているが、Kan.君は都市計画に関するもので、T市に就職し、都市計画一筋で、都市計画課長にまでなったと思う。Y.君は実家の瓦製造業に関するテーマだったと思う。国鉄(現JR)に就職した。この二人とは今も年賀状のやり取りが続き、40年近い付き合いとなる。彼等もあと数年で定年で、私と「同じ世界、世代」となる。Kan.君はホームページを開設したようだが、楽しみに時々訪問したいと思っている。

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2 コメント

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高専の頃 (HIRO)
2005-09-09 20:37:32
40年近い昔の卒研や卒業設計の記事を拝見、当事者の一人として懐かしく読ませてもらいました。

早速、高専の20年史を出してみたところ、先生のところの学生は上記3人のほか、もうひとりAka.君がいました。彼はN市に入り、数年前に定年前退職したと、彼から先日突然の電話がありました。Kat.君は15年くらい前に早世しています。Y.君は清算事業団からT工務店に移っているハズです。

Kan.ことHIROについては書いてある通りです。学校時代の懸賞論文の提案を実現せよということで就職、20年ほどかけて駅前の再開発を3地区、延床で20haほどと2本の鉄道高架、両駅を結ぶ250㍍ほどのぺデストリアンデッキなど、ほぼ学生時代の提案を実現させてもらいました。まちづくりの評価は退職した後ですかね。その後企画を10年、環境を5年、今は産業部でポスト自動車時代の戦略づくりです。

長くなってしまいましたが、若干の補足も兼ねて。先生も書いておられるように、あと2年半で定年。これからの豊かな人生の模索も大事だと痛感しています。
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コメントありがとう (ichiro)
2005-09-09 20:52:39
コメントありがとう。Aka.君思い出しました。Kat.君が亡くなったとは残念です。豊田高専の同期会とか同窓会あったら知らせて下さいね。
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